「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

不安定な天気

2021-02-21 19:03:56 | 景色

2月も後半になりました! 続けて三日と安定しない日々が続いています。

そりゃ、そうだ!旧暦だと、まだ1月10日。

 

今日は菩提寺の世話人会

毎年3月の彼岸中日は菩提寺総会、残念ながら今年はコロナ防止生活継続中で、

書面議決となり年会費集金も含め、各地域の世話人が受け持ち地域を廻ります。

今回から私の担当戸数も減ることになり、だいぶ楽になります。笑

 

さて、前段の不安定な天気、一週間前は青空もあり、どこか春めいた?雰囲気。

高地は雪がそのままですが、青空も。

 

町中の主要な道路の雪も融けていました。

 

ところが、月曜夜には暴風となり、とらねこさんの物置小屋のカラー鉄板が半分飛ばされ、

土淵町常堅寺本堂の屋根も・・・。

 

風が落ち着いたと思ったら、またまた雪

 

雪かきの後、辺りを徘徊

 

本当は雪かき疲れを癒しに水光園にでも行って、ひとっ風呂浴びたいところですが、

平日の日中は・・・。

そして、昨日は雨で、今日の最高気温はプラス気温?

 

先日、手持ちの本を読んでいたら、鎌倉時代の遠野領主阿曽沼氏が気になり、

悪い癖で、いつものように、少しだけ本業回避 汗

 

南北朝期、南部氏は三戸南部氏は北朝方で、八戸南部氏(遠野南部氏)は南朝方と

一族で分かれていたのですが、その両者が戦ったことは無かったようです。

阿曽沼氏はどうだったかと云うと、遠野阿曽沼氏は南朝方だったと云われており、

広島の安芸阿曽沼氏は北朝方についたようで、また、本家下野の阿曽沼氏はと云うと、

当初南朝方で、

建武2年(1335)北朝足利方の佐野義綱の本領である佐野荘に阿曽沼朝綱が乱入

建武3年佐野義綱、阿曽沼朝綱の被官土淵又六の肘を斬り落とす。

と云った事もあったようですが、北朝方有利の周りの状況から、後に北朝方へ。

(下野の阿曽沼家臣に土淵を姓する人が・・・遠野の土淵って?)

 

南北朝期が終わる辺りから本家下野阿曽沼氏の動向は表から消え、

関ケ原の合戦後には、遠野阿曽沼氏は遠野から仙台領へ移り、

同時期の安芸阿曽沼氏は毛利氏の配下に入り、萩へ移動します。

最後に、

本日無事、e-TAXにて、確定申告を済ませました!

残念ながら前年比かなりの減収・・・飲みに行けない・・・汗