波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

だいぶ戻ってきた浜松まつり

2023-05-24 01:42:02 | 年間行事

こんばんは、白黒茶々です。

5月といえば、入ってすぐにGWの連休がありますよね。 なかには4月の末から休みが続いているという方がいらっしゃるかも知れませんけど。 私は自営業のお店なので休みは暦通りで、飛び石連休となります。私の隣町の浜松市では、毎年5月の3日~5日に盛大な市民際ともいうべき浜松まつりがおこなわれます。 しかし、3年前はコロナが発生したことによって中止。 その翌年は規模を縮小して、参加者や内容をかなり制限して開催されました。 私は浜松市民ではないのですけど、その市内の萩丘という町内に在住している叔母のつてを頼って、息子のたつぴとともに毎年参加しています。
昨年は制限がさらに緩和され、私たちラッパ隊の出番もあったのですけど、昼の部の凧揚げのみで、夜の魅せ場でもある練りはナシ。 御殿屋台の引き回しは町内で1夜のみおこなわれました。その浜松まつりが、今年は飲酒が制限される以外は、ほぼ従来の水準にまで戻るというではありませんか 私は喜び勇んで、たつぴとともに参加を表明 事前におこなわれるラッパの練習にも参加して、その日が来るのを待ちました。

そして、浜松まつりの初日の5月3日になりました。 この日は朝から晴れていて、天気の心配をすることなく開催されそうです。 そのような中で、白黒茶々家では五月飾りが出されました。 これもお約束となっているのですけど、まずはその兜をにかぶせました 大谷君のいるエンゼルスでは、ホームランを打った選手に兜をかぶせるのが流行っているみたいですね。 こちらは大谷君ならぬ、犬谷君ですけど。 ただし彼はホームランはおろか、野球をやったこともありません。

もちろん、にもかぶってもらいましたよ しかし、なぜか彼女は重そうにしてしまいます。 そんな波と狛に五月の雰囲気を味わってもらったら、私とたつぴはいよいよ浜松まつりの凧揚げ会場となる、浜松市南区の中田島に向かいます ただし、今年は萩丘の町内からはバスが出てないので、私たちは直接その会場に行かなければなりません。

………ということで、やって来ましたよ 凧揚げ会場に。 10時に開会式で開会宣言があり、花火を合図にして参加するすべての町内が一斉に凧を揚げることになっています。 その光景が大迫力で見応え充分なので、皆さまにも是非お見せしたいです。 今はその直前の段階で、会場は嵐の前の静けさという感じで、緊迫感に包まれています。

それから間もなくして、おびただしい数の凧が空に放たれました 大会本部の意に反して、花火の前の開会宣言が終わるか終わらないかという段階だったのに、みんなして待ちきれなかったみたいです。 思いっきりフライングで、毎回こうなってしまうのですよね。 それはさておき、せっかくすべての凧が勢いよく揚がったのに、風がなくてすぐに落ちてしまいました。

それからしばらくして、再び我らが萩丘の凧が用意されました。 ピンクのド派手なものですけど、決められた凧印が描かれていれば、色のバリエーションを増やしてもいいことになっているのですよ。 しかし、この日はずっと無風のままでした。 そのような状況の中では、どのようにして揚げるのかというと………

糸をテギという滑車にかけて、地上にいる若い衆(?)がぐるぐる走りながらその糸を手繰り寄せたり離したりして、凧を軌道に乗せていくのです。

そんな彼らの士気を高めるためにラッパを吹くのが、私たちラッパ隊の役割りです そのメロディーは独特で、さらに町内によって微妙に違うのですよ。

みんなが力を合わせたおかげで、萩丘の凧はいい感じで揚がりました。 しかし、その滞空時間は短くて、すぐに降下。 その日はさらに揚げることはなく、私は空いた時間に凧揚げ会場内をぶらぶらすることにしました。

まず私が行き当たった恐ろしい般若の凧印は、佐鳴台のものです。 なぜ般若かというと……… 資料によると「その地区には浜松城主徳川家康の正室、築山御前にまつわる太刀洗の池および赤宮神が存在していたなど、双方女性にまつわる史跡から、女性の喜怒哀楽を表現するという般若の面を使用している。」とのことです。

こちらの「義廣」というのは、入野地区の凧であります。 その義廣は誰かというと……… 大河ドラマの「どうする家康」とも関連しているのですけど、引間城主の飯尾豊前守連龍お田鶴の方の長男のことでした。 義廣公の誕生を祝って、入野村在住の佐橋甚五郎の発案でその御名を凧に配し、城中高く揚げたことに由来しているとのことです。 このことは、浜松まつりの起源の1つともされているのですよ。

そのような中で、「燃えよ浜松まつり」のロケ隊が広沢町に紛れ込んで、テギの体験をしていました。 「燃えよ浜松まつり」はこの地方のローカル番組で、浜松まつりを実地体験した様子を年に1度だけ深夜に放送しています。 この日の昼の部は、以上で終わりとなります。

午後の部は舞台を萩丘の町内に移し、夕方からの開始となります。 その夕暮れ時に、萩丘の会所から御殿屋台が出発していきました。

たくさんの町民に曳かれ、屋台の中では笛と太鼓のお囃子が。 そんな御殿屋台を見送ったら、いよいよ私たちは夜の練りに繰り出します。 ………といいつつもキリがいい(?)ので、私による今年の浜松まつりの実体験レポートは、このあたりで一旦仕切らせていただきます。



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