ウェイン・A.ウィーガンド『手に負えない改革者:メルヴィル・デューイの生涯 』川崎良孝, 村上加代子訳, 京都大学図書館情報学研究会, 2004.
米国の図書館員兼図書館教育家メルヴィル・デューイの伝記。原書はIrrepressible Reformer: A Biography of Melvil Dewey (ALA, 1996)。七面倒くさい人物であり面白いものの、仮に映画にしたとしても分かりやすい物語にはならないだろう。というのも、本書は手紙等も史料として駆使しているが、その中身は会社や組織の権限をめぐるやりとりがほとんどで、信頼なども含めた微妙な力関係の変化がストーリーを動かしているからだ。なお、著者は著名な米国の図書館史家である。
デユーイの生涯はこう。1851年にプロテスタントの商人の家庭に生まれ、アマースト大で図書館員をやりながら十進分類法を考案し、米国図書館協会設立の発起人となる。これが1876年の話で、ずいぶんと若い。ほぼ同時期にLibrary Bureauなる文房具や図書館用品を売る会社も経営しており、実業家としての顔があったことも伝えている。1883年にコロンビア大学に移って図書館員養成学校を起ち上げるが、同校の理事会と衝突して追い出され、1889年からニューヨーク州立図書館長を勤めるが、1906年にセクハラで失脚する。この間、妻や息子とともにリゾート地の開発も進めており、失脚後はその経営に専念するが、これまた他の役員らと衝突して、金策に奔走するなかで1931年に永眠する。
とにかくパワフルで強引。雄弁で行動力もあるから最初は信頼され、抜擢もされる。だが、自分の権限の及ばない領域にまで手中に収めようとする傾向があり、加えてそうした越権行為の正当化のために脅しや詭弁を弄する。最終的には、組織内に大きな軋轢を生み出してしまい、メンバーから嫌がられて組織を追い出される。彼の人生にはこのようなパターンがあるようだ。差別主義者で、図書館を重視したのはWASP的価値観における「良い」世界の維持・発展のためである。その業績の大きさは著者が認めるとおりだ。しかし、こうしたアクの強さがないとアメリカでは大きな仕事ができないのだろうか、と疑問に感じた。それとも、そういうものなのかな。
米国の図書館員兼図書館教育家メルヴィル・デューイの伝記。原書はIrrepressible Reformer: A Biography of Melvil Dewey (ALA, 1996)。七面倒くさい人物であり面白いものの、仮に映画にしたとしても分かりやすい物語にはならないだろう。というのも、本書は手紙等も史料として駆使しているが、その中身は会社や組織の権限をめぐるやりとりがほとんどで、信頼なども含めた微妙な力関係の変化がストーリーを動かしているからだ。なお、著者は著名な米国の図書館史家である。
デユーイの生涯はこう。1851年にプロテスタントの商人の家庭に生まれ、アマースト大で図書館員をやりながら十進分類法を考案し、米国図書館協会設立の発起人となる。これが1876年の話で、ずいぶんと若い。ほぼ同時期にLibrary Bureauなる文房具や図書館用品を売る会社も経営しており、実業家としての顔があったことも伝えている。1883年にコロンビア大学に移って図書館員養成学校を起ち上げるが、同校の理事会と衝突して追い出され、1889年からニューヨーク州立図書館長を勤めるが、1906年にセクハラで失脚する。この間、妻や息子とともにリゾート地の開発も進めており、失脚後はその経営に専念するが、これまた他の役員らと衝突して、金策に奔走するなかで1931年に永眠する。
とにかくパワフルで強引。雄弁で行動力もあるから最初は信頼され、抜擢もされる。だが、自分の権限の及ばない領域にまで手中に収めようとする傾向があり、加えてそうした越権行為の正当化のために脅しや詭弁を弄する。最終的には、組織内に大きな軋轢を生み出してしまい、メンバーから嫌がられて組織を追い出される。彼の人生にはこのようなパターンがあるようだ。差別主義者で、図書館を重視したのはWASP的価値観における「良い」世界の維持・発展のためである。その業績の大きさは著者が認めるとおりだ。しかし、こうしたアクの強さがないとアメリカでは大きな仕事ができないのだろうか、と疑問に感じた。それとも、そういうものなのかな。