初日の視察が終わり、宿舎に帰ってきました。宿舎は「おじまふるさと交流館」というところで、昔は小学校だったのですが、現在は町の自然体験宿泊施設として4月から稼働するところだったのが、3月11日の大震災があり、現在は避難所として使われているところでした。視察旅行と言えば、それなりのホテルに泊まっているように想像するでしょうが、今回は避難所生活を少しは体験することができてよかったと思います。
夕食の時に、川俣町の古川町長さんも来られて、発災当時の大変さを語ってくれました。色々な役所で聞いて共通点として感じたことは、当時政府にも県にも連絡が取れず、独自で判断をしなければならないことばかりだったということでした。不測の事態の時に日本の法律は全く役立たない状況であるということも印象に残りました。そうであるならば、今のうちに想定できることを想定して、そのための法整備をしなければならないですね。参考になりました。
いずれにしても、川俣町も今の放射線量は全く問題ない数値であるのに、マスコミの報道で福島県全体が放射能に汚染されているかのようなイメージをもたれることが本当に辛そうでした。早く放射線量の新たな基準値を定めて、福島県も大丈夫と思えるような状況を作り上げないといけません。一刻も早い、福島第一原発問題の収束が願われています。お話を聞いて、そのことをひしひしと感じました。
夕食の時に、川俣町の古川町長さんも来られて、発災当時の大変さを語ってくれました。色々な役所で聞いて共通点として感じたことは、当時政府にも県にも連絡が取れず、独自で判断をしなければならないことばかりだったということでした。不測の事態の時に日本の法律は全く役立たない状況であるということも印象に残りました。そうであるならば、今のうちに想定できることを想定して、そのための法整備をしなければならないですね。参考になりました。
いずれにしても、川俣町も今の放射線量は全く問題ない数値であるのに、マスコミの報道で福島県全体が放射能に汚染されているかのようなイメージをもたれることが本当に辛そうでした。早く放射線量の新たな基準値を定めて、福島県も大丈夫と思えるような状況を作り上げないといけません。一刻も早い、福島第一原発問題の収束が願われています。お話を聞いて、そのことをひしひしと感じました。