波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

竜洋の「ゆるキャン△」聖地でご対面

2021-02-27 02:09:41 | ワンコ

こんばんは、白黒茶々です。

1月から火曜日の深夜に、アニメ「ゆるキャン△ SEASON 2」の放送が始まりました。 それは、あ f ろさん原作の漫画で、山梨県を舞台に女子高校生たちがキャンプをしたり、日常生活を送る様子を、ゆるやかに描く人気作であります。 キャンプなどのアウトドア活動が主体となっているのですけど、それに伴って実在する場所が出てきたりするのですよ

私はほとんど予備知識がないまま「SEASON 2」を観てみたら、なんといきなり波狛日記でも馴染みのある見付天神(矢奈比賣神社)悉平太郎が出てきたではありませんか さらに、ウチからは近いといえなくもない福田(ふくで)海岸竜洋オートキャンプ場もリアルに描かれていますし おかげで、準地元民の私はテンションが上がりまくってしまいました。 こうなったら、を連れてそれらの場所を訪れるしかない このようにして、いわゆる聖地巡礼なるものをおこなうことになりました。

………ということで、やって来ましたよ 福田海岸に。 今回は「ゆるキャン△」に描かれた風景と比べていただくために2分割の画像も入れてみました。 ただし、作中で志摩リンがこちらを訪れたのは元旦だったので、時季的には少しズレているのですけど。それから、私の記憶だけを頼りにして撮ったので、位置や角度が微妙にズレていることも多々ありますけど。 とにかく、防風林を通り抜けたその先には………

砂浜が広がっているのですけど、悔しいことに私の地元の海岸より広くて立派です。 さらにその波打ち際には………

初日の出に備えて、毎年年明け前後には仮設の鳥居が立てられているそうですけど、私たちが訪れた2月7日にはさすがにありませんでした。 それよりも、海岸に来たらやはり………

「波と波」をやっておきたいですね しかし、彼女は「波」という名前なのに、波打ち際があまり好きではないのですよ。 それでも、せっかくなので………

その白砂青松の風景をバックにして、記念撮影をしておきましょう 波とは対照的に、狛は水遊びが好きなのですよ。 今すぐにでも飛び込みたい衝動に駆られていることと思いますけど、そろそろ次の目的地に向かわせていただきます。

ということで、竜洋海洋公園にやって来ました。 こちらは磐田市の南西隅の海に面した広大な公園なのですけど、その対岸をバックにして撮ってしまいました。 そちら側にある竜洋オートキャンプ場は………

こちらもまた「ゆるキャン△ SEASON 2」のモデルになったのですよ その風景は原作漫画にも描かれているのですけど、アニメ化するのに際して、再びスタッフが調査に来たそうです。

こちらでは、志摩リンは年越しでソロキャンプをして、翌朝に先述の福田海岸に初日の出を見に行ったのです。 彼女はフリーサイトにテントを張ったあと………

風呂場の下見を兼ねて、その周辺を散策しました。

そこで、しおさい竜洋「竜洋の湯」という名前で登場するのですよ

しおさい竜洋は、天然の恵那ラジューム鉱砂や天然光明石を使用し、効能に優れた人工の温泉。 ちなみに360円で日帰り入浴できます。

さらにその入口の前には、磐田市のご当地キャラのしっぺいのパネルが置かれているのですよ そうしたら、白犬同士の「しっぺいズ」で記念撮影をしておきましょう。 あ、その時の掛け声は「ハイ しっぺい 」でお願いします。
なんか「ゆるキャン△」の聖地としっぺいを前にして、少しキャッキャしてしまいました。 実はそれらは私がお得意としている(?)長い前置きで、そのあとにメインとなる用事が控えていたのですよ 先方とは、こちらで待ち合わせをしているのですけど……… 見えられたようですね。 皆さまはどうか、拍手でお迎えくださいませ。 では、ご紹介いたします こちら方面に住んでいる日本スピッツの………

リアちゃんにございます 1歳2ヶ月の女の子で、私たちは彼女のママさんとはインスタで知り合いました。 また、リアちゃんはこれまでまだ1度も他のスピッツと逢ったことがなかったそうです。 なので、彼女にとっては波と狛がファーストスピッツということに このような者でよかったのでしょうか? と思いつつも、私たちも初めて彼女と逢うことができて嬉しかったです。

リアちゃんは人にもワンコにもフレンドリーで、狛とは楽しそうにじゃれ合っていました。 その様子も撮っておきたかったのですけど、どうもタイミングが合わなくて。

そのあと、私たちは公園内を散策し………

先程のしっぺいのパネルの前で、みんなして記念撮影をすることに。 コロナ禍の中では難しいのですけど、いつか本物(着ぐるみ)のしっぺいを囲ったり、オフ会などで集まったりしたいですね。 いずれにしても、またリアちゃんと逢えるのを楽しみにしています。


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隠された洞穴

2021-02-24 01:42:48 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

前回からの続きで、私・の白黒茶々家の1人と2頭は、古墳や鍾乳洞などの洞穴を求めて、浜松市浜北区の北部に来ています。 前回は、私が以前に行ったことのある古墳だったので、経路に多少の困難はあったものの、順調にたどり着くことができました。 その勢いに乗って、私たちが3ヶ所目に訪れたのは………

浜北森林公園の片隅にある、田村神社でした。 こちらは歴史上で初めて征夷大将軍となった坂上田村麻呂を祀った神社で………

その関連なのでしょうか?戦時中に造られたと思われる、谷口重治将校の像もありました。

さらに、この神社から下ったところにはその名もズバリ、将軍塚古墳というのがあるのですよ といったトコで、さっそくそちらに向かいます。

そこに至るまでの経路として神社の参道を通っていくのですけど、この段階から生い茂った草に覆われていますね。 それでも冬枯れで、ある程度カサが減っているので、進んでいけないこともない 頑張れ、波ちゃ&狛ちゃ

なんとか次のチェックポイントまで来ることができました。 ここからは参道から外れて、山の斜面に沿って歩いていけば………

あった、ありましたよ 将軍塚古墳が。 こちらの古墳は直径14m高さ3mの円墳で、7世紀頃に造られたと推測されます。

無事にたどり着いたことを記念して、まずは石室の入口で記念撮影をば その開口部はご覧のように土砂で埋まっていて狭くなっているので、私も4足歩行、いや、その下をいく匍匐(ほふく)前進で入っていきます。

わっ!むじ………
さすがにこれを2話続けて言ったら、読者の皆さんからお叱りを受けてしまうので、寸止めしておきます。 波も狛も目から見事なビームを発しておりますね。 いや、それよりも石室内は広くて、立って歩ける程でした。 調査が終わったら、外に出るのですけど………

毎度のことながら、この光景から違う世界に行ってしまいそうな錯覚に陥ってしまいます。 無事に現世(?)に戻った私たちが、次に向かったところは………

岩山に囲まれていて、戦隊ヒーローもののロケに使えそうなところですけど、採石場の跡にございます。 その作業中に、1万8千年前の旧石器時代の人骨が出土したことから………

この一帯は根堅遺跡と呼ばれています。 その岩壁には、根堅鍾乳洞と呼ばれる穴が開いていて、私は以前にその中に入っていったことがあるのですけど、崩落する恐れでもあるのでしょうか?現在はそのかなり手前に進入禁止のロープが張られていて、近付くことができませんでした。

この地方の名刹・岩水寺の外に露座している岩水寺大仏を仰ぎつつ、次に私たちが向かったところは………

岩水寺奥の院の片隅にある、その名もズバリ岩水寺鍾乳洞でした。 入口が鉄柵で塞がれているのは………

こちらはかつては観光鍾乳洞だったのですけど、昭和49年(1974年)の七夕豪雨で崩落。 それ以降、封鎖されています。 そんな岩水寺鍾乳洞をやり過ごしつつ、私たちがさらに目指したところは………

六所神社でした。 こちらの神社の裏山には、人形山古墳というのがあるのですよ 私たちは今回が初めてなのですけど、この後に寄っておきたい洞穴があるので、手早く攻略してしまいましょう。 とはいっても、その古墳は案内看板のようなものはなく、道なき山の中にポツンとあるというので、GPSだけを頼りにして、攻めていくようにしました。 そうしているうちに………

かなり近付いてきましたよ 実はこれが最接近ではなく、地図上の「形」と「山」の間まで迫ったのですよ

そこまで来たら古墳の気配を感じ、ゴールも間近だと思われたのですけど、動けば動くほど遠ざかってしまったりして、なぜかなかなか近付くことができませんでした。 そのようなことを1時間半ほど繰り返し、気付いたら日が暮れてきたので、泣く泣く断念することにしました。 波と狛には、険しい山の中を長々と付き合わせてしまって、申し訳なかったです。

日没も迫っていたので、今回の洞穴めぐりはここで打ち切り。 スッキリしない終わり方となってしまいました。なんか、劇場版「鬼滅の刃」無限列車編で、煉獄杏寿郎が瀕死の状態になりながら猗窩座(あかざ)を首の皮一枚まで斬りつけながらも、仕留められなかったのが思い浮かんできました。 それでも、劇場版のほうは煉獄さんの最期の言葉が心に響きましたし。その続編は、テレビのほうでやりそうな流れですし。
なんか、話のほうも脱線気味になってしまいましたけど、人形山古墳はまたの機会に挑戦し、その先にある小堀谷鍾乳洞なども訪れるようにしたいです。



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ん年ぶりの洞穴めぐり

2021-02-20 00:52:43 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

ハッキリとした動機は思い出せないのですけど、最近になって私の洞穴熱に火が着きました。 ウチから程近い浜松市浜北区の北部には、鍾乳洞や石室を有する古墳が点在していて、私は以前にそれらを巡ったりました。 洞穴のような地下空間は温度が安定していて、夏は涼しくて冬は暖かいところでもあります。 それから、それらは山野にあるので、訪れるとしたら草が茂っていない冬場がオススメです。 そして、私たちにとっては令和初となる、洞穴めぐりを実行する1月17日になったので………

快活CLUBの上島店から発して、馬込川みずべの公園を経て、浜松市浜北区の宮口にある庚申寺にやって来ました そのアプローチとして撮った山門の屋根には、シャチホコが乗っていますね。 さらに、あとになってから知ったのですけど、よく見てみるとその門には、不見猿、不聞猿、不云猿、宝珠猿の四猿もいるそうです。 そのような面白そうな情報は先に言ってもらいたかったです。はい、その時には思いっきり見落としていました。

庚申堂も立派ですね。 庚申寺は臨済宗方広寺派のお寺で、神亀2年(725年)に創建されたと云われています。 これから訪れる古墳にも、お寺の名前が入っているのですけど………

庚申寺とは違うお寺の近くにあって、興覚寺後(うしろ)古墳といいます。 こちらの古墳は、6世紀前半頃に造られた前方後円墳で………
ぐわっ、草むらに入っていったら、にひっつき虫(毛に付く草の種子)が付いてしまった 話が途中になってしまいましたけど………

説明坂の後方に、石室の入口があるのですよ

そうしたら、さっそくその中に入っていきます。 私がこの古墳を訪れるのは、波がウチに来る前だったので、7年ぶりぐらいとなります。 波と狛は初めてなのですけど、私に導かれたら躊躇することなく穴の中に入っていってくれました。

あっ、狢(むじな)!

なんて言ったら、失礼ですよね。 真っ暗な内部でモバイルライトを使って撮ったら、彼女らの目からビームが出ていました。 とにかく、中はけっこう広いのですよ。

石室の調査と撮影が済んだら、外の世界に出ますよ。 なかには閉鎖空間がニガテでハラハラされた方もいらっしゃると思いますけど、もう大丈夫です。 とはいっても、これから次の穴に向かいますけど。
その勢いで、次に私たちが向かったところは………

興覚寺後古墳から程近いところにある、高根山にございます。 実はこの山の上にも、古墳があるのですよ

麓から未舗装の坂をちょっと登ったところにある鳥居を潜っていき………

そこからつづら折りになっている坂道を上がっていくのですけど……… 私が10年前ほど前に訪れたときも、こうでしたっけ? おかげで真冬なのに汗ばみ、息も上がってきてしまいました。

ハアハア……… な、なんとか山の中腹の高根神社にたどり着きましたよ。 その拝殿がある境内からは………

浜北区を一望することができました。 しかし、ここで終わりではないのですよ。

拝殿の横にはさらに登っていく道があるのですけど、険しい岩場となっていました。 これはさすがに、波と狛を順番に抱っこして上にあげていかなければなりません。 そのような難関を突破して、その上に続く山道を登っていったら………

あった、ありましたよ 高根山古墳が。こちらの古墳は6世紀前半の築造と推定される、直径15mの円墳にございます。

石室の入口は土砂で半分ほど埋まっているので、匍匐(ほふく)前進で入っていかなければなりません。 実は4年前のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」で、この古墳がロケに使われたのですよ 第1話でおとわ(のちの井伊直虎・新井美羽)が亀乃丞(のちの井伊直親・藤本哉汰)や鶴丸(のちの小野政次・小林颯)とともに山野を探検した際に、この穴にも入っていきました。 ドラマでは洞穴の入口という設定で、内部は天竜区の小堀谷鍾乳洞になっていました。
ドラマの撮影は演技力が重要なのですけど、役者さんや撮影のスタッフたちが自力でここまで来たのかと思うと、そのぶんも含めて「お疲れ様でした」と労いたくなりました。

現実の高根山古墳の石室の内部はそこそこの広さなのですけど、上の土盛りが失われたこともあって、石組みの隙間から外の光が射し込んでいました。 なので、波と狛は興覚寺後古墳のような狢……… いや、目からビームはありませんでした。

登山番組の類は、大抵は山頂に到着したところで終わっているのですけど、やはり登ったら降りていかなければなりません。 なので、私は先ほど通ってきた岩盤の斜面を波と狛を交互に抱っこして降ろし、つづら折りの山道をくねくね戻っていきました。
麓に着いたら終わり ………というのは今回の話で、実は私たちの洞穴めぐりはまだ続いているのですよ。 いちおう次回の日記で完結させるつもりですけど、ここまで来たら皆さまは「川口浩探検隊」に入隊したつもりになって、最後までお付き合いくださいませ


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馬込川みずべの公園事件の副産物

2021-02-17 02:04:42 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

昨年の12月に、インスタ界に衝撃的な事故が拡散されました。 私のフォロワーさんの友達が、近くの公園にトイプードルのcoco君を連れていったら………

飼い主を振り切ってきた大型犬にいきなり襲われて、大ケガをしたというのです。 coco君のママさんは相手の連絡先を聞き出すより先にcoco君を病院に連れていき、彼は一命を取り留めたのですけど、加害者を見失ってしまいました。そこで、インスタでその事故のことを広めて、相手を探すことにしたそうです。

その後相手は見つかり、coco君もケガから快復したのですけど、私たちはその不幸な事故から、犬を連れていたらそのような危険なことは誰の身にも起こりうるという教訓を得ました。 あとは少しでも早く、coco君と飼い主さんの心の傷が癒されることを願っています。 その案件はひとまず落着したのですけど、私はcoco君が襲われたという浜松市の馬込川みずべの公園(親水公園)のことが気になり、地図検索していったら………

すんなりと見つかったのですけど、その近くに快活CLUBがあることにも気付きました。
快活CLUBは、AOKIグループが運営するシェアリングスペース業態で……… コミック・インターネット・カラオケ・鍵付完全個室などコンテンツが豊富。 ドリンクバー無料、ソフトクリーム食べ放題、………などもご用意しています。(快活HPより引用)

さらに6時~10時30分の朝の時間帯には、無料でモーニングを食べることができるというのですよ モーニング愛好家の私は以前から気になっていたのですけど、ケガの功名と言いましょうか、不謹慎と思いつつも、とにかく今回の一件がきっかけとなって、快活熱に火が着きました。 こうなったらもう、快活CLUBに行くしかない

………ということで1月17日の日曜日に、快活CLUBの浜松上島店にやってきました。 まずは新規の会員登録をして、利用するスペースを申し込みました。 その店内では………

マンガだけではなく、雑誌や新聞も豊富に取り揃えられていました。 それに加えて………

ドリンク類はもちろんのこと、ソフトクリームも食べ放題、盛り放題ときたもんだ さらに………

私が最も引き寄せられた要素となる、モーニングも用意されていました。 そうしたら………

快活初心者の私は食べる方がメインだったこともあって、飲み放題カフェの席を選びました。 といったトコで、快活のモーニングをいただくことにしましょう トーストとポテトに、ソフトクリームとフリードリンクを付ける形となるのですけど、ドリンクにはコンポタ(コーンポタージュ)やクラムチャウダーのようなスープ類も含まれていました。 あとは、それらを満足いくまでおかわりしまくってくださいませ
………とはいっても、今回は車の中にを待たせているので、1時間ほどで退出することに。 ちなみにかかった料金は、380円でした。 次に私たちが向かったところは………

話の流れの通り、その近くの馬込川みずべの公園にございます。 こちらの公園は駐車場や広場があって、たくさんの人で賑わっていました。

また、その名前からして馬込川に面していて………

ビオトープなどが設けられていて、飛来してきた野鳥を観察できるようになっていました。

さらにこのような橋を渡れば、浮島に降り立つこともできるのですけど、そこは何の変哲もない、ただの広場でした。
coco君の一件を聞いたこともあって、公園にいる間は今まで以上に他の子のことを意識していましたけど、この日はワンコ連れはあまりいませんでした。 それでも、ワンコと一緒に散歩するのにはいいところでした。

そのあと私たちは、ワンコ連れに向いているかどうか微妙な、私が好むところに波と狛を付き合わせたのですけど、それらについては次回の日記で公開させていただきます。


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2月2日に鬼を退治する的なアレ

2021-02-13 02:25:46 | 年間行事

鬼は~そと、福は~うち!白黒茶々です。

節分から10日以上も経ってしまって今さら感もあるのですけど、今回は今年白黒茶々家でおこなわれた節分の様子をお伝えします。 皆さんもすでにご存知だと思いますけど、今年の節分は例年より1日前倒しして2月2日でした。 それは124年ぶりのことなので、さすがにその時の生き証人はいないでしょう。124年前ということは、明治30年ですよ その年にはいろいろな出来事がありましたけど、国内では山葉寅楠氏が日本楽器製造株式会社(現在のヤマハ株式会社)を創業し、海外ではトーマス・アルバ・エジソン氏がキネトスコープ(1人用の覗き込み式の映写機)の特許を取得しました。

今年はさらに「鬼滅の刃」の影響もあって、例年よりも鬼退治に関心を持たれるようになったと思われます。なんか、スーパーのチラシも思いっきり鬼滅を意識していますね。 少しでも早く、ウチに現れる鬼を返り討ちしたい気分なのですけど、それまでまだ時間があるので………

逸る気持ちを落ち着かせるためにも、ウチのすべてのペットに鬼面をかぶってもらうことにしましょう まずは最年長の京ちゃからです。本来なら猫サイズのお面をテープで貼り付けるところなのですけど、彼女はその手のことはニガテなので、箔母さんに協力してもらって、その面を頭の上にかざしてみました。京ちゃ、よく似合っていますよ

よく考えてみたら、鬼面が似合っているって褒め言葉かどうか微妙ですね。 それはさておき、次のターゲットは晃ちゃです 久しぶりに彼を撮ってみたのですけど、黒猫あるあるというか……… やはり輪郭やふわふわ感までカメラで捉えるのは難しいです。

緑ちゃはいい具合に固まってくれたので、難なく手放しで撮ることができました。

もちろん、にも装着してもらいましたよ なぜか波ちゃは、お面の重み(?)で沈みそうになっていますけど。 そうしているうちに………

晩御飯の準備ができていました。 節分といえば、やはり恵方巻ですよね それだけでは寂しいので、たぬきそばも付けておきたいです。

今年の恵方は南南東。その方角を向きながら、無言で恵方巻を食べ尽くしてくださいませ。 毎年その恵方巻は必ずと言っていいほど売れ残っているので、箔母さんは予約もしないで値引きセールを狙っていたのかも知れません。ところが、今回に限ってほとんど売れてしまい、エビ天をゆかり飯で巻いた亜種しか手に入りませんでした。
それよりも、そいつを食べきることに集中し過ぎて、願い事を念じるのを忘れていました。 この過ち、昨年もやったような………

節分食を済ませたら、お待ちかねの豆まきの時間となります。 じゃんけ……… いや、厳正なる抽選の結果、私がトップバッターを務めさせていただくことになりました。
「全集中、水の呼吸 壱ノ型 水面斬り!」
………とまではいかなかったのですけど、この鬼は豆で撃退されました。

続いては、たつぴ鬼が……… って、私以上に強力な装備をしているではありませんか 「いくらなんでも、天空の剣はやり過ぎでは 」と思われた方もいらっしゃるでしょうけど、ご心配には及びません。 この夜ウチに現れた鬼は、豆で退治(追い払う)できるという設定になっているので。

ラスボスは箔母鬼ですね。 剣の扱い方からして強そうですけど、鬼はそと 鬼はそと 鬼はそと

激しい豆のぶつけ合いのあとは、どうしても床の隅々までその豆が散乱してしまいますよね。 それでも心配要りません。 ここで、波と狛に登場してもらいます。 そうしたら、思いっきり豆をお食べなさい

節分の一連の行事は、これでもって締められます。 ワンコによる豆の宝探しはの代から続いているので、もう15年ぐらいになるでしょうか? それよりも、豆まきの際にまたしたしても「福はうち 」をやるのを忘れていました。 来年はもっと凝った鬼が現れるかも知れませんけど、ぬかりのない節分をやって、春を迎えたいです。


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サングラス大仏

2021-02-10 02:17:25 | 探求シリーズ

こんばんは、白黒茶々です。

今回は、昨年の11月22日の岐阜訪問シリーズの最終話となります。 私・の白黒茶々家の1人と2頭は、木曽川を越えて愛知県の江南市に入っていきました。  その南部の住宅街に向かっていくと………

突如、巨大な大仏が姿を現します。 皆さんの好奇心にお応えするためにも、さらにその実態に迫ってみます

う~む……… ちょっと近付き過ぎて、画面に入りきれてないですね。

その大仏を真下から見上げてみると、迫力がありますね。 波狛日記では6年以上も前に採り挙げたことがあるのですけど、改めてこちらの大仏さんの説明をさせていただきます。

布袋の大仏」と呼ばれているこの像は、正式名は「御嶽薬師尊」という薬師如来坐像であります。 コンクリート製で高さは18mもあり、奈良の大仏を2mほど超えています。昭和24年(1949年)に名古屋市で鍼灸師をしていた前田秀信氏が夢のお告げを受けて、大仏建立を決意しました。 それから独力で工事を進め、5年後に完成させたのがこちらの大仏さんなのですよ。当初は彼が運営する大佛治療院と一体化していたのですけど、現在その医院は別の場所に移転しているそうです。

もちろん、この謂れがある大仏さんと一緒に、記念撮影をしておきましたよ そういえばこの場所は………

今回の私たちの訪問より6年半ほど前に、波と一緒に来たことがあります。 平成26年(2014年)の6月15日に私はたつぴを伴って、生後3ヶ月と3日になった波を、けいママさんの家に迎えに行きました。 生まれ育った親のところから引き離された彼女は吐くほど泣いていて、そのような状況で、途中で立ち寄ったのが………

この布袋の大仏さんだったのですよ その時、初めての娑婆でのお散歩デビューとなった波が、最初に目にしたのがコレということに……… 彼女にとっては、あまりに衝撃的だったと思うのですけど、おかげで何があっても動じない性格となりました。

そういえば、その頃大仏さんのお姿を遮るほど伸びまくっていたまわりの木々は伐採されて、スッキリさっぱりしていました。

その大仏さんの近くには、名鉄犬山線の踏切があります。 実はこの踏切の信号は、見方によっては位置が変わり………

大仏さんにサングラスのように装着させることができるのですよ さらにタイミングが合えば………

そのサングラスが点滅するのですよ しかも「カンカンカン………」という効果音付きで。この光景に初めて出くわした時、私は思わず爆笑してしまいました。 しかし、列車がひっきりなしに大仏踏切を行き交っていて、その都度サングラスが点滅していたので、私の中でのレア度はしだいに薄れていきました。

そんな私を、波と狛はあきれた顔で見ていました。 大仏さんも時代の流れに乗る……… というよりは、ご本仏も知らないところでこのようなことになり、勝手に盛り上がっているのだと思います。 とはいっても、ちょっと違った見方となっても、布袋の大仏さんの知名度が上がり、それに伴ってそれにまつわる歴史も広まったら、喜ばしいことです。
昨秋の私たちの岐阜訪問シリーズは、ポップな大仏さんで締めたのですけど、最後まで読んでくださりありがとうございました。 ということで、次回からは今年の2月の話に戻ります。



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城主は名乗り出なさい!加納城

2021-02-06 02:27:54 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

今回も昨年の11月22日の話です。念願だったとの金華山登頂を果たした私は、今度は次の目的地を目指して岐阜市内を南下していきました。 岐阜駅を過ぎていった先の、かつて中山道の宿場町だった加納地区には………

加納城というお城がありました。 険しい金華山の岐阜城とはうって変わって、こちらは平地に築かれた平城であります。 珪岩(チャート)の石垣が立派ですね。

「あら~、2匹とも大人しく座っていてエライね。 年賀状の写真にでも使うのかしら?」
というおばさんの声を受けつつ、本丸の北側の石垣をバックにして、記念撮影をしました。 それから、年賀状の写真は西尾城に決めていてすでに印刷に出しているので、こちらはブログなどで使うようにします。 といったトコで、改めてこのお城の説明をさせていただきます。

加納城は、15世紀中頃に斎藤利永によって築かれた沓井城があった場所に造られました。 関ヶ原の戦いの後に岐阜城を廃し、その代わりの城として慶長7(1602年)に徳川家康が娘婿の奥平信昌に造営させました。

その縄張りは家康がおこない、本多忠勝を普請奉行として、諸大名に工事を分担させる天下普請で築かれました。 その際に岐阜城の石垣や建物が転用され………

私たちは、本丸跡の北側にある加納小学校のところまでやって来ました。 このあたりはかつて三の丸だったところで、正面に見える石垣は………

天守に相当する御三階櫓の土台であります。 ちなみにそれは本丸ではなく、二の丸に位置しています。 現在、岐阜地方気象台となっているその場所には………

金華山の山頂にあった天守を移築&改変したと云わる、三層の櫓がありました。 それにしても、かなり低い場所に持ってこられましたね。 しかも、享保13年(1728年)に落雷による大火で焼失したままなんて、なんか気の毒な運命です。

そして私たちは、再び本丸の南側に行きました。 こちらは本丸の搦手(裏口)とされていたところで………

かつては水堀に架かる木橋を渡ったところに臆病門があったそうです。それにしても、強烈なネーミングですね。 現在、その入口には………

このような高札(?)が。こちらは、夕方から朝にかけて封鎖されるみたいですね。 それよりも、「加納城主」って誰ですか? それはさておき、気になるその本丸の内側は………

このようになっています。 加納城は明治以降に建物が撤去され、本丸跡は師範学校の運動場となっていたのですけど、戦時中は陸軍第51航空師団司令部という軍の施設が置かれました。 その流れで、その地は昭和50年(1975年)まで自衛隊の駐屯地として使われていたそうです。
現在はだだっ広い広場で、遊具やトイレなどの施設はありません。 それでも、子供やお年寄りの憩いの場となっていました。

波狛日記では以前にも「人物伝」で採り挙げたことがあるのですけど、加納城の初代城主の奥平信昌の正妻は、あの亀姫です。 なんか、可愛らしく描かれていますけど、加納御前とも呼ばれていた彼女は、徳川家康と築山御前(瀬名)の間に生まれた子でもあります。 しかしとても嫉妬深くて、信昌に近付く女性はことごとく惨殺したそうです。 さらに孫の忠昌の面目を保つために、「宇都宮城釣天井事件」で本多正純を陥れたとも云われています。 彼女のエピソードにはゾッとさせられますけど、加納城がそのような歴史の舞台となったと思うと、より興味が湧いてきます。

私たちはそんな加納城をあとにして、その日の最終目的地に向かいました。 そこは波がお散歩デビューしたところであり、さらにロックに目覚めたことで再ブレークしたことでも知られています。 愛知県江南市にある高さ18mの構造物なのですけど、その正体は次回の日記で明かさせていただきます。


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金華山での白ふわの目撃情報

2021-02-03 02:56:56 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

我、当(まさ)ニト金華山ヲ登ラント欲ス。前回からの流れはざっとこんな感じです。 標高329mの頂上に岐阜城が聳える金華山は岐阜市の観光名所で、初心者から上級者までの登山愛好家にも人気のスポットとなっています。 7年前に、私はたつぴ(当時9歳9ヶ月)を伴って金華山の登山に挑んだのですけど、うっかり険しいほうの水の手登山道(めい想の小路)に入ってしまい、大変な思いをしました。 それに加えて、そのメンバーの中で私が最もバテていたのも不本意でした。

そういうこともあって、今回はじっくりと下調べをしておいて、金華山の登山道の中では最も緩やかで初心者向けの、七曲り登山道を辿っていくことにしました。 情報によると、こちらの道は遠足に来た幼稚園児でも容易に登れるとのこと。 また、こちらの入口は岐阜公園から外れていてわかりにくいところにあるのですけど、一度そこに乗ってしまえば難なく上れるハズ
………という私の思惑通り、その登山道は緩やかな上り坂がクランク状となって続いていました。これなら体力に自信のない私でもいけそうです。

ところが、途中から状況が一変し、緩やかにいき過ぎてしまったツケを返すかのように、途中から階段がずっと続いていたのです

ハアハア……… 波と狛に疲れた様子はなかったのですけど、私はバテてしまい、何回か休ませてもらいました。  もう幼稚園児以下でいいです。

………なんて言っていたら、山頂部にある金華山リス村が見えてきましたよ ここまで来たら、目的地に着いたも同然です

天下第一の門」という名の冠木門を潜っていったら………

かつて下台所があったという、伝ニノ門に到着。 こちらには石垣が残っていて、お城の雰囲気がより出ています。 その曲輪跡に入っていくと………

岐阜城の模擬天守を正面から見ることができるのですよ ここからでも見応えがあるのですけど………

さらにその先には、私からもオススメしたいビュースポットがあるのですよ ちなみにこの模擬天守は昭和31年(1956年)に建てられました。

せっかくなので、波と狛もこのフレーム内にお入りなさい 7年前に私が訪れた時には、木々が茂りまくって山頂の視界と模擬天守を覆っていたのですけど、それらは伐採されたのでしょうか?スッキリさっぱりしていました。

今回は波と狛を連れているうえに交代要員もいないので、模擬天守に上ることはできませんでした。 それでも、その足元からでも天空からの風景を眺めることができました。 「金華山を制するものは美濃を制す」いや、「美濃を制するものは天下を制す」でしたっけ?いずれにしても、金華山を登頂することができて、なんとなく優越感にひたっていました。

こちらは櫓の形をした資料館ですね。 しばらく山頂部をブラブラしていたら、通りかかった子供に「あっ、白くてふわふわの犬 」と声をかけられました。それだけではなく、彼の親は「さっき会ったのは1匹だけだったから、違う子かな?」と言っていたので、波狛以外の白ふわが来ているということに スピマジックなら万々歳なのですけど、とにかくその目撃情報をもとにして探しますよ その結果………

七曲り登山道で、下山しかけていた白ふわ連れを発見 スピッツと見まがうほどの大きさですけど、ちょっと茶色がかっているので、私は「ポメラニアンでしょうか?」と踏んでみました。結果は見事正解で、巨ポメの彼はカカ君という名前でした。
私たちも行きで使ったその道を降りていき………

難なく山麓へ。 大河ドラマ館となっている岐阜市歴史博物館の近くには、戦国武将グッズなどを取り揃えているみやげもん処や、郷土のグルメが味わえる屋台村が特設されていました。 時代衣装の案内人が通り過ぎる中で………

お昼が近かったので、私は高山ラーメン(税込み600円)を購入しました。 波と狛はニオイだけ味わってくださいませ。 そのあと、私たちは岐阜市内にあるもう1つの国指定史跡のお城に向かいました。 失礼ながら岐阜城よりは存在感は薄いのですけど、次回の日記でそのお城の実態に迫ります。



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