波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

謎の旧校舎に引き寄せられて

2023-09-30 00:41:11 | 廃校・廃墟

こんばんは、白黒茶々です。

私は廃校の類が好きで、地図から消えてしまった昔の学校を探し出して訪れることがしばしばあります。 その地に立って、かつて児童や生徒で賑わっていたことを偲んだりするのですけど、使われなくなって朽ちていく校舎の建物を見るのはツラい……… でも見てみたい そのような廃校は、少子化が進む田舎町で増えつつあります。 その一方で、ウチから県境を跨いだ隣町の豊橋市は、中核市ということもあって廃校はなかなか見当たりません。 その代わり、古い学校の近くに新しい校舎を建てて移転したというパターンが2つほど確認できました。

1つは、私が行ったことがある多米小学校 その木造の旧校舎は、現在は豊橋市民族資料収蔵室として活用されています。 もう1つは、同市杉山町の杉山小学校であります。 その学校の昔の校舎が、神社の社務所として使われているというではありませんか その建物は社務所らしからぬ姿をしているそうで、私は9月10日の日曜日の朝に調査に行くことにしました。

………という勢いで、やって来ましたよ 杉山八幡社に……… といくべきところなのですけど、その前にそちら方面で見つけたカフェ陽だまりの家さんに寄っていきました。 こちらでの目的は……… もちろん、モーニングですよ

こちらのお店は県道沿いにあり、外観はちょっと古い民家を改造したような感じなのですけど………

内部は明るくて開放的で綺麗でした。 こちらのお店は私が訪れた翌週に、8周年を迎えたそうです。

そうしたら、注文するメニューを選びましょう とはいっても、私にはすでに心に決めてきたものがあるのですけど。 それからしばらくして………

私のテーブルに、モーニングセットが運ばれてきましたよ はい、ご覧の通りレギュラーSETにございます。 レギュラーメニューといえば、トーストにゆで玉子は定番で、サラダが付いてくれば御の字といったトコです。 こちらのお店はコーヒー代の450円だけで、さらにヨーグルトも付けてくれるのですよ あ、白いお皿と同化してわかりにくくなっていますけど、サラダとヨーグルトの間にゆで玉子が乗っています。 それらは美味しくて、地元で製造されているワルツコーヒーとの相性もバッチリでした。 お腹も心も満たされた私は、車の中で待機していてもらったと一緒に、そこから近いといえなくもないところにある、本来の目的地に向かいました。

前置きが長くなってしまいましたけど、今度こそ本当に杉山八幡社にやって来ましたよ

拝殿の手前には、生き狛犬が ………って、実は私が配置したのですけど。 それにしても、間を開け過ぎてしまいました。

杉山八幡社は元久2年(1205年)に創建したと云われています。 応神天皇光仁太子豊受比売命(とようけひめのみこと)素盞雄命(すさのおのみこと)市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)大雀命(おおさぎのみこと)田杵津比売命(たきつひめのみこと)、………など、他多数の祭神が祀られています。

その拝殿をみんなで(?)参拝したら………

久しぶりに「狛と狛(犬)」をやっておきました。 話の流れ上、先程は素通りしてしまいましたけど………

参道を進んでいく途中の境内の広場に、私たちが目指してきた社務所の建物がありました

確かに神社の社務所らしからぬ外観で、昔の学校の校舎にしか見えません。 失礼して、窓から中を覗いてみたら………

廊下に「昭和56年度第35回卒業記念」と記された郷土の歴史年表が掲げられていました。 そのあと、私は境内の掃除をしに来た神社の方と挨拶を交わしたのですけど……… この建物はいつまで学校の校舎として使われていたのか?もとからこの場所にあったのか?そもそも、本当に学校の校舎だったのか?………など、私はたくさんの疑問を持っていました。 「あとでネットで調べればいいか」と思い、あの時は「独特な建物ですね」としか言いませんでしたけど、ネットには詳しいことは載っていませんでした。 あの時、あの方にしっかりと聞いておけば………

………と後になって後悔することになるなんて思ってもいなかったその頃の私は、ついでに近くの杉山小学校の外を歩いて回っていました。 その時には校舎の改修工事をやっていたその学校は、明治6年(1873年)に創立しました。 ………ということは、今年でちょうど150年になりますね

その校内には、古い二宮金次郎さんの像がありました。 こちらの学校は創立した当初はお寺の境内にあって、その後は現在の杉山地区市民館の場所など、近場を転々として現在地に落ち着いたみたいです。 杉山地区でのミッション(?)を終えた私は………

地元に今年の4月にできたイオンタウン湖西新居に初めて入って、そこで食材を買っていき………

浜松市西区の浜名湖に浮かぶ人工島の渚園に行き着きました。 こちらでの目的はやはりキャンプなのですけど、今回はどのサイトでどのようなスタイルで挑むのか?その内容については、次回の日記でお知らせします。


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作手のお寺とカフェと城跡

2023-09-27 01:08:02 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

前回の日記の途中から、私・の白黒茶々家の1人と2頭は、新城市の旧作手(つくで)村に来ています。 この地域は標高が高く、夏場でも暑さが和らぐハズなのですけど、この日はその原則が通用しないぐらい暑かったです。 そのような中で、廃校めぐりシリーズを終えた私たちは………

その地域の中心部に近いといえなくもないところにある、甘泉寺さんに来ました。 こちらのお寺は、応安3年(1370年)に臨済正宗22世弥天永釈大和尚によって開山されました。 山号は翔龍山で、本尊は釈迦如来。

立派な本堂には、冬の凍結に強い赤瓦が葺かれていました。

さらにその近くには、コウヤマキの巨木が聳えていました 樹齢は600年以上で、樹高は27m。 昭和47年(1972年)に国の天然記念物に指定され、さらに「作手村の木」、「新・日本名木百選」にも選ばれました。 一昨年の台風で被害を受けたのですけど、樹勢は回復しつつあります。 さらにその脇には………

鳥居強右衛門勝商のお墓があるのですよ 彼は天正3年(1575年)5月に、長篠城武田勝頼軍に包囲された際にお城を脱出し、岡崎の徳川家康に援軍を要請したのですよね。 その報告をするために戻ってきて、長篠城を目前にしたところで、武田側に捕えられてしまいました。 勝頼は「『(城兵に)援軍は来ない』と言えば、命を助けて褒美もやろう」と持ちかけたのですけど、強右衛門は「援軍は向かっている、もう少し持ちこたえられよ 」と叫んだのです。 その後、激怒した勝頼によって磔にされ、命を落としてしまうのですけど、織田信長は強右衛門の活躍に感銘を受けて、甘泉寺にこのお墓を建立しました。

長篠城に近い新昌寺にも立派なお墓があり、そちらには私たちは参拝済み。 こちらは今回が初めてとなります。 それよりも、隣は夫人のお墓って、強右衛門は結婚していたのですか しかしよく考えてみたら、強右衛門には信商という倅がいて、その家系は現在も続いているみたいですし。 そんな鳥居強右衛門に思いを馳せてから、私はいよいよ楽しみにしていたカフェに向かいました。

………ということで、やって来ましたよ 恋して!宇宙少年 CAFEさんに。 私たちがこちらを訪れるのは、昨年の8月以来となります。 実は前回の日記の最後で兒神社を参拝した時に、私は空腹を感じていました。 しかし、12時台の混雑を避けるために、間に甘泉寺さんを挟んだのでした。

こちらのカフェは名前だけではなく、店構えもインパクトありありです。 また、私たちが再訪するまでの間に、「CURRY」とか「COFFEE」という看板が増えていますし。 さらに、新たに外のトイレも設けられていました。 外のテラス席ならワンコと一緒に利用できて、その際にはお店の窓口でメニューの注文と支払いをするシステムとなっています。 そこでオーナーが対応してくれたのですけど、なんと彼は私たちのことを覚えていてくださったのですよ 波と狛にも優しくしてくれて、とても嬉しかったです。

料理は席まで運んできてもらえるので、それまでゆったりと待つことにしましょう。

その駐車場に止まっている車をよく見てみたら、スープラ率が高いような。そのことをオーナーに聞いてみたら「ここはスープラの聖地になっている」と仰っていました。 スープラに乗っている方がいましたら、是非恋して!宇宙少年 CAFEさんへ

とかなんとか言っているうちに、お待ちかねのメニューが来ましたよ 見た目からして強烈なこちらのメニューは、丸ごとニンジンカレー(1200円)にございます。 ニンジンは原形を保っているように見えますけど、調理の手が加えられていて、葉っぱは後付けとなっていました。

よく見てみたら、フォークとスプーンも特別仕様で、オリエンタルな顔が付いておられる それらを使って、いよいよ丸ごとニンジンカレーを食べますよ はむっ
स्वादिष्ट(スヴァデシト)!
※もうそれはいいから。 ちなみに茶々さんはインドで使われているヒンディー語で「美味しい」と言っています。

ニンジンはスプーンで簡単にほぐれるほど柔らかく煮込まれていて、その甘さとやや辛めのカレーとの相性もバッチリ これはインパクトだけのメニューではありませんでした。 この他にも大きなナスが乗っかった、つくで高原ナスカレー(1000円)も気になりますし。 また近いうちに波と狛を連れて、恋して!宇宙少年 CAFEさんを訪れたいです。

その後、せっかくなので通り道にある新城市作手歴史民俗資料館に寄っていきました。 こちらは入場無料で………

作手地区の歴史や自然を紹介する資料館であります。 しかし、波と狛を車の中で待たせているので、駆け足で館内を回ってきました。 そのあとも私には時間と余力があったので………

道の駅つくで手作り村の近くにある、亀山城跡も行っておくことにしました。 こちらは道の駅の裏側に登り口があって………

遊歩道もきれいに整備されていました。 この画像に「ハアハア……… 」という私の息切れを載せることを覚悟していたのですけど、それほど険しくありませんでした。

間もなくして、空堀の跡や………

西曲輪の跡が見えてきて、それらを通過したら………

本丸の入口に差し掛かりました。 登り口に「本丸まで90m」と表示されていたのですけど、それよりも短く感じました。

………ということで、本丸跡にたどり着きましたよ 亀山城は応永31年(1424年)に奥平貞俊によって築かれました。 以後も奥平氏はこの地方を治め、武田勝頼軍に包囲された長篠城で奮闘した奥平貞昌(のちの信昌)は、貞俊の子孫になります。 関ヶ原の戦い後は松平忠明が城主になったのですけど、慶長15年(1610年)に忠明が伊勢のほうの亀山城に移封された後は、廃城となりました。

それでも、城跡の保存状態はよく、本丸を取り囲む土塁も良好な状態で残っていました。

さらに、麓からもよく見える「亀」「山」「城」「趾」の看板のあたりからは………

まわりの山々や作手の田園風景、それに前回こちら方面に来た時に訪れた新城市立作手小学校南校舎跡(旧乾小学校)などを臨むことができました。 私たちが旧作手村を散策するのは今回が2回目となるのですけど、新たな発見がたくさんありました。 また、同じところを訪れたとしても、前とは違った見方ができるかも知れません。 さらに、ともに夏場の訪問となったのですけど、違う季節ではその風景が変わっているかも知れませんね。 ということで、またの機会を楽しみにしています。



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新城・作手の廃校めぐり

2023-09-23 00:58:16 | 廃校・廃墟

こんばんは、白黒茶々です。

前回から、私はとともに新城市に来ています。 医王寺さんでのミッション(?)をクリアした私たちは再び車に乗り込み、そこから近いといえなくもないところにある………

とある民間企業の工場の前にやって来ました。 「向こうに続いている玉石垣や植え込みに独特の雰囲気がある」と思われたそこのアナタは、なかなか鋭いです すでに今回の日記のタイトルにヒントが出ているのですけど………

こちらはかつて、鳳来町立長篠小学校があったところであります 明治6年(1873年)に長篠村立長篠小学校として開校。 昭和44年(1969年)に近隣の小学校と統廃合して閉校しました。

現在、学校の跡は前述の工場の敷地となっているのですけど、校門などはそのまま残されています。 長篠小学校があった証を見れるようにしておいてくれて、廃校や遺跡が好きな私にとっては、とても有難いです。

その門や玉石垣の内側には、このような怪しい……… いや、何かの創作物があるのですけど、これは小学校の頃からのものでしょうか?
長篠小学校に思いを馳せたあと、私たちは国道301号線を走っていき、峠を越えて旧作手(つくで)村に突入しました。 その地域に行くのは昨年の8月以来なのですけど………

保永カドというところからは脇道に入っていきました。 この道は、県道を冠するワリにはかなり細くて険しいですね。 「この道で合っているのかな?」途中で心配になって、スマホの地図情報を見ようとしても、すでに電波が届いていませんでした。 そうしているうちに………

私たちは見代(けんだい)という地区に行き着きました。 巴川の清流沿いには、静かな集落がありました。

波と狛の後ろには、またしても雰囲気のある茂みが見えますね。 この大木は見代のオハツキイチョウで、その雄株は全国で3つしかない貴重なものであり、新城市の天然記念物に指定されています。

その内側に廻ってきました。 あまり広くはないのですけど、何かの跡のように見えませんか? 実はこの場所には………

作手村立旭小学校があったのですよ 石碑の文字は読みにくいのですけど、「旭学校跡」と刻まれています。 明治25年(1892年)に旭尋常小学校として創立。昭和36年(1961年)に近隣の小学校と統廃合して閉校しました。

せっかくなので、もう1ヶ所この地区にあるスポットに寄らせていただきます。 波狛ちゃの前に聳える深みのある建物は………

見代発電所の跡であります こちらは愛知県で2番目にできた水力発電所で、明治41年(1908年)に送電を開始しました。

その建物の下には、排水口が残っています。 見代発電所は昭和34年(1959年)にその役割りを終え、以降は茶工場として活用されたのですけど、現在は空き家となっています。 私たちはさらに車で東の方に向かっていき………

距離にして2.6km、時間にして7分程で作手農村環境改善センターにたどり着きました。 現在はまわりに民家が1軒もない山間部のこの場所は………

かつて作手村立作手南中学校があったところなのですよ 昭和22年(1947年)作手第二中学校として開校。 さらにその翌年に、作手南中学校と改められました。

センターの敷地内に、中学校の痕跡があるのは嬉しいですね。 作手南中学校は昭和49年(1974年)に作手中学校と統合し、閉校しました。 あともう1ヶ所、廃校に寄っていってもいいでしょうか? 「ダメ」と言われても、私はすでに行く気マンマンなのですけど。 それは話の流れもあって、先ほど素通りしたところにある………

新城市立協和小学校跡でした 立派な校門は昔からのままで………

せっかくなので、校名が見えやすいところまでズームしてみました。 協和小学校は、私たちが先ほど立ち寄った旭小学校が他の2つの小学校と統合して、昭和36年(1961年)に創立しました。

校門を通ってすぐに、体育館が見えてきました。

校歌が刻まれた石碑もありますね。 緑豊な環境の中で、伸びゆく子供たちのことを思い描いた、素晴らしい歌詞です。 そうしたら、今からこの校歌を歌ってみましょう さあ、パソコンやスマホの前の皆さまもご一緒に さん、はいっ
……………… え~と、この校歌の曲をご存知の方はいらっしゃるでしょうか?

それはさておき、多少草が生えてきてはいるものの、広いグラウンドは昔のままでした。

その片隅には、遊具や………

飼育小屋もありますね。 実は私は小学生の頃はいきものがかり、いや、飼育委員会に入っていて、小屋の掃除や動物の世話をしていたのですよ。

しかし、こちらの小学校は今から10年前の平成25年(2013年)に巴小学校と統合して、閉校してしまいました。 それから時が止まったかのように静寂に包まれている協和小学校。

校舎や石碑に掲げられている「伸びよ杉の子元気よく」のスローガンが、寂しく思えてしまいます。
以前は旧作手村には4つの小学校があったのですけど、平成25年に2つにまとめられ、さらにその4年後に村の中心部にこの地域で唯一となる新城市立作手小学校が開校し、今に至ります。

協和小学校跡の裏山には、兒神社が鎮座しています。 私は下調べをしている段階から、廃校と合わせて寄っておきたいと思っていたので、この神社を参拝して今回の日記を締めさせていただきます。 そのためには、鳥居の向こうまで続く幅が狭くて急な階段を上っていかなければならないのですけど、これがけっこう大変でした。

ハアハア……… やっと社殿に行き着きましたよ。 こちらの神社の祭神は大気津姫命(おおげつひめのみこと)です。 さらに上に続く石段があったので、上っていったら………

お地蔵さん……… とは違う石の神様が鎮座していました。 丁寧に、赤い前かけがされておられる。 もしかして、大気津姫命でしょうか? 何にしても神聖であることに間違いはないので、手を合わせておきました。
現在の時刻は12時ちょっと過ぎ。 朝にはTKGMをがっつり食べたのですけど、いい運動をした(?)こともあって、そろそろ小腹が空いてきました。 ということで、次回は作手のとっておきのグルメ情報などもお伝えいたします。


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TKGMと医王寺山

2023-09-20 01:19:40 | 美味情報

こんばんは、白黒茶々です。

秋といえば、行楽のシーズンでもありますよね。しかし、暦の上では秋となる9月に入っても、まだ暑い日が続いています。 そのような中で、私は久しぶりに新城市の山間部にある名所や廃校などを巡ることにしました。 もちろん、にも付き合ってもらいますよ

………ということで、新城市にある道の駅もっくる新城にやって来ました!それは9月3日の日曜日の朝のことで、こちらでの目的は……… もちろんTKGM(卵かけ御飯モーニング)ですよ この施設のお食事コーナーは8時に開くのですけど、その前から行列ができていました。 ちなみに私がこちらを利用するのは、昨年の8月以来となります。

TKGMは、600円で御飯やトッピングが食べ放題 さらにコーヒーバーも付いているのですよ それからもう130円を払えば、おかわり自由の味噌汁も追加することができます。

ただし昨今の卵不足の影響もあって、御飯にかける卵(温泉玉子)は1人に3個だけ割り振られていました。 そうしたら、御飯はおかわりし放題でも大切にいかなければ
………ということで、お店のオススメのレシピに則って、1杯目は和風にしました 御飯に温玉、ねぎ、かいわれ、牛蒡素揚げ、のり、………のあとはごまとなっていたのですけど、私は代わりにかつお節を入れていました。

それらに土佐醤油をかけて、ぐちゃぐちゃに混ぜてから、いただきま~す はむっ
美味しい!全体的に「これぞ日本の朝ごはん 」という味わいで、温玉のトロトロと牛蒡の素揚げが合わさった食感もたまりません。 それに、かいわれも混ぜやすい長さに刻まれていますし。

2杯目は、やはり中華風にしました。 御飯に温玉、甘味噌、メンマ、きくらげ、唐辛子天かすをトッピングして……… あ、模範例に載っているラー油をかけるのを忘れていました。 トッピングを盛る作業は、あとに付いてくる方たちに迷惑がかからないように、自分の記憶を頼りにしつつ流れ作業のようにしなければならないので。 それでも、私の中では充分に中華風の規定を満たしているので、またしてもこれらをぐちゃぐちゃに混ぜて、食べますよ もぐっ
好吃(ハオチー)!甘味噌の甘さと温玉のマイルドな味わいが御飯を包み込む味は、一度食べたらクセになりそうです。 それに加えて、メンマときくらげのコリコリ感が、全体を引き立てていますし。

ここまできたら、3杯目もオススメレシピに従いますよ ということで、イタリアンなカルボナーラにございます。 こちらは御飯に温玉、粉チーズ、あげ玉、にんにく胡椒、塩、のりをトッピングします。 後になって気付いたのですけど、マヨネーズを入れるのを忘れていました。 それでも、温玉、胡麻、塩があれば、マヨネーズの役割りは果たしているということになりますよねっ とにかく、それらをぐちゃぐちゃに混ぜて、いただきましょう むふっ
Buono(ボーノ)!スパゲティーで定番のカルボナーラの味やトロトロ感が、TKGでも作れましたよ 味付けがシンプルににんにくの効いた胡麻と塩というのも、いいですし。 3種のTKGM、美味しくいただきました。 これで終わりと思いきや………

実は、もう1杯盛ってきたのですよ トッピングの種類が充実していて、温玉ナシでもいけそうだったので。 ということで4杯目はオリジナルのレシピで、オクラにかつお節、ねぎ、のりをトッピングしました それらに土佐醤油をかけてから、やはりぐちゃぐちゃに混ぜて、かき込みますよ ずるずる………
これ、どうまいに!TKGは和風で始まって和風で終わったのですけど、最後は日本語でも私のいる地域の遠州弁で締めさせていただきました。 ちなみに標準語にすると「これ、すごく美味しいよ 」となります。 やはりオクラとかつお節、醤油との相性はバッチリ さらに、ねぎとのりがそれらの味をより引き立てました。 お腹も心も満たされた私は、この日最初の散策スポットに向かう前に………

波と狛を、道の駅内に設けられているドッグランに連れていきました。 こちらは10kg以下の小型犬のみが利用可能なのですけど、狛はその規定を少し越えているような。 それでも、厳しい監視員が常駐しているというワケではなく、利用者のモラル頼みなので、私がいいと判断したら大丈夫です たぶんきっと。

それはさておき、今は貸し切り状態なので、思いっきりドッグランを堪能してくださいませ。 というよりは、日差しが強くなってきたので、なるべく濃い内容にして早めに撤収しましょう。
私たちは車に乗り込み、そこから8分程のところにある………

医王寺さんの駐車場に行き着きました。 こちらは1月に歴史散策で新城方面を訪れた際にあぶれたところで、それ以来ずっと来てみたいと思っていました。 お寺の裏の山(医王寺山)の上に展望台みたいなものが見えるのですけど、今からそこまで登っていきますよ

ハアハア……… 案内では「徒歩10分程」となっていて、麓からもあまり高そうには見えなかったのですけど、実際に登ってみたら息切れがして汗が吹き出してきました。

それでも、間もなくして例の展望台みたいな建物が見えてきましたよ 山頂までもう少しです。

………ということで、たどり着きました この建物は、物見櫓というみたいですね。 天正3年(1575年)4月に武田勝頼は1万5千の兵を率いて甲斐を出発しました。 さらに4月下旬に軍を4つに分け、長篠城周辺に包囲網を敷きつつ、この医王寺山に本陣を構えました。 物見櫓の階段は梯子に近くて、波と狛を連れて上るのは厳しいので、私だけで行くことにします。

ここからの見張らしは素晴らしい 吹き抜ける風も心地いいですし、山を登ってきたカイがありました。 長篠城もよく見える……… といいたいところですけど、案内板と照らし合わせて「多分あのあたり」と言うしかありません。 武田勝頼は医王寺山に1ヶ月近く滞在したのち、清井田、才ノ神、天王山に本陣を移し、5月21日に織田・徳川連合軍が待ち構える設楽原に打って出ました。 そうしたら、あとは山を降りていって………

麓にある医王寺さんも見学していきましょう

本堂も立派ですね。 その脇には、民俗資料館も設けられています。こちらは曹洞宗の寺院で、山号は長篠山。 薬師如来を本尊とし、永正11年(1514年)に克補契嶷によって開山されました。

境内にあるこちらの弥陀が池には、「片葉の葦」伝説があります。 設楽原出撃の前夜、武田勝頼の夢枕に葦の精が老人の姿となって現れ、勝頼を諫めて戦を避けるように勧めました。 しかし、これに怒った勝頼は刀で老人の片腕を切り落としたのです。 その翌日、弥陀が池の葦は全て片葉になっていたと云われ、それは現在でも続いています。 勝頼の軍は設楽原の戦いで惨敗し、甲斐に引き揚げていきました。 結果的に、葦の精の進言が正しかったということになりますね。
この手の「片葉の葦」の話は、あちこちにあるような気がします。 私の地元の(隣の)浜松市には、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が初めて仕えた地で、研いだ鎌の切れ味を試すために池端の葦の片葉を切り、それ以来片葉の葦になっているという伝説がありますし。

あの~編集長さん、松ぼっくりを見つけたら、必ずコレをやらなければならないのでしょうか? それはさておき、今回から始まった私たちの新城探訪シリーズは、次回新たなテーマに入ります。



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主役は全身ピンクのピュアな悪魔、映画「SAND LAND」

2023-09-16 02:10:23 | 映画情報

こんばんは、白黒茶々です。

漫画家の鳥山明先生の代表作の「Dr.スランプ」「DRAGON BALL」は、世界的にも有名になりました。 特に「DRAGON BALL」は、平成7年(1995年)に連載は終わったのですけど、その続編や映画は30年近くも経った今でも製作されています。

その鳥山先生が「DRAGON BALL」を終えて、まだ勢いのある時に書かれ、「少年ジャンプ」に短期連載された「SAND LAND」が映画化され、8月18日から全国の映画館で上映されているのですよ こちらは平成12年(2000年)に連載されたのですけど、実は私はその原作を読んでいました。 その作品はストーリーはもちろんのこと、個性的なキャラクターや作中に出てくる戦車などのメカは、まさに鳥山ワールド全開です それに、作品の長さは映画のサイズに丁度いいぐらいですし。 公開が始まったら、もちろん観に行きますよ

………という勢いで、やって来ましたよ 県境を跨いだ隣町の豊橋市にある、ユナイテッドシネマ豊橋18に。 私がこちらを訪れるのは今年3度目で、3月のドラえもん「のび太と空の理想郷」を観た時以来となります。 ただし「SAND LAND」の上映までまだ時間があるので………

映画館の近くにある松屋で、晩ご飯を食べていくことにしましょう 今回私が注文(券売機で購入)したメニューは………

プルコギ定食(730円)でした。 追加料金ナシで御飯の大盛りが選ぶことができて、小鉢(生卵キムチ)も付いてきました。 実は最近になってX(旧ツイッター)に松屋のこのメニューの広告が頻繁に入るようになり、知らず知らずのうちに私の口がプルコギ定食になってしまっていました。 それでも、味もボリュームも満足できる内容でした。

腹ごしらえが済んだら、いよいよ本命の映画を観に行きますよ この日はサービスデーの水曜日でしたけど、週のど真ん中の平日の夜ということもあって、映画館は空いていました。 そうしたらせっかくなので、本編の上映前に流される予告編のように、(8月23日の時点で)これから公開が予定されている他の作品を紹介します。

まずは「ホーンテッドマンション」です。 あのディズニーランドの人気アトラクションが、同じ名前で映画になりました ある親子が引っ越してきたのは、999人のゴーストが住む呪われた館でした。 真夜中になると様々な怪現象が起こり、一度入ると二度と出られないこの館から親子を救うため、心霊写真家、神父、歴史学者、霊媒師の4人が集結しました。 かなりクセの強い心霊エキスパートの彼らは、館に秘められた謎に挑もうとするのですけど、999人のゴーストたちが最後の1人を待っていたことを知らずに………

私は「ホーンテッドマンション」のアトラクションを体験したことはないのですけど、この映画を観たら楽しさ、いや、恐ろしさが倍増すること間違いナシ 「ホーンテッドマンション」は東京のディズニーランドなどで常時運行されて……… いや、映画のほうは9月1日から公開されています。

次は、「名探偵ポアロ ベネチアの亡霊」であります またしてもゴーストに関わる作品ですけど、「名探偵」といえば皆さまは誰を連想されるでしょうか? 大多数の方は、あの有名な少年……… はい、コナン君と答えると思います。私の世代では、コナン・ドイルの原作をアニメで犬化させた「名探偵ホームズ」も思い浮かべてしまいます。 それはさておき、こちらの名探偵はポアロなのですよ

こちらの作品の舞台は、美しくミステリアスな水上都市ベネチア。 その街で隠遁生活を送っていたポアロは、霊能者のトリックを見破るために、子供の亡霊が出現するという謎めいた屋敷の降霊会に参加します。 しかし、その招待客が人間には不可能と思われる方法で殺害され、ついにはポアロ自身も命を狙われることに。 果たして、この殺人事件の犯人は人間か亡霊か……… この「名探偵ポアロ ベネチアの亡霊」は、9月15日から上映が始まっています。

もちろん、今回も本編が始まる前にはお約束の「ノーモア映画泥棒」の映像が流されたのですけど、映画の製作側のバンダイナムコとかサンライズの名前も出てきましたよ 動画配信アプリのABEMAなどでよく観る映像なので、なんか映画ではないように思えてきてしまいました。 とにかく、またしても前置きが長くなってしまいましたけど、いよいよ映画「SAND LAND」が始まります

この作品は、水不足にあえぐサンドランドという砂漠の国が舞台となります。 そのような状況の中で、その国を治める国王(CV茶風林)は自身が持つ唯一の水源を利用して「とても優しい私は、500mlで1000ゼニーのペットボトルの水を、期間限定900ゼニーで提供します」と、国民に呼びかけました。

正義感の強い保安官のラオ(CV山路和弘)はこれに反発し、魔物に協力を求めて「幻の水」を探す旅に出る決意をします。 しかしその旅には危険が伴い、ラオは人間だけでは半分も進めないということを自覚していました。 とはいっても、彼は61歳とは思えないほどの身体能力を持っているのですよね。 さらに、ラオには秘められた過去があるのですけど、それは物語が進んでいくうちに、明かされていきます。

ラオの誘いに乗ることになったのは、悪魔サタン(CV大塚明夫)の息子のベルゼブブ(CV田村睦心)。 彼は全身ピンク色の悪魔の王子で、悪事を働いていることを自負しているのですけど、それは「1時間までと決められたゲームの時間をオーバーしたうえに歯を磨かずに寝た」程度のことでした。 さらに、国王の水を運搬している車を襲撃して、水不足で困っている人たちに配ったりも。

ラオの車にはもう1人乗れるということで、ベルゼブブは魔物のシーフ(CVチョー)を誘ったのですけど、彼は最初は拒否していました。

ムリヤリ同行させられたものの、一緒に旅をしている間にすっかり乗り気に。 それから、シーフは物知りで盗みが得意でもあります。

そんな凸凹トリオたちはラオの車に乗り込み、「幻の水」を探す旅に出発しました。

ところがそれから間もなくして、一行はゲジ竜という巨大で狂暴な生物に襲われてしまいます。 なんとかして難を逃れたものの、ラオたちは旅に必要な水と食料と燃料を失ってしまいました。

その後、ラオたちはサンドランド国王軍が所有する104号車という戦車を奪い取り、それに乗って旅を続けました。 鳥山先生はメカのデザインに凝っていて、この戦車が機敏に動く姿にもけっこう惹き付けられます。

やがて、国王軍でゼウ大将軍に次ぐ地位にあり、若いのに高い指揮能力を誇るアレ将軍(CV鶴岡聡)と対決することに。 アレ将軍は真面目で職務に忠実な一方で、自身に非があれば素直に認める柔軟性も持っているのですよ。

そんなアレ将軍の上に立ち、国王をも牛耳るのは、ゼウ大将軍(CV飛田展男)。 彼の声を担当する声優さんは、箔母さんが推している「名探偵コナン」風見裕也をやっていて、さらに「幻日のヨハネ」に出てくるカエル型ロボットのトノサマも演じているのですよ それはさておき、見た目からして絶大な権力を持ち、黒幕感ありありのゼウ大将軍はかなりの老齢なのですけど、己の身体を機械化して命を長らえています。
あと、常に遊泳スタイルをしていながらも、水に恵まれず泳いだことがない悪党のスイマーズなども出てきます。

それらの強者たちが入り交じる中で、ラオたちは無事に「幻の水」を見つけられるのか? さらに、この物語の結末は………

さすがに原作を読んでから23年も経っていることもあって、私は細部や物語の伏線は忘れてしまったのですけど、観たい場面は期待通りで、全体的にもうまくまとまっていました。 しかし、大々的に公開されたワリには、あまり客が入っていないみたいです。 9月16日現在でも上映は続いているのですけど、その規模はかなり縮小されています。 私が入ったスクリーンは300席以上もあったのに、7人ぐらいしかいなかったような。 観てソンはない作品なので、迷われている方は間に合ううちに映画館の戸を叩いて(?)ください。 それと、鳥山明先生が「SAND LAND」の後に著した「銀河パトロール ジャコ」も映画化されることを、私は望んでいます。


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京セラドームでの対決に間に合ってくれ!

2023-09-13 00:44:43 | 野球ネタ

こんばんは、白黒茶々です。

夏といえば、高校野球が真っ盛りの時季でもありますよね。 その季節での開催には賛否両論ありますけど、プロ野球も露天の球場でデーゲームをやる場合には、同じような環境に晒されることになります。 そんな8月下旬の日曜日に、私はたつぴと一緒に今季2度目の北海道日本ハムファイターズの試合を観に行くことになりました。 対する相手はオリックスバファローズ。その決戦の場はバファローズの本拠地の京セラドーム大阪で、そこは全天候型の屋根付きのドーム球場となっていて、さらに空調が効いていて暑さの心配もないときたもんだ 私の近畿四城訪問からわずか4日後となりますけど、体調を整えつつその日が来るのを待ちました。

そして、いよいよハム観戦が予定されている8月20日になりました その日は余裕をもって早い時刻に出る列車に乗るために、まだまわりが暗い時間から行動を始めました。 ただし、と一緒にいられるのはここまでで、私たちは出勤前の箔母さんに駅まで車で送ってもらいました。

予定の列車に乗り込んでから間もなくして、車窓からヒュッゲ湖西市民キャンプ場が見えてきました。 この場所にキャンプ場があることを認識していなければ見過ごしてしまいそうですけど、なんとか「逆ヒュッゲ湖西」をカメラに捉えることができました。 あとは京セラドームを目指して、列車を乗り継いでいくだけです。
………と、居眠り体制に入ろうとして目を閉じた瞬間に、私は突然大事なことに気付きました。 「………京セラドームのチケット忘れた 」このまま予定通りに行って、現地で当日券を買うことも考えたのですけど、せっかくいい席を確保してくれたたつぴの努力を無にすることはできなかったので、引き返すことにしました。
※この日の京セラドームは満席で、当日券は発売されませんでした。結果的に、その判断は正しかったですよ。(編集部注)

「茶々さんチケットの忘れ物に気付きの地」の次の駅で逆方向の列車に乗り、最寄り駅で下車。 とはいっても自宅までのアクセスは悪いので、そこからタクシーを拾って、なんとか一旦帰宅。 さらに、駅前の駐車場までは私の車に乗っていきました。 改めて、来た列車に乗るまでの時間的ロスは1時間半ほどかかりました。 本来の計画では、途中でお昼ご飯を食べて、京セラドームではゆっくりグッズショップを見たり記念撮影をしたりしてから、試合開始1時間前にはスタンドに入ることになっていました。
ところが、これほど詰んでしまったら、途中で寄り道をするどころか、試合開始までに京セラドームにたどり着くのも厳しそうです。 一部に新幹線を使うことも考えたのですけど、乗り継ぎが悪かったので、予定通りに在来線の快速列車などを利用していくことにしました。 それでも、少しでも時間を省くために、豊橋駅での乗り換えの間にコンビニでお昼ご飯を買っていき、移動中にサッと食べることにしました。

そうしているうちに、京セラドームの最寄り駅となる大正駅まで来ましたよ この時点で試合開始まで30分を切っているので、とにかく急ぎましょう

試合開始15分前、ようやく京セラドームが見えてきました この頃になると、試合観戦に向かうファンはいるものの、余裕組や私たちのような遅刻組はまばらでした。

それでもドームに入る前には、応援スタイルに着替えての記念撮影は欠かせませんでした。 私はファイターズの選手たちと同じビジター用の(レプリカ)ユニフォーム。 たつぴはお気に入りの、新庄剛志監督が監修したガソスタユニ……… いや、襟付きの限定ユニフォームにしました。 あとは手荷物検査などを経てドーム入りするだけですけど、試合はどこまで進んでいるのでしょうか?

私たちがスタンドに入ったまさにその時に、バファローズの先発の東晃平投手が第1球を投げました。 ギリギリ間に合った しかもその球を、ファイターズの先頭打者の奈良間大己選手が弾き返し、それが内野安打となって出塁 これはさい先がいい 彼は今季デビューした選手で、我らが静岡県出身でもあるのですよ。 しかし後続を絶たれて、この回は無得点でした。

1回裏にマウンドに立ったファイターズの先発は、上原健太投手 191cmの長身で………

左腕から繰り出す投球は、威力がありました。 1アウト1塁3塁のピンチもありましたけど、そのイニングはなんとか抑えました。 それ以降は彼の快投のおかげで、バファローズのスコアに0を並べていくことができました。

その後、東投手が放った球が万波中正選手に当たってしまいました。 「どこ投げてんだ、ヘタ○ソ 」あ、この罵声を浴びせたのはたつぴですけど、一部を伏せ字にしてもあまり意味がないような。 それよりも、私たちがいる応援席は険悪な雰囲気になりかけたところで、ファイターズの応援団は拡声器で「当ててしまったピッチャーを叩くより、出塁した選手を応援しよう 」と呼びかけました。 そうしたら、一瞬でその場の空気が変わりましたよ 彼らはそれ以外のところでも盛り上げてくれて、おかげで私たちは気持ちよく応援することができました。

このカードでは、バファローズは「Bs夏の陣」と銘打って、選手たちは限定ユニフォームを着用して試合に挑んでいました。 今回は、ストライプ入りの上下緑のデザインで。 オリファンには申し訳ないのですけど、私にはどうしても寝る時に着るアレに見えてしまいました。

それはさておき、息詰まる投手戦は6回まで続き、ファイターズのラッキー7となる7回表の攻撃に入りました。 ファイターズの応援席の士気は高まっていたのですけど、このイニングも無得点でした。

その裏の回を前にして、グラウンドにはバファローズのチアのBs Girlsや、マスコットキャラクターのバファローブルバファローベルが出てきて、チームやファンを盛り立てていました。 しかし、こちらにも点が入らず、0対0のまま延長戦に入っていきました。

上原投手は9回まで投げて降板してしまったのですけど、彼の快投のおかげで白熱した試合となりました。 その投手交代のインターバルの間に、集まった外野手の野村佑希選手五十幡亮汰選手万波中正選手の3人。 あとを引き継いだ投手陣も奮闘し、試合は11回に入りました。 ここまで来たら、引き分けになっても構わないので、延長12回の世界を見てみたい

ところが、11回に登板したファイターズのロドリゲス投手が乱調で、そのイニングにあっさりと勝負がついてしまいました。 応援しているチームが勝った場合は、試合後に応援団や同士たちと喜びを分かち合ったり勝利の余韻に浸ったりするのですけど……… 負けた場合は、その場で応援スタイルを解いて、さっさと帰ることになります。 私たちはお土産にりくろーおじさんチーズケーキ551蓬莱豚まんを買ってから、帰りの列車に乗り込みました。 ただし、今回は途中の大垣駅で降りていき………

その駅ビル内にある、世界の山ちゃんに入りました。 そのお店は手羽先で有名な居酒屋チェーンなのですけど、私たちは今回が初めてでした。

本当はここで祝勝会をやりたかったのですけど、今回は残念会となりました。 それでも、最後まで応援ご苦労様ということで、かんぱ~い!

そうしているうちに、料理が揃いましたよ ちなみに私は、秘伝の黒手羽先鉄板ナポリタンごはんの3点セットをつまみに、ノンアルコールのビールをいただきました。
今回の試合結果は散発3安打の完封負けでしたけど、勝負の行方は最後までわからず、今思えば見応えのある試合でした。 また、中継や新聞記事などではわからない魅せ場もありましたし。 それに、応援団やファンの同士たちと一緒にチャンステーマを歌えたのも、よかったです。 さらに、試合の臨場感は球場でしか味わえませんし。来年もチャンスがあったら、ハム観戦に行きたいです。



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ドッグラン SORAさんで遊泳?

2023-09-09 01:01:37 | ワンコ

こんばんは、白黒茶々です。

私のお盆休みは早いもので、あっという間に最終日となってしまいました。 夏にはをプール付きのドッグランに連れていって、彼女らを泳がせてあげたいのですけど、悪天候との巡り合わせなどがあって、3年前に行って以来となってしまいました。 なので、私は「今年こそは 」という想いを強く抱いていました。 そして連休最後の8月16日は、台風が過ぎ去ったものの、天気は曇りでした。 それでも、暑いことには変わりないので、ドッグランプールに行けないこともない いや、今夏はこれが最初で最後のチャンスとなるので、私は波と狛を連れていく決意をしました。

そうしたら、肝心な目的地を決めなければなりませんね。 プール付きのドッグランは浜松市にも豊橋市にもあるので、ここにきて私はスゴく悩んでしまいました。 その結果………

私たちは豊橋市にあるドッグラン SORAさんにやって来ました こちらを訪れるのは、3年ぶりとなります。 実は、SORAさんを選んだ決めては、久しぶり度だったのですよ

その間に、小型犬用のドッグランが従来駐車場だったところまで拡張されたりしていました。 それと、ぐるりと歩いて廻れる通路も新たに設けられていました。

さらに、中型・大型犬用のドッグランの中央には、追加料金ナシで利用できるプール(池)があるのですけど……… 外から見た感じでも、なんとなく水位が低いような。 しかし、ここまで来ておいて逆方向の浜松まで走るのもナンですし、日本スピッツの体高なら泳げるかも知れませんし。 こちらでも「どうする茶々さん」状態になってしまいましたけど、結局ドッグランに入ることにしました。

先客のワンコたちに挨拶をしてまわって、何の問題もなさそうだったらリードを外しますよ ちなみに、今回はそのまま水に浸かってもいいように、よそ行き用のハーネスではなく、簡易な首輪タイプにしておきました。

それから間もなくして、水遊びが好きな狛がプール(池)に入っていったのですけど……… やはり浅くて、どうやっても泳げるレベルではありませんでした。 これは、前日に台風が来たからでしょうか? それでも、涼むことはできそうなので………

水に入るのには消極的な波も、プール(池)に浸けてあげました しかしというか、やはりというか……… 彼女はその場で固まってしまいました。

なんか、対照的な2頭ですね。 実は波は上手に泳げるのですけど、自分から進んで入っていったりしません。 いわゆる「海水浴に来ても、泳がない派」なのですよ

一方の狛は、他のワンコと水の中にダイブしたりして、楽しそうに遊んでいました。 私はしばらくその様子を見ていたのですけど、そういえば波ちゃはどうしているのでしょうか?

ああ、あそこにいました 画像ではわかりにくいかも知れませんけど、日陰となっているところで、彼女は涼んでいました。 たまにフェンス越しに小型犬や飼い主さんと会話をしたり(?)しつつも、ずっとその場から離れませんでした。 ま、まあ、ドッグランでもワンコそれぞれの楽しみ方があるので、私は口出しはしませんよ。
とかなんとかやっているうちに、狛と仲良くしてくれたワンコたちが帰っていき、中型・大型犬エリアには私たちだけが取り残されました。 そうしているうちに………

狛はプール(池)に入っていき、そこで物悲しそうな声で鳴き出しました。 そんな彼の姿を見ていたら、私まで切ない気持ちになってしまいました。 それでも、逆に言えばそれまでスゴく楽しかったということになるのでは? 波も自分なりに、ドッグランを堪能したに違いありません。多分、きっと。 なんか、夏の終わりに海水浴に来たような気持ちになっていましたけど、実際には暑い日は9月を過ぎても続くことになります。 今回のメインのネタは以上で終わりですけど、もう1つ私が最近気付いたことを書いてもいいでしょうか? 「それは……… 遠慮しておく」と言われても、もう誰も私を止めることはできません。 それは、8月下旬のある日のことでした。 白黒茶々家の庭に、いきなり………

このような、見るからに怪しいきのこが生えてきたのです これを画像検索にかけてみたら、候補としてカラカサタケが出てきました。 最も気になる、食べられるかどうかを調べてみたら……… 「無味・無臭で従来から食用とされるが、生食は消化器系の中毒を起こし、蕁麻疹、下痢、アレルギーに至ることもある」となっていました。毒キノコですか それでも「天ぷら、炒め物、きのこ汁など加熱したうえで利用される」とも記されているので、食べられる可能性もあるみたいです。 しかし、その翌日には………

このような姿に変化していました。 なんか、毒キノコ度がUPしているような……… 改めて画像検索してみたら、カラカサタケも挙がっていたのですけど、キツネノカラカサ属の可能性も出てきました。 もし、このキノコが後者だったとしたら、「多くの種は有毒であり、致命的なものもある」というではありませんか 致命的とは、死に至るって意味ですよね いや、スーパーマリオブラザーズのパワーアップキノコの可能性も完全にないとはいえません。 そのように考えたら、身体に取り込むのにはちょっと勇気が要るのですけど、怖いもの見たさというか、試してみたくなってきました。 それでも、万が一マリオと同じように巨大化したら、家を破壊してしまう恐れがあります。 いや、その正体が無敵アイテムだったら、箔母さんを弾き飛ばして得点が入るかも知れませんし。 何が起こるかわからないので、今回はやめておきます。


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岸和田城のあとに逢いたかった2体の像(近畿四城訪問その4)

2023-09-06 01:14:14 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

電車旅の最終日……… とはいっても1泊2日の日程なので、初日と最終日しかないのですけど。 とにかく、その日の午前に和歌山城を散策した私は、小雨が降る中、和歌山市駅から南海電鉄に乗っていきました。 その頃台風7号が迫っていて、その情況によっては列車が遅れたり運休したりする恐れがあったので、気が抜けませんでした。 なので「雨足が強まったら、早めに切り上げる」ということを誓いつつ、この日最後……… から2番目の目的地の最寄り駅となる岸和田駅で列車を降りました。 そのようにして向かったところは………

岸和田城であります こちらは和歌山市よりも天気が快復していて、傘がなくても大丈夫なくらいの曇りでした。

岸和田城は、元弘4年(1334年)に楠木正成の一族の和田高家が築いた(岸和田古城)のが最初と云われています。 天正13年(1585年)には、羽柴秀吉の紀州根来寺討滅により、秀吉の伯父・小出秀政がこの地に赴き、近代城郭の岸和田城を築城。 小出氏のあとは、松平氏、岡部氏が城主となりました。小出秀政によって築かれた黒板張りの5層の天守は、文政10年(1827年)に落雷で焼失。 明治以降は他の建物も取り壊されたのですけど………

昭和29年(1954年)にRC構造で3層の模擬天守が建てられました。

本丸跡に建ち並ぶ櫓なども模擬建築なのですけど、70年近くもの間、岸和田の風景としてすっかり馴染んでいます。 それらと合わせて、本丸内には「八陣の庭」なるものも造られたので、皆さまにご紹介しま………

えっ、まさかとは思いますけど、この展開は………

ええ、わかっていますとも。こんなことをしても開けてもらえないことぐらい。 その場で調べてみたら、これは臨時休業のようなものではなく、通常の月曜定休でした。 私がお盆休みに入っていたので、日本全国休日モードになっているものと思い込んで、休日ならこのような施設は営業しているものかと……… とにかく、事前の調査が甘かったです。

岸和田城は本丸の全エリアが有料ゾーンなので、締め出しを喰らった(?)私は、ン十年前に訪れた時にはまだ存在していなかった二の丸広場観光交流センターで、浮いた入場料と時間をアイスカフェオーレに費やすことにしました。
あとは岐路に就くだけですけど、せっかくこちら方面を通っていくので、私は南海電鉄の堺駅で途中下車しました。 その駅前には………

与謝野晶子さんの銅像があるのですよ 彼女は明治から昭和にかけて活躍した女流歌人・作家で、堺市の出身であります。

しかも、箔母さんと名前が同じなので、私はどうしても他人には思えないのですよ。 晶子さん、いや、箔母さんのお父様が名付けをする際に、新聞か何かにたまたま出ていた与謝野晶子さんの名前が目に飛び込んできたそうです。 こちらの晶子さんは、書くより読むほうが好きなのですけど。
それはさておき、私には堺に来たらもう1ヶ所行っておきたいスポットがあるのですよ それは、堺駅から歩いていけなくもないところにある………

呂宋(るそん)助左衛門の銅像であります 彼は、安土桃山時代に堺で活躍した貿易商人です。 巨万の富を築いたのですけど、豊臣秀吉に疎まれ、ルソン(現在のフィリピン)に亡命 活躍の場をその地に移しました。 昭和53年(1978年)の大河ドラマ「黄金の日々」で主人公となり、松本幸四郎さん(現在の白鸚さん)がその役を演じました。

なんか、たまたま港から出ていく舟を見送るような絵となってしまいました。 そんな助左衛門さんに別れを告げて、私は帰りの道を急ぎました。 列車に乗ってからは小雨が降る程度でしたけど、今回の電車旅では目的はほぼ達成することができたので、予定より前倒しにして帰ることにしました。 途中でゆっくり晩ご飯を食べていくことも諦め、大垣までは順調に乗り継ぎができたのですけど、そこから先は列車の減便や運休に遭ってしまいました。 見た感じでは悪天候ではなかったのですけど、運行する側にしかわからない事情があるのかも知れません。
その後、なんとかトイレ付き車両の座席に座れたのですけど、通路は人で溢れていたので、トイレに近付くことはできませんでした。 それでも、当初の計画より1時間ほど早い21時ちょっと過ぎには、無事に帰宅することができました。 あとは家族と一緒に近場で外食して、台風7号を迎え撃つ……… いや、やり過ごすだけです。

その翌日は、予報通りに大荒れの天候となりました。 半強制的に外出禁止となったので、私はかえってゆっくり身体を休めることができました。 その一方で、そのような状況の中でもは外でトイレをする主義なので、雨だけでもやんだスキを狙って、私は彼女らを連れ出しました。 せめて私にとってのお盆休み最終日の16日だけでも、波と狛をどこかに連れていけるといいですね。 それと、台風がこの暑さも一緒に連れ去ってくれることを願っています。



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和歌山城の魅力に迫る(近畿四城訪問その3)

2023-09-02 01:44:45 | お城

グッドモーニング!白黒茶々です。

今までの箔波日記は深夜のラジオ放送で視聴者の皆さんに語りかけるイメージで綴ってきたのですけど、今回は朝の生放送の気分で入らせていただきます。 ということで、皆さまはよいお目覚めだったでしょうか? 私のほうはというと………

和歌山市のCITY INN WAKAYAMA(シティ イン 和歌山)さんで電車旅の2日目を迎え、ホテルに併設されているレストランに一番乗りをしました。 こちらはビュッフェスタイルなので、和洋を問わずに食べられるだけ盛っておきたいですね さらに、コーヒーの類は3杯いただきました。 朝の活力を注入した私は、和歌山駅前からバスに乗っていき………

和歌山城大手門の前に行き着きました。 こちらの門はお城の正門で、昭和58年(1983年)に復元されました。 この時点では小雨が降っていたのですけど、散策には問題ありません。 それでも、まだ時間に余裕があるので………

和歌山城の外側をぐるっと回ってから、入ることにしましょう。 まずはお城の東南側から、お堀を隔てて石垣や土塀、山上の外観復元された大天守が眺められる景観は、是非見ておきたいです。

江戸時代初期に建てられ、国の重要文化財に指定されている岡口門からも、大天守を臨むことができます。

和歌山城の南側には小高い丘があって、その山上には奥山稲荷社岡山の時鐘堂が設けられています。 そのうちのこちらの時鐘堂は、正徳2年(1712年)にその時の紀州藩主の徳川吉宗によって建てられました。 さらに、その高台からは………

砂の丸高櫓台の石垣の上に大天守を俯瞰する絶景が、私の目の前にありましたよ 稲荷社と時鐘堂の隣接地には、巨大な和歌山県立近代美術館があって、さらにその前の歩道には………

マツケンさん……… ではなく、8代将軍徳川吉宗公の騎馬像が立っています。 「暴れん坊将軍」を意識してるのは明らかなので、その主役を演じた松平健さんがモデルとなったといっても、いいのかも。 さらに私はお城の西側に差し掛かり………

砂の丸の入口の追廻門をくぐっていきました。 朱塗りのこの門は現存していて、市指定文化財。 ここからいよいよ城内の散策に入るのかと思いきや………

再びお城の外に出ていました。 その向かいに令和3年(2021年)10月末にできたばかりの和歌山城ホール5階の展望テラスからは………

先程の稲荷社や時鐘堂があった丘とは逆方向。 お堀と二の丸跡の向こうに、大天守小天守御台所北多聞乾櫓など、天守郡の一連の建物を臨むことができるのですよ この風景は、和歌山城を訪れた際には必ず見ておきたいです。
この周辺には、お城の見応えスポットがたくさんあり過ぎてなかなか城内に入っていけませんでしたけど、今度こそ本当にその核心に迫っていきます。

………とはいっても、まずは西の丸の内堀に沿って造られた紅葉溪庭園から入らせていただきます。 こちらは、虎伏山の急峻な地形を巧みに利用し、精緻な石組を配した回遊式庭園であります。

お堀に突き出すように建てられた楼閣は鳶魚閣 この庭園は国の名勝に指定されています。 また、その西の丸と二の丸を繋ぐ通路として造られたのが………

こちらの御橋廊下であります 残された図面や発掘調査の結果などをもとにして、平成18年(2006年)に復元されました。 渡る様子を外から見られないようになっていて………

現在は、靴を脱いで歩いていけるのですけど……… 高低差のあるところを坂道状に造られ、床は滑り止めのために鋸歯状に板が敷かれているのですよ。 「いたっ、いたっ、………」なので、心地よい痛みを感じながら進んでいかなければなりません。

和歌山城が築かれた虎伏山の麓には、「虎伏像」という虎の像が鎮座。 なんか、顔に愛嬌を感じますね。 私は北海道日本ハムファイターズの選手にあやかって、勝手に「とらいさん」と呼んでいました。

こちらもお城の見応えスポットの、松の丸櫓台の高石垣です。 この圧倒されるような石垣を眺めながら天守郡に近付く………

………前に、せっかくなのでそこから近いところにある、和歌山城公園動物園に寄っていきましょう 今となっては、お城の動物園は数少ない貴重なところで………

小規模でさすがにトラなどの猛獣はいないのですけど、ヤギウマなどの動物と逢うことができます。

それだけでなく、ペンギンフラミンゴといった鳥類や、ウサギカピバラさんなどの齧歯目も
この動物園では紀州犬が飼われていて、ふれあいタイムで交流できるという情報を掴んでいました。 実は私は、朝にお城を嘗めるように廻っていた際には、動物園のスタッフがその紀州犬を散歩させているのを見かけたのですよ。 「のちほど動物園で逢えるね 」と楽しみにしていたのですけど、この日は暑さのため、ふれあいタイムは中止となってしまいました。

お城動物園をあとにした私は、和歌山城の散策に戻りました。 先程の松の丸櫓台の高い石垣に続く坂を上っていき、さらにそこよりも高いところを目指していきました。 お城の主要部が築かれた虎伏山は2つの峰となっていて………

まずは本丸跡のほうに上りました。 こちらはかつて本丸御殿があったところで、大天守小天守を臨むことができるのですよ

前置きがかなり長くなってしまいましたけど、ようやく天守郡の下に行き着きました。 これまではあらゆる方向からこれらの建物を見てきましたけど、今度はそこからの眺望を楽しみます。

和歌山城のシンボルともいうべき天守郡は、江戸時代中期に黒板張りから白壁に改められました。 しかし、弘化3年(1846年)に落雷で焼失。 その4年後に再建された2代目の天守も、昭和20年(1945年)の空襲で焼けてしまいました。 現在の建物は、昭和33年(1958年)にRC構造で外観が復元されました。 そうしたら、410円の入場料を払って、その内部に入りますよ 皆さまも是非、私のあとに続いてくださいませ まずは石段を上っていき、楠門(二の門)をくぐって………

2重櫓や多聞櫓に囲まれたエリアに入りました。 手前の納戸蔵も戦後に外観復元されたのですけど、内部はトイレとなっています。

小天守の内側には、唐破風屋根の立派な玄関が設けられています。 こちらが天守郡の正式な入口となります。

和歌山城の大天守は、土台築造の技術が発達していなかったり、地形に合わせたりして、初階の平面は矩形ではなく不等辺四角形となっています。 なので、向こうにいくに従って狭くなっていくのがおわかりでしょうか?

また、3層天守としては規模が大きく、最上階もこれ程までにゆったりとした広さです。 さらに外側を廻る回廊に出ると………

和歌山市街はもちろんのこと、その向こうに紀の川の河口も臨むことができます。 現在の大天守には転落防止用のフェンスが設置されているのですけど、本来の高欄の高さは60cm程。 私の膝くらいなので、もし補助のフェンスがなかったら、優雅にまわりの展望を味わう余裕はなかったかも知れません。 それはさておき、小天守の屋根を見たら………

その鯱の上に、カラスが乗っていましたよ ある意味貴重な絵なので、勝手に撮らせてもらいました。

あとは順路に従って、天守郭を囲う多聞櫓などをぐるりと回りつつ降りていくだけです。 和歌山城は大天守小天守と、乾櫓二の門櫓の2つの2重櫓を多聞櫓で繋げた連立式の構造をしています。 姫路城松山城も同じ形式で、いずれのものも小高い丘の上にあって、景観的にも意匠的にも素晴らしいです。 先述した通り、和歌山城はRC構造で再建されたのですけど、なぜか楠門(二の門)の部分だけは木造なのですよ。

その頃、台風7号が本州に迫ってきていました。 その情況によって、あとの予定を変えることも考えていたのですけど、果たしてどこまでいけたのか?それよりも、私は無事に帰れたのでしょうか? 泣いても笑っても(?)、近畿四城訪問シリーズは次回で最後となります。


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