Belgrad ( Beograd )(ベオグラード)の後どこに行くか迷っていたが、コソボ(当時の名称はコソボ・メトヒヤ自治州)行きを諦め、Skopje (スコピエ)(マケドニア)に行くことにした。旧ユーゴスラビア連邦から1991年に独立した為、状況も落ち着いていると判断したからだ。
ちなみに独立後の正式名称はマケドニア共和国なのだが、ギリシャの反対もあり、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国として国連に加盟している。
地理的にマケドニアと呼ばれてきた地域は、現在のマケドニア(国土の4割)だけでなく、ギリシャ(5割)やブルガリア(1割)も含んでおり、反対したギリシャの国内にはマケドニアという地域がある。古来より「マケドニアを制する者はバルカンを制する」と言われた土地だ。
マケドニア(紀元前808年~紀元前168年)のアレクサンダー大王(アレクサンドロス3世)(紀元前356年?~紀元前323年)は、マケドニアからエジプトやインドまで遠征している。
夜行列車で所要約10時間。国境を超える乗客は少なかった。客車の中は寒く、あまり眠れなかった。
この日はユース・ホステルに泊まることにした(1泊約1500円)。
観光したのは下記の通り。
・マザー・テレサ像 ここスコピエにはアルバニア人の家庭に生まれたマザー・テレサ(1910年~1997年)生誕の地がある。アレクサンダー大王はインドの人々を戦いに巻き込んだが、マザー・テレサはインドの人々をその愛で救った。
※今年で生誕100周年を迎えたマザー・テレサの言葉はこちら
・城塞 11世紀の城塞跡。丘からは市街を一望できる。
・聖クリメント大聖堂 1990年に建てられた新しい教会。これが現代風なのか、建築も今まで見て来た教会とは一風変わっていた。
・オールド・バザール 巨大なマーケット。敷地内にマケドニア博物館がある。
・マケドニア博物館 マケドニアの考古学・民俗学を中心に展示。
・スコピエ博物館 死者3000人を出した1963年の大地震で半壊した旧鉄道駅を利用している。外壁にある時計は地震のあった時刻( PM 17:17 )を刻んでいる。
・国立美術館 残念ながら閉まっていた。
スコピエに1泊した後どこへ行くか正直迷った。
この頃になると、ヨーロッパの国々をスタンプラリーのように巡りたくなっていた。
マケドニアの隣には、第二次大戦後長い間鎖国状態でベールに包まれていた国アルバニア(アルバニア共和国)がある。この国の情報はほとんど入って来ていなかったので、正直この旅を始める前までアルバニアの存在を知らなかった。
故ミロシェヴィッチ(スロボダン・ミロシェヴィッチ)大統領が進めたエスニック・クレンジング(民族浄化)により、コソボにいたアルバニア人80万人以上が難民となって国外へ流出し、その約半分が隣国アルバニアへ避難した(現在もアルバニアに留まったままの人々もいる)。そのせいもあり治安は良くないと聞いていた。
アルバニアの首都 Tirana (ティラナ)までの直通バスがあると聞いていたが結局行くのを諦めた。
ちなみに、コソボ共和国の独立は現在の時点で、国連加盟192ヶ国のうち半数にも満たない69ヶ国(日本含む)からしか認められていない。
国民の9割以上を占めるアルバニア人が隣国アルバニアとの合併を望んだ場合、国境線の引き直しに繋(つな)がる。それは民族問題を抱えている国々にとって、火の粉が降りかかることにもなりかねないからだ。
マケドニア国内にも見所はある。観光名所となっている世界遺産の街 Ohrid (オフリド)だ。
食堂で出会った自称実業家のおじさん( Mr.Mise )の話では、ここには美しい湖(オフリド湖)があり、日本の企業に工場誘致を働きかけたらしい。実際に日本から視察に来ていたそうだ。しかしここも行くのを諦めた。
アルバニア行き、そしてオフリド行きを諦めて行くことにしたのは Venezia (ヴェネツィア)(イタリア)だ。
ネットで調べたところ、名波浩さん(元サッカー日本代表)の所属する ACヴェネツィア(現在の FBCユニオーネ・ヴェネツィア)とユヴェントスF.C.の試合が間近に迫っていた。
当時のユヴェントスには、ジネディーヌ・ジダン氏(元フランス代表)や、エドガー・スティーヴン・ダーヴィッツ氏(元オランダ代表)、アレッサンドロ・デル・ピエロ選手(元イタリア代表)、フィリッポ・インザーギ選手(現 ACミラン)(元イタリア代表)といった名選手が在籍していたので是非見たいと思ったのだ。
それにこのところずっと暗い気持ちになっていたので、ラテンの国に行って明るい気分になりたかった。この選択は正解だったと思う。素晴らしい出会いがあったからだ。
※地図はこちら
ちなみに独立後の正式名称はマケドニア共和国なのだが、ギリシャの反対もあり、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国として国連に加盟している。
地理的にマケドニアと呼ばれてきた地域は、現在のマケドニア(国土の4割)だけでなく、ギリシャ(5割)やブルガリア(1割)も含んでおり、反対したギリシャの国内にはマケドニアという地域がある。古来より「マケドニアを制する者はバルカンを制する」と言われた土地だ。
マケドニア(紀元前808年~紀元前168年)のアレクサンダー大王(アレクサンドロス3世)(紀元前356年?~紀元前323年)は、マケドニアからエジプトやインドまで遠征している。
夜行列車で所要約10時間。国境を超える乗客は少なかった。客車の中は寒く、あまり眠れなかった。
この日はユース・ホステルに泊まることにした(1泊約1500円)。
観光したのは下記の通り。
・マザー・テレサ像 ここスコピエにはアルバニア人の家庭に生まれたマザー・テレサ(1910年~1997年)生誕の地がある。アレクサンダー大王はインドの人々を戦いに巻き込んだが、マザー・テレサはインドの人々をその愛で救った。
※今年で生誕100周年を迎えたマザー・テレサの言葉はこちら
・城塞 11世紀の城塞跡。丘からは市街を一望できる。
・聖クリメント大聖堂 1990年に建てられた新しい教会。これが現代風なのか、建築も今まで見て来た教会とは一風変わっていた。
・オールド・バザール 巨大なマーケット。敷地内にマケドニア博物館がある。
・マケドニア博物館 マケドニアの考古学・民俗学を中心に展示。
・スコピエ博物館 死者3000人を出した1963年の大地震で半壊した旧鉄道駅を利用している。外壁にある時計は地震のあった時刻( PM 17:17 )を刻んでいる。
・国立美術館 残念ながら閉まっていた。
スコピエに1泊した後どこへ行くか正直迷った。
この頃になると、ヨーロッパの国々をスタンプラリーのように巡りたくなっていた。
マケドニアの隣には、第二次大戦後長い間鎖国状態でベールに包まれていた国アルバニア(アルバニア共和国)がある。この国の情報はほとんど入って来ていなかったので、正直この旅を始める前までアルバニアの存在を知らなかった。
故ミロシェヴィッチ(スロボダン・ミロシェヴィッチ)大統領が進めたエスニック・クレンジング(民族浄化)により、コソボにいたアルバニア人80万人以上が難民となって国外へ流出し、その約半分が隣国アルバニアへ避難した(現在もアルバニアに留まったままの人々もいる)。そのせいもあり治安は良くないと聞いていた。
アルバニアの首都 Tirana (ティラナ)までの直通バスがあると聞いていたが結局行くのを諦めた。
ちなみに、コソボ共和国の独立は現在の時点で、国連加盟192ヶ国のうち半数にも満たない69ヶ国(日本含む)からしか認められていない。
国民の9割以上を占めるアルバニア人が隣国アルバニアとの合併を望んだ場合、国境線の引き直しに繋(つな)がる。それは民族問題を抱えている国々にとって、火の粉が降りかかることにもなりかねないからだ。
マケドニア国内にも見所はある。観光名所となっている世界遺産の街 Ohrid (オフリド)だ。
食堂で出会った自称実業家のおじさん( Mr.Mise )の話では、ここには美しい湖(オフリド湖)があり、日本の企業に工場誘致を働きかけたらしい。実際に日本から視察に来ていたそうだ。しかしここも行くのを諦めた。
アルバニア行き、そしてオフリド行きを諦めて行くことにしたのは Venezia (ヴェネツィア)(イタリア)だ。
ネットで調べたところ、名波浩さん(元サッカー日本代表)の所属する ACヴェネツィア(現在の FBCユニオーネ・ヴェネツィア)とユヴェントスF.C.の試合が間近に迫っていた。
当時のユヴェントスには、ジネディーヌ・ジダン氏(元フランス代表)や、エドガー・スティーヴン・ダーヴィッツ氏(元オランダ代表)、アレッサンドロ・デル・ピエロ選手(元イタリア代表)、フィリッポ・インザーギ選手(現 ACミラン)(元イタリア代表)といった名選手が在籍していたので是非見たいと思ったのだ。
それにこのところずっと暗い気持ちになっていたので、ラテンの国に行って明るい気分になりたかった。この選択は正解だったと思う。素晴らしい出会いがあったからだ。
※地図はこちら