羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その2)
地区別 町並みの建築年代
大国通り:
江戸時代が2棟、明治時代が9棟、大正時代が5棟、
昭和初期が2棟。上田邸は明治20年、尾崎知正邸・
町田年喜邸は江戸時代の建築である。
西 町通り:
江戸2棟、明治14棟、大正5棟、昭和3棟。
江戸時代の建築は片岡定行邸(紙の原料屋)・
田所甫彦邸(米屋)
元 町通り:
江戸2棟、明治3棟、大正5棟、昭和初期6棟。
江戸時代に建物は森木茂彦邸・藤本治平邸(紙問屋)
本 町・大和町通り:
江戸3棟、明治17棟、大正7棟、昭和初期5棟。
江戸時代の建築は檜山寅吉邸(酒屋)・
新谷米穀店(番所)・三宮敏博邸(紙問屋)
町屋立面の意匠的特色
町屋の意匠は、京都を中心とする洗練された町屋と
地方性を帯びた意匠構成にある。
外部構成は、格子や虫籠窓に見られる一般的な町屋の
様式に加え、外壁が塗籠であり、
軒懐まで漆喰で固められている。
また妻面や蔵に見られる水切り瓦は、厳しい気候風土に
対する特色である。
機能的だけでなく、装飾として使われていた。
明治後期から大正期にかけて、海鼠壁(なまこ壁)が
使われるようになり、防火機能を備えるようになった。
外壁と塗籠
江戸から明治に造られた町屋は正面外壁を塗籠で
仕上げている。規模の大きな町屋では、軒懐まで
塗籠めている。
台風の頻繁にくる高知県では、土塗では抵抗できず
しっかりとした漆喰で塗籠めた塗屋造りにしている。
一方、平入り町屋の妻側部分は、外部に露出している場合、
平側と同様に外壁及び破風付近(母屋・棟木を含む)は
塗籠られているが、腰の部分は板壁であることが多い。
それは水処理に関連して、腰から下も漆喰で仕上げると
外壁が水を吸収してしまうから。
土佐の建築と長州大工の活躍
建築工匠の系譜として、一豊入城に伴い遠州掛川から
同行した大工が重要な建築物を手掛け、
郷土の大工を育てた。
更に近世末期に長州大工が出稼ぎで北部山間地域を
中心に、明治20年以前の神社・仏閣・民家の殆どの
建築を手掛けている。
建築様式に大きな影響を与えている。
~土佐の民家の特徴~
① 台風に対して屋根を小さくする。
② 屋根を二段に分けそれぞれ別軒樋で雨水を処理
③ 二階建の棟高は低く、床が高い。床下通風の配慮
④ 戸障子は三本溝。柱は四寸角で構造材が太い。
⑤ 外壁は土佐漆喰塗りや板張りの大壁であり、腰は
板張りや平瓦貼りで防水対策が行き届いている。
⑥ 深い軒を巡らし雨と日差しを遠ざけている。
水切り瓦
壁面が直接雨にたたかれるのを防ぐ方法として、
水切り瓦がある。厳しい気候風土から
幾段もの小庇を設けて壁を守っている。
格 子
物見格子(三宮邸)、京格子(上田邸)
海鼠壁(なまこ壁)
方形の平瓦を並べ、目地に漆喰を盛り上げの方法。
主に主屋にて展開。
幕 板
庇(ひ)の下に幕板が取付けられた町屋が4棟ある。
日中は店先を開放しているため、
雨や風から店先を保護する。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます