波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

岡山の魅力(の一部)、お伝えします。(島根岡山一人旅その3)

2012-08-29 00:01:06 | 一人旅
こんばんは、白黒茶々です。
前回からの続きで、またしても私はその日最初の目的地に向かうために、津山線に乗っているという、中途半端な状況の中にいます。 岡山を出てから1時間ちょっと経って、たどり着いたところは………



津山駅にございます。 津山は岡山県の山間地にある城下町で……… ここまで言ったら、もう私の向かう先はお分かりだと思います。



そうです 津山城なのです。こちらのお城は、前日に私が行った備中松山城ほど険しいところにはないのですけど、小高い丘が高い石垣で固められています。



その津山城は、1604年からこちらの森忠政によって築かれました。彼は森可成の六男で、本能寺の変で織田信長と運命を共にした小姓の森蘭丸の弟でもあります。その忠政像が、津山城跡こと、鶴山公園の入り口付近にでで~~~んと、座っているのですよ。それにしても……… 蘭丸兄さんはハンサムなイメージがあるのに、この像の顔はどうかと。 もっとカッコよく作ってあげれば……… いや、ひょっとしたら史実に忠実に再現した結果、こうなったのかも。それだけではなく、この像はかなり大きいですよ。そうしたら………



私が同じポーズで座るので、どうか比べてみてくださいな。杓文字の代わりにうちわはご愛嬌としても、彼と同じような両ひざを地面に着ける格好はどう頑張ってもムリでした。



ヨガ撮影(?)が終わったら、お城を堪能することにしましょう。 こちらのお城は高石垣に見応えがあり、さらに春先には、桜と人によって埋め尽くされます。



そんな津山城には、2004年の築城400年イベントに間に合わせて、かつては天守の次に目立っていた、備中櫓が復元されました。気になるその内部は………



畳敷きの、落ち着いた空間となっております。 櫓といったら、普段は武器庫等になっていて、城が攻められた際には防御の拠点となることから、床は土間か板張りが定番なのです。しかしこちらの櫓は、居住空間の本丸御殿の一部となっていたみたいです。



そういうこともあって、厠もしっかりと設けられていましたよ。



せっかくなので、こちらの内部では私のくつろぎ写真を撮っておきましょう。 ………って、気付いたら、先どの森忠政との対向写真とほぼ同じポーズではありませんか



備中櫓の近くには、天守台があります。かつてはこの上に五層の天守が聳え立っていたのですけど、明治に入ってから取り壊されてしまいました。



それでも、その天守台の上に登れば、津山市内を一望することができます。 お城の様子は、ざっとこのような感じです。



津山には、お城以外にも「津山ホルモンうどん」という有名なB級グルメがあります。 どうやってそのお店を探そうかと思っていたら、お城の正面入り口付近の津山観光センターのお店でも食べれるというではありませんか これは分かりやすくて、手っとり早い。 ガチャッ(こちらは、手動ドアの音です)「いらっしゃいませ~ 」



津山観光センターに併設されているこちらの「よし乃」さんでは、ホルモンうどんは保温陶板に乗せられて出てきました。 やはり、ご飯と一緒(合計950円)に食べておきたいですね。 果たして、そのお味は……… はむっ
うおっ、このホルモンはトロッとしていて柔らかいじゃないですか ホルモンといえば、固くてなかなか噛み切れないイメージがあるのですけど、これほど食べやすいのは初めてです。それだけではなく、うどんや具も甘辛いソースといい具合に絡んでいて、美味しいです。
しかし、一番大きいホルモンを最後のお楽しみにとっておいたら、そのうち陶板の火が消え、肉のほうも固く変質し、従来どおりの噛み切れないものとなってしまいました。 ホルモンは熱いうちに一気に食べることをお勧めします。

津山で昼御飯を済ませたら、私は再び列車に乗って、最終目的地となる岡山市に向かいました。こちらにも、山陽地方を代表する名城があるのですよ。
岡山駅から路面電車に乗り換え、城下というところで降り、歩くこと数分で………



旧内山下小学校にたどり着きました。その校庭の片隅には、岡山城西の丸西出櫓が忘れ去られたように建っているのですよ。 ここはかつて岡山城の西の丸だったところで、西出櫓は現存している貴重な建築物であります。



西の丸から程近いところには、築城当初の主郭だったとされる石山の高台があります。現在は病院の駐車場になっているのですけど、そこからはいい具合に岡山城が見えるのですよ ちなみに、左から本丸月見櫓、天守です。さらにそちら方面に迫ってみましょう。



岡山城は、16世紀の末に豊臣臣下の宇喜多秀家によって、旭川沿いに築かれました。その後、小早川秀秋が入り、彼のあとは池田氏のものとなります。安土城をモデルにしたといわれている五層の天守は、平面が不等辺五角形の珍しい形をしていて、古い様式でした。また、外観が黒いことから、別名を「烏城(うじょう)」といいます。
しかし、その天守は戦災で焼失してしまい、その後外観のみ復元されました。



本丸には、先ほど見えた月見櫓が残っています。こちらからは、二階に開口部の広い窓(の雨戸)が見えますね。



その月見櫓のある一角から、こちらの戦後に復元された不明門をくぐり、本丸の上段に上がれば………



天守が大迫力で迫ってきます。



せっかくなので、こちらでも記念撮影をしておきましょう。
かつての古い様式のものとはうって変わって、昭和の天守はエレベーター付きの近代的な建物となっております。その内部は、いちおうお城の史料の展示がメインになっているのですけど、駄菓子などを売っている店が集まったお城横丁、「名探偵コナン」君も来たことがあるというお城カフェ、備前焼の製作体験ができる工房なども入っております。



また、かつての天守にあった「城主の間」も再現されているのですけど、こちらは殿と姫の衣装を試着して、写真撮影をするスペースとなっていました。 ちなみに、こちらのサービスは無料で受けることができ、1時間に5人を目安におこなわれています。



そして最上階まで登れば、岡山市内を一望でき、眼下には旭川を隔てて、後楽園を眺めることもできます。 後楽園は江戸時代中期に造られた大名庭園で、金沢の兼六園、水戸の偕楽園とともに、日本三大庭園のひとつに数えられています。

これで今回の名所旧跡巡りはすべて終了したので、あとは在来線に乗ってのんびり帰るだけです。 その間に、岡山駅で調達したもうひとつの岡山名物の………



豚蒲焼き専門店「かばくろ」の月見ぶたかば丼弁当を食べることにしましょう こちらの「ぶたかば」は、柔らかな豚バラ肉を秘伝のタレと炭火で焼き上げて作られたもので、濃厚な味わいがたまらないとのことです。そういえば、今年の土用の丑の日を前にして、鰻不足が取りざたされた際に、その代用品としてこちらの「ぶたかば」が脚光を浴びたような気がします。果たして、そのお味は……… もぐり
こ、これは……… ちょっと冷めていて目玉焼きが乗っているからでしょうか?豚が鰻に化けるとまではいきませんでした。それでも、豚バラ肉の蒲焼きは新たな味わいで、たいへん美味しうございました。

そして23時ちょっと前には予定通りに、行きに乗った駅に到着。出だしで一波乱ありましたけど、なんとか今回の一人旅を無事に終わらせることができました。あとは、おみやげに買ってきたきびだんごで家来を増やすだけですけど……… とにかく、読者の皆さん、私の長い旅行記に最後まで付き合ってくださり、ありがとうございました。


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ラピュタとはちょっと違う、天空の城(島根岡山一人旅その2)

2012-08-25 00:24:48 | 一人旅
こんばんは、白黒茶々です。
前回からの続きで、私は島根県に来ております。 とはいっても、特急やくもに乗って、次の目的地の岡山県に向かっているところですけど。 そうそう、前回は松江の名物弁当を食べるところで終わっていましたね。その弁当とは………



一文字家の「島根牛みそ玉丼」にございます。 この弁当には、島根県産のこしひかりに加えて牛肉や味噌、それに酒等も地元産のものが使われています。それらが私に総攻撃を仕掛けてこようとするのですから、たまったものではありません。 それにしても、味噌が牛肉にうまく絡んでいて、美味い それに、気前よくご飯より肉のほうが多く盛られているではありませんか。さらに、上に乗っているとろとろ玉子に箸を入れ、それらに絡めて食べれば、全体的に味がまろやかになります。これは一粒で二度美味しい弁当ですよ。

私が島根牛みそ玉丼に舌鼓をうったり一休みしたりしているうちに、列車は次の目的地にたどり着きました。そのようにして、私が降り立った駅は………



備中高梁駅にございます。 こちらは、岡山県の山間地にある静かな城下町であります。



ほら、駅からもお城のある山が見えるではありませんか。これから私が目指すのは、その標高430メートルの臥牛山に聳え立つ備中松山城なのです。その城には、日本一高いところに現存する天守があるのですけど、そのぶんたどり着くまで一苦労することになりそうです。
案内によると……… ガサゴソ(資料を広げる音のつもり)駅から臥牛山の登山口まで約1,8キロ。さらにそこから1,6キロの山道を登っていかなければならないみたいです。それではあまりに過酷なので、今回は行けるところまでタクシーを利用するようにします。

私を乗せたタクシーは、城下町の風情を感じさせる武家屋敷街を通り抜け、急な坂道を登っていき、臥牛山の中腹の、ふいご峠というところで止まりました。そこからさらに約700メートル、20分の登山道を歩いていけば、お城の主要部にたどり着けるそうです。備中松山城、待っていろよ~



ハアハア……… この山道、思っていたよりエラい。
※決して山道を称えているというワケではありません。遠州地方の方言で、大変だとか、疲れたとかいう意味です。(編集部注)
実は私は19年ほど前の20代の頃に、こちらのお城を訪れたことがあるのです。そのときは季節が春先だったとはいえ、駅から山頂まで歩いていっても、へっちゃらだったような気がするのですけど、確実に体力は落ちているようです。 もともと私は山登りを愛する人間ではないので、まわりの景色とか森林浴を楽しむ余裕なんてありませんよ。
とかなんとか言いつつ、汗だくになりながら歩いていったら………



大手門跡の石垣が見えてきました。 う~む、建物がなくても壮大ですね。 重機のない時代に、このような険しいところにこのようなものを築いてしまうなんて、当時工事に携わった人たちの苦労が忍ばれます。とにかく、お城の主要部に着いたら、もうこっちのもんです そこからちょっと上がっていけば………



山頂の本丸に建てられた、天守を中心とした建物群が見えてくるのですよ 「天空の城」とは、よく言ったものです。



臥牛山を征服したということで、このあたりで記念撮影をしておきましょう。
備中松山城が最初に築かれたのは、13世紀のこと。さらに1681年から水谷勝宗が大修築をおこない、その際に天守が建造されました。そして、明治に入ってから廃城になるのですけど、あまりに険しいところにあったおかげで、取り壊しに遭わずに済んだそうです。 ちなみに手前に見える建物は五の平櫓で、前回私がこのお城を訪れたあとに復元されたそうです。



そうそう、山頂の本丸には天守の他にも、二重櫓も現存しています。せっかくなので、そちらの写真も載せておきます。



そうしたら、いよいよ備中松山城の天守に入ることにしましょう。 こちらの天守は二層二階で、自然の岩盤の上に土台の天守台が築かれ、その上に乗っかっています。



内部は意外と広いですね。この他にも、この一階には………



籠城に備えて、長囲炉裏も設けられています。 そいつが天守内にあるのは珍しく、貴重な遺構なのですよ。



さらに二階には、成田明神などを祀った御社壇が造られています。 天守の最上階には、神棚の類いはよくあるのですけど、一面のスペースをまるごと使っているところはなかなかないですよ。



その御社壇の反対側、南側の窓からは、ちょっとモヤッてはいるのですけど、下界やまわりの山々を臨むことができます。 登山番組だったら、ここで私がカッコいいセリフを言って終わるのですけど、この後にはどうにかして駅まで戻らなければなりません。読むほうもしんどいと思うのですけど、どうか私の下山のほうにもお付き合いくださいませ。

「時間に余裕があるし、下りのほうは楽そうだから、帰りは歩いていくことにしよう」
私には自信があったのですけど………



行きの際に発着点となった、ふいご峠からさらに下の登山道は思っていた以上に長く、険しかったのです。 それでも、休憩を挟みながら行けば、疲れをあまり感じないのでは。おおっ、ちょうどいいところにアレがありましたよ そこで、私が見つけたアレとは………



大石良雄(内蔵助)腰掛け石のことです。彼は忠臣蔵の中心人物として有名ですけど、こちらでも活躍したのですよ。17世紀末のこと、備中松山城の城主に跡取りがなく、お城が赤穂藩の浅野家に引き渡されることになりました。その際に、内蔵助が臥牛山に登っていき、途中で大石が自分の意思でこの石に腰掛け、休息したそうです。そのことをいし……… きした私は、彼と同じようにその上に座ってみることにしました。 おおっ、なかなかいい感じですね。座り心地はいいのですけど………
蚊の大軍が私を目掛けて、む~~~んとやって来たではありませんか これはたまらんっ もう休憩どころではありません。しかもこの蚊、その後も私のあとを追ってくるので、立ち止まることもできませんでした。 そして、山頂から約1時間ほどで登山口に到着。途中雨に降られたりしましたけど、さらに30分かけてやっと駅に行き着くことができました。 あとは列車に乗って、今夜の宿がある都市に向かうだけです。そして、私がそちらの駅の改札口を出て、見たものは………



桃太郎一行の銅像でした。 彼のお供は、猿、犬、雉、………と鳩ですか?その写真を撮ろうとすると、必ずと言っていいほど鳩が付いてくるのですよ。 こちらの地方は、桃太郎のモデルとなった吉備津彦命のゆかりの地でもあって、市内の北区には彼を祀った吉備津神社があります。そういうこともあって、きびだんごや鼠先輩が名物なのですよ。
これでもう、どこかお分かりでしょうか?そうです 正解は岡山です。



宿舎に入る前には、晩御飯を食べておくことにしましょう。 こちらの味司野村さんでは、岡山の名物料理を食べることができるのですよ。では、さっそく入っていきます。ウィ~~~ン(自動ドアの音のつもり)「いらっしゃいませ 」



私がそのお店で注文したのは、デミカツ丼です。説明するまでもなく、カツ丼にデミグラスソースがかかっています。これは新たな境地ですね。 果たしてそのお味は………
うぬ 一言でいえば、洋風カツ丼ですよ。デミソースのまろやかな味が、従来のカツ丼を大きく路線変更させています。 これは、侮れません。



そして、その晩に私が泊まるのは、こちらのホテルリバーサイドにございます。いちおうカプセルホテルなのですけど、浴場や朝食があって料金は1泊2280円から。



その中で私が選んだのは、小さな個室タイプのもの。こちらの部屋は1泊3080円であります。



朝食なほうは、トーストとゆで玉子に、おかわり自由のドリンクが付いていました。

今回の一人旅の最終日となる翌日は、朝早くから津山線に乗って、次の目的地に向かいました。 路線の名前からしてすでにバレバレですけど、その日もお城を中心に廻ることになります。それ以外にも、その土地のグルメ情報等もあるので、次の日記のほうにもお付き合いくださいませ~


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そうだ、出雲の国に行こう!(島根岡山一人旅その1)

2012-08-22 00:01:53 | 一人旅
こんばんは、白黒茶々です。
季節の上では残暑になる今日この頃ですけど、まだ猛暑は続いていますね。 そのような中で、私の一人旅の時期がやって参りました。というよりは、お盆のまとまった休みを利用して、普段なかなか行けないような遠いところを目指すというのですよ。



私が家にいると、箔があらぬ期待(どこかに連れていってくれるのでは?)をして落ち着かないので、犬のイベントのオフシーズンのこの時季は、私だけ暇をもらわせていただきます。 秋になったらあちこち連れていってあげるので、それまで箔はガマンしていてくださいね~
そうしたら、今回の旅の行き先ですよ。 やはり青春18きっぷや夜行バスなどを利用して、私は大昔に行って以来となっている島根・岡山方面を目指すことにしました。

そしてお盆休みに入る前日になりました。 私は仕事を終わらせてから支度を済ませ、夜の7時台に最寄りの駅から列車に乗ろうとしたのですけど………



その日、私のいる地方の近辺は天候が大荒れだったみたいで、その影響で電車のダイヤがかなり乱れてしまいました。 表示では10分遅れとなっているのですけど、実際にはそんなものでは済みませんでした。今回の私の一人旅は、出発の段階から波乱含みとなりそうです。
遅れてやって来たその列車は、本来なら大垣まで行く快速だったのですけど、豊橋までで終わり。そこから先はまったく予定が立てられないとのことでした。さらに、豊橋からやっと出た次の列車も、岐阜まで各駅停車するというのです。 これでは、京都を23時30分に出る夜行バスに間に合わないではありませんか やっとの思いでチケットを手に入れたというのに……… それだけではなく、そのバスに乗れなかったら、目的地にもたどり着けませんよ。さあ、どうする

とりあえず名古屋までその列車で行き、そこから先は新幹線の、そうですね……… のぞみ号あたりに乗れば、間に合うでしょう。 ちょっと貧乏旅行に反するのですけど、今回はそうするしかないみたいです。



おお~ きたきた。到着時間に多少のズレはあるものの、新幹線のほうは順調に走っているみたいですね。こちらののぞみ号に乗ったら、わずか37分で京都にたどり着きましたよ。もちろん高速夜行バスの時間には、余裕で間に合います。



一時はどうなることかと思いましたけど、なんとか京都まで無事に来ることができ、しかもまわりの景色を写真に撮る余裕まであるときたもんだ こちらは京都駅ですね。



その駅を出てすぐのところには、京都タワーがどど~んと聳え立っています。 ちなみにこちらのタワーは高さ131メートル。ビルの屋上に乗っかっていて、さらにその地下には公衆浴場があるそうです。



それから間もなくして、私が乗るビル……… じゃなくて、夜行バスがやって来ました。 最近、夜行バスの安全が疑われていますけど、こちらのバスはJRが運営していて、運転手も複数いるので、安心していいでしょう。さらに三列独立シートなのに、料金は京都~山陰地方のある都市(私がたどり着くまでは伏せさせてください)間が5400円と、かなりお得となっております。
さらに、そのバスにはトイレが付いているということもあって、途中でSAなどには寄らないとのことでした。そうしたら、一気に寝ておけば、あっという間に目的地に着いてしまいそうです。 そして、京都駅前を出てから約6時間後に………



私は、神話話しますね、あ、あれっ ………
※落ち着いて読んでください。正しくは「神話博しまね」ですよ。(編集部注)
改めまして、私は神話の郷でもある、島根県のある都市にやって来ました。 こちらでは現在、神話博なるものが開催されているみたいですね。 とはいっても、こちらは出雲大社のある出雲市ではなく………



島根県の県庁所在地で、宍道湖畔の城下町でもある松江市でございます。こちらに来た目的はもちろん、松江城ですよ。その前に………



マクドナルドで朝5時から販売している、マックグリドルベーコン&エッグ・チーズのセットを朝食にいただくことにしましょう 朝限定のメニューは、早起きしたご褒美にも思えてしまいますね。 では、いっただきま~す



腹ごしらえが済んだら、最初の目的地の松江城のほうに向かうことにしましょう 宍道湖の近くに造られたこちらの街には、水路が掘りめぐらされていて、水の都としても知られています。その水路には、遊覧船がしょっちゅう行き来しておりました。



とはいっても、まだ早い時間で松江城が開いていないので、まずはその周辺を廻っておくようにします。こちらは塩見縄手といって、松江城の北側のお堀端にある通りです。松並木の向かいには武家屋敷や昔からの家が連なっていて、城下町の趣があります。 その端っこには………



小泉八雲の旧宅と記念館があります。彼は本名をラフカディオ・ハーンといって、明治時代に祖国のギリシャから日本に渡ってきました。そして小泉節子と結婚し、日本に帰化して八雲と名乗ります。さらに、節子から日本に伝わる話を聞き、そこから「耳なし芳一」などの怪談を書いたりしました。



塩見縄手の反対側、お城の正面となる東南側の二の丸石垣上には、左から南櫓、中櫓、ちょっと見えにくいのですけど太鼓櫓が聳え立っています。これらの建物は、昨年の築城400年を前にして昔ながらの材料、工法で復元され、お城の正面からの景観を調えています。



もちろん、その内部も見ることができるのですよ。 ちなみにこちらは南櫓で、二階も見学自由となっております。内部の構造などを見たら………



いよいよお城の中心となる、本丸に入ることにしましょう こちらはその入り口となる一の門です。ちなみに大ヒットゲームのストリートファイターⅡで、リュウが闘っているのは、この門の屋根の上なのです。
その前では、朝散歩に来ていたフレンチブルドッグの女の子が砂遊びをしていて、お城の職員の女性達から「かわいい~ 」と言われていました。その一の門をくぐると………



さんざん引っ張ってしまいましたけど、松江城の天守が大迫力で迫ってきます。 松江城は、関ヶ原の合戦後に、浜松からこちらの地方に移封されてきた堀尾吉晴によって、1611年に築かれました。そのときに建てられた4層6階の天守は現存していて、現在は重要文化財に指定されています。また、屋根の広がりは千鳥が羽根を広げたように見えることから、別名を千鳥城といいます。



やはり、ここで記念撮影をしておきましょう。 松江城に来たぞい、イェイ そうしたら、その天守の内部にも入ってみるようにします。



天守の内部は、いちおう照明はあるのですけど、窓が小さいこともあって全体的にやや暗いです。そのような中でも、繋ぎ合わされて造られた柱や、桐製の階段は見ておかなければなりません。 それらの要素から、建物の古さと歴史を感じることができるのです。



それでも、最上階は窓の開口部が広いこともあって、明るく開放的となっております。こちらを吹き抜ける風も、気持ちいいですよ



もちろん、まわりに高い建物がないこともあって、見晴らしは抜群ですよ 遠くに広がる宍道湖の景観も、いい感じですね。



松江城を見終わったら、次の目的地に向かわなければなりません。松江駅から私は、いかにもという名前の特急やくもに乗り込みました。 落ち着いたところで、松江駅で調達した名物の駅弁を広げたのですけど………
旅のほうも話のほうも長くなりそうなので、このあたりで一旦仕切らせていただきます。皆さんには、弁当がおあずけ状態になってしまって申し訳ないのですけど、次回のお楽しみに取っておいてくださいませ。


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本田宗一郎少年の武勇伝

2012-08-18 00:37:47 | 人物伝
こんばんは、白黒茶々です。
本田宗一郎氏といえば、本田技研工業を創設し、バイクや自動車などを造ったことで知られています。また彼は、静岡県磐田郡光明村(現在の浜松市天竜区)出身でもあります。



今の季節は、学生さんたちにとっては夏休みの真っ只中で、自由研究にも使えそうなので、今回は名をあげる前の少年時代に、宗一郎氏が残してきた武勇伝の数々を、彼のゆかりの地を箔とめぐりながら触れていこうと思います。



本田宗一郎氏は1906年(明治39年)に、旧磐田郡光明村で鍛冶屋の儀平とみかの長男として生まれました。その生誕地は、同地区の船明ともいわれています。



宗一郎少年が育った旧宅跡には、彼が縁日で買ってきて、儀平父さんと一緒に植えたという柏の木が、今でも街中に残っています。樹齢は90年以上で、立派な木ですね。



とはいっても、その木の脇にこのような案内板がなければ、つい見逃してしまうか、箔のシッコの標的になるところでした。あぶないあぶない。



彼は光明村立山東尋常小学校に通っていました。その学校跡は現在、幼稚園になっているのですけど、門柱は当時のまま残っています。そちらのほうに私たちは、今まさに入ろうとしているところです。



後ろ姿だけではナンですから、門柱をバックに、いや、この場合は左右にしてポーズを決めておきましょう。
「なんか、箔君の毛が長いような………」という声があるようですね。そうです 今ではすっかりもとの姿に戻って……… って、違います。 確かに、毛の量は増えつつあるのですけど、現在はせいぜい柴犬に毛がはえた程度です。いや、柴犬の皆さんにはたいへん失礼致しました。 脱線はここまでにしておいて、私たちが宗一郎氏の故郷に取材に行ったのは、箔がサマーカットをする前……… というよりは、実はそのお店に行く直前だったのです。



山東尋常小学校の形跡を伝えるものとしては、先ほどの門柱の他にもマキの木の切り株があります。こちらの木は、少年時代の宗一郎氏がよく登っていたそうです。しかし、3年前の台風で倒れてしまい、現在は切り株とその由来を伝える案内板があります。



宗一郎少年がその尋常小学校にいた頃のことです。お昼の弁当の時間まであと30分ほどとなったあたりで、彼はあまりの空腹に堪えきれなくて、早弁……… いや、それでは普通過ぎますよね。早弁ではなく、彼は学校を抜け出し、鐘楼のある清瀧寺に駆けていきました。



当時は学校や各家庭には時計のようなものはなく、お寺の鐘が時間を告げる唯一の手段でした。宗一郎少年はなんと、その鐘を無断で突き、まんまと弁当の時間を早めることに成功したのです。



しかしすぐにバレて、あとで先生や親から大目玉を喰らったことと思います。 現在その鐘楼には、その事件がきっかけとなって設置されたのでしょうか?「鐘突くべからず」の注意書きがあります。



それでも、その鐘突き事件のことは地元で語り継がれているみたいです。毎年時の記念日が近くなると、宗一郎少年に扮した近隣の小学生がその鐘を突くというイベントがおこなわれているのですよ。

また、宗一郎少年は尋常小学校で「ハンコ偽造事件」というのもおこしています。家に通信簿を持ち帰ったら、親が見せたという証明となるハンコを押してもらわなければならないのですけど、そのときの彼の成績はあまりに悪く、とても親には見せられるようなものではありませんでした。 さあ、どうする?そこで宗一郎少年は、自転車のペダルのゴムを削り、ハンコを作ってしまったのです。あとはそいつを通信簿にポンと押して、学校に提出するだけです。もともと彼は手先が器用ということもあって、その作戦は見事に成功しました。

しかし、そこでやめておけばよかったものを、「宗ちゃん、オレのも作ってよ」という友達の声に応え、偽造のハンコを増産。そうしたら、今回はすぐにバレてしまいました。なぜバレたのかというと………



ハンコは押した際に正しい文字になるように、左右逆に彫らなければなりません。しかし、宗一郎少年はそのことを全く気にしないで、偽ハンコを作っていたのでした。「本田」という名前がたまたま左右対称だったので、初犯のときはうまくいったのでしょう。
※見本に使ってみた「纐纈」という名字は、宗一郎氏の出身地近辺にはよくいるのですけど、何て読むのかお分かりでしょうか?正解はこの日記の最後に載せておきます。(編集部注)

あと宗一郎少年は、ナイルス・スミス号の飛行を観るために、学校をサボり家の自転車を三角乗りして、その会場となる浜松の練兵場まで走ったこともあります。 現地で入場料を払えなかった彼は、敷地近くの松の木に登り、なんとか観ることができたそうです。



宗一郎少年の鐘突き事件の現場となった清瀧寺のすぐ近くには、旧二俣町役場の建物を利用した「本田宗一郎ものづくり伝承館」があります。



こちらでは宗一郎氏の生い立ちや、彼が開発したバイクなどを観ることができます。それだけではなく、入場料が無料で、さらに館内は撮影可能というのも嬉しいですね。

今回は少年時代の本田宗一郎氏を採り挙げてみました。彼の型破りな考えや行動が、将来の躍進に繋がったのかも知れません。彼はその後自動車に興味を持ち、それに関わる仕事をするために上京していくのですけど、私のほうで機運が高まったら、また違った意味での彼の武勇伝を載せてみようと思います。
※先ほどのクイズの答え、「纐纈」は「こうけつ」と読みます。(編集部注)


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今度の休日は、掛川城に連れてってよ

2012-08-15 00:01:01 | お城
こんばんは、白黒茶々です。
タイトルの通りのセリフをたつぴに言われたというワケではないのですけど、いや、よく考えてみたら、それに近いことを私のほうが彼に言っていたような……… と、とにかく、そのような流れで、今回は久しぶりにお城ネタにさせていただきます。

掛川城は15世紀後期に今川氏の支城として築かれ、その後豊臣秀吉の配下の山内一豊によって大改築されました。城跡には江戸時代末期に建てられた二の丸御殿や太鼓櫓が残っていて、さらに平成6年には、天守が本格的に木造で復元されました。
白黒茶々家が前回そのお城に行ってから、4年も経っていたので、そろそろ私が行きたくなったのです。 そして、自宅から車で1時間ほど走ったら………



大手前駐車場に到着しました。 その屋上からは、掛川城の全景がいい感じで見えます。 では、今から皆さんを掛川城にご案内致します。どうか、私の旗のあとに付いてきてくださいね。



大手前駐車場を出たところには、掛川城の大手門がどど~んと聳え立っています。 大手門はお城の正門で、かつてはそこから南に50メートルほどいったところにありました。しかし、現在そのあたりは道路のど真ん中になっているので、現在地に木造で復元したのです。 その大手門をくぐり抜けていくと………



大手門番所にぶつかります。こちらの建物は、明治以降に市内に移築されていたものを再度持ってきて、旧来の姿に戻したもので、かつては大手門を通行する人を取り締まっていました。

大手門から逆川沿にお城に向かって歩いていくと、観光物産センターの「こだわりっぱ」があります。 こちらは観光案内所やお土産物売り場となっています。それだけではなく、「功名が辻」で一躍有名になった山内一豊と妻千代がモチーフとなっている書き割りにも、顔を突っ込んでおきたいですね。 しかし、たつぴが殿のほうじゃないとやらないと言うので、やむを得ず私が姫役をやることに。三脚にカメラをセットして、タイマーが動いている間に装着 あとはシャッターが降りるのを待つだけなのですけど………



「うわ~ おいちゃん、こんな大事な場面で横切っちゃダメだよ 」
私たちは殿と姫に顔を突っ込んだ情けない格好のまま、そのことを必死に訴えました。その光景は、我ながら少し間抜けでした。 しかし、彼はその事にまったく気付かないまま、そこを通り過ぎていったのです。私のカメラに出っ腹のアップ画像を残して。その写真はあまりに美しくないので、あとで撮り直したほうを載せておきますね。



逆川に架かる橋を渡れば、お城の主要部となる本丸、二の丸にたどり着きます。 入場券を買ったら、まずは………



二の丸御殿のほうを見ることにしましょう。こちらの建物は幕末に建てられ、ほぼ当時の姿のまま現存しています。藩主の住まいや政庁として使われ、明治以降は女学校や役場に転用されたりもしました。現存する城郭御殿は、このお城のものを含めて全国で5つだけしかなく、たいへん貴重なものなのです。 すぐにその中をご案内したいところなのですけど、その前に………



御殿のあたりには、この時季には白い蛇が出没するそうなので、そいつを探してみることにしましょう 蛇は商売の神様で、しかも白いときたもんですから、そいつと行き逢ったらきっといいことが起こるに違いない。たつぴは「蛇がニガテだから遭いたくない 」と言っていますけど、そういう生き物は恐がる人を好むもの。申し訳ないとは思いつつも、彼には生け贄、いや、囮(おとり)になってもらいましょう。 「ヘビちゃ~ん………」



粘ってはみたのですけど、私はガッカリ、たつぴは安堵する結果となりました。
そうしたら、改めて二の丸御殿に入ることにしましょう。 こちらの建物は、修理によって本来の姿に戻り、城主がいた頃の面影を感じることができます。二条城や熊本城のような派手な装飾はないのですけど、素朴な味わいもなかなかいいですよ。



それに、障子の向こうには、いい感じで天守が見えていますし。



その様子を眺めながら、ここで一句詠んでみましょう。直接逢うことはできなかったのですけど、やはり先ほどの白蛇をモチーフにしておきたいですね。う~む………
私が頭を抱えている側で、たつぴが「できた 」と言っていました。どれどれ………



白蛇と 自然に囲まれ 豊かだな

なかなかいいではありませんか なんか、清涼感みたいなものを感じますよ。それからしばらく経ち、私が練り出したものは………



白蛇の 名前を考え 来たけれど ジョー(城)という名 すでに賜る

私は白蛇に名前がついていなかったら何かと不便だと思い、こちらに来る前にあらかじめ名前を考えておきました。しかし案内によると、すでに「ジョー(城)」という名前がついているというではありませんか しかも、いい名前ですし。
ちなみに私がしたためてきた名前は、「シロさん」とか「ニョロちゃん」とかでした。なんか後者のほうは、白い様子がまったく採り入れられてないような………

御殿をひととおり見たら、いよいよお城の顔ともいうべき天守に登ることにしましょう。 掛川城の天守は、16世紀末に山内一豊によって建造されました。しかし、安政の大地震で最上階が転げ落ち、土台となる天守台も崩れたために撤去されてしまいました。
それから140年の時を経た平成6年に、資産家のお婆さんの資金と市民の寄付をもとにして、本格的に木造で復元されたのが、今日見られる天守なのです。

完成したばかりの頃は物珍しさから、麓まで長蛇の列ができていたのですけど、今はスイスイです。それでも、調子こいて一気に石段をかけ上がっていくと、けっこうヒザにくるのでご注意くださいませ。



ハアハア……… なんとかたどり着きましたよ。まだまだ若い者には負けんぞ いやそれよりも、天守は近くから見上げると、けっこう迫力がありますね。そうしたら、その中に入ることにしましょう。



掛川城天守は、本格的な木造での復元を謳っているだけあって、太い梁や柱、それに急階段が江戸時代そのままに再現されています。また、下から登ってくる敵に熱湯や鉄砲玉を浴びせる、石落としや鉄砲狭間の仕掛けもあるのですよ。



そして最上階まで登ると、市内や遠くの山々を臨むことができます。また、条件によっては富士山も見えるそうです。

掛川城は日本100名城に加えられていて、いろいろな面で味わい深いお城です。また、「日本100顔出し」なるものがあったら、先ほどのこだわりっぱのものも登録されていたに違いありません。 気になられた方がいましたら、ぜひ一度そちらのほうをご訪問くださいませ。


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京の避妊手術とその後

2012-08-11 00:01:01 | ニャンコ
こんばんは、白黒茶々です。
前回からの続きで、今回も我が家の末っ子ことのウチの子1周年特集です。 彼女の愛情のこもった(?)マーキングを受けた私は、避妊手術を決意したのですけど、果たして思惑通りに彼女を抑えることはできたのでしょうか?では、お京劇場第二幕の、はじまりはじまり~



銀の避妊手術の翌月に予算的にも都合がつき、いよいよ京にもその施術をすることになりました。しかし、その頃の彼女は、1歳を過ぎたというのに体重がわずか2,6キロ。それだけではなく、鼻からの気道が閉塞ぎみということもあって、全身麻酔を伴った手術に耐えられるのか、私は心配で仕方がありませんでした。 その動物病院には、箔母さんが連れていくことになったのですけど、私にとってはそれが京との今生の別れとなってしまうかも知れないのです。粗相はしてもいいから……… いや、これは別問題として、とにかく無事に帰ってきてくれ~

私の心配を受けながら京は家を経ち、動物病院の診察台の上に乗せられました。あとは獣医さんに任せて、箔母さんだけが退散するだけなのですけど、あろうことか京は獣医さんのスキをついて、診察台の上から逃走しだしたのです 嗚呼京ちゃ、何処へ行く。しかし、そこは締め切られた診察室の中だったので、あっさりと御用となりました。お京ちゃん、今度こそ本当に観念しなさいよ~



その後、獣医さんから何の連絡もなかったので、たぶん問題はなかったと思います。そしてその翌日、手術を済ませた京を、またしても箔母さんが迎えに行きました。 そのようにして帰ってきた彼女は………



まだキャリーから出る前の段階から、銀姉さんの攻撃を受けていました。 あ、このキャリーに見覚えがあるという方もいると思います。そうです この入れ物は、箔の電車用のキャリーなのです。 猫を外に連れ出す機会は滅多にないので、我が家では箔のキャリーを猫と兼用にしているのです。それよりも、たった一晩いなかっただけで、京に対しての銀の態度が変わるなんて。銀のほうも、早く通常モードに戻っておくれ。



手術直後の京は、両わき腹が引っ込んでいて、このような痛々しい姿に。 その1ヶ月前には、銀がこのような状態だったのですよ。



さらに彼女のお腹には、銀のときと同じようにガーゼが縫い込まれていましたよ。 それでも彼女は痛がったり落ち込んだりする様子もなく、普通に過ごしていました。



そんな京には抗生物質の薬が処方されたのですけど、体重が3キロ未満ということもあって、ハーフサイズに。そいつを、エサと一緒に摂取しなさいよ~

避妊手術から1週間後、京が抜糸することになりました。そちらのほうも箔母さんがお供することになったのですけど、もう命に関わるような心配はないでしょう。 京、獣医さんの前ではいいコにしてなさいよ~
しかし、その日の彼女はいいコではありませんでした。 診察台の上から再び脱走 ………とは、さずがにいかなかったのですけど……… その際には、数人の手で彼女を押さえ付けていたので。保定がキマッたら、京はまな板の鯉です。
ところが、彼女はそのような状態から首を斜め後ろににょ~~~っと伸ばし、あろうことか獣医さんの手に噛み付いたのです。 「おおっと、噛まれちゃったよ」「すみません、すみません、……… 」長年その道を進んできた獣医さんなら、患畜の行動パターンや攻撃範囲を読めるハズです。それを優に越えるなんて、京は恐るべき猫です。



京のことを書いていったら、彼女がいろいろなことをしでかしてくれたおかげで、かなり長くなってしまいました。持って生まれた性格に加えて、我が家での自由気ままな末っ子の立ち位地も彼女をそうさせたのかも知れません。それに、私の親バカもありますし。
そうそう、避妊手術をしてからは、京が粗相をしたという報告は聞かないようになりました。相変わらず黒姉さんのことをおちょくったりはしますけど、夜の大騒音のほうもなんとか治まりました。
ウチの子1周年といったら、美味しいものでも食べさせてその記念日を祝うところなのですけど、今回はちょっと違う展開になってしまいましたね。 それでも、京が来てくれたことによって、今まで以上にウチが賑やかになったので、良かったと思っています。最後になってしまいましたけど、そんな京と白黒茶々家との掛け橋となり、彼女を送り届けてくださったへげたれ妻さんにはとても感謝しています。へげたれ妻さん、ありがとうございました。


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京のウチの子1周年と悲しい愛情表現

2012-08-08 00:23:50 | ニャンコ
こんばんは、白黒茶々です。
茶トラ猫のが白黒茶々家に来てから、早いもので先月31日でまる1年となりました。 彼女はいろんな意味で我が家の刺激となり、今に至るまでたくさんの事件や武勇伝を作ってきました。今回はこの1年を振り返りつつ、彼女の功績についても触れていこうと思います。



夏真っ盛りの昨年の7月最終日に、京はへげたれ妻さんに連れられて、三重県の南端から遠路はるばるやって来ました。 そんな彼女に対して、先住猫のは激しく威嚇、先住犬の箔は静観していたのですけど、しだいに彼女らに受け入れられるようになっていきました。
特に銀は京の相手をよくしてくれて、追いかけっこや取っ組み合いにも応じていました。しかし、銀は活発な京に即発されて、今までやらなかったカーテン登りに手(前足?)を出までに。



一方の黒は我が道を行こうとしていたのに、京によって調子を狂わされたご様子。彼女はどちらかというとツンデレな性格で、人に甘えるところは京に見られたくないみたいです。
ある日のこと、黒は私に抱っこをせがみ、腕の中でゴキゲンにノドを鳴らしていました。そこに京が現れたら、「見ないでよ 」とでも言わんばかりに私から降り、怒りながら部屋を出ていってしまいました。 それでも、彼女は眠いときなどはいくら京が近付いても気にしないので、大丈夫なのですよ。



そんな毎日を過ごし、半年が過ぎたあたりで京は発情とも思われる行動をするようになりました。 たとえば、昼夜を問わず大きな声でアオ~ンアォ~ン と鳴いたり、いつも以上にしつこく黒姉さんに絡んだりと。こちらも、へげたれ妻さんとの取り決めで、いずれは避妊手術をすることになってはいたのですけど、やはり経済的な理由で延び延びになってしまいました。 「猫のヒートはせいぜい1週間~10日ぐらいで終わるから、今回はなんとかやり過ごすことにしよう」私は当初は、銀姉さんのときと同じように一過性のもので済むと思っていました。



ところが、前回のヒートの症状が治まってから、わずか10日~2週間ほどで再発しだしたのです。 しかも、「昼夜を問わず」というところがミソなのですよね。近所迷惑とまではいかないのですけど、京は家内迷惑をしまくっていました。
夜は、私とたつぴは一度寝てしまうと、たとえ耳元で大声で鳴かれたりお腹を踏まれたりしても、朝までぐ~すかぴ~なのですけど、箔母さんだけは寝付きが悪く、一度起こされるとなかなか寝られなくなるそうです。 そんな彼女の近くで、京は黒にちょっかいを出しまくり、黒が大きな声を出して怒りまくるものですから、翌朝には箔母さんは不機嫌&寝不足の状態に。「頼むから、夜の間は京ちゃを隔離して 」そのようなワケで私たちが寝ている間は、京は一室に幽閉されることになりました。それによって箔母さんの安眠は守られるようになったのですけど………



京は特に私になついていて、私が就寝するまでずっと待っていてくれるのです。 そして消灯した後、箔母さんとたつぴが先に寝ている2階の寝室まで付いてくるのですけど、その隣にある部屋に誘き出してドアをバタンと。これにて、無事幽閉終了となります。しかし、私にとってはこの瞬間がとても辛いのです。 京は私を信頼して、付いてきてくれたというのに……… とはいっても、箔母さんの安眠を守るためには致し方のないこと。すまない、京ちゃ。

京による夜の安眠妨害は、このようにしてなんとか解決しました。しかし、彼女はまた新たな問題を起こしたのです。
まだ寒い時季に私は、出かける際に着ていく上着を床の上に置いておきました。そうしたら京がそのニオイを嗅いでいる様子が見えた次の瞬間、なんとそこにシッコをしだしたのです 「お京、なんでそんなことを………」その数十センチ先には、猫用トイレがあるというのに。
「それは、猫が一番気に入っている人のニオイのするものにマーキングをして、自分の支配欲を示したいからですよ」と教えてくれたのは、私が出掛けた先にいた、猫の保護団体の方。「そうだったのか………」彼女の気持ちは嬉しいのですけど、そのような愛情表現はカンベンしてもらいたいです。



京の粗相は、それだけにとどまりませんでした。私たちの布団や座布団、押し入れの中のクッションなど、ありとあらよるものを汚染していったのです。挙げ句の果てには、私の足にシッコを噴射(スプレイ行為)までする始末。 「女の子なのに………」
そのことを獣医さんに相談してみたら、「他の猫との縄張り争いみたいなものが影響していることもあるので、避妊手術をすれば治まる。………かも知れない 」という回答がありました。避妊手術が絶対的ではなくても、できるだけ早くやっておきたいですね。しかし、その頃はGo!Catsからの圧力、いや、要求が強かったので、銀姉さんのほうを優先させなければなりませんでした。京の番になるまで、今しばらくの辛抱ぢゃ。

………と、私たちが京の避妊手術を決断するところまで綴ってみたのですけど、京話はこれから先もまだまだ続くので、このあたりで一旦仕切らせていただきます。後半のほうにもお付き合いしていただけると、とても嬉しいですでは、また。


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うなぎパイでうな丼を作ろう!

2012-08-04 00:01:01 | 探求シリーズ
こんばんは、白黒茶々です。
またしても、夏の話題です。 もう今年のぶんは終わってしまいましたけど、皆さんは土用の丑の日にうなぎにありつくことはできたでしょうか?今年は昨年以上にうなぎの数が少なく、それにともなって値段のほうも高くなったので、食べるのにはかなりの覚悟が必要です。
しかし今食べておかないと、もう二度と逢えなくなるのでは?という不安も付きまとってくるのですよね。さあ、どうする



そのような状況の中で、私は浜松市にあるうなぎパイファクトリーにやって来ました。 こちらは、私のような一般の客だけではなく、大型観光バスに乗って団体さんが来るほどの人気スポットとなっております。では、今から私が皆さんをそちらのほうにご案内致しますけど、その前にひとつお願いしたいことがあります。建物の中に入る際には、「リアルスコープZ」のように掛け声をしていただけないでしょうか?そうしたら、う・な・ぎ・Go



こちらでは、うなぎパイが作られていく工程を見ることができます。 小麦粉に砂糖、バター、ガーリック、うなぎ粉等を練り込んだひょろ長い生地が、焼かれて膨らむ様子。そいつにタレが塗られ、一つずつ梱包されていく様子などを見ていったら、うなぎパイ食べたい欲に駆られてしまいます。



なんか、欄干の柱もうなぎに見えてきてしまいましたよ。
※こちらの装飾は、もとからこのような形をしています。(編集部注)



工場の見学スペースを通り、うなぎパイシアターを出たところには、このような記念撮影コーナーも設けられています。 しかも、三脚の代わりとなる台座も用意されているのが嬉しいですね せっかくなので、こちらで1枚撮っておくことにしましょう。



さらに、その食べられない巨大うなぎパイの隣には、喫茶コーナーも設けられています。こちらでは、うなぎパイをアレンジしたミルフィーユ仕立てや、VSOPのクリームサンド、テリーヌなどのデザートをいただくことができます。



そこから順路にそって階段を降りたところには、私たちにとどめを刺すようにお土産コーナーがあります。 ノーマルのヤツもいいのですけど、ナッツ入りも美味しいですよ さらに真夜中のお菓子として、ブランデーを染み込ませたVSOPなんていうのも、いかがでしょうか?そして、すっかりうなぎパイ買いたい欲に支配された見学客は、大量の袋を手にしてこちらから出ていくことになります。



こちらのうなぎパイファクトリーでは、見学の際にお客様アンケートに記入すると、もれなく小サイズのうなぎパイがもらえるのですよ 私はそいつを大事に持ち帰り、あることに使うことにしました。 そのあることとは………

タイトルからして、バレバレですよね。 鋭い方だったら、うなぎパイファクトリーが出てきた時点で、私のもくろみを読まれていたかも知れません。とにかく、今回は5年ぶりに、うなぎパイを使ってうな丼を作ってみることにします。



前回は、うなぎパイを完全に抑え込むことができず、うな丼にしては甘ったるい味になってしまったので、今回はそのあたりを重点的に改良するようにします。
そういうワケで、まずはうなぎパイの表面に付いている砂糖の粒を、スプーンで剥ぎ落とすという下ごしらえをしておきます。

次に、そいつに熱湯をひっかけ、電子レンジの強で2分ほど加熱します。 そして、チンできたらどんぶりによそったご飯の上に乗せ、うなぎのタレと山椒の粉をかければ………



うなぎパイ丼のできあがりです 今回はどこまでうな丼に近付けることができたのか、楽しみですね。 では、さっそく試食へと入らせていただきます はむっ
こ、これは……… 多少サクサク感や甘さは残っているものの、タレや山椒が両脇を支えていることも手伝って、うな丼っぽい味がしましたよ うなぎパイに、うなぎ粉が使われているだけのことはあります。とはいっても、この味はたぶん、大人より子供のほうがウケるような気がします。
そんなトコで、今年の土用丑の日のうな丼祭りは、これにてお仕舞い。ちゃんちゃん と、締めてはみたのですけど、う~む………

うなぎの偽装品を食べたら、余計に本物の味を確かめてみたくなってしまいました。 そのようなワケで………



ちょっと奮発して、すき家でうな丼(780円)を注文してしまいました!冷奴と味噌汁の健康セット(100円)と合わせて、お召し上がりくださいませ~ こちらのうな丼は安価な外国産とはいえ、肉質がやわらかいうえに油も乗っていて、美味しかったです。

私たちをとりまくうなぎ事情は、年々厳しくなりつつあります。それでも、そのような中で新たにマダガスカル産のものを扱ったり、完全養殖の研究を進めたりと、対策は練られているみたいです。 どうか来年以降は、安心してうなぎが食べられますように~


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手筒花火をあげよう

2012-08-01 00:01:02 | 年間行事
………とはいっても、決して私が手筒花火を担ぐというワケではありませんよ。 また、手筒花火をプレゼントしたり、衣をつけて揚げたりもしません。 そういえば、皆さんへのあいさつがまだでしたね。では、改めまして、

こんばんは、白黒茶々です。
7月下旬の今は、夏真っ盛り。夜になっても暑い日が続いていますけど、皆さんは夏バテなどしていないでしょうか?そのような中で、少しでも涼しさを感じてもらいたくて、納涼の意味も込め、今回は花火のネタにさせていただきます。



お出かけするのだったら、やはり箔も連れていきたいですね。 しかし、彼はニガテな雷を放物させる花火や太鼓の類いはダメなので、一緒に観賞するのは厳しいのですよ。 そこで、私は………



パソコンの手筒花火の動画を、彼に観せてみました。 「動物のお医者さん」に出てくる二階堂は鼠がキライで、本の「鼠」という文字を触っただけで手を洗うほどです。箔も本当にダメなら、動画でも受け付けないハズです。しかし、おとなしく観ているようですね。



それなら、打ち上げ花火ならどうだ こちらも動じる様子はありませんよ。しかし、画面には写っていませんけど、尻尾のほうがだら~んと落ちているではありませんか。 これは、半強制的に連れて行っても、いいところで「早く帰りたいのだ」とか言い出しかねないぞ。そのようなワケで、今回も箔は家に置いておくことにしました。



今回私たちが観に行ったのは、湖西市でおこなわれる遠州新居の手筒花火。正式名称は「諏訪神社奉納煙火」といって、そちらの神社に奉納するために、毎年7月末の金曜日と土曜日の2日にわたって開催されています。この花火は、乾燥させた竹筒にムシロを巻き、さらにその外側を縄でぐるぐる巻きにしたものに火薬を詰めて作ります。そいつに火を点けて脇に抱え、逆噴射や火の粉に耐えながら練り歩くという荒行事(?)が江戸時代中期から脈々と受け継がれてきたのです。当時は火薬の類は厳重に取り締まられていたのですけど、関所のある交通の要所の宿場町でこのような花火がおこなわれてきたなんて、かなりスゴいことです。



そして、土用の丑の日と重なる7月28日の夜に、私とたつぴは手筒花火の会場となる新居小学校にやって来ました。 校舎がなんとなく赤っぽく見えるのは、グラウンドのほうでおこなわれている手筒花火の炎が反射しているからです。 そちらのほうに目を移したら………



すごい勢いで火柱が上がっていましたよ なんか、涼を求めてというよりは、かえって熱気を感じてしまうような。 この花火は上げる人が各々火薬を詰めていくのですけど、うまくやらないと底が抜けて一瞬で終わってしまうこともあるので、なかなか難しいのです。



私たちが観ているうちに、手筒の数が増えていきましたよ。 この調子でじゃんじゃん上げちゃってくださいませ。



さらに6本揃えで豪快に手筒花火を上げたら………

そのあとには細工花火が控えています。その絵柄は毎年変わっていて、人気マンガのキャラクターが題材になることが多いです。ちなみに、昨年は「ポケットモンスター」のピカチュウでした。そして、気になる今年の題材は………



湖西市の「コーちゃん」ではありませんか 私たちの住む湖西市は、市制施行から今年で40周年を迎え、そのことを記念して、今回は市章をモジって作られたこのキャラクターが使われたのです。一緒に「祝」と「40」の文字が浮かび上がっているのも、お分かりでしょうか?



さらに締めとして、櫓に3本の大筒がセットされた三双筒をやってくれるのが嬉しいですね こちらの手筒に点火すると、通常のものの倍ほどの20メートルもの火柱が上がり、かなりの迫力があります。 しかも最後には、はぜるというお約束があるのですよ。「 も~えろよ、もえろ~炎よ燃えろ~………」じゃなかった こちらでの掛け声は、「ソレダセダセヨ 」でした。

手筒花火は、翌晩には新居中学校のほうでもおこなわれました。 また、そちらのほうで出た大量の燃えカス、いや、手筒は、その後汚れないように手を加えられ、商工会のほうで1000円~の値段で販売されます。 そいつには魔除けの効果があるそうで、玄関や事務所等に飾っておくといいみたいです。しかし、すぐに売り切れてしまうので、ご注意くださいませ。
もし来年、手筒花火を観に行きたいという方がいらっしゃいましたら、ご一報くださいませ。私がご案内致しますので。


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