豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2021年05月28日 08時04分24秒 | 日記
  ( Vol 2817 ) 場のルールを尊重した 姿勢が 違いが溢れる 情報が溢れる 社会に必要ではないか 「場の尊重」なくして 調和は成り立たない

人の流れが 激しくなってきた 今日

自国のルールを 他国に持ち込み その国のルールを揺るがしている

これは 真の国際化であるのか

真の国際化とは 国のルールを 国内において 堅持しながら 国際社会という「場」では 国際社会のルールを尊重する ということではないか

しかし 現実は どうか

国の中にまで 違うルールを持ち込もうとしている


最近では 難民を受け入れた国では イスラム圏からの難民の 一夫多妻制度が問題になっている

一夫一婦制度の国では 認められない制度を どう扱うのか

この相容れない制度は 難民側に 避難する国に合わせる ことを求めることが必要である

「郷に入れば 郷に従う」という言葉があるように これが「場を尊重する」ことであり 上手くやっていける秘訣ではないか

人権尊重と 国の制度とは 時には 相反することにもなる

そこでは 人権尊重よりも 国の制度(場の制度)を尊重すべきである

基本は 「場の尊重」である

場の尊重とは 先住者の作ったルールを尊重する ということである


尊重した上で その場で生活する

それが お互いが上手く生活する 方法である


自分の主張は 尊重されるべきであるが

その主張が 相手に影響を与えるときは 「場」のルールが最優先されるべきである

生きる権利と その場のルールを尊重する「義務」 を考える必要がある

どこに住んでも この権利と義務は つきまとう

権利を主張するとともに 義務も尊重する 姿勢が必要である


国外から 住もうとする国に移住してきたら その場のルールを まず 尊重する姿勢が必要である

その基本が失われては 「場」は保つことはできない


「場」を尊重する姿勢から 移住がはじまる


人の流れが激しくなった社会では 「場」を尊重する という基本を 誰にも適用し 

「場」を尊重する 義務を求める 


このことがなくして 国際化はないのではないか

これは 自治権にも関わることである


住む場所を選ぶ権利は 誰にも与えられている

しかし 住む場所のルールを守らなくていい 良いということではない


「義務」という行為がともなう

「場」のルールの尊重 である

我が身の回りでも 国外からきた人 他の地域からきた人を 見かけるようになった

見ていると 「場」のルールを尊重せず 自分達のルールで行動している姿を目にすることが 多くなった


これは 「場」の調和を乱すことになる


いろいろな人たちが 同じ場で 生活するには 「場」のルールの尊重が必要である


お互いが 気持ちよく生活するためには 「場」のルールを尊重する ことである

すべてが 「場の尊重」からはじまる のではないか


いまの世の中 「場の尊重」「場の調和」を無視して 自己主張を押し通している ところに問題がある

そこに 住む人 すべてに 求められる ことである


住む ということは 誰かと 同じ空間 「場」を共有することである

そして そこには 「調和」が求められる

老若男女 すべての人に 求められる







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊前善三のつれづれ日記

2021年05月28日 06時52分14秒 | 日記
  ( Vol 2816 ) 東京オリンピックの開催の 大義名分を コロコロと変えてまで なぜ 開催に固執するのか 理解できない 本来のオリンピックの姿からは逸脱している このような形になるのならば オリンピックは 廃止すべきではないか


東京オリンピックの誘致の スローガンは 東日本大震災復興を願うものであった

しかし 新型コロナウイルスの世界的な感染が発生すると 東京オリンピックの開催について 中止か延期か という決断を迫られ

決断を下したのは 1年延期

そして 東京オリンピックの誘致の スローガンであった 「復興五輪」は どこかに追いやられ 

「コロナに打ち勝つオリンピック」と スローガンは変わってしまった

この変化から なんのために 東京オリンピックを開催しようとしたのか

その意義が 疑われるようになった


東京オリンピックは 金をかけない オリンピックを目指したはずが 

どうだろうか

蓋を開けてみれば ビックリ


すべてが 見栄を張って 経費は急上昇

日本の経済状況は 困窮状態にも関わらず

オリンピックだからと まるで 天から降りてきた如く 降りんピック(オリンピック)と 位置付けて 強引に 開催しようとしている

IOC 日本政府 東京都 いずれも 異常な執念


なぜ そうまでして オリンピックを開催しなくては ならないのか


これは 一部の権力者のエゴ ではないか


ここには 莫大な金が 絡んでいる

その旨味に 権力者 政治家 が群がっている

そのような オリンピックは 本来の姿からは 程遠い

このような 形で 開催するならば オリンピックは 廃止したほうが 良いのではないか





いまや オリンピックは 商業主義 政治主義 に変わり

オリンピック本来の スポーツの祭典 という大義名分はどこかに 飛ばされた状態になった

このような オリンピックのあり方は 異常である






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする