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電気グルーヴ作品の販売停止問題を入口にしているものの…

2020-08-15 10:53:55 | 読書ノート
宮台真司, 永田夏来, かがりはるき『音楽が聴けなくなる日』 (集英社新書) , 集英社, 2020.

  ミュージシャンの不祥事に伴う作品の出荷停止・配信停止について論じる内容。本書の企画は、ピエール瀧の逮捕を受けて電気グルーヴの作品が市場から引き上げられてしまったことに端を発している。著者の一人の永田夏来は家族社会学者とのことだが、電気グルーヴのかなり熱狂的なファンであるらしく、出荷停止や配信停止に反対する署名運動の発起人となっている。もう一人の発起人であるかがりはるきは『小さなドーナツを描いていた』というブログをやっている音楽研究家とのこと。宮台真司については説明不要だろう。

  永田は、ピエール瀧の逮捕からの一連流れをまとめ、最終的に石野卓球とピエール瀧との関係に触れながら、薬物中毒者の復帰にとって友人の協力がいかに大切かを論じている。かがりは、ミュージシャンの不祥事と事務所およびレコード会社の対応の歴史をまとめている。それによれば、旧譜の回収や出荷停止が行われるようになったのは1997年のラルクアンシエルの不祥事からで、例外はあるものの徐々に定着していったらしい。関係者へのインタビュー取材も行っており、その結果ソニーミュージック系列(電気グルーヴも槇原敬之もそう)はコンプライアンスに厳しいのではないか、と推測している。宮台の論考はアート論で、古代ギリシアやカントを参照しつつ、芸術の異化作用を称揚する一方、現代の自粛文化を論難している。

  永田と宮台の論考は鋭い指摘もあってタメになるところもある。しかし、本のタイトルから期待される内容とは違うなあ、というのが全体的な感想。読む前は、音楽の電子配信の普及と、キャンセルカルチャー、音楽における著作権ビジネスの関係を整理してくれる内容なのかと思っていた。だが、永田の議論は音楽産業とは無関係な方向に進んでゆくし、宮台の議論はアート一般の話で広すぎる(かがりのはタイトルにマッチしている)。今回の事態は、もう少しポピュラー音楽産業の構造に分け入って論じないと糸口がつかめないと思われる。例えばレコード会社を批判するにしても、不祥事を原因としたCDの出荷停止は、売れないからという理由で旧譜が廃盤のまま放置されるという事態と何が違うのか説明してほしい(後者はどういう権利の侵害になるのか)。一民間企業に表現の自由や聴く側の権利をぶつけてみたところで、その視点がまったく当てはまらないとは言わないけれども、それだけでは自粛という現象を適切に把握できないだろう。

  なお、レコード会社のコンプライアンス強化は、音楽の電子配信が主流になったことの結果であると個人的には推測する。インターネットにおける著作権強化と引き換えに、音楽産業は行儀よくしなければならなくなったのである。2000年代初頭、米国でナップスターによる海賊配信問題で音楽産業側は政治家の協力を得られなかったという話が『誰が音楽をタダにした?』にある。反社会的勢力に寛容であるとみられると、それが音楽ビジネスに跳ね返ってくるような環境になったのだ。だから、どうすればいいというのは今のところわからない。
コメント
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