波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

スピクラ展に集まった白ふわたち(スピッツクラブ展覧会その2)

2018-05-30 01:24:50 | ワンコイベントの類
こんばんは、白黒茶々です。
前回の日記では、私と波がスピッツクラブ展覧会の会場となっている横浜そごうの鐘の広場にたどり着いた……… 正確には差し掛かったところで終わっているのですけど……… とにかく今回はその続きからで、会場で出逢ったお仲間や午前の部の様子をメインにお伝えします。



まずは、白スピのしらす君と黒スピ(スキッパーキー)のすずりちゃんです。 お二方ともネクタイがよく似合っているのですけど、これは正装か?それとも全裸にネクタイ状態なのか?私は前者と信じたいのですけど、いまだに答えは出ていません。



次に行き逢ったのは、レオン君くまちゃんにございます。私たちが彼らと逢うのは、岡崎公園の五万石藤での集まり以来なので、2週間ぶりということに。 そんな彼らは、今回は出陳するのでしょうか?



こちらも岡崎でお逢いしたお仲間ですけど、大阪から遠路はるばるやって来たバニラちゃんです。 今回もユニコーン部門に出陳するというので、楽しみですね。



陽君とは、3月の白ふわオフ会以来の再会となります。彼はカートの中からなかなか出たがらない様子だったので、そのまま撮らせていただきました。



こちらの幼子は、御蘭家の百合愛ちゃんの息子でヴィヴィアル家の5代目でもある、聖帝(サウザー)君であります。この時、彼は生後42日目。私は今までこんなに小さなスピッツを見たことも触れたこともありませんでした。コロコロしていてぬいぐるみみたいで、乳歯が小さく尖っていて……… もう、反則的な可愛さでしたよ。



スピクラ展では、すっかりお馴染みのヴィヴィアル家です。ヴィヴィちゃんアル君ラピちゃん瑠璃君風ちゃん爽ちゃん小夏ちゃんの3世代にもおよぶ7頭。出陳のほうも、楽しみにしています。



チロ君ライ君は、今回もお揃いのシャツを着ていますね。 毎回見る度に変わっていて、しかも彼らの名前がプリントされたオリジナルなのですよ。しかし、並んでいるところを上手く撮ることができなくて、このような持ち上げ写真となってしまいました。



今回も、豆蔵君小豆ちゃんとも逢うことができました。そのうちの小豆ちゃんが、ユニコーン部門に出陳するそうです。



小雪家は、5頭の大所帯。前回に続いて今回も、小雪ちゃん(カートに乗っている子)がシニア犬部門にエントリーしています。



5年ほど前に、15歳のレオ君に旅立たれた影虎さんは、リアンちゃんを新たに迎え入れていました。 生後5ヶ月ほどで、若々しいうえに人懐っこくて、可愛かったです。 スタッフに出陳することを勧められていたのですけど、果たして………



こちらも、私にとっては初めましての健大君康大君です。この2頭は兄弟犬で、ともに5歳。体重は20㎏を超えていて、私が今まで逢ったなかでは最も大きなスピッツです。 ちなみに、彼らはユニコーン部門に初出陳するそうです。



そのような中で、シロダヌキさん家の麿助君とも逢うことができましたよ 外に出ると気が大きくなって、一人称も「オレ様」になるという麿助君。シロダヌキさんによると、ジャイアン気質とのことです。そんな彼と波を並べて撮ってみたのですけど、なかなか息が合いません。



それでも、粘り強く撮りまくったら、なんとか格好をつけることができました。ま、まあ、前回のスピクラ展の時よりは、進歩したということで。



出陳犬全員の個体審査が済んだあとは、スペシャルショーの投票があり………



そのあとは出陳組も見学組もひっくるめた全員写真撮影をもって、午前の部は終了となりました。 この日は微妙な天気の中にも関わらず、こんなにたくさんの人やスピッツが集まりましたよ。 ちなみに私と波は………



後列の向かって右側の、この位置にいました。 シロダヌキさんの旦那さんの「先生」にカメラを託したので、被写体に専念することができたのですけど………
この時までに9㎏超えをしたた波ちゃが、私の両腕にじわりじわりと重くのしかかってきました。スピクラのスタッフさん……… は、早くOKを出してください。

飛び入り参加も含めて、ユニコーン部門の出陳犬が多くなったこともあって、今回のスピクラ展は午前の部からしてスケジュールの時間をオーバーしていました。 それでも、1時間のインターバル(お昼休み)を経て、午後の部に入ることとなりました。
………というキリのいいところで、今回の日記を締めさせていただき、こちらのほうは3日のインターバルを挟んで、スピクラ展レポートを再開いたします。



いや、ここまでの流れのなかで、見逃したシーンを巻き戻して再生してみたら、このようないでたちの波ちゃんと白黒茶々さんがいましたよ これって、まさか………

というところで、今度こそ本当に「第1284話完、次回に続く」とさせていただきます。 そうしたら、ここは今流行り(?)の「西郷どん」の西田敏行さんのナレーションを拝借して………



今宵はここらでよかろうか?茶々どん、ちぇすとー!きばりや。



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静岡のケイキ様(大政奉還後の徳川慶喜、スピッツクラブ展覧会その1)

2018-05-26 01:14:50 | 人物伝
こんばんは、白黒茶々です。
5月13日は、スピッツクラブの展覧会の日でした。 私は今回もそのイベントに行くために、朝早く……… というよりは未明に支度を始め……… そうしたら、波ちゃのお出かけセンサーが過剰に反応して、吠え出しました。 以前はそれほどでもなかったのですけど、その能力は箔から伝授したのでしょうか?とにかくこんな時間(2時台)はご近所に迷惑となるので、静かにしなさい

3:34


日が長い5月とはいっても、3時台はさすがにまだ真っ暗なのですけど、その時間帯に朝散歩をしておきました。 さらに準備が整ったら、いよいよ出発しますよ

5:21


私たちは始発列車に乗るために、浜松駅に来ました。この日は天気はしだいに下り坂になるみたいで、自宅のある白すぴ地区では出発する頃にはすでに小雨が降っていました。 私たちはあるミッションを実行するために、この先で途中下車するのですけど、雨雲が迫る前に終わらせなければなりません。



その駅前には、モザイカルチャー的な出世大名家康くんがあるのですよ そこでの記念撮影はハズせない……… なんて言っていたら、列車の時刻が迫っていました。急げ

5:33


………ということで、まずはペットを乗車させるための手回り品の切符(280円)を波の列車用キャリーにくくり付け、いざ東へ向かわん 彼女にとっては、先月の名古屋行きに続いての列車の旅となりますけど、今回もその中で静かにしていてくれました。

6:59


浜松から約1時間半で、静岡駅に到着。 今までだったらそちらでの用事を淡々とこなすところなのですけど、私は最近Instagram(インスタ)に手を出し、戌年生まれだからなのでしょうか?スマホからマーキングというか「今、ここにいるぜ 」アピールをせずにはいられませんでした。



こちらの駅前には、徳川家康の幼少時代こと竹千代君(ぎみ)の像があります。 ちょうどいい高さのところにあるので、ワンコを連れていたら、このような「お散歩竹千代君」をやりたくなりますよね? そういえば、1年前のスピクラ展の道中でも、箔で同じことをやっていました。さらにその北西の方向には………



葵タワーをバックにして、老年期の鎧姿の徳川家康像が立っています。 しかし、こちらの像は高い台座の上にあるので、「お散歩………」はできないのですよ。 それはさておき、静岡市は家康にとっては、ゆかりの地でもあります。彼は人質として、8歳から19歳まで今川義元のいるこの地で過ごし、戦国大名として成長した45歳からの4年間は、駿府城を築いて移り住みました。 さらに、徳川幕府の初代将軍の座を辞してから75歳で亡くなるまで再びこちらに赴き、隠居生活という名の江戸との二元政治の拠点としました。
時代は移って、15代目で徳川幕府最後の将軍として知られている徳川慶喜も、この地で過ごしたことがあるのですよ 慶喜といえば、現在放送中のNHKの大河ドラマ「西郷どん」では「江戸のヒー様(一橋慶喜)」として登場し、松田翔太さんが好演していますよね。 その20年前の大河ドラマ「徳川慶喜」では、慶喜に最も容姿が似ているということで、本木雅弘さんが主役を務めました。
………ということで、前置きが長くなってしまいましたけど、今回は「人物伝」として徳川慶喜を採り上げさせていただきます。 こちらで長々と語るのもナンですから、駅から程近いところを散策しながらさせていただきます。 とはいっても、雨雲に追い付かれたみたいで、雨がポツポツと降り始めたので、急がなければなりません。 とにかく、静岡駅から老年期の家康像の前を通り、北西の方向に6分ほど歩いていくと………



現在はホテルや結婚式場、料亭として営業している、浮月楼に行き着きます。



徳川慶喜は、土方歳三松平容保東郷平八郎、………といった方たちと肩を並べる、幕末明治のイケメン偉人10選のうちの1人でもあります。 好みは人それぞれなのですけど、私も彼のことをハンサムだと思っているので、間違いありません。たぶん、きっと。
慶喜といえば、14代家茂亡きあとの慶応2年(1866年)将軍に就任したのですけど、その頃には薩摩と長州が手を結んだりと、世は倒幕の動きの真っ只中にありました。 慶喜はその矛先を外に向け、徳川家を存続させるために、翌慶応3年(1867年)に京都の二条城で大政奉還をおこない、政権を朝廷に返上しました。これにて政治の混乱が収まると思っていたのですけど、薩長連合は朝廷側の岩倉具視と結束し、天皇家の権威を復活させて、錦の御旗を立てて幕府に立ち向かうことに。世に言う「王政復古の大号令」です。これによって、慶応4年(1868年)の鳥羽伏見の戦いが勃発しました。 歴史でいうところの、戊辰戦争の始まりです。



その際に慶喜は、幕府軍の総司令官として大坂城での指揮を任されることになったのですけど、旧幕府軍=朝敵となることを避けるために、船で江戸に逃亡 その年の2月には、彼は上野寛永寺で謹慎生活を始めました。



※白黒茶々さん、浮月楼は素通りしてしまうのですか?(編集部注)
はい、話の流れからしてこの先にあるところから入りたいので、そうさせていただきます。
薩長を中心とした新政府軍はその後、東日本に進攻し、江戸に差し掛かりました。と、そこで「このまま江戸の町を戦火に巻き込んではいけない 」ということで、勝海舟西郷隆盛天璋院(篤姫)らの尽力によって、同年の4月に江戸城は無血開城されました。時を同じくして、慶喜は謹慎場所を水戸の藩校弘道館に移しました。



私たちは浮月楼から5分ほど西のほうに歩いていき、宝台院という寺院にたどり着きました。 こちらには、家康の側室であり2代将軍秀忠の生母でもある、お愛の方(西郷の局)のネタを書くために、私は7年半前に箔と一緒に訪れたことがあるのですよ。 かつては立派な伽藍が建ち並んでいたのですけど、静岡大火や戦災で焼失してしまい、現在はこじんまりとした境内に鉄筋コンクリート製の本堂や………



お愛の方のお墓があります。このあたりで雨がやんで、雲の間から日が差し込んできましたよ。 さらに、その隣には………



「徳川慶喜公謹慎之地」という石碑が立てられているのですよ。慶喜は慶応4年の7月に、こちらにひっそりと移り、謹慎生活を続けました。 翌年の明治2年(1869年)6月に、新政府軍の箱館制圧でもって戊辰戦争が終結したら、彼の謹慎は解かれました。 その後、慶喜はどうしたのかというと………



………ということで、私たちは再び浮月楼に戻ってきました。 その北側には「徳川慶喜公屋敷跡」という石碑があるのですけど………



正面入口にも、同じような石碑が設置されています。 自由の身となった慶喜は、政治からは遠ざかり、こちらに屋敷を構えて悠々自適な生活を送りました。 さらに油絵、写真術、自転車、狩猟など多才な趣味に目覚めました。そんな彼は、地元の人々から親しみを込めて音読みの名前で「ケイキ様」とも呼ばれるようになりました。



そのうちの写真は、若い頃から興味があったみたいで、このような自画像ならぬ自写真、いや、自撮りともいうべきものも残っています。 こうして見ると、やはりなかなかのイケメンなのですけど、屋内では露光不足となってしまうということで、机や本、筆記用具などの小道具をわざわざ屋外まで出してきて撮影したそうです。 しかも、このようなポーズまで編み出して
彼はカメラを持ち歩いては気に入った風景を写し、写真雑誌などに投稿したのですけど、なかなか採用してもらえませんでした。 もし彼が現在の世にいたら、インスタ映えに執着していたかも知れませんね。



また、自転車で静岡の町を走り回ったりもしました。 しかし、運転はニガテだったみたいで、お堀に落ちたり、美女に見とれて看板に激突したりと、伝説を残してしまいました。

しかし、明治21年(1888年)に屋敷の近くに鉄道が敷かれることが決まると「汽車の往来がうるさくなったら、かなわん 」と言って、静かな環境を求めて同市内でも内陸部の、現在の葵区西草深町に引っ越してしまいました。 その屋敷の面影はまったく残っていないのですけど、西草深町のポケットパークには屋敷跡の石碑が設けられています。ただし時間がないので、そちらのほうはハショらせていただきます。
静岡県民としては大河ドラマの「徳川慶喜」で、静岡での彼の生活がどのように描かれるのか楽しみにしていたのですけど、そのドラマは大政奉還をもって終わってしまったのですよ。私の「あ…あ………」という嘆き声も聞かずに。



浮月楼のほうには、ケイキ様の屋敷の頃からの庭園が残っています。 彼は明治30年(1897年)まで静岡で過ごし、その後は東京の巣鴨に移り住みました。その翌年、60歳となった彼は、明治天皇と謁見し、さらにその4年後には、貴族院議員として再び政治に関わることになります。

8:12


静岡で語りきれなかったこともあるのですけど、慶喜氏が東京の住人となったということで、私たちは列車に乗り込みました。 そして、このような天気の中でも、富士川に差し掛かったところで奇跡的に富士山が見えてきましたよ



慶喜氏は大正2年(1913年)11月に、77歳(満76歳)でその生涯を終えました。 家康の75歳(満74歳)を超え、徳川歴代将軍のなかでは最高齢ということになります。 彼は現在、東京でも静かな環境のなかにある、谷中霊園で眠っています。

10:33


そういう私たちは、東京までは行かずにこちらの横浜駅で下車しました。先ほどまで慶喜氏の話で一人で盛り上がってしまいましたけど、この日の目的はこちらにあるのですよ。

10:41


まだ雨は降ってなかったので、スピッツクラブ展覧会の会場となっている横浜そごうの鐘の広場までは、駅から直結しているこちらの歩道橋を歩いていきますよ。 その先には、すでにたくさんの白ふわたちが集まっていました。そのスピクラ展の様子については、次回の日記で語らせていただきます。


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初凧と初練りの様子もお伝えします。(浜松まつり・その2)

2018-05-23 01:26:45 | 年間行事
こんばんは、白黒茶々です。
5月も下旬に入り、季節は初夏から梅雨時に移りつつあるのですけど、箔波日記はまだGWにおこなわれた浜松まつりの真っ只中にあります。



………ということで、私はその参加組の立場で、中田島の凧揚げ会場に来ています。 その南側に造られた防潮堤に上れば、松林が伐採されたこともあって視界が開かれ、会場全体を見渡すことができます。



その手前に並んでいる露店は、たくさんの人で賑わっていますね。たこ焼きにしようか、それともお好み焼きにしようか、いやいや、イカ焼きも捨てがたいですね。



………なんて、買い食いしている場合ではありませんでした。 前回の日記では、私が属している萩丘組が初凧を揚げるところでムリヤリ終わらせてしまいました。なので、今回は改めてそこから入らせていただきます。
初凧とは、初子が生まれた家がそのお祝いをするために作った凧のことで、それには初子の名前が書かれ、町内のみんなの手でもって空高く揚げられます。



まさにその時に、地元のケーブルテレビの生中継に突撃されました。 今年まつりに参加する町内は173もあって、テレビや新聞に出られる可能性はかなり低いこともあって、萩丘組の皆さんはかなりテンションが上がっていました。 しかし、白黒茶々家ではケーブルテレビは観られないので、私は落ち着いていました。



それから間もなくして、地上から凧が放たれ………



ぐんぐんと大空へ舞い上がっていきました。



地上では、萩丘組の連中に肩車された初家さんが糸を握り………



そんな彼らを鼓舞するために、私たちラッパ隊は太鼓に合わせて凧ラッパのメロディーを奏でました。 この日は風が強くて、大凧が落下して地上の人がケガをする事故が続出したのですけど、萩丘のものは大丈夫でした。ただし、浜松まつりの凧はただ揚げるだけではないのですよ。



テンションが上がってきたら、近くで揚げている町内の凧の糸とを意図的に……… 「糸を意図的に」って、グッときませんか? とにかく、意図的に絡ませて、糸切り合戦が始まるのですよ
そんな彼らの士気をより高めるために、私たちラッパ隊はただひたすらラッパを吹き続けます。間もなくして、糸が切れて遥か遠くに飛んでいく凧が続出 気付いたら、萩丘の凧のものも切れていました。 それでも、これに参戦した方たちは満足そうにして引き上げていきました。

凧揚げ会場での出番を終えた私たちは、再び送迎バスに乗って町内に戻るのですけど、その発着点となる浜松まつり会館前で、福市長らを見つけました。 これはぜひ、突撃しておかなければ ところで、皆さんは浜松市の福市長ってどなたかご存知でしょうか?



はい、出世大名家康くんのことにございます。 ちょうどその頃、お友達と浜松市街に繰り出した箔母さんは、たい焼きならぬ「家康くん焼き」を食べていたそうです。しかも、何のためらいもなく頭からガブリと。



その近くには、出世法師直虎ちゃんもいましたよ 彼らとは何回か記念撮影をしているのですけど、私がまつりの衣装で写るのは初めてなので、ついついニヤけてしまいました。
と、そこにどこかの町内の凧が落下!凧揚げ会場から1㎞以上も離れているのに、恐るべしです。
※今から24年前には、数百㎞離れた千葉県の南房総市にまで凧が飛んでいったという記録がありますよ。(編集部注)

夜の部までは3時間ほどのインターバルがあって、地元の方は自宅でお風呂に入ったり仮眠を取ったりするそうです。しかし、私とたつぴは家が遠いので、会所で休憩して体力を回復させました。



そして、いよいよ夜の練りに繰り出す時間と相成りました。私たちはもう準備万端です。



そうしたら、太鼓やラッパを打ち鳴らしつつ、町内を練り歩きますよ それからしばらくして………



初練りがおこなわれる家に到着 その家を囲むようにしてみんなして腰掛け、カンパイの合図があったら……… 初日と同じように、おもてなしの料理をいただくことができます。 こちらでは、変り種のハンバーガーが回ってきましたよ 昔は施主さんの家で大量の唐揚げを揚げたり、豚汁を仕込んだりしたそうですけど、今はほとんどのところが仕出しのオードブルに頼っています。しかし、初家どうしが示し合わせたりするようなことはないので、けっこう内容がかぶったりするのですよ。 それでも、私たちはご馳走になる身なので、文句を言ってはいけません。



そうしているうちに、前夜と同じように初練りの締めくくりとしての「いっき」が始まりました。 我こそは!という人々が樽酒などに群がっている間………



そんな彼らに勢いを与えるためにラッパを吹き続けるのが、私たちラッパ隊の役割りです。 まつり2日目の夜は、このようにして終わりました。



浜松まつり最終日の5月5日は、私は朝からたつぴとともに、凧揚げ会場にいました。そうしたら、大蒲町の凧が視界に入ってきました。 その町内は、スピ仲間のバニラちゃんのパパさんが取り仕切っているのですけど………



いたいた♪しかし、凧揚げをする人たちに指示を出したりするのに一生懸命だったので、声を掛けることはできませんでした。 それでも、そのお姿はとてもカッコよかったです。



そのあとに、萩丘組も凧揚げを始めました。この日はこどもの日なので、町内の子供たちに凧糸を引かせたりもしました。もちろん、その傍らでは私たちラッパ隊がラッパを吹いていましたよ



夜の部への移行の流れは、前日とほぼ同じなのですけど、この日萩丘組の練りの一行は、隣町にあるピアゴ浜松泉町店に繰り出しました。その特設ステージの上から、お店のマスコットキャラクターのピアッキーが出迎えてくれましたよ。



こちらでは、小豆餅住吉泉町上島萩丘の高台連合による合同練りがおこなわれました。町内によってラッパのメロディーやテンポが微妙に違ったりして、合わせるのが大変でしたけど、多人数で大きな波を作り上げるのは、爽快でした。 そこでの出番を終えたあとは、萩丘の町内を少し練り歩いて、今年のまつりは幕を閉じました。

初夏の訪れを告げ、浜松市民にとっては活力の源となる浜松まつり。 少子化の影響もあって、初子だけではなく参加者の数も年々減りつつあるのですけど、私とたつぴはこれからも市街からこのまつりを応援していきます。いや、楽しいので喜んで参加させていただきます。


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浜松まつり、頼むから晴れてくれ!(浜松まつり・その1)

2018-05-19 01:07:38 | 年間行事
こんばんは、白黒茶々です。
もう2週間ほど過ぎてしまいましたけど、皆さんは今年のGWはどのようにして過ごされたでしょうか? 長いところでは9連休もあったみたいで。白黒茶々家では、箔母さんたつぴがその対象となっていました。 私のほうはというと、4月29日の日曜日と5月3~6日の4連休と、暦通りでした。



そのうちの5月の3日間は、例年通りたつぴと一緒に、浜松市の萩丘地区在住の伯母のつてを頼って、浜松まつりに参加することにしました。
しかし、その初日となる5月3日の天気は大荒れになるという予報が出ていました。 浜松まつりは3日3晩あるのですけど、フル出場するのはさすがにエラい(こちらのほうの方言で『疲れる』とか『大変』を意味する)ので、私はどこかに休みを入れるつもりでいました。 それならば、3日の昼の部は抜けることにしましょう



………とはいっても、雨は3日の朝のうちに上がったので、私は浜松まつりの開会式を見に行くことにしました。 そうしたらせっかくなので、も連れていきたいですね。 という流れで、彼女と一緒に中田島砂丘に隣接している凧揚げ会場に………
※蛸の滑り台はどこか懐かしいですね。………じゃなくて、これはタコ違いでは!?(編集部注)
いえいえ、決して的外れというワケではありません。 浜松まつりの開催期間中は、凧揚げ会場周辺は車での進入は規制されるので、そこに行くにはちょっと離れた卸本町のこちらの蛸公園(正式名は本町公園)の駐車場などに車を止めて、歩いていくことになります。 そして徒歩20分ほどで………



目的地に到着しましたよ 雨の影響もあって、この時点では人出がやや少なめなのですけど、開会式前から会場は熱気に包まれています。 10時になったら、開会宣言に引き続いて花火が打ち上げられ、それを合図にして大凧がいっせいに揚げられるのですけど、その光景が大迫力で圧巻なのですよ。 皆さまにも早くお見せしたいです。10時まであと1分、59(秒)、58、57、………



嗚呼、あと10秒というところで、揚がっちゃいましたよ フライングしたのは数町なのですけど、他の町内もつられて続々と揚げていきました。 こうなったら、もう総崩れ状態です。おかげで、すでに大凧が乱舞している中で、遅れて開会宣言と花火が出てくる事態に。 それでも、この風景は毎年見ておきたいですね。
しかし、新聞などの報道では「開会宣言とともに、大凧がいっせいに揚げられ………」となっていました。



まつり本部の前では、多くの町内が旗を打ち立てて激練りをやっていました。その屋上には、出世大名家康くんと出世法師直虎ちゃんの姿がありました。



それらを見届けたら、大凧をバックにして記念撮影をしておきましょう。 ちなみに、波の後方に写っているおかめの凧印は、高町のものにございます。その町内にある、豆菓子を製造販売している評判堂というお店が「おかめ印」を商標としていることから、採用されたそうです。しかも波の撮影のために、わざわざ場所を空けてくださって。高町の皆さん、ありがとうございました。



薔薇の凧印なんて、お洒落ですね。 こちらは原島町のものであります。「原島」と書いて「ばらじま」と読むのですけど、知らない人にはなかなかそのように読んでもらえないので、薔薇にしたそうです。 さらに、葉っぱの部分は縞となっていて「ばらじま」。しかし「薔薇縞」という難しい字を想像されてしまいそうです。



茶色の法被は、私がこれから参加することになっている、萩丘組のものであります。 しかし、私はお忍び(?)でこの会場に来ていて、正装ではないのに加えてワンコ連れなので、こっそり写真だけを撮って、退散しました。 萩丘組の皆さん、また後ほどお逢いしましょう。



………とはいっても、私は浜松まつりの夜の部には直接行かず、その前にボートレース(以下、BRと略させていただきます)浜名湖に行きました。 この日は、私の甥っ子の石原翼選手がこちらでのレースに出ることになっていたので、応援することにしたのです。
箔波日記では、彼が1年前にボートレーサーとしてデビューしたところまではお伝えしたのですけど、その後どうなったのかというと………

翼選手はフライングを2回(F2)して、3ヶ月間の出場停止を喰らったりしたのですけど、ベテランの原豊士選手を師匠にして成長していき、昨年の11月にBR常滑で初めて1着でゴールして、初勝利 初めて勝った選手が、先輩らに水面に沈めらる「水神祭」という儀式を受けていました。
その後も彼は頭角をメキメキと現し、今年の正月にはBR浜名湖で、地元のベテラン選手を押しのけ、見事勝利 3連単で倍率2200倍(例えば100円賭けていたら、22万円にも )という、万舟券に絡みました。そして、デビューしてから1年で7勝し、B2からB1へと昇格が決まりました。



彼が頑張っている姿を観られたのはよかったのですけど、この日は抽選でハズレのモーター(私の姉は『う⚪こモーター』と呼んでいます)を引いてしまったこともあって、6着(ビリ)でした。 それでも、私はこれからも応援し続けますよ。翼君、ガンバレ

浜松まつりのほうは、私とたつぴは初日の夜から本格的に参加しました。 その際には、練りの先頭の太鼓に合わせてラッパを吹きながら進んでいくのですけど………



すっかり写真を撮るのを忘れていて、スーパーのビッグの駐車場で、隣町の上島との合同練りをしているところまでワープさせていただきます。
それからさらに萩丘組の隊列は、町内を練り歩き………



初子が生まれた家でのもてなしを受けつつ、お祝いの練りをおこなう「初練り」に入っていきました。 ちなみにこれは、その施しの一部です。



その初練りは、樽酒などの一気(飲み)でもって締められます。 その詳しい内容については、次回の日記の第2夜のほうで触れさせていただきます。

………ということで、話はまつり2日目となる5月4日の朝に移ります。 その日は、私だけが朝から参加することに。萩丘組の皆さんと一緒に、町内から出ている送迎バスに乗っていき………



凧揚げ会場手前の、中田島に到着。 こちらからは、昨年までは日本三大砂丘の中田島砂丘が見えたのですけど……… 正面に見える土盛りは、実は砂丘ではないのですよ。



浜松市の南部は標高が低く、津波が起きたら多くの地域が水没する恐れがあります。そこで、海岸に沿って大規模な土盛りの防潮堤が造られることになったのですけど、中田島砂丘は入口のある北端側は地権などで複雑な事情があって、やむを得ず砂丘を分断する形で防潮堤の土が盛られました。 「なるべく砂丘の景観を損なわないように、表面を砂で埋めるようにする」というのですけど、今後砂丘の自然環境にどのような影響が出るのか、見守っていかなければなりません。



少し気分的に重くなってしまったので、浜松まつりで発散しておきたいですね。砂丘の入口から15分ほど歩いていったら、萩丘組の一行は凧揚げ会場に到着しました。



そちらでは、人の背丈より大きい初凧を揚げる準備をしていました。 そこでいよいよ、ラッパ隊の私の出番となります。
………と、せっかくいいところなのですけど、浜松まつりの期間の前半はいろいろあり過ぎて、日記の行数も多くなってしまったので、このあたりで強制終了させていただきます。 それから浜松まつりレポートは、昨年までは2部構成でも「昼の部」と「夜の部」に分けていたのですけど、今回は時系列ということで、開催期間の真ん中に入刀させていただきます。なので、次回の日記にも懲りずにお付き合いくださいませ。


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五万石藤、今年の咲き具合は?

2018-05-16 01:05:26 | ワンコイベントの類
こんばんは、白黒茶々です。
「藤の花が見頃の時季になったら、サモスピ仲間で岡崎の五万石藤の下に集まりたい 」私は今年もそう願い、参加者を募りました。 そうしたら、まずは実施日を決めなければなりません。GWの前半か後半かどちらにするか悩んだ結果、満開には少し早いかも知れませんけど、前半のほうの4月29日の日曜日にさせていただきました。あとは晴天になることを願いつつ、その日が来るのを待つだけです。

そして、いよいよサモスピ集会の当日となりました。 白黒茶々家からはたつぴの2人と1頭が参加することになったのですけど、目的地までの道中で数回渋滞に巻き込まれてしまいました。 このままでは、言い出しっぺの私が遅刻してしまう恐れが 嗚呼、もうダメだ………
遅刻が確定した時点で私は、先に到着しているであろうアルパパさんに敗北宣言というか、遅れる旨を知らせました。



………とヤキモキしてしまいましたけど、待ち合わせ時間に10分ほど遅れて岡崎公園の大手門前に到着 そちらにはすでに、たくさんの白ふわ仲間が集まっているみたいですね。



さらに近付いたら、賑やかさというか、もふもふ度が上がりました。 そういえば、今回は家に残ることにした箔母さんから「(サモエドの)アル(アルファ)君の写真を送ってほしい」と頼まれていたので………



この絵を貼付して「いいだろ?」とやろうとしたら、アルパパさんは大爆笑 はい、近付き過ぎました。それでも、たつぴはそれをさらに発展させた「もふもふクイズ」を箔母さんに送っていました。 波のもふもふの、どアップ写真も入れて「どちらがアル君か?」というのですけど、私たちの思惑どおり彼女は引っかかっていました。
とにかく、ひとまず今回の参加者が揃ったみたいなので、ワンコの紹介を簡単にさせていただきます。



まずは、サモエドのアルファ(アル)君です。岡崎公園で召集をかけると、その当日の都合次第で近くに住んでいる彼のきょうだい犬が集まったりするのですけど、今回はアル君のみとなりました。それでも、もふもふの存在感はありありですよ。



次は、今回初参加のももちゃんです。生後7ヶ月のポメッツにございます。昨秋まで参加していた小型スピのららちゃんの家にやって来たのですけど、そのららちゃんは今春亡くなってしまいました。



ハッピー君ピース君兄弟は、今回も見事なシンクロ具合ですね。 毛吹きも立派なのですけど、これから夏に備えてサマーカットにするそうなので、次にお逢いするときには一変しているかも知れません。



そのハッピース兄弟と波までも一緒に写っているのですけど、右脇の2頭はレオン君くまちゃんであります。彼らは、スピ仲間との交流やオフ会、スピッツクラブ展覧会など、多種多彩な場所で活動しております。



ピースちゃんミルク君も、いらっしゃいましたよ スピ仲間の集まりなどには、積極的に参加している彼女たち。またご一緒することができて、嬉しいです。



こちらは私たちにとっては初対面となる、めいちゃん(11歳)&はるちゃん(8歳)親子です。 岡崎から程近い、豊田市からいらっしゃいました。彼女たちにとっては、今回いっぺんにたくさんの白ふわと行き逢うことになるのですけど、全員の顔と名前を覚えることはできたでしょうか?



こちらも初めましての、ましろ君(スピ)とちゃちゃ君(ポメ)にございます。 彼らの住まいは、静岡市にあります。ましろ君は生後4ヶ月で、まだパピー特有の産毛や乳歯でした。波も同じぐらいの頃にオフ会デビューしたので、なんかとても懐かしかったです。



さらに大阪の岸和田から、バニラちゃん(スピ)とプリンちゃん(ポメ)も遠路はるばる来てくれました。 バニラちゃんは昨秋のスピクラ展でユニコーン部門に出陳し、特別賞を受章しました。



そうしている間にも、各所でおやつ牧場ができたりしました。やはり今回も波のアピールは強力で。それにしても、みんなして目がキラキラしていますね。



これから園内を移動していくのですけど、その前にこちらの松の前で集合写真を撮っておきましょう この時点で、サモエド1頭、スピッツ11頭、ポメッツ1頭、ポメラニアン2頭の合計15頭が集まりました。このようにふわふわ犬が横一列に並ぶ光景は、壮観ですね。



今度は、新緑の中に復興天守が見える、持仏堂曲輪(じぶつどうくるわ)で。よく見ると、ワンコたちのリードは竹千代と徳川家康の石像のちょんまげにかけられていますよ。 ちなみにちょんまげとは、出世大名家康くんでいうところの、頭のうなぎの部分に該当するもので………
※ここでちょんまげの解説を入れる必要はあるのでしょうか?それよりもその説明では、かえって解りづらいのでは?(編集部注)
みんなでいっせいに引っ張ったら、ちょんまげがもげそうです。 いや、場合によっては、首チョンパになるかも………



………なんて心配しながら撮影していたのですけど、竹千代と家康のちょんまげはなんとか守られました。 白ふわの大行列は、さらに先に進んでいき………



本丸跡の復興天守をバックにして、個々で写真を撮ったりしました。 レオン君とくまちゃん、モデル立ち(座り?)がキマっていますよ。



アル君も、いい感じですね。前回はその復興天守の真っ正面で集合写真を撮ったのですけど、そうだ 今回はこちらでいきましょう。 と、決意したまさにその時に………



兵庫県在住のゆずちゃんが到着し、合流しました。これにて、最大勢力の16頭となりましたよ



………ということで、改めて集合写真を撮ってみました。 お城とワンコが揃う光景は、何回見てもいいですね。 それが済んだら、いよいよ今回の目的となっている、五万石藤に向かいますよ 果たして、花の咲き具合は?



う~む……… ほとんど散っちゃいましたね。 今年は満開の時季が早まったうえに、前の週に大嵐が通過したこともあって、こうなってしまったみたいです。今回の日記の冒頭で、GWのどのあたりにお花見をするか悩んでいたのですけど、その前段階ですでに終わっていました。



それでも、木々の間を吹き抜ける風は心地よく、ワンコを囲って和気藹々とした時間を過ごすことができました。 楽しい時間はあっという間に過ぎ………



今回の集まりを締めることになりました。その締めはやはり、テラス席でならワンコと一緒に茶席を嗜むことができる、こちらの城南亭がいいですね。



ちなみに私とたつぴは、ちょっと苦味のある豊田の抹茶と、饅頭系のお菓子のセット(税込450円)を選びました。



こちらではしばしの休息と、白ふわ仲間との歓談を楽しむことができました。 この日は藤の花は残念でしたけど、たくさんの白ふわ仲間に囲まれて楽く充実した時間を過ごすことができました。あらゆる地域からお越しになった皆さん、この日はご一緒してくださりありがとうございました。 次回は秋の紅葉狩りでまた集まりたいのですけど、同じ岡崎公園にするか、それとも東公園にするか、これからじっくりと吟味させていただきます。


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波4年ぶりの里帰り

2018-05-12 01:25:21 | ワンコ
ずっ、ずずずずず~……… えっ、もうマイクが入っていたのですか 失礼いたしました。 そうしたら、改めて………



こんばんは、白黒茶々です。
前回の日記では、たつぴが名古屋駅のホームできしめんを食べるところで終わっていたので、そのシーンから入ってしまいました。 名古屋の名物でもあるきしめんは、平たく延ばされた麺に鰹だしのつゆが絡まって、美味しいですね。 それに、エビ天と生卵のトッピングとも、愛称バッチリですし。 んぐ、んぐ、………ぷはぁっ。(おばちゃん)ごちそうさま
腹ごしらえが済んだので、私たちはJRの在来線に乗り込み………



I市の……… いや、駅名からしてすでにバレバレですよね。 はい、一宮市に降り立ちました。こちらでは、今回の名古屋訪問の3組目となる、スピ友達のけいママさんと待ち合わせすることになっているのですけど……… ああ、いらっしゃいました。 さらに車に乗せていただき………



ご自宅に案内していただきました。 波ちゃは覚えているでしょうか?約4年前に、私とたつぴとがウチの子として迎えに来て以来の、実家ですよ。彼女は生まれてから、生後3ヶ月までこちらで育ちました。そしてこの日は、来てすぐに母親のゆめちゃんと兄の夢来君らに、なぜか熱烈な歓迎(激しく吠えられ)を受けたこともあって、なかなか電車用キャリーから出られませんでした。



この段階では、ニオイをかいだりわらわらしたりして、お互いを確認しあっています。 この中には、波にとってはもう1頭の育ての親の、心愛ちゃんも含まれています。



それでも、その騒動はすぐに収まりました。けいママさんにも抱き締めてもらって、よかったね。



そうそう、最近この家に仲間入りしたばかりのゴウ君ともご対面することができました。 彼もゆめちゃんと同じように、殺処分寸前のところを、けいママさんに保護されました。それまでは劣悪な環境の中にいて、小さい首輪は身体にめり込み、体毛は汚れで固まり、ニオイも強烈だったそうです。 さらに彼は「噛みつき犬」とも呼ばれていたみたいで。年齢は10歳ぐらい。目、耳、足が不自由とも記されていました。

それでも、温かい環境に迎え入れられたこともあって、表情は穏やかになりました。 それから、絡まった毛はバッサリと刈って、スッキリさっぱりとしております。まだ時々唸ることもあるそうですけど、私が思っていたよりも優しいほうでしたよ。私が撮った瞬間にこのような表情になってしまいましたけど、なかなかのイケメンでしたし。 ひと夏越えて毛吹いたら、どのような姿になるのか楽しみですね。
そんなゴウ君が落ち着くまで、けいママさんは家を空けられなくて、車での遠征も厳しく、なかなかオフ会やワンコイベントなどに出られないと仰っていたので………



そんな彼女に、私は列車での旅をオススメしました。 まずは第1関門の、電車用キャリーに入れるかですけど、夢来君は大きな体ながらもなんとかクリア



ゆめちゃんも、入れました。 ………というよりは、彼女は狭いところが落ち着くので、最も向いているかも知れませんね。



あともうひと方、心愛ちゃんはこのような閉鎖空間はニガテみたいなので、抱っこだけさせていただきました。「うわっ お………」たつぴ、そこから先は言ってはいけませんよ。



波は最初は、ワンコなのに借りてきた猫というか、控えめなお客さんモードだったのですけど、おやつタイムになったら、真っ先に迫っていきました。



そのあと、ゆめちゃんと並べてみました。前回、ハル君アキ君親子が見事にシンクロしていて羨ましかったのですけど、こちらの親子もこうして見てみると、ソックリですね。 しかも容姿や表情だけではなく、けいママさんと一緒に検証してみたら、ちょっとしたクセまで丸写しだということがわかりましたし。



穏やかな空気は流れ続いて、ワンコたちはしだいにおネムになっていきました。 ちなみに狭いところが好きなゆめちゃんは、クレートの中で寝ております。



ゴウ君はなぜか立ったままウトウトしていたのですけど、なんとか安定した体勢で寝てくれました。 そうしたら、波ちゃは………



あっ、テーブルの下にいました。 それにしてもすっかりくつろいでいて、自分の家にいるようですね。 小さい頃のことは覚えていないのかも知れませんけど、このように居座ってみたら、どこか落ち着くみたいです。波をこのまま置いておいてあげたいのですけど、そういうワケにはいきません。



けいママさん、この日は私たちをご自宅に招き入れてくださり、ありがとうございました。 波だけではなく、私とたつぴまでもがついついゆったりとしてしまいました。この日は波にとっては4年ぶりの里帰りとなり、体も心もリフレッシュできたと思います。 次は、近いうちにまたお逢いできることを願っています。


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庄内緑地公園で逢いましょう。

2018-05-09 01:10:12 | ワンコイベントの類
こんばんは、白黒茶々です。
前回の夜話は、たつぴの白黒茶々家の2人と1頭が、ギョンさん家のギョフカーに乗せてもらって、次の目的地の庄内緑地公園に向かっているところで終わりました。 なので、今回はその続きから始めさせていただきます。



私たち一行は、名古屋市の北の外れにある庄内緑地公園にたどり着きました。しかし、その日はその公園でマラソンのイベントをやっていたこともあって、駐車場は混んでいました。 それでも、そこに行き慣れているギョフさんは、ドッグランに近いところでなんとか駐車スペースを確保されました。



その先では、先に到着しているスピ友達が待ち構えているとのことですけど……… あっ、いました 木陰に待機しております。



またしてもファーストコンタクトでわらわらとしてしまいましたけど、そのスピ友達とはシェルティー&スピッツさん一家の、モコちゃんルルちゃんリアちゃんのことにございます。 こちらでのメンバーが揃ったので、さっそくドッグランに………



う、うんち!?
………の注意看板が真っ先に目に飛び込んできましたけど、よく見たらそのあとに小さく「………は持ち帰りましょう。」と続いていました。 そういえば、この3家族がドッグランでご一緒するのは初めてなので、楽しみですね。



庄内緑地公園にはドッグランは2ヵ所あります。双方ともそこそこ広いのですけど、こちらのほうは木陰もあります。 この日は、4月なのに最高気温が30℃にもなりました。 なので、ワンズにはできるだけ木陰の中で活動してもらいました。



私たちにとっては初めましてのリアちゃんは、居合わせたワンコに囲まれていますね。



久しぶりのモコちゃんとルルちゃんが、揃って走り寄ってきたショットをいただき ………と思ったのに、私のほうがちょっと遅れてしまいました。モコちゃん、ゴメンなさい。



そのモコちゃんは、笑顔でたつぴになつっこくしてくれて。 彼のほうも、とても嬉しそうでしたよ。



一方のルルちゃんは、パパさんのお膝で気持ち良さそうにしていますね。



ドッグランでは走らない主義の波が、珍しく走っていますよ しかし、ワンコにとっても暑さは厳しかったみたいで………



行動範囲はしだいに日陰に移っていきました。 こちらは、モコちゃんですね。



波は早くもお休みモードに。 ちなみに後ろ足は両方とも横に開いています。



ハル君アキ君親子も、日陰に避難していました。それよりも、見事なシンクロ具合ですね。



そういえば、今回は集合写真を撮るのをすっかり忘れていました。 それでも、撮り貯めた写真を見ていったら、白い子が全員収まっているのがありました。



楽しい時間はあっという間に過ぎ、みんなでドッグランを出ることに。シェルティー&スピッツさん、ギョンさん、この日は暑い中でもご一緒してくださり、ありがとうございました。 またお逢いするのを、楽しみにしていています。



その後、私とたつぴは地下鉄で名古屋駅まで移動しました。 さらにそこからJRの在来線に乗って、名古屋市近郊のI市に行くのですけど、その前にお昼の時間ですしお腹も空いていたので、駅のホームのお店でワンコインきしめん(税込500円)を食べていきました。
※美味しそうなきしめんですね。………じゃなくて、名古屋市近郊のI市って、稲沢市、岩倉市、犬山市、一宮市、………と、たくさんあり過ぎて絞りきれませんよ。それよりも、伏せ字にする意味はあるのでしょうか?(編集部注)

次の目的地でも、久しぶりの再会と初めてのご対面があるのですけど、そちらでの様子についてはまたしても次回の日記で触れさせていただきます。


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名古屋城で逢いましょう。

2018-05-05 01:04:19 | お城
こんばんは、白黒茶々です。
「名古屋近辺のスピ友達に逢いに行きたい」
そう願って計画を立てたのは、2年ほど前のことでした。しかし、先方と都合が合わなかったり、雨で中止になったりして、なかなか実現させることができませんでした。 その一方で………



名古屋城の天守を木造で復元する 」
名古屋市の河村たかし市長が、一大プロジェクトを発表しました。 名古屋城には5層の大天守と2層の小天守があり、ともに慶長17年(1612年)に建てられました。しかし、昭和20年(1945年)5月の空襲で焼失。 今日見られるのは、昭和34年(1959年)に鉄筋コンクリート製(以下RCと表記させていただきます)で外観のみ復元されたものです。
その頃は全国的にお城ブームが巻き起こり、戦災で失われたものだけではなく、明治初期に取り壊されたお城の天守などの建物が相次いで再建されていきました。 しかし、本来の木造では予算がかかり過ぎるということもあって、そのほとんどはRC構造でした。その流れは地域振興とも相まって、もともと天守がなかったお城にまでまがい物のものが建てられたり、歴史上にもなかったお城が出現したり……… と、全国的にお城狂騒曲が流れたのでした。
そのようなお城に対して、皆さんは「歴史好きな白黒茶々さんだったら『まがい物のお城は許せない 』と憤慨するのでは」とお思いでしょうか。実は、そうではないのですよ。 むしろ「これもご愛嬌だから」と肯定的で、それらも今日に至るまでの歴史の中で築かれた建築物と認めています。 それでも、できることなら木造のほうがいいとも思っています。名古屋城の大天守は、江戸城には及ばないのですけど、延べ床面積では史上最大の規模でした。河村市長は従来のRCのものを解体し、木造で建て替えると宣言したのです。「そんなことが、いつか実現したらいいな」私は遠い夢のことのように思っていました。

ところが最近おこなわれた耐震調査で、名古屋城の大天守と小天守は震度5~6で倒壊するというショッキングな結果が出たのです。 RCの建物は寿命が60年くらいで、昭和30年代に建てられた全国の天守はそろそろ今後のことを考えなければならない段階にまで来ています。それが木造だったら、修理などをしていけば数百年はもつそうです。 そこで、名古屋城はGWが終わった5月7日に大天守と小天守を閉鎖し、来年の9月から解体に着手。2022年には木造のものが竣工するというスケジュールが立てられました。 そうしたら、今を逃したら今まで見慣れてきたRCの大天守と小天守には、もう2度と入れないということに。これは急がなければ

ハル君アキ君親子と一緒に暮らしているスピ友達のギョンさんは、旦那さんのギョフさんの転勤で2年ほど前に名古屋に引っ越し、白黒茶々家とはそれ以上のご無沙汰となっていました。 彼女らは今年の桜の時季に名古屋城を訪れていて、私が波を連れてそのお城に行きたいということを伝えたら、ご一緒してくださることになりました。名古屋城での再会、とても楽しみですね。



4月22日の日曜日に、いよいよその計画を実行することになりました。 その名古屋城への道のりは、紆余曲折の末に楽で手っとり早い列車を利用することにしました。 それから、今回はたつぴも一緒に行くことに。割安な名古屋往復きっぷの始点となる二川駅から乗っていき………



さらに地下鉄に乗り継いだりして、待ち合わせ場所の名古屋城の正門前に到着。開門前から、すでにたくさんの人が並んでいますね。



そこで、ギョンさん一家と合流 なんかわらわらとしてしまいましたけど、アキ君が波にグイグイとあいさつしています。 ちなみに、後方は彼のお父さんのハル君です。ギョンさんは「波ちゃんのことは私たちに任せて、お城を見てきてください」と仰ったので、ご厚意に甘えて私とたつぴは名古屋城の有料ゾーンに入っていきました。 なみぃ~、私たちがいない間は、ギョンさんたちのいうことを聞いて、イイ子にしているんだゾ



そうしたら、グイグイと進んでいきますよ こちらは、本丸の南側の風景です。左から西南隅櫓本丸表二の門東南隅櫓にございます。いずれのものも慶長17年(1612年)の創建時から現存していて、国の重要文化財に指定されています。 その本丸には………



本丸御殿が木造で、創建当時の姿に復元されています。 平成21年(2009年)から復元工事がおこなわれ、3期に分けて公開していき、今年の6月に最もきらびやかな対面所の上洛殿、生活空間となる黒木書院湯殿書院などを含めた全体の公開が始まることになっています。そうしたらせっかくなので、現在(4月末)に公開している部分を見学しておきましょう。



本丸御殿内では、ストロボを使わなければ写真は撮り放題となっています。 まずは、玄関一之間の「竹林豹虎図」にございます。本物は戦災に遭う直前に取り外して運び出したおかげで難を逃れ、現存していています。こちらの襖絵は、そいつを模写したものです。なぜ豹と虎が一緒にいるのかというと……… 当時の日本人は、豹は虎のメスだと信じていたからでした。



表書院の一之間は、一段高い上段之間に続いています。白木の格天井に、きらびやかな障壁画もあって、豪華ですね。



さらにその奥にある対面所のほうにある上段之間は、黒漆塗りの柱や二重折り上げ格天井、趣向の違う障壁画などが相まって、ゴージャス度はアップしています。 ちなみにこちらは、藩主が家臣らと私的な宴席を開いたとされています。しかし、ここでまだ驚いてはいけません。先述した上洛殿は、さらに極彩色の欄間の彫刻などが加わり、ゴージャス度は最大限となるので、6月からの公開を楽しみにしていてくださいませ。



そうそうもう1部屋、下御膳所を忘れるところでした。 こちらの部屋は料理の配膳などに使われたということもあって、中央に囲炉裏が、さらにその天井には煙を出す穴がそれぞれあります。



その頃、ギョンさんたちに預けられた波は、最初は緊張していたのですけど、おやつをもらったりして次第に打ち解けていったそうです。



さらに、3月末にオープンしたばかりの金シャチ横丁義直ゾーンだけではなく、宗春ゾーンにまで足を伸ばされたそうです。



波ちゃ、いい感じに撮ってもらってよかったね。



一方の私たちは、今度は大天守と小天守に入りますよ 実は、私がお城好きになったルーツは、この名古屋城にあったのですよ。 今からン十年前、私は小学6年生のときに工作クラブに入っていました。そこで各々が持ち寄ったプラモデルを組み立てることになったのですけど、私はなぜかウケを狙って、名古屋城を買ってきました。 やがてミニチュアサイズの大天守と小天守が完成したのですけど、それに加えてその箱に書いてあった名古屋城の歴史を読んでいくうちに、お城に興味を持つようになりました。



さらに、小学館の「城なんでも入門」を読んでお城の知識を身に付け、両親にお願いして翌年の冬休みには、初めて名古屋城に連れていってもらいました。やはりその当時も大天守と小天守はRC構造で、私にとってはその建物がお馴染みとなりました。



小天守は外観2層内部3階(RCの現在のものは内部4階)なのですけど、大天守と釣り合うように大きめのサイズとなっております。



大天守に入るには、必ず小天守の地下1階を通らなければ行けない構造となっているのですよ。 その東側にはトイレが設けられているのですけど、これもいずれなくなることに。



その小天守を出ると、重量感のある大天守がのしかかってきます。 小天守からは、橋台を通って大天守の地下1階に入っていきます。



そこには、上層部まで上がれるエレベーターが設置されていて、実物大の金のシャチホコも飾ってあるのですよ。 それから黄金を沈めたという、黄金水井戸も残っています。



その上層部までは、階段からでも上っていくことができるのですけど、その中心部が吹き抜けとなっているのですよ 40mぐらいはあるでしょうか?ここからもかなりの規模と高さを感じます。



それから、上りと下りに分かれている階段には、石垣の刻印をイメージした装飾がなされています。



1階の展示スペースは普通というか、無難な構造なのですけど………



3階は、町屋のセットみたいになっていて。 このあたりは、建物の輪郭とかは無視しています。



さらに、5階にはライドオン・金鯱コーナーがあるのですよ こちらでは名古屋城に来た記念に、ぜひ金鯱にまたがっておきたいですね。



そして、私たちは最上階の7階へ。 かつての大天守は地下1階地上5階の合計6階だったのですけど、現在のものは地下1階地上7階(6階は機械室なので立ち入り禁止)の合計8階となっています。その7階は展望室なのですけど、金シャチの置物や灰皿といったロングセラー商品などを扱った、お土産売り場もあります。 それからよく見てみると、柱などが戦前の木造大天守を意識したようなデザインとなっていますね。



そして私たちは再び外へ。 空堀に面した西側は遮るものがなくて、天守台の高い石垣も臨むことができるので、オススメの場所です。 この大天守・小天守に代わって新たに建てられるものは、外観はほとんど一緒なのですけど、最上階の窓は開放的なガラス張りではなく、白い戸板となるので、小さくなったように見えることでしょう。それから屋根を覆う銅瓦は、錆が入って緑青(ろくしょう)になるまでは赤銅色か黒色なので、雰囲気がかなり違うということに。それでも、木造のお城は出来るまでの過程も楽しめるので、これからも見守っていきたいです。

市民からの寄付などで総工費6億円で建てられたRCの大天守と小天守。その役目は3代目となる木造のものに引き継がれるのですけど、これからは記憶として残しておきたいです。
そうそう、すっかり名古屋城にのめり込んでしまいましたけど、波の子守りを任せてしまったギョンさんたちは、どうしているでしょうか? 慌ててお城の(有料ゾーンの)外に出たら………



波はハル君とアキ君に護衛されていました。 ギョンさん、ギョフさん、ハル君、アキ君、私たちがいない間、波のお相手をしてくださり、ありがとうございました。



そのあと、私たちはギョフカーに乗り込み、次の目的地となる庄内緑地公園に向かいました。 そちらでは、もう一組のスピ友達と行き逢うことになっているのですけど、そちらでの様子については次回の日記で触れさせていただきます。


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再出発は城見珈琲から

2018-05-02 00:55:58 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
今月の15日の日曜日に、私はかなりご無沙汰している名古屋方面のスピ友達に逢いに行く計画を立てていました。 が亡くなったあと、を連れて出かけるのは初めてなので、私と彼女にとっては記念すべき再出発となりそうです。 ところが、その前日から大荒れの天候になるという予報が出てしまいました。うまくいけば、当日の朝にはその雨が上がる可能性もあったのですけど、先方もまだ予定の変更が効くと言ってくださったので、ここはムリをしないで翌週に延期することにしました。



そして15日のほうは、私は家でのんびり過ごしていました。 しかし、波だけは納得してくれなくて、ケージの中から出かけたい欲を出しまくっていました。 そんな彼女に対して、私は無視を決め込んだのですけど、波はケージごと部屋の中を移動するほど大暴れし、もう収拾がつかない状態でした。
「あのおとなしい波ちゃんが?」と思われた方もいらっしゃると思いますけど、彼女は家ではよく吠えよく暴れるのですよ。 とにかく予定にはなかったのですけど、雨が上がって時間もあることですし、私は彼女を連れて、最近新たなスポットができた馴染みのある公園に行くことにしました。



………という流れでやって来たのですけど、駐車場に入る段階から混んでいますね。 これは、新スポットの効果によるものでしょうか?



それでも粘り強く待っていたら、なんとか車を止めることができました。 早くも、こちらからでも新設スポットが見えているのですけど、まずは⚪⚪城公園の主要部を目指すことにしましょう。



そうしたら、お城を臨む芝生広場で記念撮影をば。 後方に見えるお城は、箔波日記にはしばしば登場するので、もうおわかりでしょう。そうです 浜松城であります。こちらには、昨年のクリスマスイブの日に箔もともなって訪れて以来となります。期せずして、波との再出発の場は、こちらのお城となってしまいました。



しかしせっかくなので、ちょっと遠回りしてから登っていくことにしましょう。 浜松城公園の南側には、こちらの鎧掛松(よろいがけのまつ)なるものがあります。 元亀3年(1572年)の三方ヶ原の戦いで武田信玄軍に敗北した徳川家康は、単身で命からがら逃げてきました。 その際に、浜松城の手前で鎧を掛けて休息したところが、のちに鎧掛松と呼ばれるようになりました。ただし、今日見られる松は位置も木そのものもかつてのものとは異なるので、モニュメント的な存在となっています。



今日見られる浜松城の野面(のづら)積みの石垣は、家康の後に城主となった、豊臣秀吉の臣下の堀尾吉晴によって築かれました。 本丸跡の麓では、最近護岸ブロックの中から掘り出された石垣の一部を見ることができます。その浜松城は、ごちゃごちゃした樹木や建物を取り払ったこともあって、見通しがよくなりました。



お次は、本丸跡にある「若き日の徳川家康公像」の前にて。これをさらにリアルにして、毛穴や血管が浮き出た血気盛んな家康像は模擬天守の中に、さらにその姿を銅像化したものが元城町東照宮の境内に、それぞれ設置されています。



さらに天守門に続く石段を上っていき、いよいよ最頂部の天守曲輪(くるわ) そちらでは………



着いていきなり書き割りに顔を突っ込み……… いや、正確には波に顔を突っ込ませました。 彼女のパートは、昨年浜松を大いに盛り上げてくれた井伊直虎、いや、井伊波虎にございます。
そのようにしていたら、通りかかった方たちから「カワイイ~ 」という声が聞こえてきたので、私は「それなら、遠慮なく撮ってください、ほれっほれっ」と、再び彼女の顔を突っ込みまくりました。



こちらに来たら、やはり模擬天守をバックにして撮っておかなければ 私たちが昨年のクリスマスイブに浜松城を訪れた際には、箔と一緒になって、ご当地キャラの出世大名家康くんや出世法師直虎ちゃんたちとこちらで記念撮影をしたのですよね。



その天守曲輪では最近発掘調査がおこなわれ、東南隅のこのあたりで大量の瓦が出土したそうです。浜松城は江戸時代初期には簡素化され、二層櫓は城内の他の場所に3棟しかなかったのですけど、堀尾吉晴の頃にはこの一角にも二層か三層の櫓があったと思われます。



その浜松城では、こちらの本丸の東北隅に、近いうちに単層の富士見櫓を復元する計画があります。 その近くにある急な石段を降りていくと、すぐに先ほどの芝生広場に出られるのですけど………



その一角には、4月の上旬にスターバックスがオープンしたのですよ 浜松城公園には、移動型の飲食店はよく来ているのですけど、このような固定型の店舗は初めてとなります。



林の中に設けられたということもあって、緑が豊かで夏場でも涼しそうですね。 それよりも「夏場のスタバ」って、語呂的にグッときませんか?



その店内は、外から見た感じとは違って、広くて開放的です。



しかも、そこからお城が見えるのですよ 浜松城公園は、私たちのようなワンコ連れにとっても憩いの場ということもあって………



そんな人たちにも対応できるように、お店の外側のベンチ脇には、リードを引っ掛けられるようにワンコスタンドが設けられています。



そのスタンドをよく見てみたら、ワンコの顔のようなデザインになっていて、なんてお洒落なのでしょうか



実は私にとってスターバックスは、今回が人生で2度目となります。このお店はメニューや組み合せなどが多くて注文するのに迷ってしまいそうなのですけど、私は基本形のドリップコーヒーのトールサイズ(中間サイズ、税別320円)にしておきました。 程よい苦さとコクがあって、美味しいですね。そいつを、お城を見ながらいただけるなんて、なおよろしい



城見コーヒーもいいのですけど、やはり犬見コーヒーもやっておきたいですね。 ただし、波ちゃは飲むことはできないので、雰囲気だけでガマンしてくださいませ。 浜松城公園に新たにできた名所のスターバックスは、ワンコとの散策の締めにいいので、これから大いに利用していきたいです。
今回のお出かけは、私にとっても波にとっても再出発となりました。これまでの彼女は、箔と一緒になって道行くワンコにグイグイと迫っていったのですけど、単独となった今回は、ビビって尻込みしてしまいました。 頼れる箔兄さんがいなくなって、今までとは勝手が違って、心細かったのかも知れません。それでも、これから経験を重ねていくうちに、他のワンコとも積極的に交流できるようになると、私は信じています。 波ちゃ、これからも一緒に歩んでいきましょう。


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