7世紀中頃に創建された寺院跡です 撮影日;2008.6.4
僧寺と尼寺の関係が指摘される北廃寺跡と南廃寺跡からなります
【尼寺北廃寺】
平成8年の調査で、塔の基壇下から日本一大きいと言われる心礎が出土
東西、南北ともに幅3.8m・厚さ1.8m=8畳ほどもある大きさの石です
(地下の心礎は埋め戻され見ることは出来ません)
基壇上には心礎をはじめ計13個が残存
塔の北側に、南北約16m・東西10mの金堂跡と見られる基壇が確認されています
出土の瓦などから7世紀中ごろから建設を始め、奈良時代後半まで存在
その後消失したと推定されています
★所在地;香芝市尼寺
★交通;JR畠田駅より 徒歩10分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-76-2001(香芝市教育委員会)
【尼寺南遺跡(般若寺)】
2004年の南遺跡(現般若院境内)の発掘調査で2つの基壇が確認されました
東側基壇は南北約14m、西側基壇は約12mの正方形と推定されるようです
出土瓦から7世紀中葉から建築が始まったと推定されています
敏達天皇の一族(茅渟王)が造営した般若寺(片岡寺)の可能性も指摘されます
西側の丘に白山姫神社、香塔寺が有ります
参考;がらくた置場 のページ
僧寺と尼寺の関係が指摘される北廃寺跡と南廃寺跡からなります
【尼寺北廃寺】
平成8年の調査で、塔の基壇下から日本一大きいと言われる心礎が出土
東西、南北ともに幅3.8m・厚さ1.8m=8畳ほどもある大きさの石です
(地下の心礎は埋め戻され見ることは出来ません)
基壇上には心礎をはじめ計13個が残存
塔の北側に、南北約16m・東西10mの金堂跡と見られる基壇が確認されています
出土の瓦などから7世紀中ごろから建設を始め、奈良時代後半まで存在
その後消失したと推定されています
★所在地;香芝市尼寺
★交通;JR畠田駅より 徒歩10分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-76-2001(香芝市教育委員会)
【尼寺南遺跡(般若寺)】
2004年の南遺跡(現般若院境内)の発掘調査で2つの基壇が確認されました
東側基壇は南北約14m、西側基壇は約12mの正方形と推定されるようです
出土瓦から7世紀中葉から建築が始まったと推定されています
敏達天皇の一族(茅渟王)が造営した般若寺(片岡寺)の可能性も指摘されます
西側の丘に白山姫神社、香塔寺が有ります
参考;がらくた置場 のページ
戦国時代の城跡です 撮影日;2008.6.4
1550年ごろに片岡国春によって築かれたとされています
下牧城とも呼ばれます
永禄12年(1569)には松永氏の攻撃を受けて落城
修復されて松永氏の支城になりました
天正5年(1577)に、織田、筒井氏の松永氏攻撃作戦にて片岡春之が片岡城攻めの先陣をつとめて奪回しています
★所在地;北葛城郡上牧町下牧
★交通;JR畠田駅より 徒歩18分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-76-1001(上牧町教育委員会)
下牧地区から金富地区へ抜ける峠道の頂部分に有ります
下牧に片岡城を築く前は、隣町の王寺町と香芝市の境界あたりにある小高い山送迎(ひるめ)山の標高262mのところにありました
片岡氏は春日大明神が鹿島より大和に入国した際に供奉した四氏のうちに数えられる古い名族です
南にすぐ伊邪那岐神社が有ります
参考;上牧町役場のページ
1550年ごろに片岡国春によって築かれたとされています
下牧城とも呼ばれます
永禄12年(1569)には松永氏の攻撃を受けて落城
修復されて松永氏の支城になりました
天正5年(1577)に、織田、筒井氏の松永氏攻撃作戦にて片岡春之が片岡城攻めの先陣をつとめて奪回しています
★所在地;北葛城郡上牧町下牧
★交通;JR畠田駅より 徒歩18分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-76-1001(上牧町教育委員会)
下牧地区から金富地区へ抜ける峠道の頂部分に有ります
下牧に片岡城を築く前は、隣町の王寺町と香芝市の境界あたりにある小高い山送迎(ひるめ)山の標高262mのところにありました
片岡氏は春日大明神が鹿島より大和に入国した際に供奉した四氏のうちに数えられる古い名族です
南にすぐ伊邪那岐神社が有ります
参考;上牧町役場のページ
周りは、閑静な住宅地です 撮影日;2008.6.4
第23代 顯宗天皇の傍丘磐坏丘南陵(かたおかのいわつきのおかのみなみのみささぎ)です
陵形は前方後円墳
陵のある地域は周りより一段高く、北側には小さな壕の後も見られます
★所在地;香芝市北今市4
★交通;JR香芝駅より 徒歩7分
★駐車場;有りません
★入場料;参拝自由
★問合せ;0744-22-3338(宮内庁書陵部畝傍陵墓監区事務所)
北今市古墳群から北へ5分の所です
幕末まで平野塚穴山古墳が、顕宗天皇陵とされていました
狐井城山古墳も傍丘磐杯の南陵に比定する説がありました
記紀には、傍丘磐杯の南陵(顕宗陵)と北陵(武烈陵)となっています
葛城氏一族の葦田の夷媛とつながることから、両帝の陵墓がこの傍丘(片岡)の地に比定されたようです
参考;邪馬台国大研究 のページ
第23代 顯宗天皇の傍丘磐坏丘南陵(かたおかのいわつきのおかのみなみのみささぎ)です
陵形は前方後円墳
陵のある地域は周りより一段高く、北側には小さな壕の後も見られます
★所在地;香芝市北今市4
★交通;JR香芝駅より 徒歩7分
★駐車場;有りません
★入場料;参拝自由
★問合せ;0744-22-3338(宮内庁書陵部畝傍陵墓監区事務所)
北今市古墳群から北へ5分の所です
幕末まで平野塚穴山古墳が、顕宗天皇陵とされていました
狐井城山古墳も傍丘磐杯の南陵に比定する説がありました
記紀には、傍丘磐杯の南陵(顕宗陵)と北陵(武烈陵)となっています
葛城氏一族の葦田の夷媛とつながることから、両帝の陵墓がこの傍丘(片岡)の地に比定されたようです
参考;邪馬台国大研究 のページ
社殿の背後にうっそうとした森が広がっています 撮影日;2008.6.4
社そうはコジイ(ツブラジイ)が優勢林となっていて
貴重な自然が保たれています
平成8年3月に県の文化財(天然記念物)に指定されました
★所在地;香芝市今泉
★交通;JR志都美駅より 徒歩5分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0742-22-1101(奈良県教育委員会)
他にアラカシ、クスノキ、サカキ、スギ、ヒノキなどの照葉樹で構成されています
林内には、ヤブツバキ、アオキ、ヒサカキ、シャシャンボ、シロバイ、カクレミノ、リョウブ
林床には上層水の幼樹の他、イヌマキ、さらにベニシダが優占して生育しています
北側にある武烈天皇陵傍丘磐坏丘北陵の樹そうと一体となっています
社そうはコジイ(ツブラジイ)が優勢林となっていて
貴重な自然が保たれています
平成8年3月に県の文化財(天然記念物)に指定されました
★所在地;香芝市今泉
★交通;JR志都美駅より 徒歩5分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0742-22-1101(奈良県教育委員会)
他にアラカシ、クスノキ、サカキ、スギ、ヒノキなどの照葉樹で構成されています
林内には、ヤブツバキ、アオキ、ヒサカキ、シャシャンボ、シロバイ、カクレミノ、リョウブ
林床には上層水の幼樹の他、イヌマキ、さらにベニシダが優占して生育しています
北側にある武烈天皇陵傍丘磐坏丘北陵の樹そうと一体となっています
伊勢街道に面して立っています
撮影日;2008.6.4
幹周334.0cm、樹高約25m
平成8年3月12日に
香芝市の天然記念物に
指定されています
樹勢はきわめて旺盛です
★所在地;香芝市下田西1-9-3
★交通;JR香芝駅より 徒歩1分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-78-7535(鹿島神社)
0745-76-2001(香芝市教育委員会)
鹿島神社境内北東隅の児童公園の入口に在ります
街道の道標的な役割をはたしていたようです
景行天皇陵のは号陪塚です 撮影日;2008.6.1
約25mの方墳とされます
渋谷向山古墳「景行天皇陵」とシウロウ塚古墳に挟まれるように有ります
★所在地;天理市渋谷町赤坂
★交通;JR巻向駅より 徒歩15分
★駐車場;25台程度(景行天皇陵前)
★入場料;見学自由
★問合せ;0743-63-1001(天理市商工観光課)
渋谷向山古墳「景行天皇陵」の北東すぐ、山辺の道に丸山古墳(景行天皇ろ号陪塚)も有ります
径20mの円墳です
約25mの方墳とされます
渋谷向山古墳「景行天皇陵」とシウロウ塚古墳に挟まれるように有ります
★所在地;天理市渋谷町赤坂
★交通;JR巻向駅より 徒歩15分
★駐車場;25台程度(景行天皇陵前)
★入場料;見学自由
★問合せ;0743-63-1001(天理市商工観光課)
渋谷向山古墳「景行天皇陵」の北東すぐ、山辺の道に丸山古墳(景行天皇ろ号陪塚)も有ります
径20mの円墳です
大和屈指の石仏だとも言われます 撮影日;2008.6.1
高さ2mの火焔光背を背負う高さ153cmの不動明王石像です
鼻筋の通った少年を思わせる顔立ちです
横に立つ歓進碑に、元徳二年(1330)の年号があります
不動石仏も同じ鎌倉期の作と考えられてるそうです
★所在地;天理市柳本町上長岡
★交通;JR柳本駅より 徒歩70分
★駐車場;
★入場料;見学自由
★問合せ;
不動勧進碑は、高さ60.5cm・幅40cmです
「大勧進」「同心衆教行房実行房光房」「智禅房 禅□」「忍宗房 乗円」「元徳弐年庚牛正月廿七日」の刻銘があります
他に地蔵坐像石仏が有ります
南北朝時代の貞和五年(1349)、花崗岩製で、高さ97cm・像高39cmです
竜王山の中腹にあります
今は堂は失せています
高さ2mの火焔光背を背負う高さ153cmの不動明王石像です
鼻筋の通った少年を思わせる顔立ちです
横に立つ歓進碑に、元徳二年(1330)の年号があります
不動石仏も同じ鎌倉期の作と考えられてるそうです
★所在地;天理市柳本町上長岡
★交通;JR柳本駅より 徒歩70分
★駐車場;
★入場料;見学自由
★問合せ;
不動勧進碑は、高さ60.5cm・幅40cmです
「大勧進」「同心衆教行房実行房光房」「智禅房 禅□」「忍宗房 乗円」「元徳弐年庚牛正月廿七日」の刻銘があります
他に地蔵坐像石仏が有ります
南北朝時代の貞和五年(1349)、花崗岩製で、高さ97cm・像高39cmです
竜王山の中腹にあります
今は堂は失せています
大和三大中世山城とも言われます 撮影日;2008.6.1
築城は、天文年間(1532~55)のはじめ頃
築城者は、十市遠忠です
南城は、郭を尾根筋に沿って一列に築いた連郭式山城の形態をもつ
北城は、本丸の回りに郭を配置した環状式山城だそうです
城郭の特徴では南城が古い形態を保ち、北城が後に築かれたようです
戦国期の永禄9年(1568)松永久秀に攻められ落城
天正6年(1578)信長の命により破却されました
★所在地;天理市柳本町(竜王山山頂)
★交通;JR柳本駅より 徒歩90分
★駐車場;北城下に5台、南城下に3台程度
★入場料;見学自由
★問合せ;0743-63-1001(天理市商工観光課)
城は北城と南城に別れ、あわせると大和最大級の城域です
北城だけでも、信貴山城に次ぐ2番目の大きさです
標高585.7m(二等三角点)の山頂に南城本丸跡が有ります
北城本丸は標高521mに有ります
南城からは
大和三山(畝傍山、耳成山、天香具山)が一望できます
参考;武田調略隊がゆく のページ
築城は、天文年間(1532~55)のはじめ頃
築城者は、十市遠忠です
南城は、郭を尾根筋に沿って一列に築いた連郭式山城の形態をもつ
北城は、本丸の回りに郭を配置した環状式山城だそうです
城郭の特徴では南城が古い形態を保ち、北城が後に築かれたようです
戦国期の永禄9年(1568)松永久秀に攻められ落城
天正6年(1578)信長の命により破却されました
★所在地;天理市柳本町(竜王山山頂)
★交通;JR柳本駅より 徒歩90分
★駐車場;北城下に5台、南城下に3台程度
★入場料;見学自由
★問合せ;0743-63-1001(天理市商工観光課)
城は北城と南城に別れ、あわせると大和最大級の城域です
北城だけでも、信貴山城に次ぐ2番目の大きさです
標高585.7m(二等三角点)の山頂に南城本丸跡が有ります
北城本丸は標高521mに有ります
南城からは
大和三山(畝傍山、耳成山、天香具山)が一望できます
参考;武田調略隊がゆく のページ