豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2019年01月30日 11時11分53秒 | 日記
 ( Vol 2410 ) 厚生労働省における 不適切な統計があったのは 統計を不正確なものにして 国 政権の信頼を失うことになる 安倍政権を信用することは難しい


統計の不適切な処理は 2004年から行われていた ということである

その年は 自民党 小泉政権の時である

その年は 年金未加入問題で 国会は揺れた

なぜ 2004年から 統計に不適切な手法がなされたのか その点の解明が必要である


また 2004年前の統計との整合性は ないことになる

それは 統計として 途切れたことになる

そこには 政権の景気に対する 過剰な反応があったのではないか と思われる


担当する公務員たちは 整合性の重要性は 十分承知している

それが なぜ 変更したのか

他の省庁の統計で 整合性のない統計になる場合 必ず その理由と整合性がなくなったことを 公開している

その常識が なされなかった

通常では 理解できない ことである


ここには 自民党政権の 何らかの 力の影を感じる


統計という 信頼を 失墜させたことは 厚生労働省だけの問題に終わらない
政権の問題として 位置づけられるのではないか


自民党政権は 国民に 経済の成長に対する 偽装をした ということになりはしないか

特に 安倍政権における 経済成長戦略成果は 疑わしきもの といわざるをえない


このままでは 安倍政権を 信用することはできない














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豊前善三つれづれ日記

2019年01月19日 18時38分22秒 | 日記
 ( Vol 2409 ) 勤労統計の一部変更は 政治の道具にされたのではないか

一般的に考えて 国が行う統計変更は 簡単にはできない

何故ならば 過去の統計との整合性がとれなくなるからである

もし 変更するならば 変更したことを 国民に周知する必要がある

国の統計は 様々な人が 利用している

今回の 勤労者統計一部 データ収集の仕方を変更したことにより 失業保険の給付額が低く算定された

この影響は 変更した時点で 予測できたはずである


なぜ このようなことが行われたのか

行政の職員だけで できるものではない

政府 与党政治家が 関わってできることである

このような 不祥事は 安倍政権の責任問題である

ここには 景気を良く見せる という操作があったのではないかと映る


ここのところ 自民党政権 安倍政権は トリックが多すぎる

国民の 政権への不審を抱かせるものである


安倍政権は 国家公務員という事務方に対して 人事権の内閣一極集中を図り 事務を一方的な指示により 正常さを失わせた

今回の 勤労統計一部変更は 財務省の文書改ざんにつながる 一連のことと捉えるべきである

森友学園問題 家計学園問題は 国民にとって まだ解決していない


権力の一極集中 長期政権がもたらした 問題である 

この責任は 安倍政権にあると 言えるのではないか







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2019年01月17日 09時14分54秒 | 日記
 ( Vol 2408 )人間の欲望は 時と共に 変貌する 今こそ 足るを知る という言葉を大事にしなければならないのではないか

人は 地位 肩書きなどを得ると 別人のように振る舞う


初心忘れるべからず ということばがあるが 初心を忘れてしまう


足るを知る ということばがあるが 満足感はすぐに空腹感をまねいて 足るを知るを忘れてしまう

多くの 指導者は 今までの人柄を知っている人たちからは 変わったと映る 事態を招く

他人を批判しても いざ 自分がその立場になると 同じ行動をしてしまう


カルロス ゴーン氏も その例外でもない


豊かさを もっと豊かへ という欲望にかられ 変貌する

裸の王さま となる


今回の カルロス ゴーン氏は その代表例ではないか


歴史を振り返ってみれば 多くの指導者が その坩堝にはまって 身を滅ぼしている


人は 欲望に振り回される

欲望とどう付き合うか

指導者たるもの よほど自分を見つめ 自制心を持ってしないといけない

今 世界は 利益至上主義になり 貧富の格差を生み出し

指導者は 利益の搾取という 行動を肯定する 行動にでている

このことが おおきな問題を起こしているのではないか

もう一度 足るを知る ということを 考えてみてはどうか


このようなことを防ぐには 権力の一極集中 長期政権 ということを 避けることである








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2019年01月17日 08時04分49秒 | 日記
 ( Vol 2407 ) 今日は 阪神淡路大震災から 24年経った 人々の記憶には 違った形で映るようになっているのではないか 忘れないためにも 歴史の中に刻むことを考える必要がある


人は 忘れることによって 今を 明日を 生きる力としている ところがある

24年という 歳月は 人々の記憶を 変えていっている

復興を願い 色々な行事をしてきた

その間に 新しい命も生まれた

震災を知らない人たちの 誕生である

震災を体験した 人たちの中には 逝く人たちが出る

震災を経験をした人たちは 年老いていく

語り部としての 機会は少なくなる

震災を知らない人たちにとって 復興記念行事は どう映っているのだろうか


どこか違う世界のようにさえ 感じているのではないか

それは 戦争を知らない世代が 終戦記念日の式典行事に対する感じ方に 似ているのではないかと 思うからである

人は忘れることによって 今を 明日を生きる

体験したことのない人にとって 震災は違う世界のように映る


未来 また 震災が起きるとは 考えない


過去を回想すると 大きな被害をもたらした震災があった


しかし 震災は 1回起きたら もうそこには起きないと 考えて 安定した生活がえられる と考えてしまう


そのことに対する警鐘が 東日本大震災の時の 福島原発事故であった


過去を軽視した 対策が 大きな被害を生じさせた


阪神淡路大震災から24年

記憶から震災のことは薄れていくが 歴史の中にしっかりと 記憶として 刻むことが  再確認するということ になり 明日を生きる 対策の判断材料になるのではないか

私たちは 自分の範囲でしか 判断しない

しかし 目を外に向けて 広げみると 変わってくる

宇宙を見れば 銀河同士が衝突している 今見ている星は 過去の星で 今はない という事実が宇宙で起きている

それを 他人事のように 捉えることこそ 問題である

特に 政治家は 大義名分の下 過去の震災を過小評価 無視 という行動をとってきた
 

また 政治家の圧力により 学者 企業は 問題を ないことのようにしてきた


このようなことが 問題を大きくしてきた


政治家は 過去の震災を しっかりと受け止める行動をとる姿勢を もつべきである

政治家は あまりにも 無責任すぎる








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豊前善三つれづれ日記

2019年01月14日 23時39分05秒 | 日記
 ( Vol 2406 ) カルロス ゴーン氏の 司法問題は 当事国の法律的な判断で行うべきである どう日本流を貫けるか 問われる


法治国家として 日本の司法はどう裁くのか


法律は その国 その国のまつりごと として その基礎をなす


法律は 国の統治という観点から 制定されてきた

統治者の 都合の良い法律を つくってきた

これは どこの国においても 観点は同じである


よって 法律の内容は 国によって異なる

どこの国の法律も 完全ではない 法律は網状態

すべてが 理性で制定されてはいない 

すべてが 権力を持っているものにとって 都合の良いように制定されている


今 カルロス ゴーン氏の司法判断について 欧米諸国の報道は 日本の法律について 異議を述べている

これは ある種の 内政干渉で同じである

日本国内で 起きた犯罪については 日本の法律手続きによって 行うのは当然である

基本は 当事国の法制度に従う 

そのことが 当事国内で 活動する ということになる のではないか



その点において 安倍政権は 対外的に 意思表示できるかが 問われているのではないか

強い日本とはなにか 今 安倍政権は 国民から問われている という状態にあるということではないか

どう 日本の司法は 法治国家として 日本の色を 守ることができるか

世間の目は 安倍政権の動向に注視している


理性という点において 許されるものか

力のあるものは カモフラージュという手法を使って 法律を悪用する

法律で 罰することができなければ 何でもしていい という論理に走っている


カルロス ゴーン氏の 行動は まさに 権力を持っているものの 論理行動である


いま 世界の権力を持っている者に 求められるのは 法律を悪用することをやめる ことではないか

法律は ゲームの道具ではない

法律は 性善説が前提でなされている それが裏切られ 性悪説の行動がなされて 法律の役割は弱体化している


人間社会において より良い社会をつくるために 法律はあるべきではないか


その法律のあり方が 問われる べきではないか


今 法律社会は 権力者にとって 都合の良いという 歪んだ 法律社会になっていると言えるのではないか


今 権力を持っている者に求められるのは 貪欲にならず 分かち合う という 利他的な考えが 必要なのではないか



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