波と狛のつれづれ日記

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小野但馬守政次の最期

2017-09-23 00:20:29 | 人物伝
こんばんは、白黒茶々です。
早いもので、今年は残すところ3ヶ月ちょっととなってしまいましたね。 それに伴って、大河ドラマ「おんな城主 直虎」も終盤に入っていきました。 高橋一生さん演じる小野但馬守政次は、一見悪役のようでしたけど、内に秘めたものがあって、いろんな意味で気が置けない存在でしたね。



そんな難しい役を好演した一生さんも、素晴らしいです。 そんな彼が処刑されてから、1ヶ月ほど経ちますけど、政次ロスに襲われた方は立ち直ることができたでしょうか?
………ということで、今回はと一緒に井伊谷の小野政次に関連する場所を訪ねつつ、彼がどのような人物だったのか、史実と伝承、さらにはドラマで描かれた姿などから迫ってみようと思います。 ということで、私たちは浜松市北区引佐町の井伊谷方面に向かっていったのですけど………



通り道だったので、北区細江町気賀に設けられた大河ドラマ館にも寄っていきました。 こちらでは、ドラマ内で小野政次が退場したことにより、政次ロスに見舞われた女性ファンのためにも、ロケで使われた彼の衣装や囲碁、高橋一生さん直筆の辞世の句などの「政次メモリアル」が展示されるようになりました。 ただし、ワンコを連れて入ることはできないので、私たちは外から建物を見るだけとさせていただきます。



冷やかしが済んだら、隣接地にある気賀関所に入っていき………



取り締まりもなんのその、構内をグイグイと進んでいったら………



そのまた先にある田空直虎ショップの前では、ちょうど出世大名家康くんと出世法師直虎ちゃんによるグリーティングがおこなわれていました。 「実は、最初からコレを狙っていたのでは?」ですって?………はい、正直言って一緒に写真に写りたくて、事前に彼らが活動する時間をチェックしてから来ました。



おかげで、いい感じで撮ることができましたよ。 実は私たちは、先月の上旬にも家康くんや直虎ちゃんたちと記念撮影をしていたのですけど、今回は私がいないバージョンでお願いしました。
いきなり脱線してしまいましたけど、今度こそ本当に小野政次に迫りますよ

小野但馬守政次(道好)は生年は不詳なのですけど、井伊家筆頭家老の小野和泉守政直(道高)の嫡男として生まれました。小野家は京都の貴族につながる名門で、小野小町を輩出した小野家の庶流でした。 遠江国赤狭郷小野村(現在の浜松市浜北区尾野)を領していて、井伊直宗(直虎の祖父)が井伊谷の領主だった頃に、井伊家に仕えました。



とかなんとか言っているうちに、私たちは井伊谷にたどり着きました。 ちなみにこれは、井伊谷城の中腹から龍譚寺方面を臨んだところです。
小野家は井伊家の筆頭家老とはいっても、駿府の今川家のほうにより従属していて、井伊家の様子を頻繁に報告していました。 つまり、今川家のスパイ的存在だったのです。そして小野政直の代になって、井伊家直系の直盛の一人娘・おとわと、分家の直満の嫡男・亀之丞を結婚させ、井伊家を継がせることになりました。大河ドラマでは、鶴丸(幼少期の政次)が彼らの幼なじみとして登場したのですよね。



さらに、井伊氏居館跡に行き着きましたよ。こちらは井伊谷城の麓に位置していて、井伊谷領の政務や井伊家の通常の住まいとして機能していたと思われます。
しかし政直は、亀之丞とおとわの結婚には反対。それを阻止するために、今川家の当主・義元に「直満に謀反の動きがある」と讒言(デマの報告)をしました。ドラマでは、義元役の春風亭昇太さんが白塗りの顔で、家臣らに無言で直満殺害を指示!あのシーンは大迫力でしたね。



井伊氏居館跡の片隅に、その直満と直義の兄弟の墓となる、井殿の塚があります。あの場面では、直満は直義と一緒に惨殺されたのですけど、ドラマでは直満一人だけで、ドラマのエンディングの直虎紀行でも、直義に関しては一切触れませんでした。
直満亡きあとは亀之丞の命も狙われ、彼は信州にまで逃走したのですよね。そのあと政直は病没し、政次が彼のあとを継ぐことに。しかし、政次も今川寄りということもあって、井伊家の家臣たちと対立し、常に孤立していたそうです。



私たちはこの日、奥山家にゆかりのある奥山方広寺にも行ってきました。
政次は、義理の父にあたる奥山朝利を殺害。 ドラマでは正当防衛ということになっていますけど、その裏には人間関係が複雑に入り組んでいたのかも知れません。

桶狭間の戦いの後、亀之丞は信州から帰還し、元服して直親と名を改め、井伊家を継ぎました。しかしそんな直親を、今度は政次が陥れることに。今川家の次の当主となった氏真に「直親が今川家を見限って、三河の徳川家康と内通している」と讒言したのです 氏真は「これはけしからん 」と臣下の朝比奈泰朝に、直親討伐の軍を送ることを命じました。その潔白を証明するために、直親は丸腰で駿府の今川館に向かったのですけど、その途中の掛川城下で、泰朝らによって惨殺されてしまいました。それだけでは済まず、直親の遺児の虎松まで命を狙われることに。政次、親子二代でなんてことをするんだ



この手製と思われる人形は、井伊直虎でしょうか?
虎松は、井伊家家臣の新野左馬助の助命嘆願などがあって、なんとかして命を救われ、女城主となった直虎のもとに庇護されました。 しかしその4年ほど後に、再三にわたる今川家からの要求により徳政令を受け入れ、直虎らは井伊谷を追われることに。そんな彼女らに代わって井伊谷城主となったのは、小野政次でした。彼が井伊谷を乗っ取ったという形になるのですけど、わずか34日後には徳川軍が進攻してきて、政次は逃走



その後捕らえられ、かつて処刑場があった………  あれっ?
私たちは当たりをつけて、その処刑場跡に向かったのですけど、なんか違うみたいですね。 ちなみに正しい場所は、他の所にその案内図がありました。



なんとかして、たどり着きましたよ。 政次はこちらの蟹淵(がにぶち)で磔にされ、絶命しました。彼の処刑は、石の上に座らされ、首を跳ねられたという説もあります。 永禄12年(1569年)4月7日のことでした。その処刑場跡には、地元の住民たちによって政次の供養塔が建てられたのですけど………



それらは近年の河川改修によって、そこから程近いところの現在地に移されました。 ドラマでは、政次は直虎への想いを秘め、独身を貫き通したことになっているのですけど、実際には彼には妻や2人の息子がいたのですよ。政次の死から1ヶ月後には、彼の息子2人も同じ場所で処刑され、彼らの墓や供養塔も同じところに建てられています。 私たちがいる間、高橋政次ファンと思われる女性が数人こちらを訪れ、手を合わせていきました。

記録上の小野但馬守政次は、今川寄りの父のスタンスを受け継ぎ、義理の父の奥山朝利を殺害し、井伊直親までも死に追いやり、徳政令にかこつけて井伊谷領を乗っ取り、………と、とんでもない悪人ということになっています。 しかし、高橋一生さん演じるドラマ上の政次は、それらの行動にはそれぞれに深い理由があって、実は井伊家を守るために彼一人が悪者の皮をかぶったという、いわゆる損な役となっていました。たとえ疑われても、決して言い訳や言い逃れをしなかった、高橋政次。彼がときおり見せる、憂いを帯びたどこか寂しそうな表情も、女性ファンの心をグッと掴みました。



せっかくなので、箔と波もお詣りしておきなさい。
そもそも政次のことを伝える記録も、彼にとっては仇に当たる徳川方が記したものなので、事実とは違っているのかも知れません。 「死ねばみな仏」という思想や彼の祟りを恐れたのかも知れませんけど、小野政次が井伊家にとって反乱分子の極悪人だったら、地元の住民たちによって供養塔や彼を祀る祠が建てられるようなことはなかったと思います。さらに、それらには「小野政次のものと伝わる」という冠詞が付いていて、井伊谷が徳川家の支配下になった手前、あからさまに政次の名前を出せなかったとも考えられます。

それから、政次と息子2人は処刑されてしまいましたけど、彼の弟の玄蕃の子らによって小野家は受け継がれていきました。現在、彼らの子孫は浜松市浜北区にいるそうです。

最後に「おんな城主 直虎」の第33話「嫌われ政次の一生」の高橋政次の処刑シーンを振り返らせていただきます。このタイトルは昔の映画の「嫌われ松子の一生」をパロったものですよね。 しかも「政次の一生(いっせい)」って、高橋一生さんの名前も入れるなんて、粋なこともしていますし。
※それは違うのでは。(編集部注)



処刑場で磔にされた政次(高橋一生)。彼の処刑がまさに執り行われようとしたそのとき、直虎(柴咲コウ)は槍を奪い取り、躊躇することなくそれを政次の胸に突き刺すという衝撃的な展開となりました。



「地獄に落ちろ 小野但馬」
それにしても、スゴい形相です。 さらに彼女は「日の本一の卑怯者と未来永劫語り継いでやるわ」と続け………



それに対して政次は、血を吐きつつも「おなご頼みの井伊に、未来などあるものか 地獄の底から………見届け………」
両者のやりとりは、罵り合っているようにしか聞こえませんけど、実は思っているのとは反対のことを言っていたのでした。
ドラえもんの道具のウソ800を飲んだのび太君が「うれしくない。これからまた、ずうっとドラえもんと いっしょに くらさない。」と言ったのと同じです。それでも、お互いの気持ちは通じていて、「おんな城主 直虎」のほうは究極のラブシーンとも捉えられるのですよね。



それよりも、近藤康用のマユ毛が太すぎ
三浦春馬君の井伊直親が太陽だったのに対して、高橋一生さんの小野政次は月に例えられていました。 しかし、春馬君が演じる直親が決してイマイチだったというワケではなかったのに、彼がドラマの中で殺害されても、直親ロスの動きはあまりなかったのですよね。実在の小野政次が亡くなってから450年近く経ってから、このような形で生きざまが見直されて、彼はきっと喜んでいると思います。


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