波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

箔の一周忌を迎えて

2019-03-30 02:54:45 | ワンコ
こんばんは、白黒茶々です。
が現世から旅立って、3月29日で1年になりました。 私にとっては長いようで短いような1年でしたけど、その間に彼のことを思い出すことはしばしばありました。 それは最期の悲しい記憶だけではなく、楽しい思い出も。さらには、彼にとっては墓場まで持っていきたくなるような恥ずかしい話も、ポロポロと出てきました。 そこから彼の性格を読み取ることができるうえに、死後1年も経ったらもう時効(?)となるので、メモリアル的な特番でもあるこの機会に、彼にまつわるいくつかのエピソードを暴露しようと思います。さらに彼の一周忌を迎えてからの、私の決意も述べさせていただきます。



箔は白黒茶々家の初代犬で、平成17年(2005年)5月22日に我が家の一員となりました。 とはいってもその頃には1歳3ヶ月にもなっていて、前の飼い主さんがある事情で彼を里子に出すことになったところに、私が手を挙げたのでした。その彼は社交的で人もワンコも好きだったのですけど、特に若い頃は血の気が多いのに加えて瞬間湯沸かし器男で、ドッグランデビューから間もなくして、その空間で居合わせたワンコと乱闘になりました。



それは私が止める間もないほど、あっという間の出来事でした。 しばらくは膠着状態だったのですけど、そこに相手ワンコにお友達の子が加勢して、形勢は一気に不利に。箔は完膚なきまで叩きのめされてしまいました。 そのあとは、飼い主どうしが「ごめんなさい ごめんなさい 」と謝り合ったのですけど、相手の飼い主さんは「途中まで互角でしたね」とも仰っていました。
一方の箔は、普段は自信にあふれていたのですけど、この時ボコボコにされた(ケガはありません)ショックが大きかったのか、かなり落ち込んでいました。 そんな彼に、私は「ほら、箔、おやつだよ」と、大好物のジャーキーをあげたのですけど、食べようともしませんでした。あの箔がですよ



そういえば、それから時を経て10歳ぐらいの時には、箔は全身サマーカットの無防備な状態で、分厚い毛の鎧で守られていたレオン君に戦いを挑んだこともありましたね。 ケンカの理由はわからないのですけど、やはりその時も惨敗でした。 なので、彼はケンカっ早いワリには、ケンカには弱かったのですよ。
しかしよく考えてみたら、いずれのエピソードも日記に書いたことがあったような……… それでも、長年の間に積み重なった日記の中から掘り出すのは大変で、私の記憶の倉庫から引き出すほうが手っ取り早いので、今回はそのようにさせていただきました。

そうそう、10年ほど前に琵琶湖オフ会に向かう途中で寄り道した際には、箔は私と一悶着起こしたことがあります。 秋とはいってもまだ暑さが残る時季で、それに疲れも加わって、彼は苛立っていたのかも知れません。 そのような情況の中、電車の時間が迫っていたので、私は彼のお尻を押して、力ずくで電車用キャリーの中に押し込もうとしました。そうしたら、彼にガウッ とやられ、手に流血するほどの傷を負いました。 その直後に、親切なタクシーの運転手さんにケガの応急措置をしてもらい、電車にも間に合ったのですけど………
目的地に着いて、キャリーから箔を出したら「おれっちはお父さんになんてことを………」と、猛省モードに入っていて、チワワより小さいスピッツになっていました。 彼はすぐにカッとなる性格なのですけど、その直後に我に帰るところは、親バカながらカワイイと思っています。



ワンコをメインにしたブログを書くには、その子が言っている……… であろうことを代筆することも多々あります。 その際には一人称が必用となるのですけど、箔には自分のことを「おれっち」と言わせていました。 「おれっち」といえば、「妖怪ウォッチ」ジバニャンが多用していますけど、その漫画の連載が始まったのは2012年12月のこと。 一方の「箔のつれづれ日記(開設時のブログ名)」は、その6年以上も前からやっているので、こちらのほうが元祖なのですよ ちなみに「おれっち」を考案したのは、箔母さんでした。
それから、彼のセリフの語尾に付いていた「~なのだ」「天才バカボン」バカボンパパではなく、「とっとこハム太郎」から頂戴いたしました。
それでも、それらを長いこと使っていると、箔が本当にそのように言っているように思えてくるのですよね。なんとなく、彼の性格とも合っていますし。



箔といえば、嬉しいかったり歓迎したり、おやつやご飯を要求するときなどに、2足立ちして前足をブンブン振る「前足ぶんぶん」の動きが、彼の代名詞といってもいいほど印象的でした。 その代わり、普通に2足立ちする「チンチン」はできなかったのですけど。 しかし、彼のブンブンは腰に負担がかかり、腰痛を起こしたときには獣医さんから「ブンブン禁止令」が出たほどでした。 その振りはかなり速く、高齢となってからもその勢いは衰えず、死の病が悪化した時まで続けられました。
しかし、このブログに載せたのはブレブレの静止画ばかりで、動画を載せたことは1度もありませんでした。 「箔君本ワンに逢った人にしか見せないのか?」と思っている方もいらっしゃるかも知れませんけど……… ただ単に、私が技術的にブログに動画を載せられなかっただけです。 私の記憶が確かなら、昔使っていた携帯電話でその動きを録ったことがあるので、それが発見できたら公開したいです。

そんな箔とまた逢いたいと思っているところに、「近い将来、亡くなった愛犬のクローンを作る技術が確立する」というニュースを耳にしました。 あの独特な性格で、唯一無二な箔が再び私の目の前に……… しかし、いろいろと考えてみた結果、そこまでして逢おうとは思わなくなりました。 命には限りがあるので、彼と一緒に過ごした時間は尊く、今でも私の宝物となっているのです。



あと1つ、箔との思い出話を挙げてもよろしいでしょうか? これは一昨年前の夏に波も伴って、川根本町にある塩郷の吊り橋を渡った時のものです。大井川とSLが走る線路と民家を跨ぐようにして架かるこの吊り橋は、かなり高くて幅が狭くて不安定なのですけど、彼は全く怖がらずにスタスタと渡っていきました。 一方の波は最初はビビっていたのですけど、先を行っていた箔が振り返り「おれっちが先導するから大丈夫なのだ」とでも言ったからでしょうか?彼女は彼のあとに続いていきました。
今思えば、仔犬だった波がウチに来た時から、箔は彼女にとってホッとできる存在となり、道しるべにもなっていました。なので、その姿を象徴しているこの写真を、私はとても気に入っています。 箔は亡くなるまでの間に、ある程度の道筋をつけていき、いろんなものを受け継がせていったので、波は元気で迷うこともなく今日までやってこれたのだと思います。そんな彼女のもとに、箔の一周忌を待たずして、どことなく彼に似ているを弟分として迎え入れました。



波と狛は、箔から渡されたバトンをしっかりと受け継いでいます。そして、箔の死から1年が経って、私はある決意をしました。 それは何かといいますと………
このブログのタイトルを「箔と波のつれづれ日記」から「波と狛のつれづれ日記」に変更し、サブタイトルのほうも「日本スピッツ箔+波とゆかいな仲間たち」「日本スピッツ波と狛と、ときどき箔」とさせていただきます。 私にとっては亡くなったあとも箔の存在は大きく、彼のことは忘れないのですけど、彼にはブログでは一線から退いてもらい、代わりに今を生きる波と狛にメインを務めてもらおうという考えに至りました。そんな彼らのことを、これからもよろしくお願いいたします。


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浜松フルーツパークで開催された「北区 De まつり」

2019-03-27 01:26:51 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
渚園でFCIドッグショーがおこなわれるのと同じ3月3日に、浜松市北区では「北区 De まつり」が予定されていました。 毎年、都田総合公園を会場にして、三遠南信(愛知県東部+静岡県西部+長野県南部)の各地域からの出店やブースがあり、さらにそれらの地域のご当地キャラも集まって、多くの人で賑わいます。



しかし今年は同じ北区でも、その会場を浜松フルーツパークにするというではありませんか そのテーマパークは普段は有料となっているところを、そのイベント中は無料になるそうですけど……… フルーツパークって、ワンコを連れて入れるところでしたっけ? 以前は園内にドッグランが設けられていて、ワンコにも優しい施設だったのですけど、数年前に経営者が代わったので、そのあたりも以前とは違うのかも。案内の広告を隅から隅まで見てみても、ワンコのことには一切触れていませんし。

そこでフルーツパークのHPを開き、その「よくあるご質問」コーナーを読んでいったら……… 《Q》園内の入場にペット同伴は可能ですか?(2016年4月改定)《A》申し訳ありません。盲導犬、聴導犬、介助犬を除き、ペットを連れてのご入園はお断りいたします。(原文ママ)………とありました。
そんな……… 以前の会場は、ワンコと一緒に気軽に廻ったり、ゆるキャラたちとも写真を撮れたのに、今回は人間だけが楽しむことになるなんて。 それならば、せめてそのイベントの締めで蒔かれる餅を持ち帰って、を喜ばせるようにしたいです。 ということで、今回はワンコの有無に関係なく、私は浜松フルーツパークに行くことにしました。

そして「北区 De まつり」の当日となったのですけど、その日は朝から雨でした。 それでも私は「雨のお出かけは厳しいので、波狛ちゃへの申し訳ない度が下がるし、来場者の数も減って会場にはすんなりと入れるから、かえってよかったよ」前向きでした。 ということで、午前中はドッグショーに行き、会場にはお昼頃に到着できればいいと思っていました。ところが………



フルーツパークへの道は、2kmほど手前から大渋滞。 その施設は1千台近くもの大駐車場を備えているのですけど、それを上回るほどの車が押し寄せているのでしょうか?いや、目的地までは一本道なので、集中し過ぎているのかも知れません。いずれにしても、せっかくここまで来たのだから、気長に粘ってみることにします。

それから1時間が経った頃、私はまだ大渋滞の中にいました。 しかもそれだけ待っても、650mぐらいしか進んでいませんし。いや、途中で諦めて引き返していった車のぶんだけ前に詰めただけなので、進んだことにはなっていないのかも。
こんなに待っても、たどり着けないなんて……… その段階で、今回のフルーツパークへの会場の移転は失敗だったと言ってもいいでしょう。 それだけではなく、その頃の私は尿意にも支配されつつありました。 できることならもう少し粘りたいのですけど、限界が近付いています。 しかし、目的地は見えてきませんし。実は、私は失敗したり目的を達成できなかったとしても、それをネタにしてしまうことがしばしばあるのですよ。なので「今年の『北区 De まつり』は、会場にたどり着けませんでした」として、波と狛には餅を持ち帰れなかったことを詫びるとする選択肢もあるのですけど。 さあ、どうする

そのような中、スマホで地図検索をしていたら、ちょっと離れたところにある程度の規模の駐車場を持った公園を見つけました。 さらにそこにはトイレも設けられていていました。 その公園からフルーツパークまでは1,7km。歩いていけない距離ではないので、そこに車を置いていけば、正攻法で行くよりはかなり早く本来の目的地にたどり着けます。 しかし、ずっと前から死守してきた車列を離れてその公園に行ってみたものの、その駐車場が満車で入れなかったら、目も当てられませんし。 それよりも、膀胱が………



結局、私は一か八かの勝負に出ることにしました。 その結果、なんとか1台ぶんは空いていたので、車を止めておくことができました。 それから、トイレもギリギリ間に合いましたし。そうしたら、あとは渋滞している車道を尻目にして、フルーツパークに向かって歩いていくだけです。



その途中で、都田川に架かる天竜浜名湖線都田川橋梁が見えてきました。 その鉄橋は戦前に建設され、現在国の登録有形文化財に指定されています。「そういえば私は昔、その下で泳いだことがあるなぁ」と思いつつカメラを構えていたら、ちょうど天浜線の列車が鉄橋を渡ってきました そこからその鉄道のフルーツパーク前駅は近く、目的地も射程圏内に入ります。 それからさらに10分ほどで………



私にとっては初めてとなる、浜松フルーツパークにたどり着きましたよ その正面入口前には、自衛隊の車両やパトカーなどが展示されていました。



フルーツパークというだけあって、果物型の遊具がありましたよ。 雨が降っていなければ、それらに子供が群がっていたことでしょう。



それと、ワンコにも優しかった頃に造られたと思われる、見るからにドッグランのところは、柵に囲まれた子供用の砂場となっていました。



その園内の通路には、美味しそうな露店が所狭しと並んでいて………



五平餅を焼く香ばしい匂いが、私を誘惑しました。 そのような中で………



私は無料のポン菓子を手にしました。 これを食べ終わったら………



地域の特産品や軽トラ市が並んでいるエリアに向かいますよ しかし、スペースの制限があるからなのか、それらは園内を周回するようには設けられていなくて、かなり遠くまで続いていました。 その突き当たりに、ミニ新幹線やけむり体験、甘酒(無料)などが集まるエリアがありました。



ところが、私がそこにたどり着いた時には甘酒は終わっていて、やり遂げた感のある顔をしたスタッフがゾロゾロと引き揚げていました。 引佐(いなさ)牛乳が入った甘くてまろやかな甘酒、飲みたかったのにぃ~



それでも、同エリアにある地元FM局のK-mixのブースは賑わっていました。 「K-mix FOOO NIGHT ピンソバ」のパーソナリティーの、バカボン鬼塚さん高橋茉奈さんは今年も来ていて、ファンとのサインや記念撮影に応じていました。 やはりこちらには昨年と同じように長蛇の列ができていたので、その様子を見てヨシとしておきました。その一方のイベントステージでは、まもなくカッセイカマンプロジェクトが始まるので、そちらのほうに急ぎます



ハアハア……… なんとか間に合いましたよ。地域戦隊カッセイカマンは、私にとっては「オカザえもんのおともだちプロジェクト5」も含めると、2週連続となるのですけど、今回は悪役のフキョーダの出番もあります。
架空請求詐欺に遭いそうになったフキョーダは、すんでのところでカッセイカマンたちに助けられたのですけど、そのお礼と偽って、洗脳薬が入ったリンゴジュースをダイコンレッドオオグテブルーに飲ませてしまいます。 残されたコスモスピンクは、彼らを救うことができるのできるのでしょうか
そのあと、ステージでは「みかんの皮 De 長むき大会」を経て………



三遠南信のゆるキャラたちが大集合しました。 こちらのうなもも、私にとっては2週連続となりますね。しかし、この日は雨でカッパを被っていて、這ったあとが濡れていたこともあって、彼(彼女?)がナメクジに見えてしまいました。



出世大名家康くんと出世法師直虎ちゃんは、「北区 De まつり」ではすっかりお馴染みとなりましたね。



その他に、さくまるなどたくさんのご当地キャラが集まり、今回のイベントは締められました。
………と思いきや、大事なものを忘れるところでした。 そうです 餅蒔きです。以前、このイベントが雨だった時は、餅蒔きはおこなわれず、代わりに小分けにされた餅とお菓子を帰る人たちに配っていたので、私は今回もそうなるものと思っていました。



ところが、雨の中だというのに、こちらの建物の上から餅を投げるというのです しかし、波狛ちゃと約束してしまったので、餅を持ち帰らなければなりませんし。 いや、頼まれていなくても拾いたいです。
ちなみに、真ん中にいる白っぽい透明のレインコートを来ているのが、バカボン鬼塚さんと高橋茉奈さんです。 彼らも餅を投げるみたいですね。そのような中で、下のにいたファンの1人は「鬼塚さん、肩を壊さないでください 」と投げかけました。それに対して、彼は「もう壊れてるよっ 」これには一同大爆笑でした。 何回も述べてきたのですけど、餅拾いはポジショニングが重要で、私はこの時は前過ぎない中間地点で構えていました。その結果………



餅6コ(1コは帰りながら食べました)とお菓子1コしか確保できませんでした。 高橋茉奈さんは肩が弱く、他のイキのいい方は遠くまで飛ばしまくったこともあって、私のところにはほとんど落ちてこなかったのです。



それでも、波と狛にあげるぶんは充分あります。 波ちゃ、狛ちゃ、お餅ですよ~



彼女らには、まるごとあげたいところなのですけど、ノドに詰まらせないように小さくちぎっておきました。 しばらく見入ったら、お食べなさい



彼女らは勢いよく喰らい付いたのですけど、テイク1でいい感じの写真を撮ることができました。 もちろん、そのあとも餅をあげましたよ。
今回、思い切って浜松フルーツパークに会場を移して開催された「北区 De まつり」。 ワンコの入場制限や大渋滞、それに会場のレイアウトが機能的ではなかった、………など、私にとっては不満な点が多かったです。 それでも、来年も来たいかどうかと聞かれたら、やっぱり来たいです。 できることなら、来年以降の会場は従来通りの都田総合公園にしてもらいたいと言いたいのですけど、フルーツパークだとしても、車を周辺の広い空き地などに止めさせて、そこから会場まではシャトルバスで移動など、改善できる点はあるハズです。 いずれにしても、次回は雨の落ちていない会場を、思いっきり堪能したいです。


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今川義元の汚名返上なるか!?

2019-03-23 01:54:59 | 人物伝
こんばんは、白黒茶々です。
2019年の今年は、今川義元の生誕500年ということで、彼の顕彰事業がおこなわれつつあります。 そんな義元公にあやかって………



ウチにいる狛川義元公を白塗りにし、さらにまろ眉も描いてみました。 ところで皆さんは、義元公に対してどのようなイメージや情報をお持ちでしょうか?「白塗りの顔にまろ眉やお歯黒をやっていて、公家気どり」とか「足が短すぎて馬に乗れなかったから、輿で桶狭間に行った」とか「その桶狭間では、2万5千もの大軍を率いながらも、わずか2千の織田信長軍に討ち取られるなんて、油断しすぎ」とか、……… 凡将または愚将などとも呼ばれ、評価は散々なものが多いみたいです。
そうしたら、彼の最新の肖像画は出るでしょうか?



う~む……… いちおう「海道一の弓取り」という誉め言葉は付いているのですけど、出で立ちがあんまりです。 いきなりどん底に落ちてしまいましたけど、今回は今川義元のゆかりの地を訪れながら彼の生涯を追っていき、さらに最新の歴史家や落語家が出した彼への評価にも触れさせていただきます。 あと、彼に関してのゆるキャラ事情なども。



………ということで、私は今川義元が生まれ育ち、拠点としていた静岡市にやって来ました その駅前には、義元のもとで人質生活を送った竹千代(のちの徳川家康)の像が設置されていますね。さらに2020年までには、この近くに今川義元公の銅像が設置されるそうです。 とはいっても、私が取材に行ったのは、金箔瓦や発掘現場や静岡おでんを目当てに駿府城を訪れた、1月13日のことでしたけど。

今川義元は、永正16年(1519年)に今川氏親の5男として生まれました。 ちなみに母は寿桂尼で、幼名は芳菊丸といいました。すでに長男の氏輝が跡継ぎの有力な候補に決まっていたこともあって、芳菊丸は4歳で仏門に出されることに。 彼は駿河国富士郡瀬古・善得寺の太原雪斎のもとに預けられ、栴岳承芳(せんがくしょうほう)と名を改めました。しかし、その後は雪斎とともに寺を転々としていったそうです。
のちに彼は、長兄の氏輝に呼ばれて駿河に戻ったのですけど、天文5年(1536年)に氏輝は急死。 彼に継承権がめぐり、還俗して今川義元と名乗りました。



静岡駅から12分ほど歩いていったら、駿府城が見えてきました。 このお城は、徳川家康今川館があったとされる地に築いたとされていて………



昭和58年(1983年)に県立美術館を建設するためにそのお城があった駿府公園(当時の呼び名)内を掘ったら、今川館と思われる中世の城館址が発見されたのです。



一緒に陶器の破片なども出てきたみたいです。 結局、調査後にその遺構は埋め戻され、美術館は他の場所に建設されました。駿府城の天守台周辺の発掘プロジェクトの最終年となる2019年度は、今川館の推定地を再調査することになっているのですけど、そこで今川氏の歴史に関わるような重大な発見があるといいですね。



静岡県庁の別館の21階の富士山展望ロビーからは、眼下の駿府城公園や静岡市内を一望するだけではなく、北西の方向に臨済寺を臨むこともできます。 ちょっと遠いのですけど、今からそちらに向かって歩いていきながら、今川義元の話の続きをさせていただきます。
義元は、家督を継いだ翌年の天文6年(1537年)に、甲斐の武田信虎の娘(定恵院)を正室に迎え入れ、武田氏と甲駿同盟を結びました。 しかしその結果、相模の北条氏と対立することに。



静岡県庁から徒歩18分ほどで、静岡浅間神社に到達。こちらも今川氏にゆかりがあり、義元のもとで竹千代が元服し、松平次郎三郎元信(まだ徳川家康の名前から程遠い )を名乗ったところでもあるのですよ。
義元は戦国大名との戦いや駆け引きだけでなく、内政にも力を入れていました。 天文22年(1553年)には、今川仮名目録に21条を新たに追加。それは時代の変化に対応できる法の整備というだけではなく、今川領国内の秩序維持は足利将軍家ではなく、今川氏が独自におこなうと宣言したことを意味しています。 さらに京文化を駿府に運び込んだり、金山の開発や商業の発展にも貢献しました。
浅間神社から、さらに20分ほど歩いていったら………



臨済寺にたどり着きましたよ
正面に立派な山門を構えているこちらのお寺は、今川氏の菩提寺でもあります。 前身は先述の善得寺で、天文5年(1536年)に義元はお寺の名前を臨済寺と改め、大休宗休を開山として招き入れ、その年に急逝した氏輝を同寺に葬りました。その次の住職として就いたのが、雪斎なのですよ。彼は竹千代の教育をする一方で、今川氏の軍師としても活躍しました。



こちらのお寺は修行僧の専門道場となっていることもあって、建造物や庭園内は非公開となっています。 それでも、境内の一部は自由に散策できるので、今回はその範囲内を廻らせていただきます。 ちなみに、私の目の前にある大きな新仏殿は、平成9年(1997年)の建立であります。



本堂(大方丈)に続く石段と塀の佇まいからは、厳かさと歴史の重みを感じます。
落ち着いたところで、再び義元の話に戻らせていただきます。 彼は、天文23年(1554年)には嫡男の氏真北条氏康の娘(早川殿)を縁組みし、武田氏に北条氏を加えた甲相駿三国同盟を結成 その頃には、武田氏や北条氏と渡り合えるほどの勢力があったのですよね。



入母屋造りで柿葺きの屋根を持つ本堂(大方丈)は江戸時代前期の建築で、国の重要文化財に指定されています。



その臨済寺は、春と秋の2日間に特別公開が行われ、その際にはお寺が所蔵している義元公の木製坐像も見ることができます。こちらの像は、顔が引き締まっていて、凛々しいですね。
三国同盟の翌年の天文24年(1555年)の第二次川中島の戦いでは、義元は武田晴信(のちの信玄)長尾景虎(のちの上杉謙信)の仲裁に入って、両者の間に和睦を結ばせたりもしました。



臨済寺の境内には、義元公生誕500年に間に合うように、昨年の平成30年(2018年)に今川神廟が再建されました。 こちらは義元の廟所(胴塚)であります。
永禄3年(1560年)5月に義元は、2万5千の大軍を率いて、西に進んでいきました。 その目的は、最近までは上洛とされてきたのですけど、尾張の織田信長を征伐しようとしていたというのが有力です。現在の名古屋市緑区大高近辺にあった織田方の諸砦を次々と落としていき、今川軍は桶狭間で休憩していました。 その地形や天候、敵軍の情報なども味方につけていた信長は、わずか2千の兵で今川軍を奇襲し、義元は討ち取られてしまいました。 享年42歳。
その際には、確かに馬ではなくて輿に乗っていたのですけど、これは今川氏が足利将軍家の血を引く名門で、輿に乗ることを特別に許されていたからでした。なので、決して足が短かったとか乗馬がヘタだったというワケではありません。信長との格の違いを見せつけたかったという気持ちがあったのかも知れませんけど、それがかえって仇となってしまいました。

それから、白塗りまろ眉お歯黒の出で立ちは彼のオリジナルではなく、当時の他の戦国武将も、化粧をして戦に向かっていたそうです。 それに近い話として、信長は自分を窮地に追い詰めた浅井久政長政親子と朝倉義景を、見せしめのために髑髏(ドクロ)の盃にして、そのことが後世になって顰蹙(ひんしゅく)を買ったのですけど……… やはり当時の戦国武将の間では、同じようなことがおこなわれていたそうです。 いずれにしても、なんて原始的で野蛮で大人げない行為なのでしょうか

歴史家で今川義元の研究を進めている小和田哲男氏は、「桶狭間の敗戦だけで、義元が築いてきた業績や人格まで否定されるのは忍びない。彼の正しい知識を身に付け、静岡で誇れる人物だということを理解してもらいたい」と仰っていました。



それから、静岡市出身で今川義元ファンで落語家の春風亭昇太さんは、大河ドラマ「おんな城主 直虎」の義元役のオファーがあった際に「彼が今までのような凡将や愚将の役どころだったら、受けない」と言ったそうです。 多くの歴史は勝者側によって綴られるので、必ずしも正しいとは限りません。なので、定説を鵜呑みにしないで、あらゆる角度から検証していきたいですね。 それにしても春風亭義元は、凄みがありますよ。
今川氏は氏真の代に戦国大名としては終わったのですけど、彼は天寿を全うし、子孫は徳川家に仕えて細々と存続していきました。



そんな今川義元ですけど、桶狭間の戦いがあった豊明市では、ご当地キャラとして「のぶながくん」と「よしもとくん」なるものが作られました。激しい対立の歴史に反して、こちらの両雄はいつも一緒で、大の仲良し。



その一方で、義元の出身地の静岡市では、非公認キャラながらも「今川さん」が誕生ました。 その隣には、小和田氏も写っていますね。 こちらは桶狭間で敗れた悔しさから、まぶたからこぼれる涙を有しているのですよ。さらに、その今川さんは………



生誕500年の今年に入ってから、甲冑バージョンのものも作られました。 こちらもいい味を出していますね。 さらに調子に乗って「氏真くん」とか「寿桂尼ちゃん」とかいうゆるキャラが生み出されたら、見たいような見たくないような……… とにかく、今川さんの今後の行方からも、目が離せません。


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月に降り立ったネコ型ロボット?映画ドラえもん「のび太の月面探査記」

2019-03-20 01:43:59 | 映画情報
こんばんは、白黒茶々です。
春先になると、アニメでも特にシリーズ化している映画の公開が続々と始まりますよね。 ここまで来ると、もう恒例行事というか春の風物詩と言ってもいいでしょう。 そのような中に、「ドラえもん」「のび太の月面探査記」がありました。



私はおおよそ2年に1度のペースでドラえもんの映画(略してドラ映画)を観ていて、それがいつの間にか暗黙のルール(?)というか、マイルールとなっていました。 ちなみに昨年は「のび太の宝島」を観に行き、その作品はドラ映画史上最大のヒットだということもあって、満足することができました。 今回は月が舞台で、オリジナルキャラの少年や少女に加えて、多数のウサギも出てくるみたいですね。それに、過去の作品のリメイクではなく、直木賞作家の辻本深月さんが脚本を手掛けたというではありませんか しかも、彼女の名前の中にも月がありますし。
その映画の公開する日が迫っている頃に、私が読んでいる週刊漫画誌や雑誌に辻本さんのドラ映画に関しての対談などが載るようになりました。 ドラえもんのファンであることを公表する芸能人が続出しているのですけど、彼女も大のファンだそうです。そんな彼女にドラ映画の依頼があったとき、最初は躊躇したそうです。それでも、原作者の藤子・F・不二雄先生が亡くなったあとも毎年のようにドラ映画が上映されてきたのは、たくさんのクリエイターがF先生の遺志を受け継いできたからで、彼女もその役割を果たしたいと、次第に思うようになりました。 そんな彼女が、今回の映画の冒険の舞台に選んだのは……… ドラえもんたちは、ほぼあらゆる時代や場所に行っていて、もう出尽くしてしまったのでは?いや、まだ月面着陸はしていなかったような。 そうだ 月にしよう。このようにして、今回の映画の土台はできあがりました。
映画の裏話からして、なんてドラマチックなのでしょうか もうこうなったら、私のドラ映画観賞の1年おき縛りはやめます ということで、私は3月1日から公開が始まった「のび太の月面探査記」を観に行くことにしました。



………という流れで、やって来ましたよ 県境を挟んだ愛知県豊橋市にあるユナイテッドシネマ豊橋18に。今回は日曜日の朝一番の上映を狙っているのですけど、昨年は同じようにして来たら売り切れていたので、チケットを手にするまでは安心することはできません。 すでに、同じ映画が目当てと思われる親子連れがたくさん押し寄せていますし。やはりドラ映画は大人気で、300席の部屋は全て指定席だったのですけど、私はなんとか席を確保することができました。
あとはその席に座って本編が始まるのを待つだけです。ということで、その間はいつものごとく近々公開が始まる予定の作品を、予告編を流すような感じで紹介いたします。



まずは「えいがのおそ松さん」です。 赤塚不二夫先生の代表作ともいうべき「おそ松くん」たちが大人になった姿を描いた「おそ松さん」。その人気アニメがこの度、映画化されました。
二十歳を過ぎても、クズでニートで童貞で彼女ナシの6つ子の彼ら。ダメ人間でもどこか憎めず、観るほうもつい引き込まれてしまうのですよね。それに、美声の声優を集めていますし。 この映画は「少年時代の『おそ松くん』と、青年になった『おそ松さん』を繋ぐストーリー」と銘打っているだけあって、彼らはタイムスリップし、「その時代に大きな後悔を残している人物がいる」という言葉の真実を確かめようとするのですけど………
この作品は現在公開しているので、気になる方は映画館までおそ松さん6兄弟に逢いに行ってくださいませ。



次は、春の映画としてすっかり定着している「名探偵コナン」です。 今回のタイトルは「紺青(こんじょう)の拳(フィスト)」。「拳」と書いて「フィスト」と読ませているのですよ。
今回の舞台はシンガポールで、かつて海底に葬られたという伝説の秘宝「紺青の拳」を巡って、怪盗キッドが暗躍。 彼にハメられたコナン君アーサー・ヒライを名乗り、そちらでの事件に携わることに。 最強の空手家の京極真と対峙することになった怪盗キッドは、さらに絶体絶命の危機に遭うが、果たして彼の運命は………
今回の作品は、今まで以上に爆破シーンが多いみたいです。 そのことも含めて、私はコナンファンの箔母さんにいくつかの質問をしてみました。「爆破シーンのあと、コナン君の足元に焼死体が転がっているってことは?」「ない」「じゃあ、怪盗キッドが死んだら、コナン君が消滅するなんてことは?」「それもない 」すでに彼女が観に行くことを宣言している今回のコナン映画は、いよいよ4月12日から公開が始まります。




そして、お約束の「ノーモア映画泥棒」の映像が流れたあとは……… まだ予告編が続いていたりするのですよね。 しかし、全部やっていたらキリがないので、このあたりで本題の映画ドラえもん「のび太の月面探査記」に入らせていただきます。



ある秋の日に、ニュースで月に送り込まれた探査機が白い影を捉えた映像が映し出されました。 ジャイアンらがいる学校の教室で、その話題で盛り上がっているところに………



のび太は「あの正体は、月のウサギだよ」と主張したのですけど、まわりは大爆笑。 「ドラえも~ん 」しかしドラえもんにも相手にされず、のび太はイジけてしまいます。 「月にはウサギがいるって云われてきたのに、いつからいないことになってしまったのだろう」。



それを見かねたドラえもんは、異説クラブメンバーズバッジマイクを出しました。 それらの道具を使うと、自分たちの信じている世界を共有することができるのです。「月の裏側には空気があって、生き物も住める 」とした2人は、どこでもドアで月の裏側に行き、ピッカリゴケどこでもじゃぐちインスタント植物のたねなどで環境を整え、さらに動物ねんどでウサギのムービットを作りました。そして、ムービットの文明がある程度発達したところで、ジャイアンスネ夫しずかちゃんらを招待するのですけど………
んんっ?この展開は、どこかで見たような気がします。



そうだ そちらでは、のび太が学校の裏山で見つけた穴を「地底人の住む世界の入口だ」と主張していました。 やはり誰にも相手にされず、悔しがったのび太は、ドラえもんの協力を得て、地球空洞説をもとにした地底人の国を造ったのでした。 ちなみに、その話のタイトルは「異説クラブメンバーズバッジ」。それもそのハズ。今回の映画は、その話をヒントにして作られたのですから。



話は映画のほうに戻って、のび太は月の裏側にウサギ王国を造ったのですけど、彼のクラスに不思議な少年ルカが転校してきました。ルカはのび太の月のウサギの話が気になるみたいで、いよいよみんなしてバッジを付けてウサギ王国に行くというところに、彼も加わったのでした。



場面は変わって、遠い宇宙にある荒廃したかぐや星を支配しているディアボロは、部下のゴダートに「この星を救うには、エーテルの力が必要だ。その力を秘めたエスパルを捕らえ、連れて帰るのだ 」という命令を下しました。



ドラえもん一行は、月のウサギ王国でムービットたちの歓迎を受けました。 しかし、そこにウサギ怪獣が現れて、大暴れ。 それは、のび太が動物ねんどで作り損ねたウサギが怪獣化したもので、ノビットと名付けたウサギを連れ去っていきました。 のび太はウサギ怪獣を追ったのですけどアクシデントに遭い、バッジも外れてしまいました。 それがないと、人間は生きることのできない宇宙空間に放り出されるというのに。彼は大丈夫なのでしょうか?



なんとか無事でした。 そこに現れた、エーテルという特殊能力を持つルカによって、のび太は助けられたのです。 ルカはエスパルの仲間とともに月の裏側にコロニーを造り、そこでひっそりと暮らしていました。 彼らはかぐや星で1千年以上も前に生み出されたのですけど……… 「地球の年に換算すると、千と11歳」って、ルカはデーモン閣下みたいなことも言っていました。



そんなエスパルたちを、母親のようになって世話していたのは、ルカの姉のルナでした。ちなみに彼女の声は、広瀬アリスちゃんが担当しています。 それからそこには、未来を予言し強力な破壊能力を秘めた幼児アル、足の速さと宇宙一硬い甲羅が自慢のツキノワリクガメのモゾなどもいました。
ドラえもん一行は、エスパルたちとも親睦を深めていたのですけど、そこにゴダートの部隊が現れ、エスパルたちを次々と捕獲していきました。 ドラえもんたちはどこでもドアで脱出したのですけど、そんな緊急事態の中で、ルカだけは「この場に残る」と言い出したのです のび太は「だったら僕らも(残る)!友達だろ 」それに対してルカが返した「@Δ※#☆% 」という言葉に、私はウルっときてしまいました。 まわりにいた大人と思われる方も、鼻をすすっていましたし。



囚われの身となったルカを含めたエスパルたちは、かぐや星に連れていかれたのですけど、物語はそこから佳境に入っていきます。 ドラえもんはルカたちを助けに行くために、彼が残していった宇宙船の改造に着手し「今夜出発する。危険な旅になるから、覚悟のある者だけ来るように」と告げました。 一方のかぐや星のほうでは、ディアボロが地球を侵略すると言い出しましたし。 果たして、ドラえもんたちやルカたちの運命は………

今回のドラ映画は、脚本がしっかりしていることもあって、全体的な展開もいい感じで配分されています。 ストーリー的にも素晴らしく、笑いあり涙ありで最後まで楽しむことができました。



それだけではなく、映画限定の登場人物もいい 特にルカの敵だと思われていたゴダート様が、実はかぐや星の再生を願う心優しい男で、ルカに「ここはオレにまかせて、お前は逃げろ 」と言ったところに、私はグッときました。 彼役の柳楽優弥君の声も良かったですし。シャアを思わせるようなマスクも、いいですね。 なので、なるべくそいつを脱がないでください。



それからドラ映画では、お笑い芸人がゲスト出演するのがすっかりお約束となっております。 しかも敵方の配下の役が多く、今回は中岡創一さん(ロッチ)と高橋茂雄さん(サバンナ)が担当していました。



あと、わすれろ草エスパーぼうし空気砲コエカタマリン、………など、久しぶりに見た道具のことも話し出したらキリがないので、ハショらせていただきます。
それよりも、映画の最後を飾り、エンドロールで流れる平井大さん「THE GIFT」も、映画のイメージに合っていていいです。 前作の星野源さんの押しの強くて脳にドドドドくる「ドラえもん」とはうって変わって、こちらの曲はしっとりと心に染みます。 特にサビの部分の「忘れないよ 僕らが重ねた運命は 同じ空 同じ星の下で 輝いてる」とか「忘れないで 僕らが出会えたキセキを そしてキセキは信じるものだけに贈られるモノ」のあたりは、手の届かないところに行ってしまった大事な者とは、今思うと奇跡のような毎日を一緒に過ごしていたような気がします。ということで、昨春に亡くなったや、お友達のワンコたちのことを重ねていました。その歌詞は、のび太が最後にルカに贈った「離ればなれになって
も、お互いにイメージし合えば、いつでも逢えるよ」という言葉にも繋がっています。

ドラ映画は、別ルートで作られた「STAND BY ME ドラえもん」の公開がきっかけとなって大人のファンが戻ってきたみたいで、それ以降は観客動員数も増え続けてきました。 感動のツボや印象に残ったシーンなどは年代によって異なるのですけど、ドラ映画は老若男女を問わずに楽しむことができます。 実は、子供だけの映画ではなかったのですよ なので、ある程度の年齢にいったからといって自ら卒業したり、子供をダシにして行く必要も、もうありません。 そういう私も、ドラえもんのファンと言っていいのかも知れませんね。



それからドラ映画は、絶対にエンドロールの途中で席を立ってはいけません。 最後の最後で、来春公開する作品のヒントがチラッと出るので。 ちなみに今作品のラストにあったのは……… 月面で「みんな、今回の映画は面白かった?」と言っているドラえもんを、恐竜(ティラノサウルス?)が睨み付けました。 ドラえもんは焦ったのですけど、次の瞬間には彼は恐竜(首ナガリュウの類)の背中(首もと?)に乗って、颯爽と走り去っていきました。 ということで、次のテーマは恐竜みたいですね。 その前にまだ「月面探査記」は続いているので、気になる方は「子供の………」の先入観を捨てて映画館に行き、ドラ映画に対してのさまざまな想いと、来場者がもれなくもらえる小さいおもちゃをお持ち帰りくださいませ。


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波、5回目の誕生日を迎えました。

2019-03-16 01:24:01 | ワンコ
こんばんは、白黒茶々です。
3月12日はの誕生日で、今年で5歳になりました。 それから、同じ日に生まれたゆめちゃんキッズのまなちゃん来夢(ライム)ちゃん一歩ちゃんなつちゃん夢来(むく)君やよっちさん、私の甥っ子のH君も、おめでとうございます。 犬の5歳は、人間の年齢に換算すると、38歳にもなるというではありませんか ちょっと前まで子供だと思っていたのに。月日の経つのは早い……… というか、ワンコのほうは猛スピードで突っ走っているように思えます。

その波を、初めてお逢いした人に紹介する時、私は「保護犬2世の日本スピッツ」と説明しています。 すでにご存知の方もいらっしゃると思いますけど、波はウチに来るまで数奇な運命をたどって……… いや、そうだったのはむしろ、彼女のお母さん犬のゆめちゃんのほうでした。
ということで、話は今から2年前の2月にまでさかのぼります。その頃廃業したブリーダーが、これまで繁殖のために飼育していたスピッツの女の子を放棄し、その子は殺処分寸前にまで追い込まれていました。 そんな彼女に、私のスピ仲間のけいママさんが救いの手を差し伸べられたのですけど……… その子は保護した直後はガリガリに痩せているうえに毛も抜けていて、悲惨な状態だったそうです。 そんな彼女にけいママさんはゆめちゃんと名付け、まずは体力を回復させ、通常生活に入れるように努められました。 さらに、けいママさんがゆめちゃんの避妊手術をするために、動物病院に連れていったら、なんと彼女が妊娠していることが発覚



それから約1ヶ月後の3月12日に生まれた6頭のうちの末っ子が、波だったのです。 なので、お父さん犬やゆめちゃんの出自は不明なのですけど、生まれた日やきょうだい犬の行き先はハッキリとしています。



波は生後3ヶ月と3日のときに白黒茶々家の一員となったのですけど、その頃には体重が4kgほどと、ちょっと大きめな仔犬でした。 それ以降は好き嫌いも言わずに食べ続け………



現在は9,5kgとなっております。 太ってはいないのですけど、現在ウチのペットのなかでは最大級なのですよ。 そして、今年の誕生日には………



御飯は特別豪華というワケではなく、いつものカリカリのフードに鶏ささみのふりかけをトッピングしたものを与えました。 今回は、初めてにも祝ってもらえて、よかったですね。 ただし、彼はこの日が波姉さんの誕生日だということは、わかっていないかも知れませんけど。



バースデーディナーは、それだけではありません。メインは、食後のほうにあったのですよ この記念すべき日のために、前回の日記でもサラリと触れたのですけど、ワンコ用のケーキを買っておきました。 ちなみにこれは、「かぼちゃと豆乳のショートケーキ」にございます。 まずは、波だけに来てもらって………



まだ食べてはいけませんよ。 今からお祝いの歌を歌うので。 さあ、パソコンやスマホの前の皆さんも一緒に、ご唱和くださいませ。さん、はいっ
 はっぴば~すでぃ、とぅ~ゆ~………



その儀式(?)が済んだら、どうぞお召し上がりくださいませ 久しぶりのケーキを、波ちゃは味を確かめるように黙々と食べていました。
今回は彼女のぶんだけケーキを買ってきたのですけど、狛だけ何も無しではナンなので、試食というか、そのクリームを舐めさせてあげることにしました。 そうしたら………



こんなスゴいお顔になっていました。しかも、鼻にクリームを付けていますし。 もうひと舐めいってみますか?



こちらのお顔も、強烈ですね。 6月の誕生日が来たら、まるごと1コ食べさせてあげるので、それまで楽しみにしていてくださいませ。いや、その際に彼がどのようなリアクションをするのか、私のほうが楽しみです。



そうそう、今回は波ちゃが主役でしたね。 彼女が病気にもならずに元気に歳を重ねられたことに、私は感謝しています。それからこの1年の間に、ずっと一緒にいて頼りにしていた兄貴ぶんの箔が亡くなり、弟分の狛がやって来て、お姉ちゃんとなるという、彼女にとっては大変革が起こりましたし。波ちゃ、これからは狛と有意義な時間をお過ごしくださいませ。


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犬好き集まれ!FCI中部インターナショナルドッグショー in 渚園

2019-03-13 01:24:32 | ワンコ
こんばんは、白黒茶々です。
3月3日の日曜日は、天気予報では雨となっていたのですけど、私はすでにいくつかの予定を入れていました。 しかし、その日が近付くに連れてその予報は変わっていき、その日は曇りで推移しそうな状況となりました。 そのような中で………



前日の土曜日の夜に新聞を読んでいたら、このような小さなお知らせの記事を見つけました。 近場の浜松市西区の渚園で全国規模のドッグショーが開催され、800頭もの純血種のワンコが集まるというのです なんて魅力的なイベントなのでしょうか しかし、これほど大規模で賑わいそうなイベントなのに、ほとんど宣伝されていなかったので、その時まで地元民の私でさえも知りませんでした。



………と言いつつも、実ははおろかもまだ生まれていない6年前に、私は先代犬のを連れて1度だけそのイベントをのぞきに行ったことがあるのですよ。 その時もやはり宣伝のようなものはなかったか、あったとしても私の目には触れない程度でした。なので、当時ペットショップに勤めていた友人の口コミによって、その存在を初めて知ったのでした。その会場には、飼い主やトリマーによって極限まで綺麗にされたワンコが多数集まっていました。



出番を控えて独特の緊張感を持った彼らを刺激してはいけないと、私は意識していたのですけど、たくさんのワンコを目にした箔はテンションが上がり、お得意の前足ぶんぶんの動きをしまくっていました。
といったトコで、話は今年のイベント前夜の土曜日の夜に戻ります。 とはいっても、そのドッグショーは土日の2日間に渡って開催されていたのですけど。 もちろん、その存在を知ってしまったからには行く気マンマンなのですけど、すでに過密気味になっている私のスケジュールの中にどう組み込むか、悩むトコです。 そうしたら、当日(明日)はイベントの開始時間までに波と狛をその会場に連れていき、1時間ほど見学してから彼らを家に戻し、そのあとに本来予定されていた用事に取りかかることにしましょう。 そして、いよいよ日曜日の朝がやって参りました。



ところが、その日は朝から雨で、やむ気配はありませんでした。 曇りだと言っていたのにぃ~ こうなったら、やむを得ません。雨でもおこなわれているドッグショーには行くのですけど、波と狛は家に置いていくしかありません。 すまない、波狛ちゃ。
ということで、この日は私の単独行動となりました。その行程をぶっちゃけると……… 猪鼻湖畔の養蜂場で蜂蜜を購入し、浜名湖を挟んで反対側にある渚園でドッグショーを見学し、浜松市の北部のフルーツパークを会場とした北区 De まつりでゆるキャラたちとの交流と餅拾い。それに加えて、イオンペットで波のバースデーケーキを、カインズホームで狛のケージを買ってきて、ようやく帰路に就くという、我ながら豪華欲張りコースとなりました。
ということで、開店直後の蜂蜜屋で買い物を済ませてから………



久しぶりに渚園にやって来ましたよ 会場となっているその広場には、小雨の中とはいえ、テントや車がたくさん並んでいて、賑わっている様子が入口にまで伝わってきました。



そのような中に、今回の出陳犬の家族用のエリアが区分けされていて、各々の陣屋が設けられていました。 そこに止まっている車を見ていったら、品川とか大阪といったような遠方からの他県ナンバーも多数ありました。 さらに、ワンコと一緒に長距離を移動することも考慮したからなのか、マイカーをキャンピングカーやワゴン車にしている方も多かったです。 しかも、それらにはオリジナルのワンコのステッカーが貼られていたりして。よっぽどワンコが好きな気持ちが伝わってきました。



その会場には人間用のキッチンカーも並んでいて、お祭りムードを盛り上げていました。



もちろんドッグショーなので、ワンコのグッズやおやつを売っているお店もありましたよいや、そちらのほうが多かったような。そのような中、私がふらりと入ったお店では………



やよっちさんに連れられてきた、レオン君くまちゃんに逢うことができましたよ 雨の中でも嬉しそうで、私も多少ムリをしてでも波と狛を連れてくればよかったと、思ってしまいました。 やよっちさんは、お知り合いがこのドッグショーに出陳すると仰っていたのですけど、他にも日本スピッツが来ているのでしょうか?



その会場内には、毛並みを整えるなどの調整をする場が何ヵ所か設けられていて………



さらに、メインとなるドッグショーのブースが全部で6ヶ所もありました。 そこで、次々と出陳犬が出番を迎えるようになっていました。これらの風景は、6年前と同じですね。 それらのところでおこなわれているのを見ていったら………



コリーがいました。小さい頃に「名犬ラッシー(たぶん再放送か続編)」を観た世代としては、憧れる犬種です。 サラサラでふわふわな毛も、いいですね。



ドーベルマンは一見コワモテなのですけど、賢くて運動も抜群というイメージです。 私は「ドーベルマン刑事(デカ)」も観ていたので、やはり気になる犬種です。



小さなパピヨンのこの子は、優雅でいいですね。 こちらの犬種は、テレビドラマには出ていないのですけど、それでもいいのです。そのような感じでフラフラしていたら………



日本スピッツの出番を控えているブースを発見 出陳は5頭とやや少なめなのですけど、やはり彼らの出番は見逃せません。それからしばらくして………



白ふわが桧舞台に立ち、いや、歩いていました。この風景は、何回観てもいいですね。 それにしても、みんなして綺麗にしておられる。
一方の、今朝の狛ときたら……… 小雨の降る中で裏庭(波狛庭)に放しておいたら、雨水が流れ落ちるところに池を掘って遊んでいたみたいで、上半身が泥まみれに。 その姿をブログのネタにすればよかったのに、その時の私にはそのような余裕はありませんでした。汚スピなのですけど、そんな彼に私は「二代目穴堀夫」の称号を与えました。 ちなみに穴を掘ったときの波ちゃは「穴堀姫」です。
※「あなほりお」に「あなほりひめ」なんて、安易なネーミングですね。(編集部注)



それはさておき私は、出番を終えたスピッツのうちの1頭のオーナーと、少し話をさせていただきました。彼の名前はムク君といって、神奈川県から来たそうです。またどこかでお逢いできるといいですね。
そのブースではサモエドの出番もあるみたいで、せっかくなのでそれを観てから次の目的地に行くことにしましょう



先週の岡崎公園でのゆるキャライベントでも、サモ仲間とご一緒したばかりなのですけど、大きくて白くてもふもふな体は、やはり魅力的ですね。 2頭だけの出陳でも、存在感はありありです。



ドッグショーは、高レベルのワンコの競い合いも見応えあるのですけど、フードなどのお店の中には試供品をもらえるところもあるので、こちらも見逃せません。 そのようなお店に、ウチには2頭いると言ったら、これほどの試供品をお持ち帰りすることができました。



そうしたら、さっそく波ちゃと狛ちゃに試食してもらうことにしましょう。 すでに彼女らは、期待に満ちた目をしていますね……… というよりは、フードをガン見しているような。



そのあと、私の「よし 」の合図とともに、勢いよく喰らい付きました。 やはりいいフードは美味しいみたいです。さらに体にもいいみたいなのですけど、私は取り扱い説明書を読まないで新しい電化製品などを使ってしまうような性分なので、そのフードの製品名や製造元などはチェックしていませんでした。
それでも、来年もこのイベントをやっていたら、今度こそは波と狛を連れていきたいです。



私がドッグショーの会場で逢ったわずか1週間後に、大切なお友だちのレオン君が亡くなりました。享年11歳と2日。その前日はやよっちさんと河津の桜を見に行って、元気そうな姿を見せていただけに、あまりにも急な旅立ちでした。



私が彼と初めて逢ったのは、今から8年前の平成23年(2011年)の1月のことでした。 当時の白黒茶々家のワンコは箔だけでしたけど、フクちゃんともども仲良くしてもらいました。彼はスピッツのなかでも毛のボリュームが凄まじく、その毛触りも最高でした。



それ以来、オフ会やイベントに加えてワンコの集まりなどでもご一緒してくれて、今思えば彼とは楽しい思い出ばかりでした。 それらの集まりの中に彼がいると、どこかホッとできる存在でもありました。

レオン君、急な引っ越しで旅支度だけではなく、心の準備もできていなかったことと思います。いや、生き物だったらいつでもこのようなことになる覚悟はできていたのかも知れません。いずれにしても、私はレオン君のことを忘れません。レオン君、今までありがとう。どうか安らかに眠ってください。



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駿府城で歴史的大発見!もちろん見に行きましたよ。

2019-03-09 01:28:51 | お城
こんばんは、白黒茶々です。
静岡市のど真ん中には、徳川家康が築いた駿府城というお城があります。 そちらでは数年前から明治時代に破壊された天守台の発掘調査がおこなわれていて、そこから金箔瓦などの歴史的大発見があったと、歴史家で城郭研究家でもある小和田哲男氏加藤理文氏が興奮気味に話していました。 ちなみに天守台とは、天守の土台のことであります。しかもそれらの出土品が、2月中旬まで現地で特別公開されているというではありませんか これはもう、見に行くしかありません



………ということで、話は白黒茶々家で狛史が始まる1週間前の、1月13日までさかのぼらせていただきます。 駿府城にはを連れて何回か行ったことがあるのですけど、今回はそこ以外のところも多数詰め込む過密スケジュールの強攻策だったので、彼女には家でおとなしくしていてもらうことにしました。すまない、波ちゃ。
静岡市までは、列車で移動し………



その駅前にある、竹千代君(ぎみ)の像の前に行き着きました。 徳川家康は岡崎で生まれ育ったのですけど、まだ幼名の竹千代と名乗っていた8歳のときに、駿府の今川義元のもとに人質に出されました。 人質とはいっても、誘拐とか身代金を要求するとかいう物騒なものではなく、義元は竹千代を今川家の軍師でもある太原雪斎のもとに預け、そこで英才教育を受けさせました。 つまり彼の将来を見込み、育てることにしたのです。
そこから徒歩12分ほどで………



かつて駿府城があった、駿府城公園にたどり着きました。 ちなみに私の目の前にあるのは、平成元年~8年(1989年~1996年)にかけて木造で復元された、巽櫓(たつみやぐら)東御門にございます。 そこからさらに西に向かって歩いていくと………



「あっ、モスラ 」と思われた方もいらっしゃるかも知れませんけど、この石像はイモムシの類ではありません。 こちらはわさび漬け発祥の地でもあるので、それを象徴する像を造ったみたいです。 そのモスラ、いや、わさび漬け像のそのまた先には………



平成26年(2014年)にこちらも木造で復元された、坤櫓(ひつじさるやぐら)が聳え立っているのですよ ちなみに巽は東南、坤は西南の方向を意味しています。
天正14年(1586年)に徳川家康は今川館があったとされるこの地に移り住み、駿府城を築きました。 その頃のお城の規模や姿は不明なのですけど、石垣や天守を有し、範囲は現在の二の丸まであったと思われます。しかし、その翌年の天正18年(1590年)に、家康は小田原の北条征伐の論功として、豊臣秀吉から関八州(関東の8つの国)を与えられ、江戸に移り住むことになりました。



駿府城の三の丸跡には現在、静岡県庁の庁舎が建っています。 その別館の21階の富士山展望ロビーは無料で開放されているので、まずはそこに上って駿府城の全体像を掴もうと思います。 この日は雲っていて、富士山は雲の中にお隠れになっていたのですけど………



そのすぐ眼下には、先ほど地上レベルから見てきた巽櫓と東御門が見えました。 それから、それらの後方にある水たまりは、本丸のお堀の一部であります。駿府城は明治初期に廃城となり、建物は徹底的に取り壊されました。さらに明治29年(1896年)には、歩兵第34連隊を誘致するために、二の丸の内側にあった本丸の石垣とお堀も破壊され、その輪郭は完全に失われました。 近年になって、申し訳程度に掘り出されたのが、先程触れた水たまりのような本丸のお堀であります。



それらの左側からは、駿府城公園の全体と坤櫓を眺めることができました。 公園内で何やら掘っていたり、ブルーシートで覆われているところは、今回の日記の冒頭でも触れたのですけど、明治時代に本丸の石垣やお堀もろとも破壊された天守台があったあたりで、ちょうど発掘調査がおこなわれているところです。 そうしたら、今からそちらのほうに移動します。



本丸跡の中央あたりに立っている鷹狩り姿の徳川家康像の背後では………



地中から天守台の下部のほぼ全体が姿を現していました。 天守はお城のシンボル的な建物で、江戸城のものが日本一の規模だったのですけど、駿府城の天守台はその約1,5倍もの大きさなので、土台だけは日本記録を大きく更新しているのですよ。 その天守台の上には………



このような天守があったと推定されています。 関ヶ原の戦いののちに江戸に幕府を開いた家康は、2年ほどで将軍職を3男の秀忠に譲り、再び駿府に移り住みました。 それにともなって、江戸との二元政治と隠居の場を兼ねてお城を大改修し、巨大な天守台と三の丸を含めた全体を完成させたのですけど………



今回の発掘調査で、家康が築いた天守台の内側から、さらに前の時代の一回り小さい天守台が発見されたのですよ それが………



こちらになります。 石の積みかたの特徴から、専門家によって豊臣政権のもとで築かれたものと特定されました。家康が関東に移封された後、駿府城には秀吉の配下の中村一氏(かずうじ)が入りました。しかし彼のネームバリューは低くて、新聞などには「秀吉の意向で………」といったように、「配下」とか「家来」の文字すら出ていないのですよ。



それはさておき、発掘現場のすぐ近くには、きゃっしるという入場無料の仮設の建物があって、その内部では………



駿府城の歴史や発掘調査の結果を紹介するVTRの他に、天守台の近くで発掘された金箔瓦も展示されていました。 溝の部分に金箔が施された金箔瓦は、当時は有力な戦国武将以外の使用は制限されていました。 そのような中で、一氏が金箔瓦を使った豪華絢爛な天守を築くことができたワケは………



秀吉の指示があったからだと思われます。 一氏は、その時まであったであろう家康が築いたお城や天守を壊し、金箔天守を伴った新たな駿府城を築きました。その時の姿は不明で、画像は豊臣秀吉が築いた大坂城なのですけど、黒漆塗りの下見板張りの5層ぐらいの立派な天守は、このようなイメージです。 それは江戸に移った家康を牽制し、豊臣政権の偉力を見せつけるためだと思われるのですけど、もしそれが本当だったら、なんてえげつないというか、大人げないことでしょう 一方の家康は秀吉に遠慮して、従来からあった天守も石垣もない江戸城をちょっと手直して住んでいたというのに。
こちらの瓦は、金箔がうっすらとして分かりづらいのですけど、もっと金箔度の高い瓦が………



こちらの坤櫓内で展示されているというので、見に行ってみることにしましょう。



坤櫓は、史実に基づいて木造・本瓦葺き・白漆喰塗りで忠実に復元されたのですけど、安全面などを考慮して2階より上には登れないようになっています。その代わりと言ってはナンですけど、2階と3階の床が取り外されているので、1階からでも建物の構造を見ることができます。 その1階には………



顔ハメのような甲冑があって、手軽に鎧武者になれるので、係員さんに声をかけてカメラやスマホの撮影ボタンを押してもらいましょう
つい脱線してしまいましたけど、肝心の金箔瓦Ⅱは………



あった、ありましたよ パッと見ただけでも、かなり豪華な様子が伝わってきます。 しかし、割れてしまっていますね。係員さんの説明によると、駿府城から出土した中村一氏時代の金箔瓦はすべて割れていて、マトモな瓦は1枚も出なかったそうです。 再び駿府城の主となった家康はお城を大改築したのですけど、その際に豊臣政権下で一氏が築いた天守を徹底的に破壊してしまいました。 その建物は、家康が思い描いていたプランから外れていたのかも知れないのですけど、なんてもったいないことをしたのでしょうか それだけではなく、天守に使われていた金箔瓦までも「こうしてやる、この このっ 」と1枚も残さず叩き割るなんて。失礼ながら、一氏以上に大人気ないです。 いや、人為的に割られた金箔瓦からは、歴史上の人物の人間臭さも感じられます。

家康が気分を新たにして築いた天守は、失火によってわずか5ヶ月で焼失。 すぐに再建されたのですけど、彼が亡くなった19年後に城下からの火によって再び失われ、以後は再建されませんでした。 明治以後の駿府城はあまり大切にされなくて、石垣が崩れた箇所は積み直されず、ブロック状の石などで固められたりしました。 そういうことがあったからなのか、駿府城は規模や歴史的な位置が国の特別史跡となっている名古屋城大坂城に匹敵しながらも、現在何の指定もされていません。それでも、天守台周辺の発掘調査の最終年となる2019年度は、今川館があったとされるエリアを対象としているので、その結果も含めて総合的な判断によって一気にお城のランクが上がるかも知れません。 実は駿府城はスゴいお城だったのですよ



………と、ついお城談義に熱くなってしまいましたけど、私が駿府城を訪れたのは冬の真っ只中。気付いたら、体がかなり冷えていました。 その少し前に、同公園内に静岡おでんのお店のおでんやおばちゃん駿府城公園店ができたので、そこで暖まっていくことにしましょう。



おでん種は全部で25種類。牛すじ(税込162円)以外は、108円均一となっております。 あまりにもたくさんあり過ぎて、迷ってしまいますけど………



今回は静岡ならではの具の、右からふわさんかく黒はんぺんの3種にしました。 ちなみにふわは牛の肺、さんかくはスケトウダラのすり身、黒はんぺんはイワシのすり身にございます。それらにダシ粉と青のりが入ったふりかけや、からしを付けてお召し上がりくださいませ。
このような感じで、特に遠方から駿府城目当てにいらっしゃった方には、お城を見学したあとは静岡おでんで暖まって締めることをオススメします。 あと、お土産としてわさび漬け安倍川もちを買って帰ると、なおよろしい 今回私は波ちゃヌキで来てしまいましたけど、もちろんこちらの公園はワンコと散歩するのにもいいところですよ お城や歴史に興味がある方もそうでない方も、進化し続ける駿府城公園を各々のやり方でご堪能くださいませ。


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ゆるキャラたちとのその後

2019-03-06 01:45:18 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
前回からの続きで、箔母さんたつぴの白黒茶々家の3人と2頭は、「オカザえもんのおともだちプロジェクト5」がおこなわれている岡崎公園に来ています。



三河武士のやかた家康館前広場の特設ステージで、長野県下條村の地域戦隊カッセイカマンが紹介されている頃………



私たちがサモエドのマル(蘭丸)君と一緒に待っているところに、彼の兄犬でもあるアル(アルファ)君が姿を現しました。 そんな彼に、狛はまたしても興味津々のご様子。



さらにアル君は、箔母さんからもふもふ攻撃というか、愛の包容を受けていました。 このパターンは、前回から続いているような。 と、とにかく、2サモと2スピが揃ったので………



こちらで集まった時にいつもやっているところで、集合写真を撮っておきましょう こうして並べてみると、明らかにサイズが違うのですけど、区別がつかない人に「親子ですか?」と聞かれたりしました。嗚呼、波狛ちゃが成長してサモエドになったら、なんて素敵なことでしょう
それが済んだら、この白ふわグループで、再びゆるキャラたちで賑わっているエリアに飛び込んでいくことにしましょう。 そこで、私たちが最初に行き逢ったキャラクターは………



うなもでした。 これは、私の地元の浜松のご当地キャラです。名産物のウナギの廃棄部分を肥料にして、サツマイモ(うなぎいも)を栽培していたところ、畑から収穫された謎の生き物とされています。 波は箔とともに逢ったことがあるのですけど、今回も顔をひしゃげながらグイグイと迫られてしまいました。 しかも、このうなもは「白いスピッツ、カワイイなも~」と、話しかけてくるのですよ。



さらに、アル君たちも迫られて。 「こちらの大きなワンちゃんは、サモエドだね」って、ワンコに詳しいみたいで。それよりも、そんなうなもに全く動じないアル君らは大物です



今度はしっぺいと出くわしたので、またしても波と狛のリードを彼に託しました。 このようにして「しっぺいズ」を再結成したのですけど、サモエドも引き込んだのはこの時が初めてでした。サモエドは、スピッツ以上にしっぺいに近い犬種なのですけど、みんなの目線が揃わないのはご愛敬ということで。
そうしているうちに………



また新たなスピッツがやって来ました 彼は地元民の小太郎君で、私とたつぴは3ヶ月前の紅葉狩りの際に1度逢ったことがあります。 ちなみに彼は、はるちゃんのきょうだい犬でもあります。それにしても、相変わらず毛吹きが立派ですね!



こちらの白いボディーの車のようなゆるキャラはくるまくんと、そのまんまの名前です。 しかし、狛ちゃはくるまくんではなく、彼に向けられたホコリ取りモップのほうに激しく反応しております。 そのモップを操っているのは………



しっぺいでした。 彼はくるまくんのホコリも払っていました。それにしても、同じ真っ白ボディーで、お二方ともよく似合っていますよ



それから、グレート家康公と葵武将隊の3代目グレート家康公に波と狛を撫でてもらいました。



そのあと、伊賀市のいが☆グリオなどに逢ったりしたのですけど………



気付いたら特設ステージには、さぬどん、レルヒさん、それとシンガーソングライターの石田洋介氏が上がっていました。 石田氏はレルヒさんのひょろ長い体を利用して、新潟県の位置関係を説明しているみたいですね。彼が持っている棒の先には、上越新幹線らしきものが付いていますし。 それから、横から見たさぬどんからは、麺のコシの強さが感じられます。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、白ふわ仲間は1頭、また1頭、………と、帰っていきました。そのような中で………



休憩中のフランソワーズびわには、波と一緒に写ってもらいました。 お嬢様どうしで、よく似合っていますよ。 この頃、白黒茶々家の気持ちは帰る方向に向かっていたのですけど、あと1つだけ心残りがありました。 それは……… 今回のイベントの総大将というか、メインキャラのオカザえもんとまだ逢っていないのです。やはり彼の姿を一目見るまでは、帰れません。
そのような中で「オカザえもんなら、さっき見たよ」という、たつぴの目撃情報がありました。 向こうの角を曲がったあたりにいたというのですけど………



いたいた、いましたよ オカザえもんが。すっとぼけたような脱力系の顔に真っ白なボディーは、シンプルですけど1度見たら、頭から離れません。 しかもよく見てみたら、普通の運動靴を履いていて、手は親指以外は一体化していますし。 ちなみに顔全体は「岡」を表していて、胸に「崎」が付いています。



さらに、先程いたフランソワーズびわと並んだりしていました。 よく見てみたら、小道具の扇子を交換していますし。できることなら波狛ちゃと一緒のところを撮りたかったのですけど、次の舞台での出番に向けて移動中だったので、今度逢った時の楽しみに取っておくことにします。



そのあと、波と狛をお散歩しているのは……… 私ではなく、レルヒさんです。 こうして見ると、狩猟に出る軍人にも見えますね。しかし、後になってから彼のプロフィールを見てみたら、ニガテなものの中に犬があったのですよ そのことを箔母さんに話したら「断り切れずにファンサービスでやったのでは?」と言っていました。そういえば、彼の顔が引きつっているようにも見えますね。 いや、それはもともとの顔で、あの時のレルヒさんは、波狛ちゃには自ら近付いてきたような。 今度逢ったときに、それとなく聞いてみます。



こちらでのミッションは終わったのですけど、せっかく岡崎城のある岡崎公園に来たのに、ほとんど場面の移動もなく帰るのもナンなので、お城の主要部を巡ることにしました。 ちなみに水堀に面した石垣の上に聳え立っている建物は、巽閣という模擬建築です。 その巽閣がある本丸跡までまわったら………



やはり、復興天守の前で記念撮影をやっておきたいですね ちなみにお城を背にして狛が写真に写るのは、この時が初めてとなります。 しかし、彼はカンペキに「まて」の状態をキープすることができないので、リードをかける何かがまだ必用です。



あとは、岡崎公園ではすっかり締めのお約束となった城南亭(→リンク)で、お茶をいただくことにしましょう。 ちなみに私たちが選んだのは、苦味ひかえめでまろやか風味の豊田の抹茶で、季節の茶菓子とのセット(税込450円)となります。



それらを、ワンコたちを眺めながらいただくことにしましょう。 「ケムシにご注意ください」の注意書が気になるのですけど、さすがの波狛ちゃも疲れたみたいで、ウトウトしていました。
数々のゆるキャラたちについ夢中になってしまったのですけど、マル君、アル君、小太郎君のサモスピの皆さん、この日はお付き合いしてくださり、ありがとうございました。 また楽しそうなイベントなどがあったら、今回来れなかったお仲間たちも含めて、ご一緒したいです。


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狛、初めてのお城とゆるキャラとサモエド

2019-03-02 01:33:13 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
すべての発端は、しっぺいからでした。 彼は磐田市の白犬のゆるキャラで、私は彼のことを勝手にスピッツやサモエドのお仲間だと思っています。 そういえば、はまだゆるキャラの類と対面したことがないので、しっぺいあたりと逢わせてみたいですね。そうしたら、彼のスケジュールから私たちが行けそうなイベント等はないか、チェックしていったら………



2月24日の日曜日に岡崎市の岡崎公園でおこなわれる「オカザえもんのおともだちプロジェクト5」というイベントに参加するというではありませんか 岡崎公園は毎年春と秋に、スピッツ仲間や地元のサモエドと集まるところでもあるので、私にとっては馴染みがあって行きやすいのですよ。 その公園に、全国的にも有名な岡崎市のキャラクターのオカザえもんを中心にして、彼のお友達と称するゆるキャラが集まるとは、なんて魅力的なイベントなのでしょうか しかも、その日は予定が空いていますし。もちろん、行きますよ そうしたら、白ふわ仲間にも声をかけて、その日が来るのを待つことにしましょう。
そのイベントは23日もやっていて、その日はふっかちゃんひこにゃんくまモンなど、豪華ゲストが来ることになっているのですけど、私は土曜日のほうは行けないので、24日に期待することにします。

岡崎公園のゆるキャライベントの前日の朝に波と狛の散歩をしていたら、狛が突然吠え出しました。 しかも、ちょっと警戒気味ですし。彼は好奇心旺盛で、これまでどんなものにも動じることもなかったのに。 それよりも、吠えないスピッツの彼が吠えるところを、私はこの時初めて見ました。
そんな狛は、何に対して吠えているのでしょうか?彼の視線の先を追っていったら………



畑に止めてあったトラクターに行き当たりました。彼がウチに来る前までいた高槻市は都会なので、トラクターを見かけることもなかったでしょうけれど……… 翌日は彼にとっては得体の知れないゆるキャラたちと初めて対面することになっているのですけど、大丈夫でしょうか? ゆるキャラ好きな私の家の子になったからには、その手のものとの接触は避けて通ることはできません。 これはもう、宿命と言ってもいいでしょう。しかし、もし怖がったとしたら……… 彼と逢わせないという選択肢はありません。なので、少しずつ逢わせ、根気よく慣れさせていくようにします。
話は戻って、目の前にあるトラクターのほうはどうしたのかというと……… 私が狛を抱きかかえた状態でそいつに近付き、さらに彼に触らせたりして、怖がらなくても大丈夫だということを認識させました。

そして、いよいよ「オカザえもんのおともだちプロジェクト5」の当日となりました。 白黒茶々家からはたつぴの2人と2頭が行くことは決まっていたのですけど、箔母さんは「寒いし疲れるから、家でゴロゴロしていようかな 」出かけることには消極的でした。それでも私は一緒に行きたかったので「今日はサモエドのアル(アルファ)君が来ることになってるから、久しぶりに思いっきりもふもふできるよ」彼女を説得しました。 「アル君が来ることは確定しているけど、ひょっとしたらさらなるもふもふがあるかもよ~」「じゃあ、行く 」このようにして、今回ウチは家族総出となりました。



………ということで、約3ヶ月ぶりにやって来ましたよ 岡崎公園に。この模擬大手門の向こうの、二の丸跡にある三河武士のやかた家康館前広場には、ブースや特設ステージなどが設けられていて、その間をゆるキャラたちが闊歩していると思われます。 春と秋の集まりの際にはこのあたりが集合場所となっているのですけど、今回は時間も場所も特に決めてないので、適当に歩いているうちにお仲間と逢えるかも知れませんね。



果たして、狛が初めて目にすることになるゆるキャラは、どのキャラになるのでしょうか? それからそのキャラに対して、彼はどのような反応をするのでしょうか?さらには、初サモエドがどの子で、そちらのほうのリアクションは?なんか、わくわくしてきましたね さっそく乗り込んでいくことにしましょう
人に囲まれていたり、私が見慣れていなかったりして、ついスルーしてしまったゆるキャラもいたのですけど………



このキャラに行き当たりましたよ そんな彼に、狛は興味津々の様子で、グイグイと迫っていました。 紅白の綱と赤いふんどしがチャームポイントとなっているこの白犬のキャラクターは、箔波日記にもしばしば登場しているので、皆さんはすでにご存知ですよね?



そうです しっぺいであります。狛のファーストゆるキャラが、彼でよかったー 逢っていきなり波と狛のリードを持ってもらいましたけど、ワンコキャラがワンコをお散歩する姿って、グッときませんか? というよりは、実は私はコレをやりたかったのですよ アテンダントのお姉さんも私たちのことを覚えていてくれて「DOG  フェスタでお逢いしましたよね?あの時は、たくさんの白い子たちにも囲まれて」ヴィヴィアル家のことですね 彼女にとって狛は初対面となるのですけど、久しぶりに「しっぺいズ」を結成することができて、嬉しかったです。



その直後に、またしても白いキャラと出くわしましたよ こちらの⚪⚪⚪⚪は人気があるみたいで、たくさんのギャラリーに囲まれながら歩いていたのですけど、波狛ちゃを見つけたところで、足を止めたのです。しかし、近すぎるというか、大きすぎて入りきらないので、もう少し下がってみますね。



私たちにとっては初めましてのこのゆるキャラは、さぬどんといいます。讃岐うどんをモチーフにしているのですけど、トッピング(?)のゆで玉子のあたりがスピーカーになっているみたいで、自らの意思でしゃべったりするのですよ しかも、波狛ちゃのことをいたく気に入り「同じ真っ白ボディーを持つお仲間だね」と言いつつ、近付いてきました。「ウチのワンコを食べてしまいそうな勢いだ、いや、食べられるのはさぬどんのほうか」と思わず私が言ったことに、まわりは大笑い。



さらにさぬどんは薬味となる長ネギをまるごと差し出し「これはワンちゃんにとっては、毒だよね」と言っているところで、狛がバクッといってしまいました。 なんて楽しいやり取りもありましたけと、それ以来、さぬどんのことが頭から離れなくなったからでしょうか?



その日の晩はどうしても讃岐うどんが食べたくなり、私は丸亀製麺に走ってしまいました。 メインは温かいかけうどんですけど、トッピングの明太子と一緒に食べると、御飯がすすみますよ。



そのあと、私たちはリスのキャラクターとも交流しました。ちなみに彼女の名前はリロちゃん 岐阜城のある金華山は、ロープウェイを上りきったところにリス村があることから、リス村の「リ」とロープウェイの「ロ」を取ってリロちゃんとしたそうです。



緑色の力士の頭の上には、お城のようなものが。こちらはこまき山といって、織田信長が岐阜城に移る前まで拠点を構えていた小牧山城をモチーフにしています。



箔母さんやたつぴらと一緒にいるのは、私……… ではなく、レルヒさんです。 新潟県のご当地キャラで、その地で日本で初めて本格的なスキーの指導をしたテオドール・エードラー・フォン・レルヒ少佐をモデルにしています。狛ちゃはその彼に夢中というよりは、手にしているお弁当やお茶にいっているみたいですね。 それにしても、レルヒさんはそれらをどうやって食べるのでしょうか?
押し寄せてくる数々のゆるキャラたちに、思わずキャッキャしてしまいましたけど、そうしているうちに………



私たちの前に、サモエドが姿を現しましたよ こちらで落ち合うことになっていたアル君かと思いきや、彼の弟犬のマル(蘭丸)君でした。飼い主の丸ジジさんアルパパさんから連絡を受けて、こちらに来てくださったのですね。 そして、彼らのほうが先に到着したみたいです。



そんなマル君に、狛は興味津々。 ということで、彼にとってのファーストサモエドは、マル君となりました。



箔母さんは最初は遠慮していたのですけど、丸ジジさんが「思う存分抱きしめてもいいですよ」と仰ったので、思いっきりかつ情熱的にもふもふしていました。 アル君や、これから来るかも知れない他のお仲間たちの姿がまだ見えないのですけど、夜話が長くなってしまったので、このあたりで一旦仕切らせていただきます。 それからもしかしたら次回の日記では、まだ見ぬゆるキャラの登場もあるかも知れないので、そちらも密かに期待しつつお待ちくださいませ。


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