波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

展覧会のあとのお楽しみ(日本スピッツ協会展覧会その3)

2022-10-29 01:18:55 | ワンコイベントの類

こんばんは、白黒茶々です。

前々回の終盤あたりから、私はとともに荒川河川敷の平井運動公園でおこなわれている日本スピッツ協会の展覧会(以降は「スピ協展」と略させていただきます)に来ています。

時刻は13時近くで、スピ協展の午後の部が始まったあたりです。 前回の会場だった江戸川河川敷の篠崎緑地からは見えなかった東京スカイツリーが、こちらでは近くに感じます。 その会場の様子をスマホカメラで撮っていたら、その画面にいきなり「QRコードの読み取り成功」なるメッセージが表れました。 気になるので、タップしてみましょうか?
※茶々さん、思いっきり怪しいので絶対に手を出さないでください!(編集部警告)
迷わずに入り込んでみたら………

このようなものが出てきました。何ですかコレは? カメラの感度が良すぎて、地面や草をQRコードと認識したのかも知れません。 好奇心旺盛な私は、無視できなかったのですよね。 とかなんとかやっていたら………

スピ協展ではすっかりお馴染みとなっているスピカちゃんが、会場に姿を現しました。

スピカちゃんのママさんに甘える波と狛。 そんな恥ずかしい(?)姿を私に撮られているとも知らずに。

せっかくなので、陽さんリコちゃんモコちゃんたちと一緒に集合写真を撮りました。 その一方で………

スピ協展の審査は終盤に差し掛かっていました。 その結果や、どの子が賞をもらったのかは見逃してしまいました。 これをもって今回のスケジュールは終わりかと思いきや………

その会場に、てきぱきとアジリティーのコースが造られました。 これからここで、その道を極めたワンコのデモンストレーションがおこなわれるみたいですね。

それから間もなくして、模範演技が始まりました。まずは、ヴィヴィアル家のひ孫の禄君からです 彼は飼い主さんと一緒に走りながら、数あるトラップを難なくクリアしていきました。 そして、あっという間にゴールしてしまいましたよ。

今度は、ベテランのおもちちゃんの出番となります カンペキな演技。もう見事としか言うしかありません。 観るだけでも満足できたのですけど、終わってからは私たち見学組も自由に使わせてくれるというではありませんか これは是非、体験しておかなければ

………ということで、まずはハードルから入ります。

お試しということもあって、かなり低いのですけど、波は難なくクリア。

彼女に続いて、狛も飛び越えることができました。

次はトンネルを潜りますよ ベイト(ご褒美)で釣ったら、波は出てきてくれました。

すんなりとはいきませんでしたけど、狛も通り抜けることができました。

ドッグウォークは、2頭まとめて通過していきました。 落ちそうで落ちなかったのが、よかったですね。 それらの他にも、等間隔に立てられたポールをジグザグに歩くスラローム、上り坂が途中で下り坂になるシーソー、火の輪……… ではない輪っか潜りがありました。 波と狛はすべての障害を突破することができたのですけど、これは他のワンコイベントでアジリティーを体験したことがあるからでしょうか? なんてやっていたら………

まくりちゃんがやって来ました スピ協展が新左近川親水公園でおこなわれていた頃に1度お逢いして以来なので、2年ぶりぐらいでしょうか? 最後の最後で再会することができて、よかったです。

波&狛と記念撮影をしたら………

まくりちゃんもアジリティーに挑戦しました。 そうしたら、得意の(?)まくり差しで突破してくださいませ

そのあとは、スピカちゃんも含めて写真を撮っておきました。 これもいい記念になりますね。 そのあとは………

クララファミリーに見送られながら……… 私が勝手にそう思っていただけかも知れませんけど、名残惜しい気持ちを抱きつつ、会場をあとにしました。 そうしたら、大荷物や波狛を引っ張りながら平井駅まで歩いていかなければ……… と思っていたら、モコママさんが車で送ってくださると言うではありませんか しかも、東京駅まで。 私たちはそのご厚意に甘えさせていただくことにしました。

おかげで、難なく東京駅にたどり着くことができましたよ 乗り換えの手間も減ったので、ありがたいです。 それに、赤レンガの駅舎も見ることができましたし。 モコママさん、ありがとうございました。

さらに丸の内南口のドームの天井も、久しぶりに見上げてみました。 しかし、久しぶりの東京駅ということもあって、四方八方から迫ってくる人にぶつかりそうになったり、これから列車に乗り込む東海道本線のホームがすぐに見つからなかったりしました。 それでも、予定していた列車に無事に乗ることができました。 ここまでこれたら、もうこっちのものです これまでの疲れもあって、波と狛はキャリーの中で爆睡。 私も途中からそれ以上に爆睡していたこともあって、帰路の時間はあまり長く感じませんでした。 そして、東京駅から5時間ほど経って、私たちの地元の駅に戻ってくることができました。 さらに私たちは、そこから車で5分ぐらいのところにある………

炭焼きレストランさわやか湖西浜名湖店に向かいました。 はい、静岡県のローカルチェーン店でありながらも、全国的に有名なファミリーレストランであります。 実はこの日はこちらのさわやかで締めるために、今までと違う駅を利用したのですよ。 そのさわやかは私の実家の近くにあったのですけど、今年の7月に4kmほど北東の現在地に新築移転。 なので、私がこちらのお店を訪れるのは、今回が初めてとなります。 それにしても、より愛知県側に近づいたからでしょうか?移転前よりお客が増えているような気がします。 
私はその地元に住んでいていつでも行けるのですけど、身近過ぎるのでかえって足が遠のいているのかも知れません。 それでも、この日は遠出をした非日常モードで、東京から戻ってきた勢いも手伝って、さわやかに行く気マンマンでした。 しかし人気のお店ということもあって、待ち時間が60分となっていました。 私たちが入ったのが20時50分ぐらいだったのですけど、オーダーストップは22時。果たして間に合うのでしょうか?

21時50分頃になって、ようやく席に案内してもらうことができました。 私が手にしているメニュー表には、こちらのお店でしか味わえない焼き野菜が載っています。 いずれのものも炭火で焼かれているのですけど、その焼き加減が絶妙で、野菜のシャキシャキ感は残っているそうです。 しかし、私はすでに注文するメニューを決めてきてあるのですよ それからしばらくして………

私のテーブルに、そのメニューが運ばれてきましたよ さわやかといえば、げんこつハンバーグ(250g)や、それよりやや小さめのおにぎりハンバーグ(200g)が有名ですよね。 さわやかでは毎月中旬ぐらいに「げんこつ おにぎりフェア」というのをやっていて、ハンバーグの単品価格+110円でパンまたはライスに野菜スープ、ドリンクが付いてくるげんこつ倶楽部またはおにぎり倶楽部というお得なセットが味わえるのですよ しかも、ドリンクをブレンドコーヒーにすれば、おかわり自由になるときたもんだ そのおかわりは、オーダーストップ後も対応してもらえました。

ちなみに私が選んだのはげんこつ倶楽部のほうで、1265円でした。 肉は多少赤身が残っているのですけど、その焼き加減がまたいいのですよね。 それらを食べていると、自然と笑顔になってしまいます。
終盤はさわやかのほうで盛り上がってしまいましたけど、その日は私たちにとっては盛りだくさんで充実した1日となりました。 関東のほうのお仲間と逢う機会はなかなかないので、スピ協展の次の開催を楽しみにしています。


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荒川河川敷の会場に集まった白ふわたち(日本スピッツ協会展覧会その2)

2022-10-26 01:56:09 | ワンコイベントの類

こんばんは、白黒茶々です。

前回からの続きで、私は波&狛とともに日本スピッツ協会の展覧会(本部展、略して「スピ協展」)の会場となる荒川河川敷の平井運動公園(の真ん前)に来ています。 出陳組と見学組で賑わっているその会場に、これから斬り込みに……… いや、突入いたします。

そうしたら、いきなりヴィヴィアル家と行き逢いました。 私たちが彼らと逢うのは、横浜で最後に開催された日本スピッツクラブの展覧会以来なので、4年ぶりぐらいでしょうか? その間に亡くなったり新たに迎え入れたりして、お互いに一部のメンバーが変わっていました。 ちなみにヴィヴィアル家はときどきメンバーに加わる小夏ちゃんも含めて6頭で、今でも大家族でした。 そんなヴィヴィアル家のママさんに、波はしつこく付きまとっていました。 以前におやつを頂いたことを、ずっと覚えていたみたいです。 ということは、今回は最初から貰う気マンマンということに。 この食いしん坊

こちらは、私たちにとっては始めましてのハク君です。 スピ協展には初めて来たそうですけど、彼の名前を聞いて私はウチの初代スピッツののことを話さずにはいられませんでした。 「はく」という名前の響きは、今でも好きです。

健大君と一緒にいるのは、金太郎君です。 金太郎は11kgで、スピッツのなかでは大きいほうなのですけど、健大君はその倍の22kgもあるのですよ まさに最大級のスピッツなのですけど、そのフォルムはサモエドっぽくはないのですよね。

そうしているうちに、(ひかり)君もやって来ました。 見学組ながらも、スピ協展の会場にはいつもいる陽君。 彼は独特な空気を放っているというか、世界観があるのですけど、私たちにとってはその姿を見たらホッとできる存在でもあります。

それからしばらくして、出陳組も見学組も含めて、会場に居合わせたスピッツ全員で集合写真を撮ることになりました。 これをもって、午前の部のスケジュールは終わりとなります。 しかし、前回写す側に回って協力してくださったシロダヌキさん夫妻は今回は都合がつかず、私たちは単独で来ていたので、撮影直前の様子を撮ったあとは、写される側に徹しました。 以前のように三脚にカメラを据えて、ワンコを抱えてタイマーのボタン押しと被写体側との行ったり来たりは、今回は2頭いるのでさすがにムリでした。

午後の部までのインターバルの時間は、緩やかに過ぎていきました。 お昼ご飯を食べ終わったら………

お仲間たちと記念写真を撮りますよ 陽さんやホイップ君たちと写したあとには………

さらに白ふわの数が膨れ上がりました。 19頭も揃うと、壮観ですね。

こちらでも記念撮影をしていたので、撮らせていただきました。 目がいきいきとしていて、いいですね。

私たちより遠い愛知県から来た、まりんちゃんしぇるちゃん親子。 彼女たちは午後の出陳に備えているところです。

そうしているうちに、午後の部が始まっていました。 手もとにスケジュール表がないのでどのあたりの審査なのかわからないのですけど、終盤に近づいているみたいです。

こちらは、健大君の弟の康大君でしょうか? 健大君よりはやや小さめですけど、やはりでかスピの類に入ります。

さらに組み合わせを変えて撮ってみました。 モデルの後ろにも、スピッツが溢れていますね。
目の前に白ふわ仲間がいると、ついたくさん写真を撮りたくなってしまいます。 普段はなかなかそのような子たちと逢うことがなくて、スピッツは希少種だということを実感させられているのでムリもない。………ということにしておいてください。 そんな白ふわ天国の宴も、次回でお開きとなります。 今回は、その最後のあたりにある催しが用意されていたのですけど、その内容と帰りの様子などについては、次回の日記に書かせていただきます。 ということで、ここまで来たので、皆さまは最後までお付き合いくださいませ



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いざ、東京へ!(日本スピッツ協会展覧会その1)

2022-10-22 01:23:43 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

気付いたら10月下旬になっていて、これから紅葉の時季を迎えようとしているのに、暑かったり寒かったりしてハッキリしない日が続いていますけど、皆さまはいかがお過ごしでしょうか? そんな中、全国各地で秋のワンコイベントがおこなわれるようになりました。 そのようなところには、たくさんのワンコが集まりますよね。 そういえば、私やはカインズホーム以外のところでは他のスピッツと逢っていないので、10月16日に東京でおこなわれる日本スピッツ協会の展覧会(本部展、以降は「スピ協展」と表記させていただきます)に行くのを楽しみにしていました。
しかし、その直前まで天気予報が二転三転するのはもうお約束となっています。 スピ協展は雨でも会場を変えて開催することになっているのですけど、私は大荷物を抱えて移動するので、そうなった場合はすっぱり諦めるつもりでいました。 果たして、当日の天気はどうなるのでしょうか?

10月16日の早朝とはいっても日の出前に、私は波と狛を散歩させていました。 はい、雨になる心配はなさそうなので、早い時間からスピ協展に行く準備をしているのですよ そのあと、私のほうの支度も済ませたら………

最寄りの駅から始発列車に乗っていきますよ その駅名は伏せておきます……… って言いつつも、画像に写っているのですけど。 とにかく、ワケあって今回はいつもより1つ西側の駅を利用することにしました。

列車に乗るためには、波と狛はキャリーの中に入っていなければなりません。 もうすっかり慣れっこなのですけど、その中でおとなしくしていてくださいませ。 それから1時間半ほど後には………

私たちは静岡駅で一旦下車しました。 その駅前には徳川家康の幼少期の竹千代君(ぎみ)の像があります。さらに、数年前に今川義元の像も追加されたのですよ 私たちが義元像を見るのはこの日が初めてで………

斜め後ろから竹千代を見つめるお顔は、勇ましさの中に優しさも含んでいます。 私たちは2週間前に、桶狭間古戦場公園で彼の像を見てきたこともあって、より親近感を抱きました。 そんな彼らに………

波と狛のリードを預けてみました 家康は8歳から桶狭間に出陣する19歳になるまでの間、義元のもとで人質生活を送っていました。 人質とはいっても、頭領になるための教育を受けたり、瀬名築山殿)との縁談を持ちかけられたりして、大事にされてきました。 またしても、来年放送される大河ドラマ「どうする家康」の前乗りをしてしまいましたね。 桶狭間の戦いは「家康の9大危機」の1つに数えられるのですけど、順位をつけるとしたら4位になります。 ちなみに上位の3つは、三河一向一揆三方ヶ原の戦い伊賀越えとなります。 とにかく桶狭間の戦いは、彼にとっては大きな転機にもなりました。
………なんてやっているうちに、次に乗る列車の時刻が迫っていましたよ 波狛日記用に静岡駅の全景も撮るつもりだったのですけど、そんな余裕はありません。 エレベーターやエスカレーターに乗っていたら間に合わないので、波と狛在中のキャリーを両手に提げて地上3階にあるホームまで階段を駆け上がることに。 ええ、その際には、後で身体にダメージがくる界王拳の4倍ぐらいを使いましたよ
ハアハア……… かなり息切れしてしまいましたけど、なんとか予定の列車に乗り込むことができました。 そんな静岡駅を出てから34分後には………

車窓から富士山が見えてきましたよ まだ冠雪してないのですけど、雲に隠れることもなくくっきりハッキリと姿を現してくれました。

さらに私たちは、三島駅で新幹線に乗り換えました。 静岡駅の途中下車で時間を費やしたので、こちらでは駅の外には出ませんでした。 東西に長い静岡県は全国で最多の6つの新幹線の駅があるのですけど、のぞみ号は全てスルーする区間となっています。

それはさておき、私たちはいつもの如く、三島駅が始発のこだま号の指定席のうちの、特大荷物スペースつき座席を利用しました。 こちらの席なら、ゆったりしながら東京までひとっ飛びすることができるのですよね。 それに、スマホの充電もできますし。

とはいっても、この日私が乗った車両はガラ空きでした。 そして、地元の駅から約4時間後の9時48分に東京駅のホームに降り立つことができました。 ただし、まだゴールではありません。 私は波と狛のキャリーを転がしながら山手線に乗り、さらに秋葉原駅からは総武本線に乗り換えていきました。 その車窓から両国国技館東京スカイツリーを仰ぎつつ………

目的地の最寄り駅となる、平井駅に行き着きましたよ しかも、予定していた時刻通りに。 前回は乗り換える際に迷ったりホームを間違えたりしたのですけど、今回は順調過ぎるぐらいでした。 あとは、日本スピッツ協会の展覧会の会場となる平井運動公園まで歩いていくだけです。 ここからは、波と狛にも自分の足でいってもらいますよ。 地図情報では徒歩10分程とのことでしたけど………

信号待ちの時間も含めて20分余りかかりました。 それでも、荒川の堤防を越えたら、すぐに白ふわが集まっている光景が、私たちの目に飛び込んできましたよ 前回、江戸川の河川敷でおこなわれた際には、そこからなかなか会場を見つけることができなかっただけに、私たちのテンションは上がりまくっていました。 果たして、その会場ではどのような出逢いや触れ合いがあるのでしょうか? ということで、次回は私たちがそこに乱入するところから入らせていただきます。


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桶狭間古戦場ってどこですか?

2022-10-19 00:54:14 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

10月初旬の日曜日に、私はとともに知多や大高方面を訪れ、お城や公園、現在は教習所となっている野球場の跡などを巡りました。 それは前回の日記の終盤あたりから桶狭間の戦いに関するスポットに切り替わっていったので、今回は最初からその流れでいかせていただきます。 その歴史に残る合戦を追っていくので、私たちが実際に訪れたのと多少順番が違うところ(途中で夕方になるなど)があっても、突っ込みたい気持ちを抑えつつ読んでいってくださいませ。

………ということで、私は名古屋市緑区にある鳴海城跡にやって来ました こちらでの調査がすぐに終わることを見込んで、波と狛は近くの有料駐車場の車の中に置いてきました。 こちらは桶狭間の戦いが起こる前に、今川義元に下ったお城であります。 しかし、現在そのあたりは公園となっていて………

戦国時代のお城の面影はありません。 その代わりに、富士山滑り台が存在感を放っていました。 鳴海城はこのあたりにあったと思われるのですけど………

その公園から路地を出て、通りを隔てたところにある天神社(あまつかみしゃ)の境内に、なぜか昔ながらの鳴海城の城址碑が立てられていました。 さらに、そこから東に650mほど行ったところに………

砦公園があります。 今でも北側の展望が開けているこの場所は………

鳴海城を奪還するために、織田信長が永禄2年(1559年)に築いた善照寺砦だったところです。 信長は合わせて丹下砦中島砦も築いて鳴海城の包囲網を敷きました。 しかし、後者の2ヶ所は現在は跡形もなくて、細い路地を入ったところで行きにくいので、善照寺砦だけでご了承くださいませ。

それはさておき、私たちは豊明市にある沓掛城跡にやって来ました。 こちらは現在は整備が行き届いていて、見学者用の駐車場やトイレも備えられているので、ゆったりと散策することができそうです。 波と狛は充分に休ませたので、そろそろ一緒にお城歩きを………

………って、こちらはワンコ禁止だったのですか この注意書きを見てしまったからには、無視するワケにはいきません。 波ちゃ、狛ちゃ、すまない。 急いでお城を見てくるので、それまでまた車の中で待っていてくださいませ。

沓掛城は、本丸を囲む土塁空堀が良好な状態で残っていました。

こちらのお城も今川方に下っていて、今川義元は桶狭間の戦いの前夜に宿泊していきました。 そしてその翌日となる永禄3年(1560年)5月19日に大高城を目指し、25000人(一説では45000人)の軍を率いてこのお城を出発しました。

そんな今川義元の軍に追随して、私たちも名古屋市緑区の桶狭間古戦場公園にやって来ましたよ こちらには、今川義元と織田信長の銅像が建てられています。両者とも勇ましくて、仲良く(?)並んでいますね。

尾張に侵攻してきた今川義元の軍はその日大雨に見舞われこともあって、この古戦場公園からちょっと坂を上がったおけはざま山に陣を構え、休息することにしました。 そのあたりは現在は住宅地となっているのですけど、歩いてすぐのところに石碑が立てられているので、行っておけばよかったです。
その一方で、3000人の軍を率いた織田信長は桶狭間を目指していました。 そのうちの1000人は別行動を取るようにしたので、実質わずか2000人だけで信長は今川の陣に斬り込んでいったのです 信長軍は前方に展開していた今川の前衛軍を打ち破り、その混乱の中で本陣に攻め込む乱戦となりました。

不意を突かれた義元は、300人ほどの旗本に守られながら逃げたのですけど、すぐに追い付かれてしまいました。 そんな彼に立ち向かっていったのは、服部一忠 義元は一忠に一番槍をつけられながらも、反撃して膝を切り割りました。 しかし、その直後に毛利新介によって組み伏せられ、討ち取られてしまいました。 「今川義元、討ち取ったり 」という新介の声が戦場に響き渡ると、今川軍は戦意喪失。 さらに総崩れとなり、この決戦は織田軍の大勝利をもって幕を閉じました。
古戦場公園内の義元が命を落としたとされている場所には、石碑が立てられています。

さらにこちらの公園には、桶狭間やその周辺の地形を模した庭園が造られています。 その中でも、私が先ほど訪れた砦や出城を四角い石で表しているのがなんとも。 その桶狭間古戦場公園から北東に1.2kmほど行った豊明市のほうにも………

なんと、桶狭間古戦場があるのですよ こちらは伝説地とされているのですけど………

現在公園となっているその地は、古くから合戦があった場所と云われていて、いくつかの石碑などが立てられました。 ちなみにこちらは、江戸時代中期に立てられた七石表1号碑)で、今川義元が戦死した地点を示したものとしては最古なのですよ。

そのすぐ近くには、義元のお墓があります。 このあたりには弔古碑があったのですけど、通りかかった旅人が義元の墓と間違えて香華を手向けたりしていました。 それを見かねた有松の住人の山口正義が、明治9年(1876年)に建立し、祈りの場としました。 この伝説地は国の史跡に指定されています。今回私は行かなかったのですけど、通りの向かい側にある高徳院の境内に今川義元の本陣があったと云われています。

さらに公園内には、古くからあって深みもある「桶狭間古戦場趾」の石碑が立っています。 合戦は広範囲に及んだこともあって、今川義元の本陣や彼が討ち取られた場所を特定するのは難しいです。 そのような中、名古屋市緑区と豊明市が古戦場の本家本元争いをしているのでしょうか? いずれにしても、ともに見どころや写真映えするところがたくさんあるので、両方訪れることをオススメします。



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大高緑地と周辺の砦の攻略法

2022-10-15 01:06:08 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

前回の日記のラストで予告した通り、私はとともに名古屋市緑区にある大高緑地という広大な公園を目指しました。 お昼の時間帯ということもあって、歴史散策からはちょっと離れてこちらで休もうというワケです。 今回はその第6駐車場から入っていったのですけど、そこは遊具や恐竜広場に近くて住宅地に面しているからでしょうか?混んでいて、駐車する場所を確保するのに苦労しました。

そのような過程を経て、ようやく大高緑地(の恐竜広場)にたどり着きましたよ 波と狛の後ろにいる巨大な恐竜には大ちゃん高ちゃんという名前がついていて、ともに近くを走る列車の窓からも見ることができます。

その近くには動物の遊具もあったのですけど、なぜか波はシマウマに過剰に反応していました。 しかし、ライオンなどにはあまり食いつきませんでした。
ワンコを連れて大高緑地に来たら、やっぱり園内にあるドッグランはハズせませんよね 久しぶりに来て位置関係があやふやだったのですけど、案内図では近くにあったので、そこまで歩いていくことにしました。 しかし、なかなかたどり着けなくて……… そういえば、先ほど見たものはかなりデフォルメされていたような。 しかもそのドッグランの近くには、私たちが車を止めてきたところよりも広くて空いている駐車場がありましたよ

………という気付きや発見を経て、ようやくお目当てのドッグランにたどり着くことができました。 こちらは入場無料で、必要最低限のマナーは守らなければならないのですけど、監視員などはいないので、気軽に利用することができるのですよ そのあたりは昔からのままでよかったです。

1通り先客のワンコたちとあいさつしたら、いよいよリードを外します。 さあ、思い切り走ってくださいませ

しかし、波はひたすらバケツの水を飲み続け、狛は柵内を歩き回るだけでした。 この日は走る気分ではなかったのでしょうか? そのあと、波と狛には車の中で休んでいてもらい………

私は大高緑地から近いといえなくもないところにある、鷲津砦跡に向かいました。 現在は麓が公園となっているこの場所は………

今川義元のもとに下った大高城を奪還するために、織田信長が永禄2年(1559年)に築いた砦の1つです。 せっかくなので、その砦があったという丘に登っていきます。

ハアハア……… その頂上には、慰霊碑と思われる石碑がありました。 丘の上のどこかに城址碑も立てられているみたいですけど、見つけることはできませんでした。
鷲津砦は、桶狭間の戦いがあった永禄3年(1560年)5月に、今川方の朝比奈泰朝が率いる2000人の軍勢に攻められ、陥落。 この時、多くの城兵は命を落としたと云われています。 しかしここだけの話、現在鷲津砦があったとされているこの場所では、それを裏付けるような発掘調査などはおこなわれていないので、「推定地」か「伝説地」としておいたほうがいいのかも知れません。 その向かいにある明忠院の裏山のほうが位置的にも史実に近いので、もしかしたらそちらを掘ったら何か(人骨とか?)が出てくるかも知れません。
とにかくこちらを見終えたので、次の目的地に向かいます。 鷲津砦から東南に400m、大高緑地の第6駐車場からは西北に300mのところの住宅地の坂を登っていったところに………

丸根砦跡はあります。 こちらも鷲津砦と合わせて、織田信長によって永禄2年(1559年)に大高城奪還の戦略的に重要な位置に築かれました。 その翌年の5月の桶狭間の戦いの前哨戦では、佐久間盛重が守っていたのですけど、今川方の松平元康(のちの徳川家康)の軍に攻められて全滅。

その山頂には「丸根砦戦殉難列士之碑」という慰霊碑が立てられていて………

さらに、西のほうに大高城跡を臨むことができます。 この勢いのままそちらのお城にも行きたかったのですけど、歩いていくには遠くて、近くに車を止められるようなところがなかったので、攻略は断念することにしました。
………と、気付いたら私は桶狭間の戦いに関するところを巡っていました。はい、これは来年の大河ドラマ「どうする家康」の前乗りも意図しています。 これからというか、次回でこの歴史散策シリーズは完結させる予定ですけど、これからさらにその核心部に迫っていきます。 ………と言いつつも、ちょっとそのコースから外れて寄り道していってもいいでしょうか? そこも歴史に残る戦いの舞台となったところですけど………

私たちは名古屋市緑区鳴海町にある名鉄自動車学校にやって来ました。 その教習コースの外側に、古いスタンドみたいなものがあるのがおわかりでしょうか?

はい、実はこちらはかつて鳴海球場があったところなのですよ 名古屋鉄道(名鉄)の前身の愛知電気鉄道が沿線開発の一環として、当時の鳴海町内で野球場の建設に着手しました。 「東の神宮、西の甲子園に負けない本格的な球場を 」という概念の下で設計され、昭和2年(1927年)に完成しました。 約20000人収容のスタンドを有し、両翼106m、中堅132mのグラウンドは、現在の野球場の国際規格(両翼100m、中堅122m)を遥かに上回っていました。 さらに、メインスタンドには後に鉄傘が設けられ、甲子園のアルプススタンドに倣って「伊吹スタンド」と命名されました。

こちらは三塁側の内野スタンドとなります。 昭和6年(1931年)と昭和9年(1934年)にはこの球場で日米野球がおこなわれ、ルー・ゲーリックベーブ・ルースがその試合に出場しました。 さらに昭和11年(1936年)2月9日には、職業野球連盟に属する球団の東京巨人軍名古屋金鯱軍が対戦しました。 そう、この球場で全国で初めてのプロ野球の試合がおこなわれたのです ちなみに結果は、10対3で金鯱軍が勝ちました。

三塁側のスタンドを外から見ると、こうなります。 鳴海球場は、戦時中は金属供出のために鉄傘を撤去されたり、日本軍に接収されたりしたのですけど、戦後は再び野球場として利用されることに。 しかし中日ドラゴンズとして再編した球団は、昭和23年(1948年)に名古屋市中川区に建設された中日スタヂアム(現在のナゴヤ球場)を本拠地に定め、鳴海球場の存在感は薄れていきました。

教習コースのど真ん中の植え込みには、黄金のホームベースが埋め込まれています。 まさにこの場所に球場のホームベースがあったそうです。 その後、鳴海球場は高校野球などアマチュア主体で使われていたのですけど、昭和25年(1950年)に、ホームランを出やすくするために外野の両翼にラッキーゾーンを設置。 これにより、グラウンドは両翼91m、中堅123.5mに縮小しました。 さらに起死回生を狙って、プロ野球の公式戦を多数開催することを見込んでスタンドを増築し、収容人員は約40000人にまで増加しました。
しかし、プロ野球の公式戦はほとんどおこなわれなくなり、ドラゴンズの二軍も練習の拠点を移転。 さらにアマチュアの利用も減って、球場の経営は悪化しました。 そして昭和33年(1958年)10月をもって閉鎖してしまいました。 その後、球場の跡には自動車学校が造られたのですけど、地元の住人の要望もあって、スタンドは残されました。 バックネット裏など、一部は取り壊されたのですけど、このような経過を経て今日見られるような姿になったのですね。

今よりは席の間が狭くてぎゅうぎゅう詰めなうえに立ち見もあっての40000人収容だとは思うのですけど、それは現在のプロ野球球団の本拠地でも大規模な部類に入ります。 さらにそのグラウンドで歴史に残る試合がおこなわれたと思うと、ロマンを感じます。
そうそう桶狭間の戦いでは、今川義元が率いていた兵は25000人とも45000人とも云われています。 そのような大軍に、織田信長は2000人で襲撃していったのですよね。 ということで、次回は波&狛とともにその舞台となった場所を巡ります。


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知多の海際で向かい合うお城

2022-10-12 00:49:59 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

前回からの日記のノリというか勢いのまま、私はとともに次の目的地を目指して、東海市の聚楽園公園から南下していきました。 実際には最初に大草城跡を訪れたのですけど、話の構成の都合でその次に行った大野城跡のほうを先に採り挙げさせていただきます。

………ということで、やって来ましたよ 大野城跡に。 こちらのお城は常滑市の北西部の小高い丘の上にあります。 その南側は住宅地となっているのですけど………

本丸跡の周辺には空堀の跡を確認することができて、戦国時代の城の面影を感じることができます。

その本丸跡に、天守っぽい建物が見えてきましたね。 このあたりでこのお城の説明をさせていただきます。
大野城は観応年間(1350年~1352年)に、一色範光によって築かれたのが最初と云われています。 のちに佐治宗貞が入城し、4代目の一成までの100年の間、佐治氏による統治が続きました。

その本丸の南側の櫓の跡は、現在は佐治神社(略して「さじんじゃ」)となっていて………

ちょっと小ぢんまりとしているのですけど、塀に囲まれた神域の中には………

佐治一成の石像が鎮座しています。 平成23年(2011年)に大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」が放送されました。 その主人公にもなった浅井三姉妹の末っ子のお江小督)は、10歳のときに最初の嫁ぎ先となる大野城の一成のもとにやって来ました。 しかしその3年後に、一成は小牧・長久手の戦いの際に、羽柴(のちの豊臣秀吉と敵対していた徳川家康に手を貸しました。そのことに激怒した秀吉は、一成とお江を離縁させ、さらに彼を大野城から追放してしまいました。

その後、大野城には織田長益有楽斎)が入ったのですけど、水利が悪いこともあって、彼が新たに築いた大草城に移り住んだことによって、廃城となりました。 その本丸跡には、昭和50年(1975年)に小さな模擬天守が建てられました。 はい、先ほど見えていたお城のようなヤツです。 その建物は無料で解放されていて………

鉄筋コンクリート製の構造や、ちょっとした掲示資料などを見ながら上っていくと………

最上階の回廊からは、伊勢湾などを臨むことができます。

さらにその北西には、お城のような建物が見えますね。 あのあたりはまさに先述した大草城があったところで、市の境をまたいだ知多市に位置しています。 今から話の中ではそちらにひとっ飛びするところなのですけど………

その前に、ちょっと寄り道してもいいですか? 大野城跡に造られた城山公園内には遊具広場があって、その中の亀の遊具が可愛かったので、波狛と一緒に撮っておきました。 そうしたら、いよいよ場面を大草城跡に切り替えます。

………ということで、大草城跡にやって来ましたよ 正確には見学者用の駐車場ですけど、すでに後方にお城のような建物が見えていますね。 いきなりそこに迫るのもナンなので………

まずは、お城を巡っている遊歩道から入っていきます。 ちなみに向こうに見える池のようなところは、かつての水堀にございます。

こちらの土手は、本丸と二の丸を仕切る土塁であります。 お城の遺構をいくつか確認したところで、このお城の説明に入らせていただきます。
大草城は、佐治一成に代わって知多郡を統治することになった織田長益有楽斎)によって築かれました。 その時期については諸説あるのですけど、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの後に長益が摂津国(大阪府)に移封されることになったため、工事は打ち切られ、大草城は未完成のまま廃城となりました。 江戸時代に入ってからは、この地方に封じられた山澄英龍が麓に屋敷を構え、歴代にわたって城址を保全したおかげで、大草城の保存状態はきわめて良好なのですよ。 さらにその本丸跡は………

広めに縄張りされたその大部分はグラウンドとして利用されているのですけど、その一角には昭和54年(1979年)にお城を模した展望台が建てられました。 天守台にあたる土台の四方に出入口が開けられているところは、洲本城の模擬天守を連想させます。 ただし、洲本城のほうは老朽化で危険なため、模擬天守に上る階段は取り外されているのですけど。

大草城の模擬天守は、無料で解放されていていました。 規模が小さい展望台ということもあって、展示スペースはほとんどないのですけど………

最上階の回廊からの視界は開けていました。 しかし逆光ということもあって、大野城を見つけることはできませんでした。

それでも、西側では伊勢湾を臨むことができました。 大草城でのミッションは、以上で終わりです。 1日に凝縮した歴史散策シリーズはまだまだ続くのですけど、次回はその舞台を名古屋市緑区にある広大な公園に移します。 そちらの公園は、私は先代犬のと一緒に訪れて以来なので、10ン年ぶり。波と狛にとっては初めてとなります。 さらにその公園には、スピッツとの遭遇率が高いというウワサがあるのですけど、それは昔のこと。 果たして、その伝説(?)は現在でも生きているのでしょうか?………と、さんざん話を膨らませたところで、次回に続けさせていただきます。



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秋の歴史散策 ………の前段階

2022-10-08 05:07:32 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

秋といえば、行楽のシーズンでもありますよね さらに、歴史散策もしたくなります。 ………と言っておきながらも、私としては季節に関係なく歴史散策に行きたくなるのですけど。 9月に入ってからは、休日が雨だったり予定が入っていたりしてなかなか実行できなかったのですけど、10月初旬にようやくそのチャンスが廻ってきました。 しかし、今回は行きたいところをこれでもかというほど盛り込んだ欲張ったコースにしたので、前日の土曜日の夜に家を出発することにしました。 もちろん、も道連れに……… いや、一緒ですよ

………という勢いで、やって来ましたよ 愛知県西尾市にある道の駅にしお岡ノ山に。 このときの時刻は0時28分。ウチからは、バイパスに乗っていったら1時間半弱でたどり着くことができました。 前述したように、翌朝からコトをスムーズに進められるようにという理由もあったのですけど、こちらで波狛とともに車中泊で非日常の気分を味わってみたかったのですよ。 とにかく、朝早くから行動するので、すぐに寝る支度をしましょう。

………ということで、翌日の日曜日になりました。 波&狛と一緒に、道の駅のまわりを散歩していたら、きれいな日の出を見ることができました。

戻ってきたら、せっかくなので「道の駅にしお岡ノ上に行ってきました 」写真を撮っておきましょう ちなみに私たちは今回初めてこちらを訪れ、夜営をしました。

ブラッシングなどを済ませたら、ワンコの朝ご飯と相成ります。 普段とは違う、青空の下で食べるご飯の味はいかがでしょうか? そのあとは、いよいよ私の番となります。

道の駅のレストランは7時からやっているので、ありがたいです。 こちらでの目的は……… 皆さまはすでに察していらっしゃると思いますけど、もちろんモーニングですよ

こちらでは、トーストにはコンソメスープ、おにぎりには豚汁を組み合わせたモーニングを食べることができるのですよ さらに、ともにゆで玉子とサラダが付いていて、コーヒーはおかわり自由。 しかも、これほどの内容で、500円のワンコインときたもんだ 私はおにぎりにしたのですけど、ほとんどの他のお客も同じものを選んでいました。 ちなみに具は鮭でした。はい、道の駅にしお岡ノ上に来た3つ目の理由は、このモーニングだったのですよ。

あと、もう1ついいですか? 私は今回は買わなかったのですけど、こちらには珍しい焼きいもの自動販売機もありました。 芋の種類は紅はるかで、温かいのと冷たいのを選ぶことができるようになっていました。 モーニングでお腹も心も満たされた私は、再び波&狛とともに車でバイパスをひた走りました。 そして1時間弱で………

この日最初の目的地となる、東海市にある聚楽園公園にたどり着きました。 私はそのまた翌日まで「じゅらくえん」だと思っていたのですけど、正しい読み方は「しゅうらくえん」でした。 誰かに「じゅらくえんに行ってきたよ 」とか言い放つ前に気付いてよかったです。
※いや、そのことを波狛日記で暴露してしまったらアウトなのでは?(編集部注)

それはさておき、緑豊かで大きな池があって、遊歩道も整備されていて、ワンコと一緒に歩くのにもいい公園ですね。

こちらは、健康ふれあい交流館などの施設もひっくるめて「東海市しあわせ村」というそうです。 調べてみたら、その館内にあるレストランには「大仏さん御膳」なるメニューがあるみたいで、とても気になります。 それだけではなく、モーニングも食べられるみたいで。前もって知っていれば、モーニングのはしごをやっていたのに。 あと機会があったら、公園の北側の嚶鳴庵という茶室にも入ってみたいです。

魅力満載の聚楽園公園ですけど、やはり私にとって今回最大の目当てはそのシンボル的存在というか、ご本尊なのですよ。 すでに階段の上に見えてきているのですけど………

その手前には、昭和初期に造られた金剛力士像がありました。 コンクリート製なのですけど、老朽化で近付いたら危険なのでしょうか?規制線が張られていました。 ちなみに向かって左側のこちらは吽形で………

右側は阿形となります。 古いだけでなく、竹内力さんみたいに白目を剥いているところも怖いです。 これをうっかり夜に見てしまったら、どうなるのでしょうか?

前フリが長くなってしまいましたけど、いよいよ聚楽園大仏の登場となります 私はずっと行ってみたいと思っていたのですけど、ようやく叶えることができました。

こちらの大仏さんは実業家の山田才吉氏の尽力によって建立され、昭和2年(1927年)に竣工しました。 鉄筋コンクリート製で、座高は18.79m。私たちが昨秋に見に行った越前大仏にもいえるのですけど、後世に造られた大仏は高さ15mの奈良大仏をちょっとでも超えることを意識しているみたいです。

それにしても、近くで見ると迫力があります。 そうそう、大仏といえば御胎内巡りをしたくなりますよね。 聚楽園大仏には台座の裏にその入口があるのですけど………

現在はこれでもか というほど徹底的に封鎖されています。 この大仏さんを管理しているお寺の和尚さんが「大仏様の尻から入るなんて、けしからん 」と言ったとか、言わなかったとか。 とにかく、管理上のこともあってこのようにしているのでしょう。
それでも、その中の様子を写した資料がありました。 それは大仏さんの説明板に貼付されていて、気になる内部は………

このようになっていました。 かなり広そうですね。 今後、特別公開でもやるようなことがあったら、ぜひ入ってみたいです。
このあと私たちは聚楽園公園からさらに南下していって、以前から気になっていたお城に行ったのですけど、何が出てくるのかは次回のお楽しみということで ちなみに匙数なり小田長増すに……… って編集部さん、字が違いますよ 歴史通の方が見たら、烈火のごとく怒られてしまいます。 私のスマホで彼らのフルネームを漢字変換したら、このようになってしまいました。 正しくは佐治一成織田長益(有楽斎)で、常滑市と知多市にある彼らにゆかりのあるお城を訪れます。


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憧れのユリウスK9

2022-10-05 01:16:25 | その他

こんばんは、白黒茶々です。

10月に入ってから日が沈むのが早くなり、朝晩はより冷え込むようになりましたね。 庭では虫が鳴いていて、秋が深まってきたことを実感します。 秋といえば、ワンコイベントがおこなわれるようにもなりますよね。 そのような行事は、春にもあったのですけど………

今年の4月に、私はとともに列車に乗り込み、東京でおこなわれたスピッツ協会の展覧会にもぐり込みました。 その会場では、たくさんのスピッツ仲間と交流することができました。 しかし、その中にSNSのほうで知り合った方がいても、お互いに気付かないまま帰ってきてしまい、あとになって後悔することも多々ありました。
特に波と狛はその方にたくさんおやつを食べさせてもらったというのに、名乗るタイミングをハズしてしまい……… これでは食い逃げしたに等しいではありませんか 私としては、彼女らは個性的な顔をしているのですぐに区別がつくと思っているのですけど、初めて逢った方にはみんな同じに見えてしまうのですよね。 実は私も、今までに他の家の子を識別できなかったことが多々ありました。

そのような中で、ユリウスK9のハーネスの側面に名前を記したプレートを付けている子もいました。 それがあれば、その都度聞かなくてもその子の名前がわかって、それがSNSなどで事前に知っている子だったら、逢った時の喜びとありがたさは倍増します。 なので、私もユリウスK9(とネームラベル)が欲しくなりました。 しかし、それらのアイテムは高価というイメージがあって、なかなか手を出すことができませんでした。

それから数ヶ月が経ったある日のこと。 私はふと思いたって、ネット通販のA社のサイトでユリウスK9を検索してみました。 そうしたら、4500円ぐらいのものが出ていたではありませんか おおっ、これぐらいなら私の財布にも優しくて、2頭ぶん買えそうです。 そうしたら、イメージカラーのものを探して、波は水色、狛には赤色をつけるようにしましょう。 その後、赤いハーネスの値段は5000円ぐらいにまではね上がったのですけど、それぐらいならまだ大丈夫。 私は迷わずに「購入する」をポチり、その品物が届くのを楽しみにしながら待ちました。

それから数日後に、送られてきましたよ とはいっても一緒にではなく、ちょっと高めの狛のほうの赤いハーネスが先でした。 それは本体だけではなく、漫画でユリウスK9の案内が丁寧に描かれている冊子や、クリアファイルなども付いてきました。 その製品の評判は良くて、レビューなどで悪く言う人はほとんどないのはこのあたりからも窺えます。 さらにその数日後には、波用の水色のものが届いたのですけど、こちらは本体以外は何も入っていませんでした。 おかげで、値段の差がある理由がようやくわかりました。

それはさておき、2頭ぶんが揃いましたよ 並べてみても、品質には差がないみたいでホッとしました。 そうしたら………

いよいよ波と狛に装着して、使い心地を試してみます おおっ、私が言うのもナンですけど、ともによく似合っていますよ

両方ともサイズはミニにしたのですけど、スピッツはそのあたりで合っていました。 それに、多少は首と胴の締め具合を調整できるようになっています。 あと、よっぽどのことがなければ抜けることもなさそうですし。 ということで、第一段階はクリアしました。
次に私が着手するのは、ネームラベルの作成ですよ ハーネス本体の注文と同時に進めて、「せ~のっ 」でくっつけてみようとしたら合わなくて、「こんなハズでは………」ということにならないように、私にしては珍しく今回は慎重にいきました。 まずはハーネスのラベルの形状を確認したら、マジックテープで脱着できるようになっていました。 次は寸法ですけど、縦は3cmぐらいでいけそうです。 あとは、名前をどうするかですよね? それは届いてからのお楽しみということで
………とはいっても、次の画像には出ているのですけど。

このようにしてみました 箔母さんは「波も狛も漢字1文字だけでよかったのでは?」と言っていましたけど、それだけではちょっと寂しいですよね。 最大7文字入れられますし、字数によって値段が変わることもないので。 それに狛の読み方が微妙で、なかには「はく君」と思っている方もいらっしゃいます。 それならば、普段呼んでいるように「波ちゃ」「狛ちゃ」にしてみては? いや、そのようにしたら、事情を知らない方に「波ちゃちゃん」とか「狛ちゃ君」と言われるかも知れませんよ。 そういえば、最近でもないのですけど「妖怪ウォッチ」コマさんが「~さん」まで名前だということが判明しました。 なので、彼を敬称で呼ぶ場合は「コマさん様」「コマさんさん」としなければならないということに。 うわっ……… 狛の名前は彼からもらったのに、やってしまいました。 あ、それでも私はたまに「お狛さん」と呼んでいるので、改名までしなくても大丈夫でしょう。 それらの例に倣うならば、さかなクン「さかなクンさん」あばれる君「あばれる君君」にしなければなりません。 あと、「波波」「狛狛」という可愛らしい案もあったのですけど、誤解をまねくということで却下。 これらの紆余曲折を経て、「波(なみ)」「狛(こま)」に落ち着きました。

つい話が脱線してしまいましたけど、ネームラベルを貼り付けるところは左右に1つずつあるのですよね。 両方とも同じ表記にしてもよかったのですけど、それではなんか勿体ないような気がしたので、もう片方はともにローマ字にしておきました。 あとアクセントをつけるために、漢字とローマ字の書体も変えておきました。

それらのネームラベルは、革の記事に刺繍で書いてもらいました。 気になるその値段は……… 4つ合わせて3500円程です。 ここまで揃ったら、準備は万端です あとは散歩で試運転というか、付けた感じを見てみるだけです。

………ということで、並んでもらいました。 せっかくネームラベルを作ったのに毛で隠れてしまうというスピッツあるあるは、こちらでは大丈夫です。 土台より横幅が小さめなので、位置を調整することができるので。

ちなみに反対側から見たら、このようになります。 変化に富んでいるというか、ローマ字もアリですよね。 あと、波狛日記で男の子は青、女の子は赤に色分けしている私が言うのもナンですけど、波と狛のハーネスは、彼女らのイメージカラーに合わせてみました。 波は小さい頃は「水色ちゃん」で、波という名前にも合っているので、その色にしました。 一方の狛は……… ここだけの話、青系の色は先に取られてしまったので、自動的に赤になったというか……… ほら、北海道日本ハムファイターズBIG BOSS改め新庄剛志監督は男性なのですけど、彼にとってはラッキーカラーの赤いものを常に身に付けているじゃないですか それに、戦隊ヒーローのリーダーは赤色がほぼ定番ですし。 その流れで、いつか男児が憚ることなく赤いランドセルを背負っていく日が来るといいですね。 とにかく、今秋以降のイベントや集まりなどでは、今回の新アイテムによって波と狛の名前を少しでも多くの方に覚えていただけたら、嬉しいです。


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さわやかウォーキングにテレビの取材が!

2022-10-01 01:13:58 | その他

こんばんは、白黒茶々です。

前回から、私はJR東海が企画・主催するさわやかウォーキングというイベントに参加しています。 それは私の愛読書の「だもんで豊橋が好きって言っとるじゃん!」という漫画にゆかりのある場所を巡りながら豊橋市内を歩くというので、私のテンションは上がりまくっていました。 ということで、豊橋公園をあとにした私たちは………

そこから国道1号線を隔てた反対側にある、吉田神社に入っていきました。 こちらは手筒花火の発祥の地でもあり、毎年夏に境内でその花火が揚げられ、奉納されています。 さらに………

今回のさわやかウォーキングのために「だもんで豊橋」の作者の佐野妙先生が書き下ろした絵馬が飾られていたのですよ

こちらは「手筒花火発祥之地」のレリーフのところにあったもので、「だもんで豊橋」の主要メンバーの矢越奈々長内理子国元ほのか阿曇潤吉田ちぎりの5人が描かれているうえに、この日の日付も付いていました。 さらに、その付近にいた男性2人に、テレビ局の方が直撃インタビューをしていましたよ 「私にはふってくれないのでしょうか?」と思いつつも、私はカメラを意識して彼らの後ろをちょろちょろしていました。

そのあと、私はウォーキングの順路にあったホビーショップムラタさんに寄っていきました。 こちらではプラモデルはもちろんのこと、「だもんで豊橋」の矢越奈々がPRしている五式犬のTシャツやエコバッグも販売していました。

その次に、私は若松園さんでも足を止めました。 吉田藩の馬印で、豊橋市の市章にもなっているちぎりマークが焼き印されているちぎりまんじゅうは、こちらのお店の名物です。 その和菓子は「だもんで豊橋」だけではなく、朝ドラの「エール」にも出てきたのですけど、私はあとのペース配分を考えて買うのと食べるのを堪えてしまいました。

その代わりと言ってはナンですけど、そこから程近いところにある大正軒さんに引き寄せられていきました。

「だもんで豊橋」によると、こちらのお店では自動団子焼き機を使って団子を作っているみたいです。

漫画に描かれたものが、本当にありましたよ ただし、串の団子を取り付けるところは手作業でやらなければならないみたいです。 それでも、次々と焼かれていく団子はタレの香ばしい匂いを放って、私は自ら好んでそのワナにハマっていきました。 もう迷いません、というか最初から迷っていません 焼きたてのヤツを買っていきます

「団子を召し上がっているところを録らせていただけないでしょうか?」と、そこにテレビ局の方が現れました。 取材キター ちなみに団子は1本129円にございます。 その際に今回のイベントに参加した理由や、「だもんで豊橋」に魅せられた理由などについても聞かれました。 私はついテンパって、マスクに団子のタレを付けてしまいました。 予備を持ってきていないというのに。 そのテレビ局ときたら、私が団子の1玉をほお張るところを見せたらヨシかと思いきや、全部を食べるところまでカメラを回し続けていました。 おかげで味わう余裕がなくて……… たぶん、美味しかったでしょう。
さらにテレビ局さんは「団子焼き機を(スマホカメラで)撮っているところを録らせていただきたい」という注文もしてきました。 ところが、こんな大事なところで私のスマホは「本体の温度が上昇したため、カメラを終了します。」宣言をして、仕事を放棄したのですよ そのあと、なんとかして撮っている私を録ってもらいました。 その後の編集である程度は削られると思いますけど、テレビに出るチャンスはめったにないので、楽しみにしています。

大正軒さんの団子を食べて間もないところで、私たちはマッターホーンさんの本店に行き着きました。 こちらは全国では数少ない、カップ入りのブラックサンダーアイスを購入できるお店でもあります。 ところが、私はその店構えを撮るのを忘れていました。 なので、さわやかウォーキングの案内の矢印に貼付されていた「だもんで豊橋」のブラックサンダーアイスカップのネタでご了承くださいませ。

………ということで、250円を払って買ってきましたよ すぐに食べるつもりでスプーンも付けてもらったのに、お店のまわりには座れるようなところはありませんでした。 この日は暑くてすぐに溶けてしまうので、急いでください

なんとか通行の妨げにならないところを見つけたのですけど、その頃にはかなり柔らかくなっていました。 しっとりとしたチョコアイスの中にざっくりとしたクッキーの粒が入っていて、まさにブラックサンダーをカップアイス化させたらこうなる という感じでした。
………と言いつつも、食べている間は「だもんで豊橋」の長内理子の「ちょ… チョコ味やばい」の食レポが私の頭から離れませんでした。

あとはスパゲッ亭チャオさんを仰ぎ見て……… 私は以前に1度だけ行ったことがあるのですけど、こちらは豊橋市内に展開する(豊川市にも1軒ある)ローカルチェーン店です。 看板メニューのあんかけスパゲティーは名古屋のような甘酸っぱいあんがかかっていると思いきや、バーベキューソースに近いピリ辛なのですよね。 「だもんで豊橋」では、国元ほのかも含めたボランティア部全員が、おやつとして食べに行っていました。 佐野先生もイチオシで「2度食べたら必ずハマる」と仰っていました。 それよりも、お店の上には大きなコック姿の楽天カードマン、いや、ビバンダム君ミシュランマン)がいますよ

ここまで来たら、ゴールは近いです 私は豊橋駅の東口の植え込みの中で「530(ゴミゼロ)運動発祥のまち」のモニュメントを見つけつつ……… 「だもんで豊橋」は、豊橋に引っ越してきたばかりの国元ほのかがなかなか友達ができないことを悩みつつゴミ捨て場にペットボトルを出そうとしたら、吉田ちぎりからゴミの分別の仕方を徹底的に指導されるところから始まるのですよね。 その場面でも、豊橋が530運動発祥の地であることに触れています。

………なんて言っているうちに、さわやかウォーキングのゴール地点にたどり着きました。 距離にして8.6km。そのルートを、私は2時間50分かけて完歩しました。 ちなみにこのイベントに参加するとポイントが与えられ、それが貯まると記念品がもらえるそうです。 達成感と程よい(?)疲れを抱きつつ帰宅した私は………

この日は留守番組だったに豊川堂さんの本店でもらったポストカードを見せびらかして、今回のイベントを締めました。 今回初めて参加したさわやかウォーキングは期待していた通り、いや、それ以上に充実していました。 非売品のおみやげも、手に入れることができましたし。
そういえば、テレビのほうはどうなったのでしょうか? あの日取材していたのはN局だったのですけど、愛知の放送局なので、私がいる地域では観ることはできません。 それでも、大丈夫です。 今ではネット配信などの手段があるので。 ということで、それはイベントの2日後にオンエアされました。果たして、私はどんな感じで映っているのでしょうか?

それは、豊橋を題材にした漫画があるということを主題にしていました。 もちろん「だもんで豊橋」のことを言っているのですけど、さらにその中で今回のウォーキングがあったことにも触れていました。 まずは吉田神社が出てきました。 しかし、その時エキストラのようにしていた私は、残念ながら映っていませんでした。 ま、まあ、あれはあわよくば出ていたら程度に思っていたので、このあとに期待することにしましょう。

次に、場面は大正軒さんに移りました。 お店の前に掲げられていた案内の矢印と、それに関した「だもんで豊橋」の場面も画面に入っていて、いい感じです。

おおっ、例の団子焼き機が出てきましたよ あの時、カメラさんは団子を作っている様子も録っていましたね。 ……… えっ、それで終わりですか 私が取材を受けた場面は、全てカットされていました。 団子のタレをマスクに付けながらも、丁寧に受け答えしていたつもりだったのに………

そのあとに佐野妙先生が「だもんで豊橋」や豊橋の魅力について語る場面があって、実際には2時間ほどしゃべっていたそうですけど、編集で2分に縮められていました。 そんなに放送の尺が短いのなら、私がカットされてもやむを得ません。 それでも今回の件で、その漫画とその地域の魅力をより実感することができました。 今度は波と狛を連れて、それらの場所やお店を巡ってみたいです。


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