波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

矢奈比賣神社で少し遅めの初詣

2022-01-29 00:46:04 | 年間行事

こんばんは、白黒茶々です。

初日の出やおせちなど、お正月の行事は年明け早々に集中していて、それらは期日(?)までに執り行わなければなりませんでした。 それでも、初詣は私の中では1月中に行っておけばヨシとなっています。 私はいちおう除夜の鐘と初日の出のついでに初詣に行ったのですけど、やはりもう少し大きくて有名な神社仏閣で本格的に参拝しておきたいです。 できたら、家族と一緒に。その結果、みんなの都合が合う1月16日に、私たちが毎年行っているあの神社で初詣をすることになりました。

………ということで、やって来ましたよ 磐田市にある矢奈比賣神社(見付天神)に。 たつぴが夜勤のバイト明けということもあって、この日は午後からの行動となりました。 その矢奈比賣神社は、1月中旬にもなると空いていると思っていたのですけど、正面の駐車場は入庫待ちの列ができるほど混んでいました。

こちらの神社には、悉平太郎という霊犬が妖怪退治をしたという伝説があります。 私が昨秋に行った信州駒ヶ根の光前寺早太郎と同一犬物で、それぞれのところに彼の像が設置されています。 「ゆるキャン△」志摩リンがこちらの像を見た際には「キツネっぽい」という感想でした。

その悉平太郎像を仰ぎ見たら、参拝に向かいますよ こちらの神社は霊犬伝説のこともあってワンコにも優しく、私たち以外にもワンコを連れた人が多数いました。

参拝する前には、手水舎で手を清めておきましょう。 ここから柄杓が姿を消してから、かなり経つような気がします。 それにしてもコロナの感染予防策とはいえ、竜に竹筒の中に水を吐かせているところがなんとも。

ここまで来たら人もワンコも分散されていて、すんなりと初詣を済ませることができました。 家族はもちろんのこと、ワンニャンたちも健康で穏やかに過ごせますように

こちらの神社には狛犬だけではなく、牛の石像も据えられています。 たつぴは何の願かけをしているのでしょうか?

家族で来ると、トイレに行く際などに波と狛のリードを預けられるので助かります。 私が戻ってきたら、たつぴは狛の体重を確認していて「重っ また増えたんじゃないの?」と言っていました。 餅太りでしょうか?いや、餅は食べさせてないので……… 願かけは先ほど済ませてしまいましたけど、今年こそは痩せましょう

人足が確保できると、書き割りを使った顔ハメ写真も難なくいけますよ しかし、この裸まつりのしっぺいは長い年月の間に色落ちして、モノクロになりつつありました。

神社に来たら、やはりおみくじもやっておきたいですね 恋みくじ、犬みくじ、鯛みくじ、………など、たくさんの種類があるのですけど………

しっぺいみくじ(500円)も見逃せません 改めて説明すると、しっぺいは磐田市のご当地キャラで、こちらの神社の悉平太郎がモチーフとなっています。 そのしっぺいを型どった陶製のおみくじは年々種類が増えていって、ノーマル、裸祭、サッカー、卓球、ラグビーだけではなく、野球もありましたよ

それから、悉平太郎のところでも少し触れたのですけど、矢奈比賣神社は「ゆるキャン△」のモデル地にもなりました。 そのことに肖ったのでしょうか?志摩リンが買った焚き火グリルがしっぺいみくじの賽銭箱、いや、料金箱として利用されていました。

さらに、その志摩リンの絵馬も奉納されていましたよ この絵馬は300個の数量限定で発売されたのですけど、すぐに売り切れたそうです。 もし私が手にしていたら、コレクションに入れたいという葛藤に駆られていたことでしょう。

矢奈比賣神社での用事が済んだら、その近くにある霊犬神社に向かいますよ こちらは、全国で唯一の犬を祀った神社であります。

ワンコの神社だからでしょうか? 社殿は犬小屋サイズとなっています。

「逢いに行ける霊犬」を求めてきた志摩リンは、こちらも訪れていました。 そういうこともあって、「ゆるキャン△」の聖地での注意喚起もされていました。

その霊犬神社には、無数のしっぺいみくじが奉納されていました。 よく見てみたらその中に、犬みくじや牛みくじも混ざっていますね。

さらにその脇には悉平太郎2世3世のお墓(慰霊碑?)があったので、お参りしておきました。 昨年初詣に来た時には、私はその存在を知りませんでした。

このようにして、今年の初詣はつつがなく終わりました。 しかし、このまままっすぐ帰るのもナンなので、もう1ヶ所近場といえなくもないところに寄り道していくことにしました。 昨年は法多山尊永寺にも行って初詣のハシゴをしたのですけど、今回は趣向を変えてみることに。 ということで、何が飛び出してくるのかは次回になってからのお楽しみとなります


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2021年の歌い締め・ファミリーカラオケ大会と、たつぴの誕生日

2022-01-26 00:41:48 | 家族

んばんは、白黒茶々です。

今年も早いもので、気付いたらもう1ヶ月が過ぎようとしています。 特に節分などの恒例行事をおこなおうとしたら「あれ、コレってこの間やったばかりでは?」と思ってしまいます。 1年前のことがついさっきのことに思える体験、あなたにもありませんか?

そうそう恒例行事といえば、白黒茶々家では毎年年末になると、家族でカラオケ大会を開催しています。 大学生のたつぴはともかくとして、私と箔母さんはカラオケに行く機会はその時ぐらいしかないこともあって、とても楽しみにしています。 家族の間だけとはいっても、隠し芸のような発表会も兼ねているので、私はその日に備えて歌いたい曲を極秘で特訓したりしました。 それから、今回は主な舞台がカラオケルームで、の出番がほとんどないので、彼女らを見出しの画像にしました。 ちなみにこれは、私たちがカラオケに行く3日前に、セルフウォッシュで洗った直後の姿です。

そして、ファミリーカラオケ大会がおこなわれる12月15日の夜になりました。 そのイベントは、カラオケ屋の利用料が安い……… いや、みんなの都合が合う平日の夜におこなうのがずっと定番となっています。 また、お店もいつもと同じ豊橋市のじゃらおけ屋にしました。 今回は20時ちょっと前に入店。

時間制限ナシのフリータイムにしたので、じゃんじゃん歌いますよ たつぴが最初に選んだ曲は………

その年に社会現象にもなった、Adoさん「うっせぇわ」でした。 声がしっかり出ていて、テンポにもしっかりと付いていっていました。 さらに「呪術廻戦」の主題歌にもなっているEve さん「廻廻奇譚」をカンペキに歌って、私と箔母さんの度肝を抜きました。 そういう私は………

桑田佳祐さん「SMILE~晴れ渡る空のように~」から始まり、太田克樹さんフューチャリングカテリンさんによる静岡県のご当地ソング「思い出の交差点」も歌いました。 こちらの曲の歌詞には浜松市の鍛冶町の交差点やアクトタワーだけではなく………

PVには鈴木康友市長出世大名家康くん出世法師直虎ちゃんが出てくるのですよ さらに、川勝平太知事までも なかには静岡県の風景がまったく出ないバージョンもあるので、ご注意くださいませ。

そうしている間に、カラオケ食が運ばれてきました。 ちなみに私が注文したのは、フリータイム限定メニューのトンテキセット(680円)にございます。 これを歌の順番待ちの間にお召し上がりくださいませ とはいっても、ほとんど私とたつぴだけで歌っているので、すぐに出番が回ってくるのですけど。

もちろん最近のヒット曲にも手を、いや、口を出しましたよ。 DISH//「猫」は大変だったのですけど、たくさん練習したおかげでなんとか最後まで泣かないで歌えるようになりました。 それから、森山直太朗さんの曲はどれも素晴らしいのですけど、短くてインパクトありありの「うんこ」を今回も歌唱。 あと、CMソングとして有名な大友康平さん「いすゞのトラック」も、実はカラオケ曲にあるのですよ

それらの他にも、白黒茶々家ではポルノグラフィティ「サヴタージ」が盛り上がり曲となっています。 しかも、この曲は………

歌詞の中に波ちゃが出てくるのがなんとも。 この部分は、毎回彼女のことがかぶって、つい吹き出してしまいます。

そうしているうちに、箔母さんも歌う決意をしたみたいですね。 ちなみに彼女が選んだ曲は………

栗コーダカルテットUAさん「PoPo Loouise(ポポ ルイーズ)」 NHKの「みんなのうた」にも登場したもので、不思議な世界観なのですけどしみじみと聴ける曲であります。 PVの秋田犬も、いいですね。 ただし、PoPo Loouiseは黒い犬でしたけど。 この曲の中に出てくる少年は、UAさんの息子の村上虹郎さんがモデルになったそうです。 ちなみに彼は、現在放送中の「カムカムエヴリバディ」で、雉真勇を好演しました
そういえばこの曲にも「 まぶたの波にこずえが揺れる」って、波ちゃが含まれていました。

誰かが「疲れた」とか「眠い」と言い始めたら撤収するつもりだったのですけどついつい盛り上がって、翌日の1時30分過ぎまで居座ってしまいました。 5時間半強は最長記録タイ、いや、記録更新しているかも知れません。 ま、まあ、年に1渡のイベントですし。 と言いつつも、来年、いや、今年も家族で集まって時間を気にしないで歌いたいです。

単独のネタにできなくて申し訳ないのですけど、1月14日はたつぴの誕生日でした。 ブログを始めた頃、小学1年生だった彼は………

この度、22歳となりました。 卒業を控えた大学4年生で、地元企業での就職も決まっています。 その記念すべき誕生日は、ケーキでお祝いしました。 とっくに食べ終わって宴もお開きになっているのですけど、せっかくの機会なので、皆さまもご一緒にご唱和くださいませ さん、はいっ
♪はっぴば~すでぃ、つぅ~ゆ~………

そういえば、昔はスピッツのイベントやオフ会などによく連れていっていましたね。 成長とともに一緒に行動する機会が減ったこともあって、波狛日記での出番も少なくなりつつあるのですけど、これからはなるべくたつぴの様子も伝えるようにしたいです。



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東海道の二川宿に寄ってみりん!

2022-01-22 00:39:32 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

愛知県豊橋市の東部にあった二川宿は、東海道の33番目の宿場町でした。 宿場としては小規模なのですけど、町割や古い家並みが残っていて、歴史を感じることができます。 そのようなところに………

私はとともにやって来ました 私たちの目の前に連なっているのは、二川宿本陣にございます。 本陣とは、公家や参勤交代などに赴いた大名を対象とした高級な宿泊施設です。 しかし、真ん前の道は昔ながらということもあって幅が狭く、さらに車の往来も多いので、名所旧跡では定番となっている例のアレはできません。 なので………

安全な看板の前で撮りました。 例のアレとは、撮影スポットで波と狛を並ばせて写真を撮ることなのですよ。 今回は門松も入っていて季節感と高級感が出ているということで、ヨシとしておいてくださいませ。 それから、このまた先の有料ゾーンはワンコは入れないので、波と狛は車の中で休んでいてくださいませ。

正面の入口には立派な門が構えられていて、その奥が本陣の玄関となります。 ここから入っていくと、高貴な人になった気分に浸れるのですけど、入場券売り場がある現在の入口は、この建物の裏側にあります。 そこで入場料の400円を払って、検温と手の消毒を済ませたら、先程の玄関に廻ります。

その入ってすぐのところの玄関の間には、吊り下げ式の正月飾りなどが並べられていました。

そこから奥に続く廊下は畳敷きで、高級感ありありです。

最も奥まったところには、殿(大名)が鎮座した上段の間があります。そうしたら、このあたりでこの本陣の説明をさせていただきます。
二川宿本陣は、文化4年(1807年)から明治3年(1870年)まで本陣職を勤めた馬場家の遺構です。 本陣が廃止されたあとも在住していたのですけど、のちに市に寄贈。 改修復原工事によって、主屋・玄関棟・書院棟・土蔵などが江戸時代後期の最盛期の姿によみがえりました。 さらに平成3年(1991年)から大名や公家など貴人の宿舎であった建物を、新設した資料館とともに一般公開しています。 その上段の間の裏側には………

上湯殿 いわゆるお風呂場です。 風呂桶だけではなく、部屋そのものも結構広いですね。

それから、も再現されていました。 はい、昔のトイレにございます。 こちらは畳敷きで高級感が溢れていますね。ただし、使用体験はできません。

本陣に併設された資料館には、二川宿や昔の旅に関する資料が展示されているだけではなく………

版画の体験コーナーもあります。 4つの色を刷り重ねていくと………

浮世絵が完成するのですけど、なんかズレているような。 我こそは!と思う方がいましたら、ぜひ挑戦してみてくださいませ。

その本陣には旅籠の晴明屋が隣接していて、合わせて見学することができます。 資料館から晴明屋に繋がる通用口があるのですけど、ちょっとわかりづらいので、よく探してみてくださいませ。 こちらも裏から廻る順路となっているのですけど………

主屋に入ってすぐのところには、足を洗う旅人の姿が 私たちが昨年の4月に行った岡部宿の大旅籠柏屋にも、同じような像がありましたね。 そちらは弥次さん喜多さんでしたけど。 足の汚れを落としたら………

こちらで宿泊の受付をしてください。 「なんかヘンなのがいる 」なんて言わないでくださいね。 きっと皆さまもこちらに来たら、帳場に立ちたい(座りたい)という衝動に駆られると思うので。

それは「ゆるキャン△」で、大垣千明がカリブーくんを思わず抱き締めたアレに似ています。

晴明屋は文化14年(1817年)に建てられ、主屋、繋ぎの間、奥座敷で構成されています。 平成14年(2002年)から修理復元工事がおこなわれ、江戸時代後期の姿によみがえりました。 昔ながらの旅籠ということで、奥行きが深くなっております。

おお、食事の支度がされていますね。 旅籠で出された料理の基本は、一汁三菜だったそうです。 白米ではない御飯は麦飯でしょうか?そいつは御櫃で出され、焼き魚に野菜の煮物、漬物、味噌汁という内容でした。

「下湯殿」という名のお風呂は、本陣のものより質素で狭く……… というよりは、仕切りがなくて丸見えだったのでしょうか?

厠も「やっぱりな」という感じです。 庶民用のものはこれぐらいのサイズだったのですけど、かえって畳敷きより落ち着いてできるかも。 ただし、こちらも使用体験はできませんし、決してしてはいけません

あと、奥座敷は小ぢんまりとした離れとなっています。 これくらいの規模の座敷に腰を降ろすと、貸しスペースを占有したような贅沢な気分に浸ることができます。
二川宿はこれらの二川宿本陣資料館の一連の施設の他にも………

そこから歩いていけない距離でもないところに狛屋、いや、商家「駒屋」があります。 こちらは江戸時代に米穀商と質屋を営んでいただけではなく、問屋役や名主までも担っていた田村家の邸宅だったところで………

主屋の建物は文化11年(1814年)に建てられました。 こちらと離れ座敷は開放されていて、無料で内部に上がり込むことができます。 また、それらの奥にある中土蔵は売店として活用されています。

さらにそのまた奥の北土蔵は、土蔵カフェに改装されていて………

ちょうどお昼時だったので、多くの客で賑わっていました。 それにしても、どのメニューも気になりますね。 それらには、地元産の食材が使われているみたいですし。 しかし、今回は波と狛を待たせていますし、またの機会にいただくことにします。

昔の宿場町の面影をよく残していて、楽しむ要素も含まれている旧東海道の二川宿。 皆さまもぜひ、訪れてみてくださいませ。


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岩屋観音様に導かれて

2022-01-19 00:48:02 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

前回の日記では、豊橋の偉人・小渕志ちさんの軌跡をたどっていき、彼女の銅像がある岩屋緑地公園で綺麗に(?)終わりました。 私たちの任務もそこまでだったのですけど、こちらに来たのは今回が初めてで、まだ余力もあったので、園内を散策していくことにしました。

岩屋緑地公園は二川駅の西側にあります。 小高い岩山の上には岩屋観音像が立っていて、その麓に森が広がっています。

天平2年(730年)に行基がこの地に赴いた際に、その風景に見せられて千手観音像を刻んで岩窟に安置したのが起源とされています。 以来、東海道を往来する旅人たちの信仰を集めました。

そういえば私たちが前回訪れた大岩寺は、かつては岩屋山の麓にあったと言っていましたね。 現在、岩屋のほうには弘法大師こと空海を祀った弘法大師堂があります。 大岩寺は彼が拓いた真言宗の寺院だったのですけど、のちに曹洞宗に改めたそうです。

またその近くには、鐘楼がありました。

しかも、誰でも気軽に突くことができるみたいなので、遠慮なくやっておきました 鐘は突いた時の音もいいのですけど、そのあとの余韻もじっくりと味わっておきたいですね。 あ、波と狛はその音にビビることはなく、至って普通でした。

さらにその先には、岩山の岩屋山が その頂上には明和2年(1765年)に建立された聖観音立像があったのですけど、戦時中に先程の鐘や志ちさんの像とともに金属供出の憂き目に遭ってしまいました。 嗚呼、なんてバチ当たりな……… ちなみに今日見られるものは、昭和25年(1950年)に再建されたそうです。 かつては東海道を往来する旅人を見守り、現在は国道1号線を走っていると視界に飛び込んでくる岩屋観音様。 なんか「こちらにおいで」と言われたような気がしたので………

岩屋山を登ることにしました。 山道に沿ってチェーンが張られてはいるのですけど、足元はゴツゴツしたいわば岩場となっていました。 けっこう険しかったのですけど、はグイグイと登っていってくれました。

山頂までもう少し。 ガンバレ波狛ちゃ そうしているうちに………

観音様の足元にたどり着きましたよ さすがにその位置からでは画面に入りきらないので、ちょっと下がったところから撮りました。

岩屋山の登頂記念に、波と狛も写真の中にお入りなさい なんか、お二方とも「づがれだ~………」というような表情になっていますね。

その山頂付近は切り立っているうえに足場が狭くなっています。 波と狛が高所恐怖症ではなくてよかったです。 そんな彼が見つめる先は………

ここが独立した丘ということもあって、豊橋市内を一望することができました。

さらに、二川の街も手に取れるように見えましたし。 このような絶景を見られるなんて、頑張って登ってきたカイがありました。 あ、ちょうど新幹線が通りましたよ。

そうそう、この緑地公園内にはキャンプ場もあるみたいですよ せっかくここまで来たのだから、下見も兼ねて見に行ってみましょう。 それでよさそうな所だったら、管理棟のようなところで直接予約しますよ 昨年はキャンプには5回行ったのですけど、渚園ヒュッゲ湖西のループだったので、そろそろ新規のところを開拓してみようと思っていました。

波&狛とともに緑豊かな散策コースを歩いていったら………

キャンプ場の施設のうちの炊事場に行き当たりました。 こちらのキャンプ場は、炊事場以外での煮炊きはNGというスタイルなのでしょうか? それよりも、この建物はかなり長いこと使われていない感じなのにロープが張られていて、「キャンプ場(有料)の利用者以外の使用を禁ず」という注意書がありました。 案内図によると、この先にキャンプ場があるそうなので、そちらまで行ってみることにしましょう。 そこでなら、何かわかるかも知れませんし。
しかしいくら歩いていっても、さらに道が未舗装路になっても、キャンプ場らしきものは見つかりませんでした。 その後はなんとか駐車場まで戻って、次の目的地に向かいました。 しかし、このままではスッキリしない終わり方になってしまうので………

時を3時間ほど戻して、この日最初に立ち寄ったところの話を持ってきます。 私たちは朝から、二川地区にある秋日和さんという喫茶店に行っていました。 はい、皆さまのお察しの通り、私にとっては今年最初となる豊橋モーニングが目当てでした。

高台の住宅地の中にある綺麗なお店で、その店内は常連と思われる年配の方たちで賑わっていました。

やはり朝の時間帯には、すべてのドリンクにモーニングサービスが付いてきます。 見本の写真などはないので、皆さまもその内容を想像しながらお待ちくださいませ。 それから間もなくして………

モーニングメニューが運ばれてきましたよ トーストは丸々1枚。 ゆで玉子とサラダの定番品目だけではなく、3種の小おかずやフルーツ(バナナ)、それとゼリーまで付いてきましたよ これほどの ものをコーヒー代の500円だけでいただけるなんて、まさに至れり尽くせりです。
それから情報によると、小おかずの種類は行く度に変わるそうなので、また訪れてみたくなりました。

このような流れでいかがでしょうか? 皆さまはスッキリしたというか、豊橋モーニングのネタでほくほくした気分になれたでしょうか? 私たちはその後、旧二川宿を目指しました。 ということで、二川シリーズの最後となる次回は、二川宿本陣をメインとした話をさせていただきます。



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玉繭に光を!小渕志ちさん

2022-01-15 00:55:59 | 人物伝

こんばんは、白黒茶々です。

昨年の暮れから豊橋市では、小学生を対象として「発見!豊橋の偉人!キーワードラリー」なるものがおこなわれています。 これは地元の偉人に関連する公共施設を巡って、それぞれのところに隠されているキーワードを集め、彼らのことを知るというものです。 全てをコンプリートして応募すると、オリジナルの記念グッズがもらえるのですけど………

それに合わせて、豊橋市出身&在住の漫画家・佐野妙先生が手がけた偉人カードも配布されるとのこと。 豊橋の偉人といえば、作曲家の古関裕爾さんを支えた古関金子さんや作詞家の丸山薫さん、中居君にソックリな田村俊子さんなどを連想するのですけど、今回は彼ら以外の6人が挙げられていました。 さらにその偉人カードの中で、小渕志ちさんが私の心に留まりました。 か、かわいい………
そんなきっかけはさておき、志ちさんのことを調べてみたら、その生涯は波乱に満ちていたものの輝かしいものでもありました。 ということで、今年最初の偉人伝となる今回は、とともに豊橋市内の小渕志ちさんゆかりの地を巡りながら、彼女の軌跡をたどっていきます。

小渕志ちさんは、弘化4年(1847年)に上野国勢多郡石井村(現在の群馬県前橋市富士見町石井)の貧しい農家に生まれました。 学校には行かなかったのですけど、幼い頃から母親に繰り糸の紡ぎ方を習いました。 さらに15歳の頃に製糸業に従事しながら技術を学び、その1年後には独立。 自宅の庭に小さな小屋を建てて、座繰製糸(座って道具を使い、蚕の繭から糸を取り出すこと)を始めました。

文久4年(1864年)年、17歳のときに齊藤米吉を婿養子に取って結婚したのですけど、そいつがとんでもないヤツで。 彼は働かず、酒や博打に溺れたうえに志ちさんに暴力をふるったので、彼女は生傷が絶えませんでした。 4年の間に3回も流産し、ようやく授かったよねという子は全盲で生まれてきました。
その11年後の明治12年(1879年)32歳となった志ちさんは、糸繭の取り引きで出入りしていた商人で信頼を寄せていた中島伊勢松(のちに徳次郎と改名)とお伊勢参りを口実にして旅に出ました。 「駆け落ちでは 」というウワサも立ちましたけど、確証はありません。

志ちさんと徳次郎が愛知県二川町(現在の豊橋市)に滞在している際に、地元の人たちは彼女らが上州人(群馬県民)で製糸のノウハウを身に付けているということを聞き付け、こちらで糸繰りを創業・伝授することを強く請いました。 当時、その地域では養蚕はしていても繭から糸を作る技術はなかったのです。
やがて志ちさんは小さな製糸場を創業し、二川に土着していきました。 ところが、明治17年(1884年)に二川地方でコレラが大流行し、大勢の死者を出してしまいました。 そういうこともあって、役所は戸籍を持たない無籍者を厳しく取り締まっていて、流れ者の志ちさんたちはそれに該当することに どうする 志ちさん。

私たちは二川地区にある大岩(だいがん)寺を訪れました。 こちらのお寺はもとは岩屋にあったのですけど、江戸時代初期に現在地に移転したそうです。

大岩寺の住職だった二村洞恩は志ちさんと徳次郎を匿い、偽の戸籍を作りました。 ところがそのことがすぐに当局にバレて、徳次郎と住職は逮捕されてしまったのです 病弱だった住職は間もなくして釈放されたのですけど、そのことが原因で亡くなりました。 その知らせを聞いた徳次郎は責任を感じて獄中で食を絶ち、やがて彼までも命を失いました。
1人残された志ちさんはかなり辛かったハズですけど、製糸業に専念しました。 そうすることが今の自分の責務と思ったのでしょう。

私たちは、大岩寺の近くにある豊橋市二川地区市民館というところにやって来ました。 その一角には………

「糸徳製糸場跡」という石碑が立てられています。 明治18年(1885年)に志ちさんはこの地に製糸工場を設立しました。 その名前の1文字は、徳次郎から取ったのですよね。 さらに彼女は彼の生前の助言に則って、繭としてはクズ扱いされていた玉繭に着目しました。 それは2匹の蚕が作った繭で製糸しにくい代物なのですけど、なんとかならないものか?やがて試行錯誤の末に、玉繭から糸を取り出す技術を編み出しました。 志ちさんはそのようにして作った糸を玉糸と名付け、糸徳製糸場で生産することに。 さらに座繰りの自動化に奮闘した朝倉仁右衛門の功績もあって、その製糸場は事業を拡大していきました。

さらにその方法を周囲の同業者にも伝授して、組合を組織化したのです。  その結果、製糸業は豊橋市を支える一大産業となり、この組合を通じて蚕都として大いに栄えていきました。

豊橋市の北部の多米町には、多米小学校の旧校舎を利用した豊橋市民俗資料収蔵室という施設があります。 そこには………

蚕が成長し、繭になるまでの様子を示したリアルな模型や………

養蚕に関する道具だけでなく………

製糸に使われた道具の数々も展示されています。 それだけではなく、小渕志ちさん関係の資料も見ることができるのですよ

その一方で、このようなエピソードもありました。 志ちさんは41歳の時に、前橋の1人の鍼灸按摩師を宿場に呼びました。 しばらくは黙って揉んでもらっていたのですけど「まだわからんのか」と言いました。按摩師はハッとし、すぐに自分の母親であることを感じました。 そう、彼女は20歳になった娘のよねだったのです。

志ちさんは多くの苦難をなめていたこともあって、人の痛みには極めて敏感でした。なので、 必然的に従業員たちにはわが子のように慈愛深く振る舞いました。 また、楽して儲けることを嫌い、 歳を取ってからも朝は一番に工場を見まわり、従業員と食事を共にしたそうです。  製糸業というと「あゝ、野麦峠」のような女工哀史を想像しがちですけど、こちらの仕事場の雰囲気は明るく、和気藹々としていたそうです。

その頃には、日本の生糸の生産量は世界一となっていて、外貨を稼ぐ重要な輸出産品として国を支えていました。 その功績が称えられて、志ちさんは名古屋離宮(現在の名古屋城)で、日本人女性として初めて天皇陛下に個人拝謁する機会を得ました。  その時の記念写真には、彼女はトヨタグループの創始者である豊田佐吉さんの隣に写っています。
さらに志ちさんは「生きることは学ぶことである」として、従業員たちを対象とした青年学校を開きました。 その思いは後世まで受け継がれていきました。

豊橋の製糸業は戦後になって衰退していき、糸徳製糸場は昭和32年(1957年)に廃業しました。 現在は跡形もないのですけど、二川の町中に工場のレンガの防火壁の一部が残っています。

志ちさんの後継者は事業を教育のほうに絞り、それは二川幼稚園の設立に繋がって、現在に至ります。 その園庭にはアベマキの大木があります。 推定樹齢が150年なので、志ちさんが活躍していた頃にはすでにあったということに。

二川の西北の岩屋緑地公園の中には………

小渕志ちさんの銅像があります。 彼女は80歳を過ぎても積極的に工場を見廻り、工女たちに声をかけていったと云われています。そして昭和4年(1929年)3月16日に82年の生涯を終えました。

志ちさんを敬い慕う人々の間から彼女の功績を後世に残そうという声があがり、この地に銅像を建てることになりました。 亡くなった年の11月に像は完成。しかし、太平洋戦争中に金属供出されることに。

そのような状況の中でも台座は死守し、なんとか後世まで残されました。 その碑文の書体の古さから、昭和初期を感じます。 志ちさんの名前も「小淵志智子」となっていますし。

終戦から41年後の昭和61年(1986年)になって、糸徳製糸場の元工員や市民たちの手によって、志ちさんの銅像が再建されました。 彼女の眼差しは、形を変えて受け継がれ発展していった豊橋を見つめています。


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平谷高原からの雪だよりと箔母さんの誕生日

2022-01-12 00:24:58 | 家族

こんばんは、波ですワン。

昨年の暮れぐらいから急激に寒くなって、一歩お姉ちゃんがいる北陸地方などで大雪が降ったのですけど、皆さんのところはどうなっているでしょうか? 波地方は………

せいぜい雪が舞う程度で、「雪と戯れるワンコの図」みたいなものは残念ながらお送りできませんなの~ ………というよりは、これはお父さんのお正月休みの最終日となる1月4日の早朝に行った散歩の様子ですワン。 このあとお父さんは「朝早くから支度を始めたということは、遠くにお出かけするのでは 」と期待していた波たちを振り切って、スキーに行ってしまったのなの~  あれから3時間近く経つのですけど、お父さんはそろそろスキー場に着いたでしょうか?

はい、白黒茶々です。
10時ちょっと前に、今回の目的地となる南信(長野県南部)にある平谷高原スキー場に到着したところです。

すでに駐車場は満車となっていて、かなり離れたところにある予備のスペースに誘導されてしまいました。 こちらのスキー場は、平日はリフトの1日券が2000円まで値引きされたうえに近くの温泉の入浴券も付いていて、さらに駐車場も無料になるのですよ まだ休みという方がたくさんいるみたいで、この混みようとなったみたいです。

スキーの装備を身に付け、すでに準備は万端 さあ、いよいよ今季初の滑走に入りますよ~

平谷高原のコースは全部で4つ。 昨年末のオープン時には1つのコースしか滑れなかったのですけど、少し前の大雪で、一気に全面滑走可能となりました それぞれはあまり長くないものの、難易度が色分けされているので、滑る度に変化を楽しむことができます。

この日は朝から雲がかかっていて、寒々しい光景となりました。 ま、まあ、吹雪いていなければ大丈夫でしょう。

そうしたら、リフトに乗っていざコースの上の方へ

まずは慣らしでAコースからいったのですけど写真を撮り忘れてしまいました。 なので、これは2回目のリフトを降りたところからBコースを臨んだところです。

先ほどとは角度やコースの傾斜が微妙に違うのですけど、おわかりでしょうか? こちらはCコースにございます。 午前中に可能な限り滑ってから、お昼ご飯の休憩を経て………

午後からはミニスキーに履き替えて、続きの滑りをたしなみました。 気が済むまで滑走しまくったら………

スキー場からは車で4分ほどのところにある、道の駅信州平谷に向かいました。 こちらの道の駅には、日帰り温泉施設のひまわりの湯が併設されていて………

リフトの1日券で入ることができるのですよ 先ほど私が「近くの温泉の入浴券も付いていて」と言っていたのは、こちらのことだったのですよね。 昨年と同じ流れとなりましたけど、浴場の画像は別角度のものにしておきました。 それから、さすがにそこにカメラを持ち込むことはできなかったのですけど、今回は雪見風呂となりました。

話は変わって、その3日後の1月7日は箔母さんの誕生日でした。その日は昭和天皇の命日でもあるのですけど、やはり七草粥はハズせませんよね。 正月の暴飲暴食で弱った胃を休めるためとも、無病息災や健康寿命を願って食べるものと云われていますけど、そこには「仕方なく」というニュアンスが含まれていないでしょうか?私は雑穀の類が好きということもあって、七草粥はむしろ好んで食べています。 まずは何の味付けもしないで、素材の本来の味を確かめます。いや、そのままで何杯でもいけそうですけど、2杯目は梅干しを乗せて、梅干し粥ようにして味わいます。さらに3杯目は塩を振って味変して……… つい七草粥談議で1人で盛り上がってしまいましたけど、この日はこれで終わりではありません。

箔母さんの誕生日ということで、ささやかではあるのですけどケーキを買ってきました。 フルーツタルト、ホワイトチョコとベリーのムース、チョコの3種類の中から、お好きなものをお選びくださいませ

フルーツタルトにしたのですね。 さすがにその上に歳の数のローソクを立てることはできないのですけど、彼女の誕生日を祝って今から例のヤツを歌いましょう。 さあ、パソコンやスマホの前の皆さんもご一緒に さん、はいっ
♪はっぴば~すでぃ、つぅ~ゆ~………

箔母さんは今年もめでたく歳を重ねることができました。 一時的に私との歳の差が4年となっていたのですけど、再び5年に開きました。もちろん、彼女のほうが上です。 50代にもなると健康に不安を感じるようになるのですけど、来年以降も心配や悩み事がないまま誕生日を迎えられることを願っています。



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昨年最後の豊橋モーニングと吉田城

2022-01-08 00:33:32 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

年を越して、今年のの物語もようやく始まるというところで申し訳ないのですけど、今回は時間をさかのぼって昨年の末にあった話をさせていただきます。 前年のネタで使用期限を過ぎたからといってボツにするのはあまりにも惜しいので、ここで問答無用で放出いたします。 とはいっても、話の内容に季節感のようなものはほとんどないので、断らずにシレっと出してもバレない……… いやいや と、とにかく休日の朝に私が波と狛を伴って外出したところから始めさせていただきます。 私たちがその日最初に向かったところは………

豊橋市住吉町にある思案庭さんという喫茶店でした。 こちらでの目的は……… って、すでに日記のタイトルで言ってしまっていますよね。 はい、モーニングにございます。 昨年の秋以降は浜松や湖西には食べに行っていたのですけど、豊橋モーニングからは遠ざかっていました。 なので、その年のモーニングは豊橋で締めておこうと思ったのです。 それから、このお店は以前から気になっていて、ようやく来ることができました。

その建物は、コンクリート打ちっぱなしのモダンな造りでした。 さらに屋内の壁一面が鏡だったりと、斬新な面もありました。

そうしたら、メニューを決めましょう まずはドリンク類を選んで………

こちらのお店では、朝の時間帯に行くと全てのドリンクにモーニングサービスが付きます。 サンドイッチ、トースト、ホットドッグの中から選ぶのですけど………

思案庭さん初心者として、私はホットドッグから入ることにしました。 これほどの内容でコーヒー代の420円とは、なんてリーズナブルなのでしょうか もちろん、美味しくいただくことができました。
朝の活力をチャージした私は、待たせていた波&狛とともに………

現在は豊橋公園となっている吉田城跡に向かいました。 そういえば、私たちがこちらを訪れるのはお盆休みのとき以来なので、4ヶ月ぶりとなります。

以前は本丸東側の裏御門の石垣は修理中だったのですけど、見事に詰み上がっていました。 その本丸跡に降り立ったら………

模擬鉄(くろがね)櫓をバックにして、写真を撮っておきましょう。 その建物の前では、ちょうど数人で集まって昔ながらの正月飾りを立てているところでした。

その模擬鉄櫓を東北側から見てみると、こうなります。 この角度から初めて撮ってみたのですけど、なかなかいいですね。

さらに北御多聞跡から石段を降りていき………

今度は川手櫓跡から模擬鉄櫓を見上げてみました。 ここからの眺めは、私からもオススメです。 ここまで来たらせっかくなので………

豊橋公園の近くの豊橋ハリストス正教会を見に行きましょう そちらはロシア系の教会で、大正2年(1913年)に建てられた聖堂は国の重要文化財に指定されています。 お城から一転して、教会をバックにして写真を撮るのもなかなか………

………って、修理中じゃないですか。 素屋根に覆われていたこともあって、気付かずにスルーしそうになりました。

修理は3年半ほどかけておこなわれるみたいですね。 再来年の夏に再びあの勇姿が見られるようになるのを、楽しみにしていています。
そのあと、私たちは再び豊橋公園に入っていきました。

豊橋市は古山音二階堂ふみ)のモデルとなった古関金子さんの出身地ということもあって、朝ドラ「エール」の舞台となり、ロケ地にもなりました。 やはり、それを記念して造られたエールガーデンで写真を撮っておきたいですね。 さらにその隣には………

エールポストなるものができていました。 私たちが訪れるほんの8日前に除幕されたばかりで、金子さんが文通を経て古関裕爾さんと結ばれたことにあやかったと思われます。

そのポストには、豊橋市出身&在住の漫画家・佐野妙先生が手がけた古関金子ちゃんが散りばめられていました。 それだけではなく、このポストに投函すると金子ちゃんの消印を押してもらえるそうです。 あと後ろの花壇は、豊橋発祥の手筒花火をイメージしたのでしょうか?
波狛ちゃ、これまでモデルのお務めご苦労様でした。 あとは車の中で休んでいてください。 その間に私は………

再び鉄櫓にやって来ました。

こちらの建物は月曜日以外は開放されていて、内部を無料で見学することができるのですよ 主に吉田城関連の資料が展示されているのですけど………

なぜか能面の被り体験もできるようになっていました。 この姿のまま、皆さんの枕元に立ってもいいでしょうか?

あと、吉田城を近世城郭に改修した池田輝政(在城当時の名前は照政)の書き割りもあったので、顔を突っ込んでおきました。 モデル役を波狛たちから私にバトンタッチしたことには賛否両論あるかも知れませんけど、吉田城にはふと行きたくなるような魅力があります。 今回は入らなかったのですけど、機会があったら園内にある美術博物館の見学や三の丸会館での茶席もやってみたいです。 それから、桜満開の時季に来れたら来ます。


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2021年から2022年へ、年越しの様子

2022-01-05 01:44:42 | 年間行事

こんばんは、白黒茶々です。

今年のお正月はあっという間に過ぎ、気付いたら通常モードに入りつつあります。 そのような状況の中ですけど、今回は令和3年から4年にかけての白黒茶々家の年末年始の様子をお伝えします。

………ということで、話は令和3年こと2021年の大晦日にまでさかのぼります。 白黒茶々家では、毎年その日は家族全員で大きな浴場に行って、1年の垢を落とすのが恒例となっています。 ということで、今回も浜名湖の北部にある国民宿舎に向かいました。 その途中で天竜浜名湖線浜名湖佐久米駅に寄っていったのですけど、これもすっかりお約束の行事となっています。 こちらの駅には………

毎年寒い時季になると、ユリカモメの大群が飛来してくるのですよ 彼らは近くの寿司屋のご主人に根気よく餌付けされていることもあって、野鳥ではあるのですけどかなり人に慣れています。

そんなユリカモメたちには、パンの耳はちょっと体に毒なので、かっぱえびせんをもってきました。 さあ、たくさんお食べ そうしているうちに………

箔母さんやたつぴの手や頭の上に乗ったりしていました。

もちろん、私の頭の上にも そのような触れ合いが終わったあと、私の頭には彼らのフンが付いていました。 毎年なぜか私だけやられていて、今回もハズしてはもらえませんでした。

あっ、列車が入ってきましたよ とはいっても、心配要りません。 ユリカモメたちはうまく避けるので、列車が去ったあとに彼らの死骸が落ちているということは決してないので。

あと、浜名湖佐久米駅は「ゆるキャン△」のモデル地にもなりました。年越しキャンプを終えた志摩リンが、その翌日に各務原なでしことここで待ち合わせをして、一緒にユリカモメと戯れたあと、駅前のうなぎ屋に入っていくという流れでした。 今では「ゆるキャン△」のスタンプラリーをやっているそうです。
さらに私たちはその先に進んでいき………

気賀の町並みを見下ろす高台の上にある国民宿舎奥浜名湖に至りました。 こちらの展望大浴場では、日帰り入浴(520円)も受け付けているのですよ。 そのお風呂でスッキリさっぱりしたあとは………

浜名湖の湖畔に今年最後の夕日が沈むところを見るのがお約束となっています。 ところが、今回は雲がかかっていて見えそうにない……… というよりは、この地方では珍しい雪が舞っていますよ あとは家に帰って………

NHKの「紅白歌合戦」を観ながら年越しそばを食べますよ 今年の紅白はドラゴンクエストのテーマ曲の演奏や「マツケンサンバ Ⅱ」などの魅せ場があって、楽しませてもらいました。 その途中で、たつぴは夜勤のバイトに出発。彼はそのバイト先で年越しすることとなりました。
一方の私のほうは、紅白を見届けてから隣町まで猛ダッシュ ちなみに私が向かったところは………

「寺道」と呼ばれる丘の下に寺院が林立しているところにある、お寺でした。 こちらでは、檀家ではなくても除夜の鐘を突かせてくれるのですよ それだけではなく、先着108組に破魔矢を進呈してくれることに。 私は家でのカウントダウンを諦めたこともあって、そいつを手にすることができました。

さらに、本堂を参拝したら無料でおみくじを引くことができるのですよ しかし、私はそのおみくじを後で見るつもりでポケットの中に突っ込んでおいたら、どこかに落としてきてしまったので、今年の運勢はわからなくなりました。
このお寺の背後の丘の上には、私の母校となる中学校があります。 そのグラウンドでは、今年が湖西市の市制施行50年となるのを記念して、年明けとともに手筒花火を上げることになっていました。 すぐに駆けつければきっと間に合うから、急げ そこで私が見た光景は………

う~む……… 完全に終わっていますね。 0時30分の時点で片付けまでほぼ済まされているということは、デモンストレーション程度の規模だったのかも知れません。 そのあとは家で寝て、初日の出を見に行ったのですけど、その様子は前回の日記で報告した通り。
いつもより増量された新聞や届いた年賀状をゆっくり見ていたら………

お昼の時間となりました。 お正月といったら、やはりおせちと雑煮は食べておきたいです。 材料費の高騰やつまみの仕様変更などの困難がありましたけど、なんとか揃えることができました。 ちなみに白黒茶々地方の雑煮は、醤油ベースの汁に、角餅や白菜、大根、人参、鶏肉を煮込んだものです。 それらの中をよく見てみたら………

一際小さいおせちみたいなものがありました。 これはいったい……… って、実は私が盛り付けたものでした。 これはワンコ用のおせちで、犬缶やジャーキー、おやつなどを盛り合わせてそれっぽく見せてみました。 人間が食べ終わったら………

波と狛にもちょっとした馳走をあげましょう。 なみぃ~、こまぁ~、ワンコ用おせちですよ~

食べやすいように、2つに小分けしておきました。 食事前の「まて」で焦らせたら………

さあ、お食べなさい 波と狛はニオイや彩りを鑑賞する間もなく、勢いよく喰らい付きました。 そしてあっという間に平らげ、新春の宴を終わらせてしまいました。 それでも、少しはお正月気分を味わうことはできたでしょうか?
お正月の行事といったら、あとは波と狛を伴っての本格的な初詣が残っています。 今月中にワンコにも優しい○○○○神社に連れていってあげるので、楽しみにしていてくださいませ。



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2022年の幕開けなのじゃ!

2022-01-01 14:57:46 | 年間行事

明けましておめでとうございます、白黒茶々です。

年が改まり、令和4年こと2022年になったので………

皆さまに新年のご挨拶を………

申し上げます。 えっ、私の顔が出世大名家康くんになっているですって? なんか、イメージが今年の干支の寅からは遠く離れていると思われがちですけど、実は彼の元となった徳川家康公が天文11年(1542年)の寅年生まれだったのですよ ちょっと苦しい結びつけとなりますけど、来年の大河ドラマが「どうする家康」なので、今のうちに準備をということで。 いや、その前に「鎌倉殿の13人」がありましたね。失礼いたしました。 とにかく、今回はゆる~い顔で挨拶させていただきました。

正月といえば、しめ飾りですよね 湖西市内にある特別史跡新居関所大御門には、今年も昔ながらのしめ飾りが設置されました。

これは、江戸時代の文献をもとにして地元のボランティア団体が手がけたものであります。 門の左右にはそれぞれ異なる雄松と雌松を使用した門松が置かれ、梅の枝やセンリョウが添えられています。 さらに高さ6mのササが聳え、その間に架けられたササには4mのしめ縄と「おたれ」と呼ばれる短い縄が何本も垂れ下がっています。 あと、しめ縄の中央に飾られているダイダイや紙垂(しで)もお見逃しなく。

そのような迎春ムードありありの門をくぐっていったら………

安政2年(1855年)に建てられ、全国で唯一現存する関所建築の面番所が構えられています。

関所史料館の入口にも、先ほどのものと同じような正月飾りが設けられていました。 新居関所は1月3日からやっているので、気になられた方はぜひ訪れてみてくださいませ。

元日といえば、初日の出も見ておきたいですよね。 白黒茶々家は太平洋側の海岸まで歩いて5分ほどのところにあるので、私は朝早くに起きてとともにそちらに向かいました。 行く途中には、同じ目的と思われる方たちの車がたくさん止まっていました。 これも元旦の風景なのですよね。

間もなくして、目的地にたどり着きました。 初日はまだなのですけど、すでにまわりは明るくなってきています。

その海岸には、寒い中ながらも初日の出が目当ての方たちが県内外からたくさん来ていました。

この日はたつぴは夜勤のバイト明けで、彼を迎えに行ってきた箔母さんもそのまま一緒に来ていました。

せっかくなので、たつぴが写した狛の横顔も載せておきましょう そうしているうちに………

7時4分に初日が上ってきました

たつぴ目線からはこうなります。 狛ちゃの浸っている表情がなんとも。

昨年と同じように、雲がかかっていて水平線からのご来光とはならなかったのですけど、綺麗でめでたい風景を見ることができました。

あとは家に帰るだけなのですけど、私と波狛は近くの神社に寄っていき………

この日だけで2度目となる初詣をしていきました。 コロナの撲滅や行動範囲の拡大など、お願いしたいことはたくさんあるのですけど、まずは家族全員が健康で過ごせられることを祈願しました。
皆さまにとっても、2022年がステキな年となりますように。 こんな私たちですけど、今年もよろしくお願いいたします。


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