「ぷらっとウオーク」 情報プラットフォーム、No.207、12(2004)
{垣内保夫さん}
垣内さんにお目にかかったのは3回です。ホリデーイン高知で開催された異業種交流の懇親会が最初、南国ご免の「喫茶ともだち」にご来店下さって二度目、大津の垣内邸での花見のときで三度目です。それぞれ2002年9月、2003年2月、そして2004年の4月のことでした。
異業種交流会のパーティーは、私たちの結婚のお祝いを重ねて下さったものです。このとき、「おまんハチキンぢゃのう」「しょう呑めるのう」と言いながら何度も何度もお酌をして下さったのですが、ただの呑兵衛のおんちゃんにしか見えませんでした。
その後、奥様も居られたと思いますが数人の方々とご一緒に2階にあるわたしのお店を訪ねて下さいました。「ここかよ。ここやったか」「おまんくは、よう見よらな分からん」と言いながら急な階段を上がって来て下さいました。ランチとコーヒーのご注文を頂きました。「たまらんろう。おまん、ようやりゆうのう」とわたしの環境の変わりように対して励ましのお言葉を頂きました。
そしてランチ代だけを頂戴しました。お連れの方が「コーヒー代が」と戻って見えました。急いで下に降りて、「間違っておろうよ」と言われる垣内さんに「サービスをさせて頂きます。サービス、サービス」と申し上げたことでした。
花見のとき、わたしが「ちえ子ママの花」と名付けたクリスマスローズが家の庭に盛大に咲き誇っていました。それを小さな花束にしました。主人を迎えに大津の垣内邸に向かいました。坂下で待つつもりでしたのに、お集まりの皆さんに誘われ、花見の宴のお庭まで引き込まれてしまいました。
山田の家から持ってきたお花の由来をお話すると、垣内さんは「ありがとう」と花束を受けとりながら、優しい目でわたしを見てくれたのです。とても印象的でした。わたしの立場を理解して下さっている方、わたしの心強い味方と感じました。
「お店まで、またお出かけ下さい」「おまんくはしょう階段がきついきのう。めったによういかんわ」と、そして「このお庭にほんとにたぬきがおるがですか?」「おるおる。さっきまでおった」「飼ってるがか?」「その辺の山あにおらや。いつでも見に来いや」と楽しくも思い出深くお話をさせて頂きました。
お会いしたのはたったの3回ですが、垣内さんのお人柄を知るに充分でした。わたしには「そうかよ。そうかよ」と聞いて下さる、そんな垣内さんでした。さようなら。
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2004年9月15日、告別式から帰って、垣内保夫著「機械屋人生60年」をふたたび読んだ。1994年出版のこの本の中、「若者に物造りの喜びを」と副題を付けた「あとがき」には、これから出来る工科大への思いが一行だけ書いてある。創設に関わった身として、満足して頂けたのだろうかと考えてしまう。妻、一枝の思い出を記して、垣内保夫さんの追悼の辞に代える。
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