波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

浜松まつり完全燃焼なるか?

2023-05-27 02:27:32 | 年間行事

こんばんは、白黒茶々です。

前回からの続きで、GWに私はたつぴと一緒に浜松まつりに参加しているところです。 その初日となる5月3日は、私たちは昼の部の凧揚げをやって、萩丘という町内で御殿屋台を見送ってから、いよいよ夜の部の練りに出発します。 コロナ禍の間は、その夜の練りはできなかったので、今年は4年ぶりにおこなわれることになります。 それはどのようなものかというと………

萩丘の黄土色の法被に身を包んだ参加者が旗を先頭にして、太鼓、ラッパ隊、その他大勢の提灯を持った練り隊で隊列を組んで、ラッパや太鼓を打ち鳴らしながら町内を練り歩きます。 露天の球場でのナイターの試合みたいに、始まった頃はまだ明るいのですけど………

しだいに暗くなってきました。 そのような中で、私がラッパを吹く順番が回ってくるまでのわずかな間に撮ったので、これが精一杯です。 やがてその練りの行列は………

(確か)組長のご自宅に行き着きました。 今年は初子のお祝いをする初練りはないのですけど、その代わりに練りの一行はこちらで休憩しながらおもてなしを受けるみたいです。

今年まではまつりでは酒類は飲めないことになっているので、ジュースやペット茶でカンパイ さらに参加者には、助六寿司やつまみ類が振る舞われました。 それからしばらくして………

いっき(飲み)がおこなわれました。 あ、中身はお酒ではなく水なので、ご安心ください。 そんな彼らの士気を高め、勢いを増すためにラッパを吹くのが、私たちラッパ隊の役割りです ただし、こちらは凧揚げの時より長く吹かなければならないので、肺活量と持久力が求められます。 その練りの一行はさらに町内を廻っていき………

会所まで戻ってきて、そこで激練りをやって、この日は仕舞いとなります。 今年はコロナの制限が完全に解除されていないこともあって、従来より1時間ほど早い21時までには終了となりました。 そのあとは、会所の中でお弁当が振る舞われることに。 先ほどの施しのおかげで私はもう食べられないと思っていたのですけど、ペロッといってしまいました。

その翌日の5月4日も、朝から快晴でした。 その日も、私はたつぴとともに凧揚げ会場に繰り出したのですけど………

またしても風がなくて、凧を揚げるのに一苦労。 なんとか揚がったところをカメラに収めました。

さらにこの日の夕方には、萩丘は隣町の上島との合同練りをやりました。 2つの町内で思いっきり練る光景は大迫力で、気分爽快 やはりこちらでも、私はラッパを吹きながら撮影しました。 そのあとは上島さんとは別れて、前日と同じように萩丘の町内を練り歩いてから解散となりました。

そして浜松まつりの最終日となる5月5日は、私は朝からを連れて凧揚げ会場に行きました。 この日はこどもの日ということもあって、こちらでは子供が主体となって「こども凧揚げ」をすることになっていました。 その際には、大人はそのサポート役に徹することになっています。 しかし我らが萩丘は、今年は初子がいなくて初練りや初凧揚げができないこともあって、まつりは前日までで終わりとなりました。

その会場にずいずいと入っていったら………

この時は風があって、凧がいい具合に揚がっていました。 それらの中に、我らが萩丘のものがないのは惜しいです。 それはさておき、せっかくこちらに来たので………

各町内の凧を見て廻りましょう ちなみに波と狛の後ろにあるのは、曳馬町宮の凧です。 曳馬町には5つもの町内があって、そのうちの宮地区のものとなります。

バラの派手な凧は、原島のものです。 「はらしま」ではなく「ばらじま」と読んでもらいたくてこのようなデザインにしたのですけど、「薔薇縞なのか?」と誤解される恐れが……… ちなみにその隣は、上石田町であります。

徳川家の三ツ葉葵の家紋がデザインされているのは、葵東にございます。 その左上には、東の略字が乗っていますね。 その地区には葵東照宮があることから、この凧印にしたそうです。
その隣は小豆餅なのですけど……… これは三方ヶ原の戦いにまつわる徳川家康の伝説が、反映されているのですよ。 先日放送された大河ドラマの「どうする家康」では、柴田理恵さんが演じる老婆が「ワシがやっている茶店で侍が団子を食べて、金を払わずに逃げていきおった。 追いかけて取り立ててやったが、そいつは家康に違いない」と。 伝説では、家康は小豆餅を食べていたら武田の追っ手が迫ってきたので、代金を払うのを忘れたまま逃げたとされています。そのことから、茶店があったあたりは小豆餅。老婆が銭を取り立てた場所は銭取という地名となりました。 現在、銭取はバス停の名前にしか残っていないのですけど、日本一美味しそうな小豆餅という地名は、かなり広い町内となっています。 ということで、こちらの凧は餅をつく杵と一文銭で小豆餅の「小」の字をデザインしています。

そういえば、ドラマでは老婆は「(家康は)逃げるときに恐怖のあまり、糞をもらしたらしいぞ」「それは臭いことだのう」ということにも触れていましたね。 家康が脱糞したあたりは、現在はこちらも地名となっていて、落糞………
※ウソです!そんな臭そうな地名があったら、イヤです!(編集部大否定)

私たちは、海岸に沿って造られた防潮堤の上にやって来ました。 波を撫でるおじちゃんの手が写っていますけど………

こちらからは、凧揚げ会場の全体の様子を見ることができるのですよ この時はたくさんの凧が揚がっていたのですけど、午後からは風がなくて苦労したみたいです。

あの~編集部さん、これは日記に入れる必要はあるのですか? 凧揚げ会場は松林に囲まれていることもあって、松ぼっくりが落ちてはいるのですけど。 実はその次の日曜日には、波&狛と一緒にキャンプをする予定があったのですけど、雨のおかげで中止にせざるを得ませんでした。
実は今年の浜松まつりは、最終日となるこの日に浜松の街中で大規模なイベントが用意されていたのですよ それは何かといいますと、詳しくはWebで……… じゃなくて、次回の波狛日記までお待ちくださいませ。


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