長髄彦(ながすねひこ)の墓と伝えられています 撮影日;2009.6.14
直径46mの円墳です
1978年の調査で、周濠があることが確かめられています
朝顔形埴輪や鰭つき円筒埴輪などの破片が採取されています
5世紀前半の築造と推定されます
このあたりでは最も古い古墳です
★所在地;葛城市當麻竹内
★交通;近鉄「磐城」駅下車 徒歩15分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-48-2811(葛城市教育委員会)
古代の官道『竹之内街道』が北側を通っています
【長髄彦】
「記紀」では神武東征で初代神武天皇が日向から瀬戸内海を通って大和に攻め入った時、生駒山の麓・石切の日下で皇軍を迎え撃ったとされます
直径46mの円墳です
1978年の調査で、周濠があることが確かめられています
朝顔形埴輪や鰭つき円筒埴輪などの破片が採取されています
5世紀前半の築造と推定されます
このあたりでは最も古い古墳です
★所在地;葛城市當麻竹内
★交通;近鉄「磐城」駅下車 徒歩15分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-48-2811(葛城市教育委員会)
古代の官道『竹之内街道』が北側を通っています
【長髄彦】
「記紀」では神武東征で初代神武天皇が日向から瀬戸内海を通って大和に攻め入った時、生駒山の麓・石切の日下で皇軍を迎え撃ったとされます