豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2019年03月31日 11時34分24秒 | 日記
 ( Vol 2434 ) 人間社会は 今も昔も未来も 争いは絶えないのではないか それは人間は自分中心で物事を考えるからである なんとか 争いのない社会が実現できないものか



もし 人間が 相手の立場 相手の考えに立って 物事を考えるという 配慮ができたなら 争いが起きないのではないか

お互いが 相手を気遣う ということは 集団社会では 重要である ことは誰でもが知っていることである

しかし 現実の場面では それができない

なぜできないのか

そこには 自分中心で物事を考えるからである

国の指導者は ファーストという言葉をつかう

これなども 自分中心である

中国が 一帯一路政策をうちだして 世界戦略をしている

これも 自分中心である

自分中心考えで行動する限り そこには 相手側からすれば 不満が生じる


その不満が 争いへと 発展する


人と人 国と国 民族と民族 宗教と宗教

すべてが 争いが潜んでいる 


お互いを認める という 当たり前のことが なかなかできない


だからこそ 争いが起きる


今も昔も 争いのない時はない 

これは 未来も 変わらず 争いが存在する


歴史は繰り返す という言葉があるように 人間は自分中心で物事を考える ということをあらわしている といえる


世界中から 争いがなくなる

ということを 誰もが 望む

しかし それは無理である

なぜならば 自分中心で 優勢を誇示しようするからである


人間の集団社会では 主従関係をつくることによって 心が安定する と思っているからである


平等 対等 という言葉は 素晴らしい言葉である



相手を 目の前にして 相手を 平等 対等 として接する ことができるだろうか


ほとんどの人ができないであろう

これが 現実である


優劣をつけたがる 人間社会

あらゆる場面で 大なり小なり 争いが生じている


なんとか 争いのない 社会になってほしい と願っている 人たちは多いはずなのだが

それが 実現できない ということが 残念である

権力者は 争いのない 一人一人を 認める 社会をつくる行動してもらいたいものである







  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊前善三つれづれ日記

2019年03月30日 06時41分56秒 | 日記
 ( Vol 2433 ) 今 選抜高校野球大会が行われている その中で 二塁走者の サイン問題が なされているが ルールという範囲で考えてはどうか

攻撃側が どう投手を攻めるか そこに野球の楽しみの一つがある

投手と捕手のサインのやり取りを 二塁走者が打者に サインを出したということで 問題視する状況が報じられているが それは 試合において 否定されるべきものなのか 疑問が湧く

野球には 攻撃側 守備側 ともに サインを用いた戦略をしている

投手と捕手との間にも サインでのやとりがある

監督からも 選手に サインが出される

そのサインのやり取りから 守備側の戦略を どう攻撃側は感じとるか 

そこにも 観戦者の醍醐味がある

テレビ中継なども 投手と捕手 サインのやり取りを映し出している


サインを盗む というと 問題という 否定感情が湧くが 動きをどう洞察するか という行為として捉える という解釈もありではないか


以前 スタンドから サインを盗んだり 指示を出したりしている行為が 問題になったことがあった

これは 試合ということから考えると 土の上の場における 戦いということからみると 逸脱した行為である

それは試合のもつ醍醐味を 損なうことになるので 否定されるべきである

しかし 土の上という 戦いの場を考えると ルールの範囲内で どう戦うかということから考える必要があるのではないか

監督 選手 そして 観戦者 たちは ルールを踏まえた 戦い方 観戦の仕方 を考えるべきではないか

二塁走者のサイン を問題視するのであれば ルール改正ということを 議題に挙げて考える必要があるのではないか

感情で考えるのではなく ルールで考える必要があるのではないか


投手にかかる 試合の勝敗負担は大きい ことにもある

攻撃側は いかに投手を攻略するか 戦略をする それが勝敗につながる

現に 前評判の高い投手が 対策を練ってきた攻撃側によって 打ち砕かれるという 場面が生じている

高校野球では 投手の投球数の制限 なども考える時期にきている


高校野球は 観戦者のものではない 本来 プレーする選手のものである

そこに 主眼をおいて 考えるべきである


戦いは 勝ち負けという 白黒のつけることが要求される

そこ予測できない 多くの欲望を生む

選手の使い捨て 選手を将棋の駒のごとく扱い 勝利至上主義に走り過ぎる監督 などが出現

高校野球とは なにか

初心に立ち返って 考えるときではないか


高校野球選手は プロ野球選手を目指して 高校野球をやっている選手もいれば 高校生活における 青春の1ページとして 青春を爆発させたい場としている選手もいる

それぞれの思いを抱いて 球場で戦っている


青春の思い出とともに 一人一人の将来を築き上げる一つの過程の場でもある


高校野球選手にとっての 甲子園は 夢であり目標でもある

その甲子園球場での 試合を 選手にとって 価値あるものに どうするか


監督 選手 報道機関 観戦者 たちは 考える必要があるのではないか
 





  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊前善三つれづれ日記

2019年03月29日 07時16分57秒 | 日記
 ( Vol 2432 ) 2019年度予算が参議院通過 新年度予算から見る 安倍政権の姿勢は 場当たり的であり バラマキでは困る

安倍総理は 全世代型社会保障という 言葉を使い 予算に組み込んだ

その内容は 現物支給対応になっている

根本的な 制度改革に至る 予算の組み方にはなっていない


少子高齢化と言われて 大分時間が経つ


これから先 人口構成比は 厳しい状況になる

その現実の中で 国民が安心して生活するために どう政策をするのか

その根本的な将来構想が 表されていない


国民皆保険と 言いながら 国民健康保険の運営は 都道府県に任せ 全国統一になっていない

年金制度は 生産年齢世代が 年金受給世代を補う という制度の疲弊を どう修正するか

日本の年金制度では これからの 少子化社会では 成り立たないことは 明らかである

安倍政権は 一億総活用 という言葉を使ったが それは 言葉の遊びにすぎない 場当たり的である


根本的なところには 触れようとしていない


年金制度の改革は 必至の状況にある

これには 受給年齢を65才から70歳へと変更するという場当たり的な 小手先では 根本的な問題解決はできない


その方法としては スウェーデンの年金制度のように 老齢年金制度と老齢年金だけでは老後の生活不十分な場合の生活補償としての国の予算の一般財源による保証年金 を参考にすべきである

これは 日本における現役世代が年金受給世代を支えるという 制度における 少子化による 現役世代への負担を 解消させる考えである


最低賃金については 都道府県単位で定めていて 全国統一になっていない

全国一律の 最低賃金にすることによって 働き方に対する意識は変わるのではないか

地方と都市との最低賃金格差がなくなり 地方の活性化にもつながるのではないか


国民の生活の保障を どう考えるか

そのことを 予算に反映することではないか


100兆円を越える予算を 国民の将来の生活にとって意義あるものにしてほしいものである

バラマキ予算と言われないように してもらいたいものものである










  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊前善三つれづれ日記

2019年03月26日 23時26分53秒 | 日記
 ( Vol 2431 ) アメリカ大統領 トランプ氏の ロシア疑惑解明捜査は 中途半端に終わった ここには 疑わしきは罰せず という論理手法で 追求を逃れたという印象で 現在の法律論では限界があることを示した

ロシア疑惑捜査は 証拠不十分で幕を閉じた

これは 日本における 森友学園 加計学園問題の追求と似ている


法律の論理では 疑わしきは罰せず

「疑わしきは被告人の利益に」の論理では 犯罪の積極的な証明がない限り有罪とされたり 不利益な裁判を受けることがない という


これは 性善説の世界では 有効であるが 性悪説の世界では 疑問になる


今回の疑惑の場合 身内からの暴露がない限り 証拠は証せない

この状況は 権力者は 疑わしきは罰せず という論理を 味方につけた 論理展開を仕掛けることになる

権力者は 答弁においても 自分の立場を正当化するために 自分に好意的な意見を選択して 質問に対して 論点をすり替え 好印象操作をするという 言動をしている

この論理手法は 情報を曲げてしまい 国民を無能化をしてしまうという恐れを生む可能性がある


このような 論理が まかり通る 政治の社会は 独裁化への傾向を強めることになる のではないか


政治においては このようなことが 生じないためには 追求される側は すべてを公にする という義務化をする必要があるのではないか

権力によって 自分にとって都合の悪い情報は 出さない このようなことが まかり通るようでは ガラス張りの政治はできない

政治を見張るのは 国民側にある

すべての情報を 国民に見せないという 行為は問題視する必要があるのではないか



















  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊前善三つれづれ日記

2019年03月20日 20時19分36秒 | 日記
 ( Vol 2430 ) 安倍政権は 景気は緩やかに回復している と また うそぶいた 

統計の数字を見ても 景気は回復していない

むしろ 後退している

景気は回復している とする根拠を 個人消費と企業の設備投資 としているが

そうだろうか 

物価上昇を考えると 違うのではないか

景気後退の要因を 中国の動きを理由としているが そうだろうか


根本的なことを捉えるならば

安倍政権の 景気刺激対策は 後手ばかり

達成できなくなると 違う原因の理由探し


政策の失敗 認めない ため言い訳行動をとっている



今までの経過から見ても 信じがたい 安倍政権の答弁である


この事に対して 報道各社は 冷静に判断して 是々非々論で 安倍政権の政策を 論じてほしい ものである


あまりにも 報道機関は 安倍政権の御用報道機関に 成り下がっているのは 残念である







  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする