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さっぽろ雪まつりの起源 (2月9日修正)

2009年02月05日 21時13分02秒 | 新聞などのニュースから
 ことしは、「さっぽろ雪まつり」が60回目とあって、各紙の道内版が連載記事を組んでいる。
 読売はけさ始まったばかりなので別にして、道新、朝日、毎日の3紙ともに取り上げていたのが、創設当時の雪像づくりに坂坦道(たんどう)さんが深くかかわっていたことだ。

http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/archive/news/2009/02/02/20090202ddlk01040074000c.html

 当時、北辰中学校(札幌市北区)2年だった田原さんは、約60人のクラスメートと一緒にセザンヌの裸婦像など雪像2基を3日間で仕上げた。

 雪像づくりを指導したのは、羊ケ丘展望台(豊平区)のクラーク博士像の制作者として知られる彫刻家の坂坦道教諭(98年、77歳で死去)。現在のように設計図や模型などない。「先生に裸婦像のおっぱいを作れと言われたが、恥ずかしくて男子生徒はだれも触れなかった。今と時代が違うから」(中略)胸部は結局、坂教諭がつくった。

     ◇

 第1回の雪像数は「ヒグマ」「ミロのビーナス」など、わずか6基。市内の中学2校、高校3校の生徒たちが授業の一環で制作に当たった。大きさは今の小雪像並みの3~5メートル。雪山をノミで削る素朴な手法は、現在の精緻(せいち)な細工とは比べるべくもなかった。


http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000000902020007

 朝日新聞には、坂さんは、バルザック像の設計もした-とある。

 戦後の道内でもっとも活躍した彫刻家のひとりが、雪まつりのスタートにかかわっていたとは、感慨深い。
 というのは、いまの「雪まつり」は、テレビのキャラクターなどが多くて、あまり芸術的ではないという印象があるからだ(国際コンクールはのぞく。あれは水準が高い)。

 中学生や高校生がロダンに挑戦したというのは、なかなかこころざしの高い話ではないか。


網走の野外彫刻
坂坦道「いのち」


 なお、話はそれるが、渡辺淳一の代表作「阿寒に果つ」のなかに、ヒロイン(天才少女画家とよばれた加清純子がモデル)が、校庭にロダンの雪像をつくる話が出てくる。
 彼女は、雪の上に血を吐いて倒れてしまう。なんだか、いかにも「薄命の芸術家」っぽい挿話だと思う。

 近年は、雪像づくりは「雪まつりに一任」という感じで、渡辺氏の高校時代(1950年代後半)のように、各学校などで行われる風潮はあまりないようだ。

 自衛隊まかせじゃなくて、じぶんたちで冬を楽しむという行動がもうちょっとあっていいのかもしれない。でも、やっぱり寒いのはいやだしなー。道民は冬はヒッキーなのです。


(このエントリの最後の2段落は、事実認識に誤りがあったと言わざるを得ません。のちの訂正を兼ねたエントリを書きます)


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
雪の造形作家 (エゾ三毛猫)
2009-02-06 07:11:52
雪祭りはニュースを見るだけで、
もう充分訪れた様なカンジなので
今年も行かないような気が、、。

雪像造りの世界には、それなりに
ネームバリューがある先生が、
いらっしゃるそうですね。

毎年この時期にニュースに映る方が
今年もコメントされていました。

夏場は何しているんだろう?
毎年この時期にニュースに映る方 (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2009-02-06 23:58:48
そんな人いるんですか??
しらなかったっす。

子どもでもいれば別ですが、雪まつりってなかなか札幌市民は行かないかもしれないですね。

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