波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

吉胡貝塚のワンコ(三河田原歴史散歩その3)

2019-05-29 01:49:51 | 探求シリーズ
こんばんは、白黒茶々です。
私・による三河田原の歴史散歩は、今回が最後となります。 歴史の流れでいくと、古墳時代 → 江戸時代 → ときたら、今回は懐かしの昭和時代あたりが来ると思ったそこのアナタは、大ハズレです。 結果的には私たちが訪れた順番に沿っているのですけど、やはり最後には最も盛り上がるところを持ってきたかったので、時代区分的にはおおよそ12歩ほど進んでから、130歩も後戻りすることになります。 ということで、今回は縄文時代後期から晩期にかけて人々の生活の場となっていた、吉胡貝塚を採り挙げさせていただきます。



私が初めてこの地を訪れた頃は、畑に囲まれた傾斜地に遺跡の位置を示すこの石碑が立っているだけだったのですけど、現在は史跡公園として整備されています。



その中には、このような大きな岩が 矢崎岩と呼ばれるこの岩は、縄文時代からこの場所にあり、吉胡貝塚のランドマーク的な存在となっています。 昭和26年(1951年)に本格的な発掘調査がおこなわれたときには、若い考古学者たちが記念撮影をした場所でもあります。



こちらの公園には、縄文時代の遺跡ではシンボル的な存在となっている復元住居のようなものはないのですけど………



貝塚(縄文時代のゴミ捨て場で、その頃の生活の様子を知る手がかりになる)が発掘されたときの様子が再現されていて、その断面などを観察することができます。 そこ(底?)をよく見てみたら、屈葬された人骨が しかし、ご安心くださいませ。それらはリアルに再現された模型なので。
それらの野外展示を見終わったら………



吉胡貝塚資料館に入りますよ 私がこちらを見学している間は、波と狛は車の中で休んでいてくださいませ。 入場料(大人200円)を払って、順路に沿って入っていったら、ヨシさんという女性の声が案内と解説をしてくれました。彼女は吉胡貝塚のイメージキャラクターで、私は8年前にこちらの資料館を初めて訪れた時には、可愛らしいゆるキャラを想像していました。



ところが実際のヨシさんは、屈葬された人骨だったのです。 ちなみにこれは、昭和26年に矢崎岩の近くで出土した19号人骨を再現したものです。ヨシさんは50歳代で、両腕には貝の腕輪がはめられ、朱(顔料)が撒かれていることから、長老的な特別な女性だったと考えられています。 そんな彼女が、アナウンス役を務めている……… という形を取っているのですよ。



この資料館は傾斜地に沿った2階建てで、1階の上の空間には縄文時代の生活の様子を再現した展示がされていました。 その中には、ワンコの姿も



その1階には、貝塚から出土した食べカスの貝殻や………



石斤などに使われた石器などが並べられていました。



それから先ほど触れたように、縄文人はワンコと一緒に生活していたみたいですね。 狩猟の手伝いやペットとして可愛がられていて………



その遺骸は丁重に埋葬されていました。



その他には、自分の顔を写してその容姿が縄文人に近いかどうかを判定するコーナーもあったので、試してみました。 彼らはエラが張っていて、眉や鼻、唇は厚く、濃い顔だったのですけど、私の縄文度は33%。なんとか現代風だったみたいですね。



資料館の2階からは直接外に出ることもできるのですけど、そこは体験学習室にもなっていて、申し込めば貝の首飾りや勾玉の製作、火起こしなどを気軽に体験することができます。 ということで、私は「縄文の造形(ミニ土偶づくり)」をやってみることにしました。



その参考資料や型となるものがあるので、その気になればそこそこのモノが作れそうです。 実は、私はこのような粘土細工はン十年もやっていないのですけど、作りたいもののイメージはあるのですよ。 それから10分ほど経ったら………



このようなものが出来上がりました。 皆さん、いかがでしょうか?イヌに見えるでしょうか? そんな私に、資料館の方は「型とかに頼らず、フリーハンドでいきなりここまで仕上げるなんて、素晴らしい 」とベタ褒めでした。 さらにこれをオーブントースターで15分ほど焼いてもらえば、完成となります。

今の段階では、イヌに見えれば上出来なのですけど、さらに欲を言えば、やはり日本スピッツの姿にしてみたかったです。 たとえ縄文時代には存在していなかったとしても、構いません。 そうしたら、スピッツアートに長けている凛ママさんに弟子入りするしかありません 皿洗いでも、ビラ配りでも、何でもやります 凛ママさん、私にお教えを~


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田原城と渡辺崋山幽居邸宅(三河田原歴史散歩その2)

2019-05-25 02:00:55 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
前回から、私・の白黒茶々家の1人と2頭は、愛知県の田原市に来ています。 同市内に点在している古墳を巡ったあと、違うジャンルの歴史名所に行く流れとなり、たどり着いたのが………



こちらの田原城にございます。 ちなみに波と狛の後ろに聳え立っているのは、桜門です。このお城の大手門に相当し、平成5年(1993年)に田原市博物館が開館するのに合わせて鉄筋コンクリート製で復元されました。



桜門に続く三の丸の石垣とお堀は昔からのもので、現在はその上には土塀が巡らされています。



………といったところで、いよいよ田原城の核心に迫りますよ このタイミングでお城の説明をさせていただきます。 田原城は、文明12年(1480年)頃に戸田宗光によって築かれ、三河湾を支配する拠点となりました。海に面した小さな丘に築かれたことから、巴江城とも呼ばれていたのですけど、現在は干拓や埋め立てなどによって海岸からはかなり離れています。
戸田康光のときに、松平広忠の嫡男の竹千代(のちの徳川家康)を今川義元のもとに人質として護送するのを任されたのですけど、彼は裏切り、その身柄を敵方の織田信秀に渡してしまいました。 そのことによって康光は義元の怒りを買い、攻め滅ぼされてしまいました。

その後、今川氏に属する城代が入ったのですけど、桶狭間の戦いの後は、今川氏から自立した家康によって攻略され、松平氏譜代の本多広孝が城主となりました。さらに天正18年(1590年)に家康が関東へ移封すると、代わって吉田城に入封した池田輝政の持ち城となり、田原城には彼の重臣筆頭の伊木忠次が入りました。



輝政の統治期に、石垣の修築や曲輪の整備などが行われたと考えられています。寛文4年(1664年)には三宅康勝が拝領し、以来三宅家1万2千石の居城として明治時代を迎えました。



桜門を潜ってすぐのところには、二重櫓がありました。田原城には天守や多層櫓はなく、大手口の近くの二重櫓がお城のシンボル的な存在となっていました。 今日見られる二層の櫓は、その跡に昭和30年代頃に鉄筋コンクリート製で建てられた模擬建築で、田原市博物館の無料で入れる分館となっています。



その先に位置する本丸跡には、現在は巴江神社が鎮座しております。田原城に関しては、以上で終わりとなります。しかしこれだけではナンなので、ちょっと先まで足を伸ばします。



文化7年(1810年)に9代藩主の三宅康和は、現在の田原中部小学校のあたりに藩校成章館を創設しました。のちに藩校は渥美郡立成章中学校となり、さらに愛知県立成章高等学校がその流れを受け継いでいます。 こちらの高校は県内屈指の進学校で、オアシズの光浦靖子さん大久保佳代子さんを輩出しました。その成章高校から程近いところに………



池ノ原公園があります。 こちらの公園には………



渡辺崋山の銅像が鎮座しております。彼の生涯については8年前に追究したことがあるので、今回はさらっといかせていただきます。 崋山は寛政5年(1793年)9月16日に生まれ、田原藩の家老でありながらも画家としても才能を発揮し、さらに蘭学者の顔も見せました。



その公園には、崋山が謹慎生活を送った渡辺崋山幽居邸宅が復元されています。 幕末の頃、蘭学を志す者は、儒学の信奉者が多い幕府役人にとって目の敵となり、目付の鳥居耀蔵は彼らの弾圧を狙っていました。 そのような中で崋山は幕政批判をしたという罪を着せられ、田原での蟄居を命じられてしまいます。 同じ頃、高野長英ら10数名も捕らえられ、永牢など厳しい処分が下されました。 これを「蛮社の獄」といいます。

蟄居中の崋山一家の生活を助けるため、門下生は崋山が描いた絵を売る活動を始めました。 しかし、そのことが「罪人身を慎まず」という悪評を生み、藩主に災いが及ぶことを恐れた崋山は………



「不忠不孝渡辺登(崋山)」という絶筆の書を遺して、こちらの納屋で自刃してしまいました。 天保12年(1841年)10月11日のことでした。



私たちが前回行ってきた城宝寺古墳のある城宝寺で、崋山は眠っています。ちなみに向かって右が彼の母おゑい、左が妻のたかのお墓で、彼は彼女らに囲まれている形となります。



マルチに活躍し、地元でも親しまれている渡辺崋山。そんな彼を祭神とした崋山神社が、昭和21年(1946年)に田原城の出丸跡に創建されました。



最近の大河ドラマは、主人公が歴史上のビッグネームでなければ視聴率が取れない傾向にあるのですけど、渡辺崋山の生き様なら、きっと多くの方の共感を呼ぶハズです。 そのぶん、鳥居耀蔵が憎まれ役になりそうですけど。 「おんな城主 直虎」のように、まずは崋山の特集番組でまわりの反応を見てからでも構いません。NHKさん、ぜひ渡辺崋山を大河ドラマの主人公にしてあげてくださいませ。
そのあと、私は田原市内にある国指定の史跡に行きました。 そちらでは、そこのイメージキャラクターの「ヨシさん」の出迎えを受け、ある体験をしたのですけど……… それらの様子については、次回の日記でお伝えします。


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今、世の中は古墳ブーム?(三河田原歴史散歩その1)

2019-05-22 01:33:13 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
最近、新聞にこのような記事が載りました。 私はかなり前に、その近くを通ったことぐらいしかないのですけど………



大阪府堺市の仁徳天皇陵(大山古墳)を中心とした百舌鳥古墳群と、羽曳野市と藤井寺市にまたがる古市古墳群が、世界文化遺産に登録されることになったのです 古墳が世界遺産になるのは初めてのことで、そのことによって古墳への関心は高まることと思います。 そういう私はもともと古墳が、いや、正確にはその石室が好きだったのですけど、その洞穴熱に火がついてしまいました。

………という前フリにしたかったのですけど、正直に言ってしまうと、今回の話は4月下旬のことになるので、こじつけ感は拭いきれないのですよ。 とにかく、その頃に私は、まだ行ったことのない古墳を検索していったら、愛知県の田原市にいくつか点在していることを知りました。 三河田原といえば、1万2千石の小藩・三宅氏の居城だった田原城や、縄文時代後末期・晩期の遺跡の吉胡貝塚があるところですよね。 ウチからは車で1時間ほどの距離なのですけど、8年前に行って以来となっていました。
さらに同市内には、私が以前から気になっていた加と茶という喫茶店があって、調べたらそこのモーニングセットが美味しそうときたもんだ こうなったら、歴史犬の運命をたどることになったも連れて、朝から田原市内に行くしかありません



………ということで、やって来ましたよ 私の目の前にある建物は、看板からもわかるのですけど、加と茶にございます。 風見鶏が乗った曲線の屋根にレンガ張りの壁で、とてもおしゃれですね。 そういえば、私がこのお店のことを知ったのは、「ナニコレ珍百景」で昔やっていた「怒りの珍百景」というコーナーからでした。 店名は有名人の加藤茶さんからパクったのでは?という疑惑があり、番組の調査員が店主に聞いてみたら……… もとは加藤茶屋という名前だったのですけど、代替わりする際に短縮して現在の店名になったとのこと。 実は私も加藤姓なので、加藤さん割引きや加藤さん特典みたいなものはあるのでしょうか? とにかく、今回はこちらでモーニングを食べることからすべてが始まるので、さっそく突入させていただきます



そ、そんな……… (この日の)日曜日でもやっていることは、前もって確認してあったのに……… 臨時休業なのですけど、こうなることは想定していませんでした。テンションを上げて挑んだ三河田原の歴史散歩は、いきなりつまずいてしまいました。 とにかく、お腹が空きました。こちらの他に、近くでモーニングサービスをやっているお店は 大急ぎで検索してみたら………



権現の森の入口にある、こちらのこーひー家茶苑さんに行き当たりました。 外観はおしゃれで、まわりの森林とマッチしておりますね。 波と狛には車の中で待機してもらって……… 今から私は朝の朝食モーニングを食べてくるので、ちょっと待っていてくださいませ。



その店内には、このような格言が すでに広まっているのかも知れませんけど、私のツボにハマり、つい「うん、うん」と言いながら読んでいってしまいました。 そうしているうちに………



先ほど注文しておいたモーニングセットが出てきましたよ こちらはレギュラーで、ドリンク(茶苑ブレンド・420円)の代金だけで、こだわり十穀パンのトースト、サラダ、ゆで玉子、ビスケットが付いてきました。 さらにドリンク代に課金をすれば、よりデラックスにすることもできるのですよ たまにこのようなお店でモーニングをいただくと、ちょっとリッチな気分に浸ることができるので、いいですね。
お腹も心も満たされた私は、波狛ちゃとともにこの日最初の史跡となる、新美古墳に向かいました。 しかし、それがあると思われるあたりを通っても、案内看板みたいなものはなかったので、かなり右往左往してしまいました。 そのような動きをしつつも………



ようやく古墳に続いているような雰囲気を出している脇道を見つけました。 ところが、今度はその近くに車を止めておけるようなスペースがなかったので、またしても右往左往するハメに。 そして、ちょっと離れた所に車を置いていき、波と狛を引き連れて、ようやくこの日最初となる新美古墳に迫っていきました。



………あれ?スマホのGPS機能によると、このあたりに古墳があるハズなのですけど。 かなり怪しいところに入ってきてしまいました。いや、よく見てみたら向こうにその説明看板の裏っ側みたいなものがあるので、そちらに回ってみましょう。 そうしたら………



あった、ありましたよ 新美古墳が。藪の中で石室の口を開けている様子は、昔私の実家の近くにあった防空壕に似ていて、いずれのものも怪しい雰囲気がありありでした。



まずは、古墳に到達したことを記念して、波狛写真を撮っておきましょう。 ここで、手短に新美古墳の説明をさせていただきます。 こちらの古墳は6世紀末までに築造され、7世紀中葉まで追葬がおこなわれていたと考えられています。直径20m、高さ3mほどの円墳で、昭和45年(1970年)の発掘で、須恵器、鉄鋌、刀子、耳環が発見されました。
時季によってはカマドウマがいるという情報もあるのですけど、それぐらいのことはなんのその。 いよいよその石室の内部に入りますよ



おおっ 中は意外と広いですね。 断面が台形となっていて、天井も高いです。



狛にとっては初めての古墳の石室となるのですけど、私に引っ張ってこられてもイヤイヤすることもなく入ってきてくれました。 それよりも、カマドウマはどうだったかって?そういえば、気にはなりませんでした。 その日はいなかったのか?それとも私が気付かなかったのか?いずれにしても、今度見かけるようなことがあったら、皆さまには自主規制(モザイク処理)したものを公開いたします。



この日2つ目の古墳は、こちらの神明社の境内にあります。 今度は範囲が限られているので、難なくたどり着けるでしょう。ところが、私がアタリを付けて回ってみた社殿の裏側には、そのようなものはなく、またしても右往左往してしまいました。 こうなったら、先に行った方のレポートや写真を検索し、そこから正確な位置を読み取るしかありません。 そうしたら………



社殿の脇にある鳥居のトンネルを潜っていき、その先の「稲荷社」なるものの裏側に古墳があるみたいですけど、果たして………



おおっ これこれ、この古墳ですよ 石室に続く羨道は消滅してしまったのですけど、なんとなくその面影は残っています。ただし、その穴も木の柵で塞がれていました。



………とはいっても、ガッチガチに守られているというワケではなく、柵の間には人が通れないこともないぐらいの隙間が。 また「カメラが飛んでいって、勝手に石室の内部の写真を撮ってきた」ってヤツをやりましょうか?



いや、こちらは神域ですし「カメラに私と波狛ちゃたちもついてきた」と続く見え見えの行為はやめておきます。 それに、柵の間からでも、その内部の様子は撮影できますし。といったところで改めまして、こちらはその名もズバリの神明社古墳で、6世紀中葉から後期のあたりに築造されたとされています。さらに、渥美半島における初期の大型横穴式石室であります。



あともう1ヵ所、よろしいでしょうか? その古墳は、田原が生んだ幕末の先覚者・渡辺崋山の菩提寺でもある城宝寺にあり、そのお寺の外からもよく見えるので、こちらでは私が右往左往することはありません。 門構えからして立派な城宝寺に入っていった右側には………



渥美半島で最大級の横穴式石室をもつとされる、城宝寺古墳が残っています。 後世に削られたこともあって、墳丘の形は変わっていて、さらに現在はその上には弁天堂が建っています。それよりも、先ほどの神明社古墳より柵が頑丈に張られているので、潜り込むのは諦めなければなりません。



それでも、その石室からは洞穴特有の冷気が出ていて、波と狛はこれまでの散策で熱を帯びていたこともあって、心地良さそうでした。



それから、柵の間から石室の内部を覗いたり撮影したりすることはできました。 こちらの古墳は、6世紀末頃に築造されたと推測されています。早い年代から口を開けていたこともあって、副葬品は残っていません。その一方で修行の場としても使われていて、弘法大師(空海)は37歳の時にこの中で護摩行をやったそうです。 その流れからでしょうか?現在はその奥に石仏が安置されています。

今回の田原市の古墳レポートは、この3点で終わらせていただきます。 外から覗くだけというものもありましたけど、やはりあの石室独特の雰囲気はいいですね。 といったところで、次回は一気に江戸時代にまでワープし、田原城や渡辺崋山に関連したところを散策させていただきます。


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まつりの夜も盛り上げたい!(浜松まつり・その2)

2019-05-18 01:54:28 | 年間行事
こんばんは、狛っちですナ。
前回に続いてGW中におこなわれた浜松まつりのお話で、今回はそのうちの夜の部についてお伝えしますナ。 その日はこどもの日が近いということで………



お父さんは「端午の節句ということで、そなたにこれを授ける」のようなことを言って、狛っちにこのようなものを被らせようとしてきましたナ。 最初は紐の部分をかみかみして妨害、いや、遊んでいましたけど、一瞬の隙をついて頭に装着 お、重い……… それに不安定極まりないですナ。それだけではなく「あ~、(写真を)撮れるまで動いちゃダメ 」とか要求してきますし。それでも、あとでこの写真を見せてもらったら、狛っちはけっこうキマっていましたナ。 ということで、これから先は浜松まつりの夜の部に繰り出していったお父さんとたつぴ君の話となりますナ。

ここからは、白黒茶々がお伝えします。
話は浜松まつりの初日となる5月3日のまでさかのぼります。 凧揚げ会場での出番を終えた萩丘組の一行は、その町内まで戻ってきてから一旦解散。 数時間のインターバルを経て、夕方に再び会所に集まりました。初日の夜は、さらに貸切バスに乗り込み、浜松市の中央に繰り出すことになっていて、私とたつぴはそこから参加しました。 このようにして中央に出るのは数年ぶりとなるので、士気が高まります。

………とかなんとか言っているうちに、浜松の中心街にたどり着きましたよ 萩丘組の集団は、バスから降りてから隊列を組み、旗の後ろに太鼓、さらにその後ろには私やたつぴを含めたラッパ隊と続き、あとは提灯を持った一般の参加者たちが連なりました。



以前のように、近隣の町内と横並びになって、鍛治町などの大通りを練り歩くようなことはしないのですけど、豪華絢爛な御殿屋台が引き回される合間をぬって、萩丘組は進んでいきました。



それから間もなくして、御殿屋台とすれ違いました。あれは、東田町のヤツですね。 皆さんにお見せするためにも、ラッパの順番が回ってくるまでのわずかなスキをついて、写しておきました。



さらに私たちは大通りへ。 その沿道にはたくさんの観衆がいて、こちらでは見られるほうの立場となるので、カッコいいところを魅せなければなりません。



そのような中で、我らが萩丘の御殿屋台が近付いてきましたよ 本来なら、静かにやり過ごすところなのですけど……… ほら、オリンピックの開会式で、入場してくる選手たちがグラウンドで写真を撮りながら歩いてる姿って、いただけないと思いませんか? それと同じようなことを私がやっては……… いや、たった一瞬、1枚だけ撮っても、ねっ。 このようにして、なんとかこの萩丘の屋台の画像をお持ち帰りすることができました。
その後、萩丘組の集団は町内に戻り、そのあたりを少し練り歩いて初日の夜は終わりました。

まつり2日目となる4日に、萩丘に姿を現したのは、私1人だけでした。たつぴは熱を出してしまい、この日は家に残りました。 今思うと、前日の夜の練りの際に「なんかイヤな感じがする」と言っていたのがその予兆だったような気がします。 それならば、その日は療養に専念して、最終日の5日に完全燃焼すれば………



と、いきたいところなのですけど、たつぴはその翌日に大学で絶対にハズせない講義があり、そちらには万全の体勢で挑まなければならないので、5日は大事を取って家で大人しくしていることになりました。なので、彼にとっての今年の浜松まつりは、初日の夜だけということに。そ、そんな……… 彼のまつり写真は後でまとめて撮るつもりだったので、写っているのはこれぐらいしかありませんよ。 しかも、後ろ姿ですし。

たつぴショックを引きずっていたからなのか、後になってから写していった画像を見ていったら、数が異様に少なかったです。 それでも、それらを繋ぎ会わせて浜松まつりレポートの夜の部を完成させなければ
………ということで、足りないぶんは私の説明口調の文と、皆さんのイマジネーションで補っていただきます。

改めて、4日の夜の話をさせていただきます。 この日は町内の初子の家などを廻るのがメインで、萩丘組の練りの集団は、その初子のお祝いをする家の前になだれ込んでいきました。



そこで私たちは、ビールやジュースといったドリンク類や、オードブルなどのおもてなしを受けました。 料理のほうは、サンドイッチやそうめんといった変わり種もあって、それらを楽しく美味しくいただきました。
そしてその初練りは、酒類を希望者でまわし飲みして減らしていく「イッキ(飲み)」で締められます。
そこでラッパを吹いて、彼らの士気を高め、その場を盛り上げるのが、私たちラッパ隊の役割りです。 ここで、たつぴが吹いている姿を撮るつもりだったのに……… もう、もうっ。



楽しい祭典の時間はあっという間に過ぎ、あとは最終日となる5日の夜の部を残すのみとなりました。 その日は萩丘和合住吉小豆餅泉町による高台連合の5つの町内が、ピアゴ浜松泉町店の駐車場に集まり、ピアッキーに見守られながら、そこで合同練りをやりました。



その様子を、ラッパ隊目線から撮ってみました。 そのあとは、またしても萩丘に戻り、その町内を練り歩きました。

今年の浜松まつりは晴天に恵まれ、長い連休に令和改元のお祭りムードも加わったこともあって、市街地の関連イベントも含めて209万人もの人出があったそうです。 しかし、演じるというか、参加する側は減りつつあり、ラッパ隊の人数も少なく、それに反比例するように私がラッパを吹く割合は増えました。 やはり、たつぴが抜けた穴は大きかったですね。それでも、私は彼のぶんも吹いたので、心配には及びません。 たぶん、きっと。それでも、来年はより充実したまつりとなるように、準備から徹底的にやっておく所存にございます。


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令和最初の浜松まつり(浜松まつり・その1)

2019-05-15 01:32:58 | 年間行事
こんばんは、白黒茶々です。
今年のGWは長かったり元号が変わったり、………と、例年とは違うこともあって、特別なことをされた方もいらっしゃると思います。 そういう私は地元で過ごしたのですけど、その中でも混んでいて活気に満ちているところに飛び込んでいきました。 それは何かと言いますと………
私の地元の浜松市では、5月の3~5日の3日間は浜松まつりという市民祭がおこなわれます。 端午の節句に関連していて、初子の誕生を祝うまつりなのですけど、昼は遠州灘海浜公園で大凧を揚げ、夜は御殿屋台を引き回したり、隊列を組んで町内を練り歩いたりします。私は浜松市民ではないのですけど、同市内に在住している伯母のつてを頼って、今年もたつぴと一緒に参加させてもらいました。



………ということで、今回はそのうちの開会式と昼の部の体験レポートをさせていただきます。 浜松まつり初日はたつぴにはバイトの予定があったので、私は夜から一緒にまつりに参加することにしました。それでも、その開会式はハズせなくて、今年初節句を迎える(?)にもその風景を見せてあげたかったので、朝からと狛を連れて、凧揚げ会場となっている遠州灘海浜公園に向かいました。
とはいっても、まつりの期間中は会場周辺は一般車の乗り入れは規制されているので、ちょっと離れた南区卸本町のタコの滑り台がある公園(略してタコウエン)付近の駐車場に車を止めて、そこから歩いていきました。 そして、20分ほどで………



凧揚げ会場にたどり着きましたよ こちらは開会を心待ちにしている観光客や、法被に身を包んだ参加者などで賑わっていました。 10時になったら、まつり本部の開会宣言と花火を合図にして、参加174の町内の大凧が一斉に揚げられるのですけど、それが大迫力で鳥肌モンで、私は見たかったのですよ その前には、すべての凧は地上に降ろしておかなければならないのですけど、なかにはなかなかそのようにしない町内がありました。しまいにはまつり本部のアナウンスも「凧を揚げてる町内は、今すぐ降ろせー 」と、声を荒らげるまでに。 それからしばらくして………



開会宣言があるかないかという段階で、すべての町内の凧が空に放たれました。 そのあとに花火が鳴って……… すべての町内の皆さん、今年もフライング気味でしたよ。 それでも、その瞬間はとてもよかったです。



それと同時に、徒党を率いてきた各町内の組長が旗をなびかせつつ、まつり本部の前で激しく練っていました。



そんな彼らを、高いところから出世大名家康くんと出世法師直虎ちゃんが見守っていました。



さらに、元号が変わったばかりということもあって、市のほうで令和凧が用意されました。せっかくなので、この凧が揚がるところを見ていくことにしましょう。



令和(凧)よ、空高く揚がれ ところが、この凧はすぐに落ちてしまったのです。 え、え~と……… なんか縁起が悪いのですけど、仕切り直してからちゃんと揚がれば何の問題もありません。たぶん、きっと。



その凧揚げ会場では、各町内が順次凧を揚げていきました。 そうしたら、その準備中のいい感じのところをバックにして、記念写真を撮っておきましょう ちなみに波狛ちゃの後ろに見える「蒲」の凧印は、大蒲町のものにございます。 大蒲町といえば、スピ友達のバニラちゃんの家があるところで、彼女のパパさんが凧揚げに携わっているのですよね。 なんて言っていたら………



なんと、そのご本人とお逢いすることができましたよ 狛とは初対面で、なつみかんさんより先に触れ逢ってしまいました。 その直後には、バニラちゃんのお兄さん犬の小太郎君のママさんとも行き逢いました。



あと、陣屋に置いてある凧の前でも撮っておきましょう。 ちなみにこちらは葵東の凧で、言わずと知れた三つ葉葵の御紋がデザインされています。

その日は一旦自宅に帰り、バイトから帰ってきたたつぴと合流してから身なりを整え、夜の部に加わっていきました。

浜松まつり2日目の4日は、たつぴはバイトに行くことになっていたので、朝から私1人だけが参加しました。 萩丘の町内から参加者らとともに貸切バスに乗っていき………



さらにそのバスの臨時発着所から歩いていき、萩丘組の一行は中田島砂丘の入口に差し掛かりました。 以前はこのあたりから砂丘が見えたのですけど……… ちなみに向こうに見える土盛りは防潮堤で、砂丘はそれを越えたところにあります。



そして、私たちは凧揚げ会場に到着しました。内容については後ほど説明しますけど、私はラッパ隊としてまつりに参加していました。 その出番が来るまでまだ時間があるので、その間に会場を巡ってみることにしましょう。



その会場の南側には以前は防風の松林が広がっていたのですけど、昨年ぐらいからは防潮堤が姿を現し始めました。さらにかさ上げされたみたいで、現在は13mほどの高さになり、景観が一変しました。 その上に登ってみると………



凧揚げ会場を一望することができましたよ これほどの高さまで来ると「凧揚げ、下から見るか?横から見るか?」の状況ですけど……… いや、凧はもっと高いところまで揚がります、はい。
※映画「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」をパロったつもりみたいですけど、わかった方はいらっしゃるでしょうか?(編集部注)ところが、この日は風がまったくなかったおかげで凧が揚がらず、私の出番はないまま引き揚げる時間となってしまいました。こうなったら、最終日に期待するしかありません。



………ということで、再びやって来ましたよ 浜松まつりの凧揚げ会場に。最終日の5日も晴れ渡っていて、前日の消化不良のまま終わる心配はなさそうです。



そのまままっすぐ凧揚げに行くのもナンなので、いくつかの町内の凧を紹介しながらそちらに向かわせていただきます。 固定する紐で目隠し状態となっているのですけど、こちらの火男(ひょっとこ)の凧印は、芳川町神出のものにございます。 おかめの高町から指導を受けて参加し始めたことから、その対比となる火男にしたそうです。



勇ましい毘沙門天は、西ヶ崎町のものであります。浜松まつりの凧は、高い空に揚がっていても見分けがつくように、凧印はひらがな一文字などのようにできるだけ簡略化するのが定番なのですけど、こちらのものはそれらの中でも最も凝っています。いや、少数派なのでかえって目立っているのかも。
そうしているうちに、私は萩丘組の凧揚げの現場に到着しました。



この日はそこそこの風が吹いていて、いい感じで凧が揚がっていきましたよ こちらの凧印は、萩を図案化したうえに「萩」の字まで押して。これでもかというほど、萩を強調しています。



また、この日はこどもの日ということもあって、町内の小学生以下の子供を集めて、こども凧揚げをやっていました。彼らを見守るお母さん方も、つい力が入ってしまいますよね。



そんな彼らを鼓舞するためにラッパを吹くのが、私たちラッパ隊の役割りです。 今年は例年よりラッパの練習に行く数を増やしたからなのか、我ながら例年よりいい音を長く吹くことができました。



それらが済んだら、お昼まで自由行動となります。 そうしたら、御飯の足しに露店で何かを買っていきたいのですけど、たくさんあり過ぎてつい迷ってしまいます。 そのような中で、私が選んだのは………



お祭りの定番とも言うべき、焼きとうもろこしでした。 そういえば、昨年もコレだったような……… いや、美味しいのでいいじゃないですか
このようにして、浜松まつりの昼の部となる凧揚げは、つつがなく終わりました。 次回は夜の部の様子についてお伝えしますけど、私はそちらのほうは3日間フル出場しました。それらの熱気と雰囲気を皆さんにも感じでいただけるように、頑張ってまとめ上げるようにします。


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茶々丸君に逢いたい(岡崎五万石藤その2)

2019-05-11 02:16:14 | ワンコイベントの類
こんばんは、白黒茶々です。
前回の日記のラストシーンでは、私・の白黒茶々家の1人と2頭は、白ふわ仲間と待ち合わせをしていた岡崎公園大手門にたどり着いたところで終わっていたので、今回はその続きからとなります。 そこで私たちが行き逢ったのは………



地元のサモエドで、波狛日記ではお馴染みのアルファ(アル)君です。 今年の6月に12歳となるのですけど、まだまだ元気です。とはいっても、自宅からこちらまで歩いてくるのはそろそろ大変みたいで、今回は車に乗ってきました。



こちらも同市内に住んでいる、アル君の1つ年下の弟犬の蘭丸(マル)君です。2月にこちらで狛にとっての初サモとなり、箔母さんにもふもふされまくっていた、あのマル君であります。



その日に来ていた地元スピの小太郎君は、今回もご一緒してくれました。9歳でしたっけ?長くてサラサラの毛は、健在でした。



さらにポメッツのももちゃんも、列車に乗って駆けつけてくれました。相変わらず人懐っこくて、笑顔も素敵ですね。
………といったトコで、今度はウチのメンバーを紹介いたします。



まずはですけど、この日単独で写したのはこの1枚だけでした。以前からやってみたかったこの組み合わせ。題して「狛犬と狛」であります。 しかし、生身の狛ちゃは座らせるとどうしても後ろ足を前に投げ出してしまうのですよ。



続いて、にございます。今回初めてワンコ用の服を着せてきたのですけど、似合っているでしょうか? 今までウチには彼女用の服がなくて、ずっと自前の毛皮のみだったのですけど、少し前に彼女の実家でもあるけいママさんからたくさんいただきました。 実は、その服を着せるのにはもう1つの理由があって………



最近になって、狛が波の背中や尻尾の毛をむしるようになったのです。 反撃すればいいものを、彼女はやられっぱなしで背中にはハゲができ、自慢の尻尾も悲惨な状態となってしまいました。これは、狛が波に甘えているのでしょうか?それとも、夏を前にして少しでも涼しく過ごせるようにサマーカットをしてくれたのでしょうか?いずれにしても、服にはそれらのハゲを隠す役割もあったのですけど……… 隠していることを公表したら、隠したことにならないのでは?

ま、まあそれは置いといて、この日は私の地元からもう1頭、茶々丸君という名のサモエドが来ることになっていました。 Instagram(インスタ)で知り合い、今回ようやく都合がついて、初めてのご対面となるハズだったのですけど、まだ姿が見えませんね。 それから間もなくして、先方から「藤棚のほうにいる」という連絡がありました。 私は「大手門の前に集まっているので、そこを目指してください」と返したのですけど、彼らは岡崎公園は初めてだったみたいで、さらに迷わせてしまいました。 私が単身で迎えに行けばよかったと反省し始めた、まさにその時に………



茶々丸君が同居犬のチワワのココ君と一緒にやって来ました ここまでよくぞいらっしゃいました お逢いできて、とても嬉しいです。 彼は1歳3ヶ月で、若さと白さが際立っていますよ。この時点で、今回のおおよその参加犬が揃ったので、まずは………



すぐ近くの「岡崎城下東海道二十七曲り」の松の前で集合写真を撮っておきましょう その際、通りかかった方々に「親子ですか?」と聞かれたのですけど、見分けがつく私でも、そうならいいなとつい思ってしまいました。 モデル役のワンコたちの集中力が切れ、撮影が限界になったら、公園内の散策に入りますよ



………と出かかったところで、まだ挨拶を済ませていないスピッツがいることに気付きました。 いや、これはスピマジックです そうしたら、突撃インタビューをしなければ。
その時にはお互いに初対面の固さもあって、名前と出身地ぐらいしか聞けませんでした。 ちなみに彼はルーリー君で、地元岡崎にお住まいでした。その後、彼の飼い主さんと私はすでにFacebookのほうで知り合っていたということが判明。 ルーリー君はこの日、7歳の誕生日を迎えたばかりで、飼い主さんはまたこのような集まりがあったら、今度は最初から参加したいと仰っていました。



前回ゆるキャラ祭りで訪れた2月とはうって変わって、岡崎城は新緑に包まれていました。 そこから少し歩いていったら………



次の撮影スポットに行き着きました。 前回は逆光で撮影できなかったのですけど、竹千代君(ぎみ)と徳川家康公の石像を囲み、岡崎城の復興天守をバックにしたこちらは、私からもオススメの場所であります。 しかし、ワンコのリードを引っかけるところがないのが悩ましいトコです。いや、全くないというワケではないのですけど………



よく見てみたら、家康公の首がとんでもないことに ここでサモさんたちが息を合わせ、本気で引っ張ったら、彼の首の1つや2つは簡単にもげるところなのですけど、それでもその石像の顔は微笑んでいるのですよ。



結局、家康公の首は無事だったので、どうかご心配なく。 そんな彼に別れを告げ、私たちはさらにその先にある本丸跡を目指しました。 やはりそちらに行ったら………



復興天守の正面でも撮っておきたいですね こちらには観光客が多く、一緒になってカメラを向けている方もたくさんいました。 そうしたら、大いにお撮りくださいませ 皆さまにとっても、記念の1枚にしていただけたら、とても光栄です。 やはりこちらでも、被写体たちが「もう限界………」と言い出したら撮影を終え、いよいよこの日のメインとなる場所に向かいますよ そこで私たちが目にしたのは………



見事に咲き誇る藤でした。 やや早めではあったのですけど、なかなか満開のタイミングに行き当たるのが難しい中、ここ数年では最も見頃となっていました。



まずは波と狛をモデルにして………



次に参加犬全員で撮りますよ ちょっと息が合わないのは、らしさが出ているというか、ご愛嬌ということで。



あとは時間が許す限り、こちらでのんびりしていてくださいませ。 するとそこに、マーシャちゃんフェリシテちゃん家のFさんから「今、そちらに向かっています」という連絡が入ってきました。 前回私もお逢いしたクローナちゃん家のKさんを見送ってから、Fさんは猛追体勢に入ったみたいですね。 できたら5サモ揃ってもらいたいので、皆さんももう少しお付き合いくださいませ。そうしているうちに………



マーシャちゃんとフェリシテちゃんがやって来ました 私にとってはこの日2回目のご対面となるのですけど、こちらでもご一緒することができて、とても嬉しいです。 そんな彼女たちが茶々丸君たちと顔合わせしたあとは………



岡崎公園で集まった際には毎回締めに利用させてもらっている、茶席の城南亭に入ることにしましょう えっ、16時ちょっと前なのにもう閉店ですか? しかし、このままではこちらが締まらないので、絵になるところで白ふわ大集合の写真でも撮っておきたいですね。 できたら今まで使ったことのない場所がいいのですけど………



あった、ありましたよ 今現在、岡崎城で唯一昔ながらの木造で復元された東隅櫓土塀をバックに、シロツメクサが生い茂る原っぱに並んでみました。 最終的には、5サモ3スピ1ポメッツ1チワの合計10頭となりました。
これにて一件落着 となるところなのですけど、ここにきてFさんが茶々丸君の飼い主さん(ローマの平日さん)と会話を進めていくうちに、実は茶々丸君が女の子だということが新たに判明しました。 その名前からして、私は男の子だと思い込んでいました。そうとは知らずに「茶々丸君」と呼びまくってしまいましたよ。 ローマの平日さん、遠慮なく「違うぞよ 」と言っていただければ。しかしよく考えてみたら、井伊直虎出世法師直虎ちゃんは、その勇ましい名前に反して女性ですし、「ラブライブ!サンシャイン!!」国木田花丸も「丸」の付く女の子ですし。 そう言われてみると確かに、彼、いや、彼女はだんだんと可愛らしく見えてきましたよ。 ということで、これからは「茶々丸ちゃん」と呼ばせていただきます。

白ふわの皆さん、この日はご一緒してくださり、ありがとうございました。 秋になったら今度は紅葉狩りにお付き合いしていただきたいのですけど、その前に特にワンコにとっては厳しい夏をうまく乗り気ってくださいませ。


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クローナちゃんに逢いたい(岡崎五万石藤その1)

2019-05-08 01:56:08 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
期間中に元号が変わるという、日本の歴史上初めてのGWは、皆さんはどのように過ごされたでしょうか? なかには10連休だったという方もいらっしゃるかも知れませんけど、私は実質上5日間の休みでした。 とはいっても私は性格上、家でジッとしていることはなく、ほとんど外出していました。
GWは藤の花が旬で、岡崎公園の五万石藤も見頃の時季を迎えるということで、今年もサモエドやスピッツのお仲間たちに声をかけて、その藤の下に集まることになりました。

ちょうど同じ日に、サモエドのお友達のマーシャちゃんフェリシテちゃん家が浜松市天竜区で、こちらもサモエドのクローナちゃん家と合流することになりました。 クローナちゃんの飼い主のKさんは、東京にお住まいなのですけど行動力があって、あちこちに出向いているそうです。 また、歴史や鉄道にも興味があって、私は以前からお逢いしたいと思っていました。 しかし岡崎公園とは逆方向で、そちらのほうの集合時間が正午となっているので、クローナちゃんたちとわずかな時間逢ってきたとしても、間に合うのか微妙です。 2兎、いや、2サモを追う強攻策を取るのか?それとも岡崎公園だけに絞って、余裕をもってそちらに赴くのか?さあ、どうする?



………ということで、やって来ました 天竜二俣駅に。こちらは浜松市天竜区にある天竜浜名湖線(天浜線)の中枢となる駅で………



レトロ感が漂う駅舎は昭和13年(1938年)に建設された当時のままで、国の登録有形文化財に指定されています。



その駅の片隅、いや、駅の利用者専用の駐車場から歩いていくと、必ず通るところには、このような案山子(かかし)が 中途半端にリアルなので、視界に入る度にギョッ としてしまいます。



この駅の東側の最深部には、昔から使われてきた扇形の列車の倉庫転車台があります。 それらの見学ツアーは人気で、この日も予約が埋まりつつありました。



駅前にある、十文字屋というレストラン(食堂?)では………



天浜線の転車台にあやかった転車台カレーライス(サラダ付き、税込み896円)というメニューがあります。 私は以前からこのカレーが気になっていたのですけど、お店が開くのが11時で、この日は食べていく余裕はありませんでした。



皆さんとの待ち合わせ時間までもう少しあるので、今度は駅の西側を散策していくことにしましょう



こちらには、昭和62年(1987年)に第三セクターとして天浜線が発足するまで、旧国鉄二俣線を走っていた赤い車両が保存されています。 そこからさらに西に向かって歩いていくと………



ちぐたまたふ?いや、「ふたまたぐち」です。 これは光明電気鉄道の二俣口駅の跡で………



国鉄二俣線が開通する前の昭和5年(1930年)12月に、現在の磐田市中泉から天竜区二俣の19,8kmの区間が開通しました。 しかし当初から経営は厳しく、世界恐慌の時期に引っかかったり、天竜区船明までの延伸事業に失敗したりして、わずか5年で運行停止の憂き目に遭ってしまいました。



その二俣口駅のホームの一部が、今でも残っているのですよ 駅名看板と説明板は最近設置されたのですけど、わずか5年だけ存在した幻の光明電鉄を偲ぶことができます。 ただし、豊岡駅~天竜二俣駅の区間の基盤は、そのまま天浜線に受け継がれています。
………とかなんとかやっていたら、待ち合わせの時間が近付いてきていました。



そこに最初に現れたのは、マーシャちゃんとフェリシテちゃんでした。 彼女たちとは、4週間前に一緒に奥山の桜を見に行って以来となります。それからしばらくして………



クローナちゃんがやって来ました 皆さんも拍手でお迎えくださいませ。 それにしても、美サモさんでいらっしゃられる。 頭の上の飾りも、よく似合っていますよ このようにして顔合わせは果たしたのですけど、今度は私のほうがすぐに、こちらを発たなければなりませんでした。 それならば、その前にみんなで集合写真を撮っておきたいですね。そうしたら、背景によさそうな場所は………



天竜二俣駅の道を隔てた向かいにSLがあったので、こちらにしました。 マーフェリ家のFさん、クローナちゃん家との仲介をして、今回のご対面を叶えてくださり、ありがとうございました。 クローナちゃん家のKさん、今回はわずかな時間でしたけど、お逢いすることができてとても嬉しかったです。 これから四国方面に向かわれるそうですけど、どうかお気をつけて行ってきてくださいませ。それから、再びお逢いする日が来るのを楽しみにして待っています。

天竜二俣駅をあとにしてから、白黒茶々家は浜松浜北ICから新東名高速道路に乗っていき、次の目的地の岡崎公園を目指して突っ走りました。 途中で歴史感ありありの長篠設楽PA(下り)に寄っていきたかったのですけど、少しでも早く着くために今回はスルーしました。 そして、天竜二俣駅を出てから1時間21分後に………



ハアハア……… 20分ほど遅れてしまいましたけど、なんとか次の集合場所となる岡崎公園の大手門前にたどり着きましたよ。 こちらからは建物しか見えないのですけど、その下のあたりにはすでに白いお仲間たちが来ていると思われます。果たして、今回は何頭のワンコが集まるのでしょうか?それから、五万石藤の咲き具合はどうなのでしょうか?それらについては、次回の日記で触れさせていただきます。


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道の駅潮見坂の24時間メニュー

2019-05-04 01:33:16 | 美味情報
こんばんは、白黒茶々です。
4月に入ってから久しぶりにスピ仲間と、蒲郡市にあるテーマパークのラグナシアのワンコイベントで集まる計画がありました。 しかし、天気予報ではその日は雨となっていました。 それでも、今までの経験からすると、その日までに予報が二転三転することがあるので、まだ諦めなくても大丈夫です。 ………と信じていたのに、今回に限っては気象庁は頑なに雨の予防を覆そうとしませんでした。 ギリギリまで粘ってみたのですけど、結局発起した方から中止の宣言がありました。
こうなってしまったからには、もう天気でヤキモキする必要はありません。私に構わず、大いに雨をお降らしなさい

ところが、その日は朝から薄い曇りだったのです。 中途半端な……… それでも、はお出かけしたい欲が満々で、私にも同じ思いはありました。 とはいっても、いつ雨が降り出してもおかしくない微妙な空色なので、もし雨に見舞われたとしても、すぐに引き返せるぐらいの近場にしておいたほうが無難です。 そのような状況の中で、私が選んだところは………



道の駅潮見坂であります ちなみにこちらは、白黒茶々家からは車で3分ほどのところにあります。 すでに旅のドライバーで賑わっているのですけど、今回は波と狛を連れていて、いきなりその核心に迫るのもナンなので………



まずは潮見バイパスの下を潜って、沿岸部に出てみることにしましょう。 その向こうにはその道の駅の関連施設があって、そちらではなんと、ダチョウが飼育されているのですよ 今回初めて連れてきた狛が、彼らに対してどのような反応をするのか楽しみですね。



あ、あれ?ダチョウがいない それだけではなく、彼らがいた柵まで撤去されているではありませんか



一昨年前の秋にはまだいて、波とご対面したというのに。 しかしよくよく考えてみたら、私たちが見に来る度にダチョウの数が減っていって、最後に来た時には1羽になっていたような。やはり死に絶えたのを機に、その施設を閉めてしまったみたいです。



ま、まあ、こうなってしまったら仕方がないので、ここまで来たのだから気を取り直して、白須賀海岸に出てみることにしましょう。



狛にとっては初めての海となるのですけど、それに対して特別なリアクションはなく、いたって普通でした。 ま、まあ、恐がらなかっただけでもヨシとしておきましょう。そうしたら、この広大な風景をバックにして、波との2ショットを撮っておきましょう 題して「波と波と狛」。



う~む……… お二方とも表情がしまりませんね。会心の写真が撮れたら、ブログのプロフィールなどに使おうかと思っていたのですけど、次の機会に持ち越すしかありません。



そうしたら、今度はヤギとのご対面といたしましょう こちらの道の駅ではヤギの家族が飼育されていて………



東に降りていったところに、彼らはいます。 「犬を近付けないでください」のような注意書きはないので、ワンコを連れていっても大丈夫でしょう。たぶん、きっと。



いたいた こちらの白ヤギは、お母さんのしおちゃんでしょうか? そうしたら、こちらもまた初めてヤギを目にしたときの、狛の反応は………



いたって普通……… ではなく、興味津々のご様子ですね。 ヤギのいるほうにマズルを突っ込んでおられる。 しかし、ここからでは狛も皆さんも見づらいので………



防御(?)が薄い場所に移動しました。そうしたら、狛以上に波がグイグイ乗り出していき、揚げ句の果てには構って吠えまでする始末。 波ちゃ、お姉ちゃんとしてのお手本を……… というよりは、ヤギに吠えてはいけません
………なんてやっているうちに、お昼の時間となっていました。そろそろ私のお腹も空いてきたので、波狛ちゃには車の中で待機してもらって、道の駅の施設内を巡ることにしましょう。



こちらでは、地元産の野菜や海産物を多数取り扱っていて、多くの人で賑わっています。



その一角にあるレストランでは、うな丼やしらす丼、アヒージョ丼………って、何でしょうか?とても気になります。



それらの他にもメニューは充実していて、つい目移りしてしまいますね。 しかし、今回は違うジャンルに斬り込んでいきます。昔、オートレストランなどにうどんの自動販売機があったのですけど、現在は絶滅危惧となっています。 それほどではないのですけど、カップ麺の自動販売機も珍しいみたいです。 私が子供の頃は、普通に街角にあったのに。その自動販売機が………



実は、こちらの道の駅にあるのですよ 天ぷらそばどん兵衛にチキンラーメン、さらにはカップヌードルのシーフード、カレー、醤油ラーメンというラインナップとなっていて、一律160円……… って、コンビニより安いじゃないですか



それらの中から、私は海辺の道の駅のイメージからなんとなくシーフードヌードルを選んでしまいました。 そいつの封を開けて同じ販売機で給湯し、あとは3分待つだけです。ちなみにこちらは道の駅の屋内に入ってすぐのところにあり、店舗部分の営業時間外の早朝や深夜でも利用することができます。
しかし、お昼のメニューがこれだけではナンなので………



今度は屋外の庇の下に設置されている、こちらもまたどこか懐かしい、チンするホットメニューにも手を出すことにしましょう 焼おにぎり、からあげチキン、フライドポテト、……… どれにしようか迷ってしまいますけど………



やはりカップ麺のお供にするなら、ご飯ものがいいですね ということで、私は台湾飯に決意を固めました。 やはりこちらもカップ麺販売機と同様に、24時間利用することができます。



あとは出来上がって出てくるまで120秒ほど待つだけなのですけど……… 自動販売機の前で突っ立っていると、かなり長く感じます。 「ドラゴンボール」で、魔貫光殺砲がなかなかチャージできないピッコロの気持ちが、このようなところでよくわかります。とはいっても、私がその魔貫光殺砲を放つ機会はなかなかないのですけど。



………なんて脳内劇場で盛り上がっているうちに台湾飯の調理が終わり、今回の私の昼食が揃いましたよ
では、いっただきま~す  はむっ
OH ネギの肉味噌はピリ辛なのですけど、ご飯に絡めるとあと引く旨さです。 その間にまろやかなシーフードヌードルを挟むと、いいアクセントとなりますし。 我ながら絶好の組み合わせにしたと思っています。それらを平らげたところで、あと1品欲しいですね。



こちらは24時間メニューではないのですけど、しらすがたっぷり入っている浜焼きは、美味しそうですね。



しかし、熱くて辛いものを食べたあとは、冷たくてさっぱりした別バラがいいですね 三ヶ日みかんソフト、抹茶ソフトなどのご当地メニューも気になるのですけど、やはりここは話のネタにするためにも………



しらすソフトを食べてみることにしましょう これは道の駅潮見坂のオリジナルで、通常のソフトクリームにしらすとネギがふんだんにまぶされています。



以前から私はこのソフトの存在を知っていたのですけど、食べるのは今回が初めてとなります。 気になるお味のほうは……… むりゅっ
ほわっ、しらすが自己主張すると思いきや、ソフトクリームの甘さと冷たさの中を泳いでるという感じで、ネギもその流れに従っています。 ちょっと抽象的な表現となってしまいましたけど、しらすはスイーツの一部にもなるのですね。このしらすソフトには賛否両論あると思いますけど、私は「大いに賛成」というよりは「やや賛成」に1票を投じておきます。 とはいっても、美味しかったですよ。

道の駅潮見坂は私にとってはあまりにも身近すぎて、グルメ部門などで見落としているところがたくさんあります。なので、また機会があったら探究していこうと思います。 もちろん、皆様からのご一報もお待ちしていますよ。こちら方面を通るついでがあったら、皆様もぜひ寄ってみてくださいませ。


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狂犬病予防注射、お覚悟なさいませ!

2019-05-01 00:04:48 | ワンコ
こんばんは、白黒茶々です。
波狛日記は毎回深夜に更新されているのですけど、奇しくも今回は特別な夜に引っ掛かってしまいました。 元号をまたいでブログを続けられるなんて、またとない貴重な体験となります。 とはいっても、皆様からの応援と、私の好奇心と体力が続く限り、今後も変わらず波狛日記をやらせていただきます。
ということで、令和時代最初のネタに入るのですけど、それは……… ワンコにとっては悩ましい年間行事でもある、狂犬病予防注射の話なのですよ。



まだ桜の開花もしていない春先に、白黒茶々家にこのような招待状が届きました。 春の訪れを告げるというか、春の風物詩にもなっているというか、とにかく自治体からの狂犬病予防注射のお知らせなのですよ しかも今回は、いっちょ前にのぶんも届いておられる。1月に彼を迎え入れて、私はすぐに市役所に登録(正確には住所変更)をしてきたので、この通知が来るのは当たり前なのですけど、このような形で彼の名前を見ると、感慨深いものがあります。

狂犬病の予防接種は動物病院でも受けることができるのですけど、白黒茶々家では毎年地域の集会所などに出張でやって来るものを利用しています。 また、そちらは平日の昼間の時間帯にやっているので、ちょうどその日に有給休暇を取れた箔母さんに、その役目をお願いしました。

予防注射といえば、注射ギライなワンコをなんとかして引っ張っていき、その子が恐怖と痛さのあまり「ヒャン 」と鳴くところを見るのが醍醐味、いや、定番となっています。 先代犬のも若い頃は硬派だったのですけど、注射の際には弱いところを見せていて、そのことは私の絶好のブログのネタにもなっていました。しかし、彼は老年期に入ってからは「注射鳴き」はしなくなり、その姿を見て安心したのでしょうか?波にいたっては、最初から静かに受け入れていました。「チッ、つまんないの」と言いつつも、私には諦めムードが漂いつつありました。



しかし、今年は違います ニューキャラとなる狛が加わったので。彼は一歩外に出ると、犬なのに猫をかぶったように大人しくお利口さんになるのですよ。そんな彼でも注射を前にしたら、化けの皮が剥がれるかも知れません。 さあ狛ちゃ、お覚悟なさいませ



も鳴いたら面白……… いや、ここは感情を表してもいい場面です。 大暴れしない程度で、大いに鳴いてきてくださいませ そんな彼らのことを箔母さんに託し、私は仕事に就きながらその結果報告を待ちました。 そうしていたら………



彼女から、このような画像が送られてきました。 それには何の説明も付いていなかったのですけど、この一場面だけですべてを物語っています。波と狛は獣医さんの前では大人しくしていて、予防注射は難なく終わったみたいです。 それでも、帰宅してからその話を直接本人から聞いてみることにしましょう。

箔母さんによると……… 予防接種がおこなわれる集会所に向かう途中で、普段なかなか逢わないワンコを見つけて、波と狛はテンションが上がったそうです。 しかしそのあとは単独行動となり、そのまま集会所へ。そこで待ち構えていた獣医さんには、彼女らは笑顔で対応し、抵抗することもなく身を任せたのでした。

もうこうなったら私は負けを認め、波と狛には「おりこうさん 」と褒めるしかありません。それで一件落着とするところなのですけど、ワンコが予防注射を恐がって「ヒャン 」と鳴くのは、もう私の幻想でしかないのでしょうか? いや、時代もワンコも変わったのかも知れません。とにかく、ワンコにとっては義務となる今年の狂犬病予防注射は、このようにつつがなく終わりました。


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