豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2021年05月27日 18時29分48秒 | 日記
  ( Vol 2815 ) ワクチン接種による健康被害の補償は どのようにされるのか また 本当に補償されるのか

 予防接種と健康被害との因果関係が認定された人に対して 補償

では どのように 認定するのか

そこが はっきりとしていない

具体的に どのようにして 因果関係を証明するのか

全く ワクチンについての 副作用については 何ら示されていない

現に ワクチン接種後の 症状について なにかが出ても それを ワクチンとの関係と結びつけずに その症状を生じた患者自身の 持病という ところに 起因があるとしている

このようなことから はじめから 因果関係を立証するのは 患者側にある とする 政府の姿勢であるといえる

厚生労働省のホームページを調べてみると そこには

「万が一の健康被害が起こったら?
予防接種を安心して受けられるよう、万が一の健康被害に対しては補償する制度があります。
予防接種後健康被害救済制度という
定期接種後に重い副反応が起こったとしましょう。それが「予防接種によって起こったものではない」と明確に否定されない限り、因果関係が認められたことになり、予防接種法による救済措置を受けることができます。すなわち「疑わしきは救済」ということですね。

健康被害救済制度とは
 予防接種の副反応による健康被害は、極めて稀ですが、不可避的に生ずるものですので、接種に係る過失の有無にかかわらず、予防接種と健康被害との因果関係が認定された方を迅速に救済するものです。

 予防接種法に基づく予防接種を受けた方に健康被害が生じた場合、その健康被害が接種を受けたことによるものであると厚生労働大臣が認定したときは、市町村により給付が行われます。」

ということが記載されていた

過去のワクチン接種による健康被害の補償についても ワクチン接種によって生じた 患者側の立証は 時間をかけて行われ やっと 補償にこぎつけた

このような経緯こそ 問題

政府は 積極的に ワクチン接種を実施させた側が 認定条件を狭くするのではなく 積極的に認定して 補償を積極的に行うべきではないか

いまなお 菅政権は 口開けば ワクチン接種をしましょう と声高に叫んでいる

ワクチン接種による健康被害が出たときの 補償を具体的にどうするのか示さないで 

ワクチン接種をするように 大衆を扇動 している


本当に これでいいのか

責任という 所在を示さず

無責任むき出しである

ワクチン接種をしても 

現実は コロナに感染している人が出てきている

その事実示していない


コロナ感染対策は まるで パフォーマンス


いま 世界では 変異種のコロナによる感染が出始めている

現実には ワクチン接種では 感染拡大は止まらない 

なぜ ワクチン接種にこだわるのか

なぜ ワクチン接種をしなければならないのか


なぜ コロナに感染したときの 治療薬について 公表しないのか


なぜ コロナ感染に対する 医療体制について 具体的に示さないのか


なぜ なぜ なぜ

という疑問が 頭の中から消えない


菅政権は なにも示さず なにも 答えを出せずにいる


これでは パフォーマンス である

ワクチン接種に携わる人は 医者から 範囲を広げ  看護師 歯科医師 薬剤師 獣医師 レントゲン技師と広げている これは どういうことなのか

ワクチン信仰のような気配さえ感じる

この異常を 異常と感じない社会になっていることが とても危険な社会に感じる








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豊前善三のつれづれ日記

2021年05月27日 18時23分08秒 | 日記
 ( Vol 2814 ) 資源は無限 だから 安価 という 経済論理は 大きな問題を生じさせている 資源は有限 手に入りやすいものは 本当は一番価値がある  そこに気づくべきである  いままでの常識について 検証しなおすべきである

経済では 需要と供給の関係で 希少なものは 高価になる

無尽蔵にあるようなものは 安価 極端に言えば 無料

無料とは 価値のないもの とみる


この考え方は 今日の経済の論理である


しかし 地球という 循環で考えると どうだろうか

地球にとっての 最も価値のあるものは 人々が 価値のないもの ただ 無料 と思っているもの である

今 世界は SDGs 持続可能な開発目標ということが叫ばれはじめたが まだ いままでの経済論理の展開を止めない


資源は 有限である ということにも 気付こうともしない

ただ 自分達への健康被害ということだけで 見ている

それは 偏った見方である

人間だけが この地球上に 生きているわけではない

すべての生き物が生きている

そして 地球は生きている

特に 地球は 循環という機能で 生きているもの すべてに関わっている

安価なものほど 真の価値がある

高価なものは 極一部の場においてのみ価値がある

それは 必ずなければならないというものではない

あったら いいいな 程度のものである


「生きる」という観点から捉えてみると

安価なものほど 必要性が高い 重要性が高い


身近なものでいうならば 「水」である 「空気」である


川に流せば すべてがきれいになる という時代は 昔の話

海に流せば すべてがきれいになる という時代は 昔の話

空に放出すれば すべてがきれいになる という時代は 昔の話

流したもの 放出したもの は 消えてはいない 蓄積されている

いままでの常識は すべてが 経済効果の中で 政治家 権力者 企業 富裕層は 問題ない と身勝手な論理を展開して 成立させてきた

いまこそ いままでの常識について 検証すべきである



















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