豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2019年10月28日 19時28分15秒 | 日記
 ( Vol 2484 ) 人生に失敗はない あるのは 経験

一般的に 行動に対する評価は 成功か 失敗か で表現

しかし それは 成果という評価である


人生には 失敗はない

人生には 経験だけである

様々な経験が 人生を 豊かにする

誰もが 成功 達成 を目標にして 行動

しかし 必ずしも 成功 達成 という ゴールにたどり着くとは限らない

人生とは そういう 不確定の中にある といえるのではないか

成功 達成 できなければ 他人は 評価を失敗 というレッテルを貼る

それは 成果主義が 作り出したもの

現実は 成功の確率は とても低い

ましてや はじめてのチャレンジであれば 成功 達成 の確率は低い

むしろ 失敗の確率の方が 高い

人生は 色々な経験を積むことによって 人の価値を高めていく

問題は いかに経験を有効に活かすか である

人生には 経験が重要なのである

チャレンジにおける負の評価を 恐れずに 経験を積む ということを重視することが大事である

人生には 失敗も 成功も ない

人生にあるのは 経験だけである

人生の終焉に至っても 経験だけである


人生 どんな経験をしたか どんな経験をしようとするか

人生は 経験の仕方 経験の受け止め方で 変わってくる

経験を 自分の人生の糧にするように 考えたいものである





  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊前善三つれづれ日記

2019年10月28日 06時15分32秒 | 日記
 ( Vol 2483 ) なぜ 大きな台風になると 風水害が生じるのか
そこには 物は造るが 心は入れず ということが根底にあるのではないか


今回の台風被害は 広範囲に生じた

いままで耳にしたことのないような ダムの緊急放流が いくつもの河川のダムで生じた

河川の氾濫 堤防の決壊も 生じていた

なぜ このようなことが生じたのか

答えは単純

備えあれば憂いなし である
このことは ダムや堤防を造っても その管理 保全が的確に行われていたか

機能を十分に発揮できる 環境つくりをしてきただろうか


とかく 行政は 政府は 造りっぱなし ということが 行われている

これが 大きな問題を生じさせている

「形だけ」のパフォーマンス になっている


災害が出れば 予想外 想定外 という表現で逃げている

自分達の対応は 万全であった と言わんばかりの 自分達の擁護にはしっている


このような 思考では いくらものを造っても それは肝心なときに役に立たない

どう役立てるか そこが大事なのである


ほとんどの 災害は 保全不備がもたらしているといっても 過言ではなない


ダムを造ったら 河川の氾濫は 絶対にないのか

今回の台風によって そうではないことがわかった

過去においてみると 四国愛媛県の肱川における 上流部のダムの緊急放流によって 下流部において 河川の氾濫を生じさせた

この事実を 経験を 活かせていない

今も 安倍政権は 満足のいく対応ができていない

その対策さえできない 混乱に陥っている


高学歴で優秀な人材を 慣習 権力の圧力で 対策の改革が阻害されている といえるのではないか


今後の対策としては 造った構造物が十分に活かせる 保全 メンテナンスを重視する ことではないか

河川全体を通して 堤防の高さ 設置のしかたは 適切か

河川の川底の高さは どのように変化しているのか 監視 対策

ダム 堤防の 能力は保たれているか その能力はどう変化しているか

といった 検証を常時することによって 対応ができるのではないか


予想外 想定外 という表現で ことを済ませてはいけない


自然を相手にするには 自然の変化に敏感になることではないか

そのためには 柔らか頭 でいることである

パフォーマンスで済ませてはならない

常識は 過去の考え方 対応 である

常に変化する 自然界には 常識は通用しない という自覚が必要である


ものを 施設を造っても 十分に機能しなければ それは 意味がなくなる

市民が避難する 避難防災センターの施設を造っても 100%使えなくては 意味をなさない

このようなことが 平気で起きている

ここ大きな問題がある 管理する側に 心の緩みがある

造ったから 終わりではない

造って 常に 十分に機能を果たせる ことが重要なのである

ダムの建設よりも 河川堤防や遊水池の整備に重点を置くべきである

ダムの主な目的は 河川の氾濫ではなく 水の利用に重点が置かれている ということを認識する必要がある

崖崩れに対しても 都市計画として捉え 造成への基準 規制の 見直しをすべきである

いままでの対策を疑い 今回の台風被害から 多くのことを学び 固定概念にとらわれない発想で 対応してもらいたいものである

政府 国家行政 地方行政 企業 における 防災対策は 根本から 見直し 改革する必要がある

 














  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊前善三つれづれ日記

2019年10月16日 16時47分44秒 | 日記
 ( Vol 2482 ) 激甚災害のような時における 自衛隊への要請は 当事者である市町村の自治体の独自判断も 可能にすべきである

台風19号による被害において 山北町で生じた 自衛隊の要請に関する事例は 激甚災害時における 対応としては 迅速な対応を怠ることになる

山北町町長が 自衛隊に給水要請 と同時に 県へ自衛隊への給水車の要請を願うが 県は 県の給水車を 出動させ 自衛隊への要請はしない という判断

このことによって 自衛隊の給水車は 要請後 早急に 現地に到着

県の給水車は 遅れること 6時間後

自衛隊の給水車は 給水することなく 帰った

これは 指揮系統 の問題を 提起したものではないか

自治体における 災害時の対応は 当該自治体の市町村から 都道府県へ自衛隊の要請
という 流れになっている

これでは 迅速な対応はできない

当該市町村の自衛隊への要請の間に 県という判断のワンクッションが入り 対応が遅くなる


対応の迅速化ということから 考えるならば

都道府県の判断というワンクッション の手間の手順を 削除することではないか

当該市町村の独自判断による 自衛隊の要請も可能にする 必要がある

人命第一という 観点から 迅速な対応ができる 体制を考える必要がある

ここには 利権という垣根を 排除する必要があるのではないか









  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊前善三つれづれ日記

2019年10月15日 18時06分39秒 | 日記
 ( Vol 2481 ) 台風19号による被害は 東日本大震災の被害に匹敵するのではないか 政府の対応は どの政権がやっても 対応はできていない ここには 権力者 権威者のエゴが絡んでいるのではないか

いまだに 全体の被害状況は 把握できていない

ここには 政府の危機管理体制ができていない ということが 露呈

東日本大震災の時も 迅速な把握ができなかった

東日本大震災の経験が いかされていない

激甚災害に対する 意識が低い


これは 政治家の危機管理意識の 低さの 現れでもある


なぜ 自治体に任せているのか

激甚災害の場合  地方自治の尊重 に重きを置くのではなく

内閣が 即 指揮できるような 体制をつくっておくべきである

どこの 省庁が 全体の災害状況把握し 統一した指揮を執るのか


今 日本の政府に 必要なのは いつでも どんな状況にあっても 把握 指揮 ができる 体制が必要である


国会答弁で 口先だけの 「迅速に対応をする」 ではだめである

実のある 行動が必要である


被害の大きさではない

被害の把握 迅速な復興 が要求されるのである

政治を預かる 政権与党議員は 危機管理意識を重く捉えてほしい

他人事ではなく 自分が被害にあったらという 当事者意識をもってほしい

権力者 権威者 の 常識の範疇で良い という考えが 対応を遅らせている

災害に対する危機管理意識における 権力者 権威者の考えは 「今という時には対応できない」 そこには 古い考え いままでの考えを踏襲するという 常識という思考が働いて 本当に対応しなければならない 考え方に立つことができない


そのことが 対応を遅らせている

今一度 自分達の考えは 最善であるのか 疑ってほしい


川崎市新小杉のタワーマンション停電は 建築設計上 浸水したら 電気系統がダメになってしまう これは 素人でも考えられる 
しかし 専門家である建築設計をする人たち 企業は 今までの常識を持ち出し 危機管理意識を低くしている

大袈裟にいうならば 人災による部分が多い とも言える


根本から 都市計画 激甚災害対策 を考え直す必要がある

政治家 政府 国家行政 地方行政 民間企業 一般市民 それぞれが 考え方を改める必要がある

これからは これくらいで良いのではないか という甘いゆるい 考えでは 「自分達が考えた予想を上回る」 という 考えをもつ必要がある














  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊前善三つれづれ日記

2019年10月13日 18時23分55秒 | 日記
 ( Vol 2480 ) 台風19号から何を学ぶか 都市計画の立場から 災害からどう回避するか 考える必要があるのではないか そこには 責任ということがある

自然災害から 100%回避することは不可能である


しかし 最悪の事態を想定しすれば 災害の大きさを 軽減できる


いままでの 災害をみても ちょっとした 心がけで 軽減できたのではないか


利便性の重視

企業の利益重視

ということが 災害を大きくしている とも言えるのではないか

河川についてみれば

天井川といわれる 川が多い

これは  河川の整備という点で軽視されてきたところではないかか


川は 水だけが流れているわけではない

色々なものを 山から持って 流れてくる

山では 土砂災害防止にと 砂防ダムが設けられ

水害対策として 大きな水瓶のダムが 設けられ

いろいろと 人間にとって 利益となる ものを設けた

しかし それは 形だけ

砂防ダムは 長い年月の経過の中 砂防ダムの用をなさなくなっているものも出ている

なぜ 設けたものを 有効に使ってこなかったのか


河川も 護岸の整備を注いだ

河川の川床には 目を向けてこなかったのではないか


備えは すべてが メンテナンスである


形だけでならば 誰でもできる

そのもつ機能を 最大限に引き出す 行為が必要なのではないか

その点において 軽視してきたのではないか

川の氾濫は 船で川床を 浚渫をすることを怠っていることが 大きく関わっているのではないか


報道の映像で 川が氾濫し 住宅街へ 流れている 光景は見るに耐えない


自治体においての 避難所となる施設においても 冠水するような位置に設置しているという状況にある

指示を出す 司令部が 被災するという状況は 避けるべきである

自治体の 避難場所設置は 災害を回避できる場所に 設ける必用があるのではないか


個人住宅について言えば 行政指導として 災害対策の設備設置を 強制するくらいの指導をしてもいいのではないか

住民一人一人が 自分を自分の力で 守る という姿勢をもたせることではないか


ちょっと昔であれば 浸水する家では 船を各家庭で 用意していた

また 豪雪地帯では 積雪に対して 二階以上のところから出入りできる という対策をとっていた


このように 個人個人ができる姿勢というものを持っていた

しかし 現代では 自治体に何でも頼る という 状況を行政は 政府は やってきた ところにも 問題がある

そこには それぞれが 責任という 意識が薄い ところにある

まず 責任を持つ 責任を取る という 意識が必要なのではないか


そのためにも 安倍政権は 責任を持つ 責任を取る

このくらいでいいや という 甘い判断ではなく 

最悪をも考えた行動を取るべきである

特に 日本の政治家は 誤魔化しすぎる


甘い対策が 考えが 日本中に蔓延している

その代表が 台風15号で被害にあった 千葉における ゴルフ練習場の鉄柱の倒壊であろう

管理者が 最悪の事態を想定していれば ネットを下ろして 回避する行動ができたであろう


災害対策は 日頃から 最悪の事態を想定した 思考が大切である
被害を大きくしない 回避できるように考えるべきである

台風19号による被害は 報道によると
豪雨で川の堤防が壊れる「決壊」が発生は 13日の夕方の時点で21河川の24か所に上ることが国土交通省の調査で分かった

水が堤防を乗り越える「越水」による氾濫は 国や15の都県が管理するのべ142の河川で確認された

と報道されたいた

この数字を どう見るか

日頃から最悪の事態を想定した対策をしていたら 回避できた部分もあるのではないか








 









  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする