豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2016年04月29日 13時36分51秒 | 日記
( Vol 1419 ) 東京都知事舛添氏の公用車使用の考え方は 政治家の考え方 庶民とはかけ離れている


舛添氏は 長年の政治家としての活動から 金銭感覚は 庶民感覚を忘れさせるものとなっていったのではないか


舛添氏は 公用車の使用に関して 問題はないと言っている

都庁から自宅に立ち寄り 別荘へ 公用車で行った


通常この行動は どう捉えることができるだろうか

市民感覚では 自宅から別荘までは 私的なことと捉えるのではないだろうか


しかし 舛添氏は 別荘で公用をしていたということで 問題ないと言い訳

それで 物事が通るのであろうか


この行動は 度を越しすぎてはいないだろうか


舛添氏は 議員になる前は 庶民的な感覚で メディアに出ていた

だが どうだろうか

庶民的な感覚は どうも失せているように映る


政治家というより 政治屋 になってしまっているのではないだろうか


どんな存在も 代用は必ずある


ちょっと前 「変わりはいくらでもいる」という言葉が飛び交っていたことがあった




奢り過ぎるということは 冷静な自分を忘れるものである


舛添氏の行動は 我を忘れているように映る


我を 思い出してもらいたいものである


これは 政治家すべてに言えることでもある










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豊前善三つれづれ日記

2016年04月24日 09時06分32秒 | 日記
( Vol 1418 ) 日本の社会 将来を考える機会として 映画「スポットライト 世紀のスクープ」はヒントになるのではないか


先日 映画「スポットライト 世紀のスクープ」を鑑賞してきた

映画「スポットライト」は 2002年に アメリカの街で起きた カトリック教会の神父による児童への性的虐待事件の 教会組織ぐるみによる隠蔽に対する スキャンダルを暴くという内容

この内容は ただ単に 他人事として見るわけにはいかない

人間社会における 権力を持った者と従わざるを得ない者との関係における矛盾を考えさせ 報道の自由ということにまで 問うていた


これは 今の日本社会にも 当てはまる


今 日本の報道の自由度の順位は 「国境なき記者団」の調査発表によると 世界180カ国と地域で 72番目  前年の61番目よりも順位を下げている

このことは 何を意味するのか

最近 気になっているのが 報道の自粛姿勢である

安倍政権になってから 政治家の報道への圧力は 陰日向両面から行われ 自由な情報が流れなくなっていると 感じていた


その裏付けが この順位ということではないか


映画「スポットライト」で指摘されるように 巨大になった権力による圧力と似ている

国家機密法なるものも 協会の隠蔽行動の中に ダブって思い起こさせる


報道の自由が保障されてこそ 権力の暴走にブレーキをかけられるのではないか


報道の自由が 犯されはじめているのが 日本の現状ではないか と思う


一人一人が 冷静になって 現状を見つめ 批判する目を持つことが大事ではないかということを 改めて考えさせられた作品でもあった


「長いものにはまかれろ」 という言葉があるが それでいいのか と問われているような気がする

どんなにすばらしい集団 人でも 巨大な権力をもったときから 公私混同をして 自分たちにとって 不都合な事柄は 隠蔽していく

人間の持つ 欲望の暴走である

このことは ドラマ「民王」の中でも 取り上げられていた


日本だけでなく 世界中が この問題を抱えている ということではないか


人種差別問題 村八分問題 全体主義強要の問題 いき過ぎた個人主義の問題 という事も含めて 改めて考えていかなければならない と思う


SNSが広がり 情報が氾濫する中 いかに 一人一人が 冷静になって 判断をして 意見を自由に述べ 発信するか ということの大切さを考えさせられる


パナマ文書問題 ということも 最近は起きてきている

いかに 隠蔽と報道が戦うか

そのことが 世の中を 是正させていく ということにつながっていくのではないか

最近では 三菱自動車のデータ改ざんなども その部類に入る





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豊前善三つれづれ日記

2016年04月22日 19時16分52秒 | 日記
( Vol 1417 ) 熊本地震によって 国会議員の行動 言動がやけに目立つ これは選挙を意識してのことか

熊本地震への対応は 被災自治体が 指導的力がある場合は 当該自治体に任せるべきである

パフォーマンスととられかねない 国会議員の行動は 慎むべきである


参議院選挙を控えて 熊本地震は アピールする格好の材料のように捉えやすい


被災地への支援は まず 被災地の意向を尊重した行動 言動をする ということが良い支援ができるのではないだろうか


国民の声を聴くとは 当事者の側に立って考えるということではないだろうか


その点から見ると 一般の人たちや自治体は 被災者側に立った支援の仕方をしようと 行動している


国会議員 政府も この行動を見習ってほしいものである


いかに支援ができるか


それには 被災地の意見を 尊重するということから 始めることではないだろうか


参議院選挙を意識したパフォーマンスととられるような 行動は自粛すべきである





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2016年04月22日 18時11分18秒 | 日記
( Vol 1416 ) 三菱自動車のデータ改ざんは 日本の中が信用軽視という状況にあることを示しているのではないか

ここのところ 企業による信用を失うような事件が起きている

三菱自動車は 提携先の日産自動車からの指摘によって データの改ざんを指摘されて 世間に知れるようになる

なぜ このような 信用 信頼を失うような行動がとられるのか


そこには 数値至上主義


責任者の自己利益追求と 目標数値達成への 圧力が存在しているのではないか


数値による成果の確認は 一番見やすい

しかし その陰で 改ざんが発生しやすくなる


上司の意向を叶えるために 隠蔽を行い データの改ざんにより 目標値を達成ということが起きている


何のための 報告か分からない


ここには 上の圧力と 自由に意見を言えない という職場環境があるのではないか


一度 信用 信頼を失うと 回復するのは 非常な労力が必要になってくる

経営も圧迫する


失態は 企業経営を傾かせるだけでなく そこに働く従業員の生活までにも及ぶ


影響の大きさを 意識しなければならない


ただただ 自己評価 出世のための 自分の利益だけを 考えるような行動は 企業にとっては大きな損出を招くことにつながるという 一面を持っていることを意識する必要がある


目標設定をするのは 必要であるが

その達成判断は 冷静に見る必要がある


今回の三菱自動車のデータ改ざんには 冷静な判断をさせないという環境をつくったところにある


三菱自動車の社内環境は チェックする機能が欠如しているのではないか

また パワーハラスメントが生じやすい環境になっているのではないか


風通しの良い環境を 構築する必要があるのではないか



このことは 日本の企業全体に言えることでもある


競争社会ではあるが 良識 冷静さを失うようなことでは 人材が育たない


一つの行動が すべてに影響するという 意識を持ってほしいものである

また 人材育成ということも 意識してもらいたい


人を使い捨てのように 扱っては 不正も生じる 風通しも悪くなる

人の顔色を伺いながら という環境を 変える必要があるのではないか





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豊前善三つれづれ日記

2016年04月20日 17時22分53秒 | 日記
( Vol 1415 ) 被災地への支援の仕方は 福岡市役所の対応が 参考になるのではないか

報道では 支援のありかたについて 連日報道している

そうした中 福岡市役所の支援対策が 取り上げられていた


福岡市役所は 先の東日本大震災の時の経験から 支援物資の集め方 保管の仕方に 工夫をした

支援対象の自治体の要求する物資を 市民に呼びかける

集まった支援物資を 種類別に仕分け保管 このとき 内容について 数量 サイズ なども併記する


福岡市役所の支援の考え方は 支援物資を受け入れる側の 仕分け作業を軽減しようという意図がる


これは 見習うべきである


いかに 早く 的確に 物資を必要分だけ 被災者に届けるか という点において 重要なポイントになる



被災者たちに 要求は 日に日に変わってくる

その情報をいかに 掴むか


支援する側 支援を受ける側 両方に 最新情報を発信するか がカギになる


熊本地震では 被災自治体も 民間企業の輸送の力を導入するという取り組みをしている


自前でという考え方から 利用できるものは 利用する という考え方に変化しているのは 良い傾向である



被災した人たちの 心の変化を 逐次把握して その要求にあった支援ができるような体制を構築してもらいたい


少しずつではあるが 過去の経験の反省から 支援する側 支援される側 の考え方に変化が出ていることは 良いことである







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