奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

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三室山古墳

2011年04月30日 | 古墳
 一つの墳丘に二つの石室を持つ双室墳です 撮影日;2011.04.02

 斜面をカットして二基の長方形墳(2.3号墳)が築造されています
 1号墳は山頂付近に有るようです

 一墳丘二石室の長方形墳で、長辺21.5m、短辺17.5mの同一企画です

 2号墳の南側石室が開口しています
 全長4.2m、幅1.3mの無袖型横穴式石室
 石材は切石に近い割石を用いて構築されています 
 他の石室も同じ規模とされています

 6世紀末~7世紀前半築造のようです  

三室山古墳 三室山2号墳石室
三室山3号墳 三室山3号墳石材

★所在地;生駒郡三郷町立野
★交通;近鉄「三郷」駅下車 徒歩10分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-73- 2101(三郷町教育委員会)

 大阪との県境の三室山山麓に有る古墳群です
 龍田大社からも徒歩10分ほどです


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古梅園

2011年04月29日 | 文化財
 奈良町の伝統的な店構えをよく伝えています 撮影日;2011.04.09

 天正5年(1577)創業の老舗製墨業です
 25件が登録有形文化財に指定されています

 店舗兼事務所は木造平屋建てで、大正元年の建築です
 店舗の南側に接続する平入、つし2階の建物です
 立ちは軒庇とも店舗より一段低いですが、一体的な意匠にまとまっています
 北端は出入口で大戸口とし、中央部は事務室で格子戸がはめられています
 南端部は車庫に改造してあります

 主屋は店舗の背後にり、その間に接続する玄関棟とも表屋造形式です
 主体部は2階建で、全体に上質な和風建築です

 落ち棟の北妻側は路地に面し大壁造となっています
 中庭の北端を限る高塀とも一体的な漆喰塗の造作として、路地景観を整えています

 中内蔵は、離れ座敷の西側に建つ2階建の小規模な土蔵で、内向き用の蔵として建てられました
 周囲の建物とは接続せず独立して建っています
 北面は路地に面し、軒蛇腹廻りを除いて一面の板貼りとしています
 2階に設けた開口部は2段構えで、外観意匠を特徴づけています

 東内蔵は、離れ座敷の西南にあります
 正面大戸口から続く通路に面して建つ2階建の土蔵です
 軒蛇腹付大壁造で、腰板貼とする標準的な造作で、2階には妻側・平側とも小さな開口部があります
 東妻側に蔵前があり、内向きの調度品等を納める蔵として使用されています

 離れ座敷は、主屋の背後に位置し、中庭を挟んで建つ2階建の建物です
 土蔵風の外観になっています
 内部は1・2階とも贅を尽くした上等な造りです
 2階軒は吹寄せの化粧小舞で、北妻側は主屋から続く一連の高塀の意匠を保つ構成になっています

 銅壺場は、風呂場の西側に建つ梁間の長い大壁造の建物で、膠を溶かす釜屋があります
 南端部は通路とし北側に煉瓦造の釜2基を据え付け、脇に煉瓦蔵の角煙突が有ります
 漆喰仕上げの西妻の大壁は、ひときわ目立つ存在です

 釜屋兼井戸屋形は、台所の西側に位置する真壁造・漆喰仕上げの簡素な造りになる切妻造の建物です
 立ちは高く内部は土間です
 元の釜場で、西北隅に切石井桁組の井戸があります、この部分のみ開放として利用の便を図っています

 台所は、木造平屋建で、主屋の南側に落ち棟形式で繋がっています
 主屋境は土壁となり機能は分離しています
 元は製墨職人の食事所であったそおうです
 内部は南側が広敷を置き、北側は土間で作業用軒道が東西に貫通しています
 店舗や事務棟の表と内部を区画する役割を持つようです 

★所在地;奈良市椿井町7
★交通;近鉄奈良駅下車 徒歩10分
★駐車場;有りません
★問合せ;0742-23-2965

 市内で一番古く開校した椿井小学校の西側に有ります
 少し西に、伝香寺率川神社「子守明神」が有ります


 参考;古梅園のホームページレトロな建物を訪ねてのページ国指定文化財データベース

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大和清九郎の墓

2011年04月28日 | 古跡
 清九郎の屋敷跡近くに有ります 撮影日;2011.04.10

 鉾立集落にある大和清九郎の菩提寺「光蓮寺」から細い山道を行った所
 鉾立峰に有ります 
 
 清九郎については、その人柄をさまざまな逸話が伝えています
 その生き方を評して、後の人は彼を「妙好人(特に信心が厚く徳の高い人のこと)」と呼ぶようになりました

 延宝6年(1678)、谷田村に生まれ、幼少のころ両親とともに丹生谷村に移転、ここで生長した
 「せいくろう」と仮名で書かれたものでも読めない無学文盲であったが、孝心深く母によく仕えた
 清九郎の親孝行が高取藩主の耳に入り、ほうびに米5俵を与えられるが、「子が親に仕えるのはあたりまえ」と言って辞退する
 その志にうたれた藩主は再び清九郎を呼び、領内の山の木や柴を自由に刈り取ってよいという特権を与えた
 清九郎に対する賞賛は真宗、心学の立場から高く評価され、色々な出版物が出された
 清九郎は、山を下って吉野川を渡り、下市の油屋さんに奉公へ出かけ、夕方鉾立へ行き母の面倒をみて、夜更けに奉公先へ戻り、冷たいご飯を食べる、という生活をくりかえしていました
 23歳のとき父を失い、母のことも考えて奉公をやめ、きこりとなったようです
 隣村から養子の久六をむかえた後は丹生谷に隠居し、寛延3年(1750年)の旧8月4日、72歳でこの世を去りました


★所在地;高市郡高取町丹生谷奥山
★交通;国道309号線から県道222号線より鉾立へ「光蓮寺」より 徒歩15分
★駐車場;鉾立集落にスペースあり
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-52-3334(高取町役場)

 北西2kmの所にも清九郎の菩提寺「因光寺」が有ります


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喜多家住宅

2011年04月27日 | 文化財
 昭和初期の建築で、良質な造作の和洋折衷住宅です 撮影日;2011.04.09 

 主屋は大正14年(1925)頃の建築です
 東大寺の西方に建つ木造2階建で、2階に大仏殿を望むサンルームがあります
 屋根は切妻と半切妻を組合せ、フランス瓦、スレート、銅板と葺材で変化をつけています
 外壁は下見板形鉄板張となっています

 蔵は、主屋の北面西寄りに接続する土蔵造2階建です
 伝統的な形態に近代的な材料を用いた蔵です
 桁行2間半、梁間2間規模の東西棟で、切妻造の置屋根をフランス瓦葺としています
 基礎はモルタル洗出し仕上げです
 南面の戸口は双折鉄扉を吊り込み、2階窓は両開鉄扉となっています

 喜多家住宅離れ
 離れは、主屋の北面東端から北に延びる渡廊下に接続する木造平屋建(昭和初期)の東西棟です
 切妻屋根をスレート葺とし、南面に鉄板葺庇をつけて縁としています
 数寄屋風座敷6畳には出窓風の書院を設け、次の間6畳と板間を介して8畳間が並んでいます
 旧奈良食品工学研究所です:やまと建築詩のページ

 平成19年に登録有形文化財に指定されています

★所在地;奈良市芝辻町543-1
★交通;近鉄奈良駅より バスで今小路下車 徒歩1分
★駐車場;有ります(無料)
★入場料;外観のみ見学可
★問合せ;0742-22-2215(喫茶室「工場跡事務室」)

 離れの西側にある元研究室と元事務室は現在喫茶室として営業しています
 アトリエネイティブ ワークスも週末にオープンしています
 大仏池の西側に有ります


 参考;レトロな建物を訪ねて国指定文化財データベース

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フジ山古墳

2011年04月26日 | 古墳
 フジ山全体が旧石器時代の遺跡です 撮影日;2011.04.02

 フジ山の西側頂部に有り、直径40m・高さ4mの大型円墳とされます
 以前は、フジ山全体が大きな前方後円古墳だと思われていたようです

 墳丘頂部は盗掘により大きな穴が開いており、埋葬施設は失われています
 立地や葺石の存在から古墳時代前期~中期の築造と考えられています

 大和川を見下ろす位置にあり、大和川水運を掌握した人物の奥津城と考えられています

 フジ山は、大和川に佐味田川が合流する地点の東側ある独立丘陵です
 昭和63年、東側の頂部でおよそ1万年前(後期旧石器時代)のナイフ形石器が採取されています
 二上山付近で産出されるサヌカイトを石材とし、縦長剥片を素材として作られ河合町周辺では珍しい石器です

 伝承として、フジ山周辺地域では、「法隆寺」が災難に見舞われたとき、この古墳を掘りだせば再興できるだけの価値のある金の瓦が3枚埋められていると伝えられていました

 潜水橋の向こう側にフジ山が見えます

★所在地;北葛城郡河合町泉台一丁目
★交通;近鉄佐味田川駅下車 徒歩10分
★駐車場;なし
★入場料;外観のみ見学可
★問合せ;0745-57-0200(河合町役場)


 参考;(PDF)河合町北西部の文化財案内

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河瀬家住宅

2011年04月25日 | 文化財
 奈良奉行所の同心などが住んだ武家屋敷です 撮影日;2011.04.09

主屋は安政3年(1856)の建築
 南面して建つ東西棟で切妻造、一部2階建の住宅です

 旧武家住宅で、東半の土間と床上部は古いですが、西半の座敷や茶室、南面の切妻造の応接室は増築により建てられたものです
 伝統的な外観ながら、一部は数寄屋風の意匠も取り入れられ、増築部には古建築の部材を巧みに織り混ぜて建築されています

 増築部の座敷の床柱は転害門の地垂木を再利用しています
 昭和17年の改修で組み込まれたそうです

土蔵:江戸後期・昭和17年曳家
 1辺約4mの方形平面の土蔵造2階建です
 屋根は東西棟の切妻造、南に蔵前の庇、東面と北面に矩折れの庇を廻す
 蔵正面の外壁には漆喰塗が良好に残っています
表門:江戸後期・昭和17年頃
 もと東大寺の子院「薬師院」の門を移築したものです
土塀:江戸後期、桟瓦の小屋根を付けた土塀です
 主屋南面の東西に延び、西端から北に向かって折れ曲がり、土蔵西面を区切っています 
南土塀:昭和17年頃
 表門の東側にあって南北に延びる土塀と、同西側にあって枡形状に囲む土塀です
河瀬家住宅表門と土塀 河瀬家住宅主屋
 平成18年に国の登録有形文化財に指定されています 

★所在地;奈良市多門町29-2
★交通;近鉄奈良駅より バスで手貝町下車 徒歩5分
★駐車場;有りません
★入場料★休館日;★開館時間;現在もお住まいです
★問合せ;0742-34-5369(奈良市役所 教育総務部)

 聖武天皇陵が北西側に有ります


 参考;国指定文化財データベース

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佐保会館

2011年04月23日 | 文化財
 昭和初期の木造近代建築です 撮影日;2011.04.09

 建築は皇太子殿下(昭和天皇)の御成婚記念事業として大正13年に企画されました
 建設は昭和3年、設計は吉野出身の建築家・岩崎平太郎氏です

 奈良女子高等師範学校・奈良女子大学の同窓会である佐保会が所有する同窓会館です
 今日まで、佐保会運営の本拠地としての機能を果たしてきています

 平成17年に、国の登録有形文化財に認定されています 
 『この建物は和室と洋室を備え、内部は巧みな平面計画と落ち着いた意匠でまとめられており、外観を和風とする昭和初期の木造近代建築として重要である』と評価されました

 桁行13間・梁間6間の入母屋造・木造2階建で正面に車寄を設けています
 階段手すりの擬宝珠(ぎぼし)、広間の格天井、窓枠のデザインなどに特徴があります

佐保会館正面玄関 佐保会案内板

★所在地;奈良市北魚屋西町(奈良女子大学の構内北端)
★交通;近鉄奈良駅下車 徒歩10分
★入場料;見学等はお問合せください
★問合せ;0742‐23‐3805(社団法人佐保会)


 参考;佐保会のページレトロな建物を訪ねてのページ

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多聞地蔵

2011年04月22日 | 石造物
 信貴山朝護孫子寺参拝者の交通祈願のお地蔵様です 撮影日;2011.04.02

 花崗岩に半肉彫りされ、弘化3年(1846)の銘があります
 とても保存状態の良い石仏で、板根地区の信仰も厚くだいじに祀られています

多聞地蔵 多聞地蔵説明板

 《多聞地蔵尊和賛》
 幾百年の歳月を 雨ふる夜も風の夜も みちゆく人々御守護成し 受けしすくいは数しれず 皆その徳をしたいつつ 朝夕御香のたゆるなし げにありがたや地蔵尊  げにありがたや地蔵尊

多聞橋 旧多聞橋石材

 地蔵尊近くに架かる多聞橋は、木橋・石橋・コンクリート潜水橋・そして現在の鋼製の永久橋と変遷しています
 堂前におかれている細長い石材は当時の石橋の一部で、その頃の面影を残す貴重な資料だそうです

★所在地;生駒郡三郷町立野北1
★交通;近鉄「信貴山下」駅下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;

 龍田大社へは徒歩10分ほどです


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石光山古墳群

2011年04月21日 | 古墳
 山中所狭しと約100基の古墳が密集しています 撮影日;2011.03.26

 標高124mの住宅地に取り残された小山です
 山の西半分が宅地開発によって削平されています
 東半分が残されており、その東端には古墳群に囲まれて長さ3~4mほどの巨石群が固まっています
 この巨石群と古墳群がどのような関係にあるのかは不明です
 地元では、この岩に触ると火が出るといわれ、小祠をまつっています 

石光山古墳巨石 石光山古墳小祠

 大部分が径12mほどの円墳ですが、一部前方後円墳や方墳が有ります
 発掘調査された52基の古墳は5世紀末から7世紀の良好な葬送・追葬状態を保つ資料として有名です

 この小山からは葛城山や金剛山はもちろん、大和三山も一望できます

石光山古墳の墳丘 石光山古墳石室風切石
 
 橿原考古学研究所附属博物館の敷地に、昭和49年に調査された円墳の石棺が置かれています

★所在地;御所市元町
★交通;近鉄忍海駅下車 徒歩10分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-24-1185(橿原考古学研究所附属博物館)

 東側の元町改良住宅第1集会所横から山に入れます


 参考;岩石祭祀学提唱地のページ

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北畠親房墓

2011年04月20日 | 碑・塚
 玉垣に囲まれた円墳の上に五輪塔が立っています 撮影日;2011.03.26

 墓がある地は五條高等学校の賀名生分校がかつてあったところです
 昔は賀名生皇居があったそうです 
 
 北畠親房は、後醍醐天皇・後村上天皇の2代にわたり南朝の中心として活躍した公家です
 神皇正統記を執筆したことでも知られています
 正平9年・文和3年(1354)、賀名生の地で死去したとされます

北畠親房墓 二百十人塚
 親房墓の横に《二百十人塚》が有ります

 延元~正平の頃(14世紀中頃)、宇智・吉野更に四条畷にまで敢然と起って戦い壮烈な最期をとげた郷土の忠臣二百十人の忠魂碑です
 延徳3年(1491)、西俊・珍阿の両名が本願となりこの石塔を建て供養したと伝わります
 古くからから「二百十人塚」と呼ばれ、語り伝えられています

★所在地;五條市西吉野町神野
★交通;JR五条駅より バスで「賀名生和田北口」下車 徒歩5分
★駐車場;有ります
★入場料;見学自由
★問合せ;0747-22-4001(五條市商工観光課)

 賀名生皇居跡賀名生の里歴史民俗資料館賀名生梅林が近くです

 室生寺にも、親房卿の墓所があります(伊勢国太平記/室生寺/女人高野/北畠親房墓所


 参考;人物-北畠親房大隅和雄「北畠親房と『神皇正統記』」

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