奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

保昌塚古墳

2011年10月26日 | 古墳
 道路脇にある見事なお椀型の古墳です 撮影日;2011.10.23

 墳丘のすぐ北側を内山永久寺の参道が通っており、削平を受けている可能性があります
 現状は径約16.8mの円墳です

 天理大学の測量調査で、墳丘の復元規模は径約36.5mと計測されました
 また、東側で畦が湾曲する状況から周濠の存在も考えられ、レーダー探査からは、墳丘径約25mと復元できるそうです
 ただし、周濠の有無は不明だそうです

★所在地;天理市杣之内町森
★交通;JR・近鉄天理駅より バスで石上神宮前下車 徒歩8分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;

 少し北に、立派な石室がある峯塚古墳が有ります
 南側の集落内には都祁山口神社があります



東・西天井山古墳・須川山古墳

2011年10月25日 | 古墳
 東側から派生する丘陵を利用して作られています 撮影日;2011.10.23

 未調査の為、詳細不明です

西天井山古墳
 西天井山古墳(11B-25)は径約25mの円墳です
 円筒埴輪の出土が確認されています

東天井山古墳
 東天井山古墳(11B-24)も径約25mの円墳です
 西天井山古墳と並んで作られています

須川山古墳
 須川山古墳(11B-23)は径約20mの円墳です
 東・西天井山古墳の少し南西にあります
 現在は柿畑になっています
 円筒埴輪の出土が確認されています

須川1号墳 須川1号墳(11B-281)
 須川山古墳の道路を挟んで南側に小型の前方後円墳が有ります
 全長37.5m、後円部径23.5m、前方部幅10.5m
 木棺直葬墳のようです
 遺物として、埴輪・玉類・鉄斧・須恵・土師・滑石製紡錘車等が出土しています 

★所在地;天理市杣之内町天井山嶮岨・須川
★交通;JR・近鉄天理駅より バスで天理大学前下車 徒歩15分
★駐車場;なし
★入場料;私有地の為立ち入り不可
★問合せ;



石ケ平古墳

2011年10月16日 | 古墳
 墳形は改変されています 撮影日;2011.10.02

 一辺約33mの方墳です(目視では20mほど)
 発掘により、空濠が確認されています

 出土遺物は報告されていないようです
 4~5世紀の築造だと思われます

 護国神社の東方すぐの所に有り、古市方形墳と同規模です 

★所在地;奈良市鹿野園町石ヶ平
★交通;JR・近鉄奈良駅より バスで護国神社前下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★入場料;私有地です
★問合せ;


弘文院地蔵石仏

2011年10月13日 | 石造物
 奈良市指定文化財です 撮影日;2011.10.02

 鎌倉時代の代表的な石仏のひとつとして、平成2年に奈良市の文化財に指定されています
 花崗岩製で、像高167cmの石造地蔵菩薩立像です

 この像は、左手に宝珠をもち、右手に錫杖をもたない古式の姿の地蔵を厚肉に刻んでいます
 光背に『文永二乙丑八月日』の刻銘があり、文永2年(1265)の作と分かります

石造地蔵菩薩立像 石造地蔵菩薩立像説明版

★所在地;奈良市四条大路五丁目
★交通;近鉄尼ヶ辻駅下車 徒歩5分
★駐車場;有ります
★入場料;参拝自由
★問合せ;0742-34-1111(奈良市教育委員会)

 少し西に伏見の崗「興福院別院」の阿弥陀堂があります


出屋敷地蔵尊

2011年10月12日 | 石造物
 堂前の燈明台には「圓輪明幸地蔵尊」と刻まれています 撮影日;2011.10.02

 建武の頃(1334~36)、安産祈願のために祀られたお地蔵様だそうです

 この場所には大将軍神社が祀られていました

 ≪由来記≫転記
 つらつら歴史をおもんみるに当地蔵尊は世に四体地蔵と称へられて今より約六百年前 後醍醐天皇建武の頃ほひ やんごと無き方の御安産を祈願あるために唐人某に命じて作らしめ長く彼処の所に安置されありて折から南北朝の戦始り後醍醐帝大和遷都の砌随伴者によりて当地迄移され何れは戦雲鎮りて後は再び畏き所に奉安さるべきを郷人の帰依篤きと霊験灼然なる上に鑑み其儘郷人の望みに任せて当地に奉安さるるに至れり。昔より郷人の身篭りたるもの参詣ひきも切らず近郷に於て子安の地蔵尊として其名高し。毎年夏の候郷人相集ひ昔を偲びて盛大なる祭典を挙げける例なり。

出屋敷地蔵尊 出屋敷地蔵尊由来記

★所在地;奈良市四条大路三丁目
★交通;近鉄奈良駅より バスで三条大路二丁目下車 徒歩1分
★駐車場;契約者のみ
★入場料;参拝自由
★問合せ;


きこく地蔵尊

2011年10月11日 | 石造物
 行基菩薩が道しるべとして祀ったお地蔵様です 撮影日;2011.10.02

 奈良時代に、矢田寺参りの分岐点の道しるべとして創設されたそうです
 周囲に、外部からの災いを防ぐために枳殻(からたち)が植えられたことから、枳殻(きこく)地蔵と呼ばれ親しまれるようになりました
 戦時中には「きこく」と「帰国」をかけてお参りに来る人がいたということです

 昭和9年、佐保川の大改修工事が行われた際、竹薮から多数のお地蔵さんが出土しました
 そのお地蔵さんをまとめて祀り、地蔵堂が建立されたそうです
 最近の河川敷改良により新しくなっています

きこく地蔵 きこく地蔵由来記
 大和川の流れを羅城門付近で佐保川につないで、人や物資を利用してた時の船着場があったところです
 近くには中街道も通っていて交通の要所だったといわれています

★所在地;大和郡山市高田町
★交通;JR郡山駅下車 徒歩*分
★駐車場;なし
★入場料;参拝自由
★問合せ;

 羅城門橋から南2本目の郡界橋の西のたもとに有ります


栗原寺跡(明日香)

2011年10月05日 | 古跡
 日本で初めて「火葬」が行われた所といわれます 撮影日;2011.09.24

 栗原寺は竹林寺とも称していたようです
 阿知使主の子孫坂上駒子が崇峻4年(592)に創建したと伝えられます

 寺跡は明確で有りませんが、呉津彦神社の東北方の俗称「光徳寺跡」付近と考えられています
 (墓地が有ります)
 白鳳期の古瓦や礎石が出土しています(7世紀後半の建立か?)
 西大門・中門・金堂・講堂を一直線に並べる西向きの伽藍配置であったと考えられているようです

 文武4年(700)、法相宗の祖である道昭 (629~700)という僧が、火葬によってその死を見送られた
 その地は、明日香村栗原であったと伝えられています
 道昭は、遣唐使として海を渡り(653年)、玄奘三蔵に師事した後、飛鳥寺に東南禅院を建てたと伝わります
 行基の師でもあるそうです
 宇治川にかかる宇治橋は道昭の建立と伝わります


 現竹林寺に栗原寺の礎石が残っています
  
栗原寺跡説明版 墓地に置かれる礎石?

★所在地;高市郡明日香村栗原
★交通;近鉄飛鳥駅下車 徒歩20分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-54-5600(明日香村役場文化財課)


打上古墳(細川谷古墳群)

2011年10月04日 | 古墳
 細川谷古墳群の中で、もっとも大きな石室を有する古墳です 撮影日;2011.09.24

 封土は失われていますが、墳丘は直径20m程度の円墳だとされています

 南向きの斜面に南に開口する両袖式の横穴式石室
 側壁・奥壁共に二段積みの構造で、天井石は三枚で構成されています
 玄室長は4.84m、幅2.66m、高さ2.33m
 羨道は崩壊しています、現存長3.4m(先端部欠損)
 築造年代は6世紀末~7世紀初

 細川谷の谷筋には、南斜面を中心に200基に及ぶ古墳があります
 古墳時代の後期に属する小円墳が中心となる古墳群です
 大きな石材があちこちに露出しています

打上古墳石室内 細川谷古墳群石材? 

★所在地;高市郡明日香村細川 
★交通;近鉄岡寺駅より バスで石舞台下車 金かめバス乗換え「細川」下車 徒歩10分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-54-5600(明日香村役場文化財課)


上居の立石

2011年10月03日 | 名所
 明日香村にはたくさんの立石が有ります 撮影日;2011.09.24

 上居(じょうご)地区への分かれ道際にある立石は、特別な形ではなく模様もない自然石です
 高さ1.9m、幅1.7m、奥行きは下が厚く1m、上が30cmほど
 飛鳥東域の結界石と言う説もありますが、定かではありません

 天武天皇の宮は浄御原宮(きよみがはらのみや)と呼ばれました
 宮跡が浄御(じょうご)と呼ばれ、いつしか上居に転訛したとする説があります
 また、集落に聖徳太子ゆかりの寺とも言われる「上宮寺」(じょうぐうじ)が有ります


 立石は各寺の結界石とか宮の領域を示す石とも言われています
 大字岡・豊浦・小原・立部などにも残っています

★所在地;高市郡明日香村上居
★交通;近鉄岡寺駅より バスで石舞台下車 徒歩10分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;



秋篠寺東塔跡

2011年10月02日 | 古跡
秋篠寺東塔礎石
 南門を入った左右の林中に東西両塔跡が残っています 撮影日;2011.09.18

 ≪東塔跡≫
 心礎の大きさは1.77m×0.98mで、長径102m×短径0.98mの楕円形柱座(高さ6cm)を造り出し、径18cm×7.6cmの出枘を持つ
 心礎以外に一回小さい心礎と同型の四天柱礎2箇と側柱礎5箇が残っています

 塔の一辺は4.55mだったようです

 ≪西塔跡≫
 土壇らしき場所はありますがはっきりしません
 (下記の記録がありますが、不明です)
 西塔跡は畑地となり不明であるが、本堂から東塔跡に行く道端に石佛が祀られ、その南に西塔心礎が移され現存する
 東塔心礎と同形
 大きさは1.8m×1.0m、径100cm×6cmの柱座を造り出し、径18cm高さ8cmの出枘を有する

 秋篠寺は、宝亀11年(780)光仁天皇の本願によって、奈良朝最後の官寺として創建されました
 保延元年(1135)に講堂を残して伽藍は焼失しています

 残った講堂は金堂としてよみがえり、現在国宝に指定されています
 金堂跡は、見事な苔のジュータンとなっています

金堂跡 東塔基壇
★所在地;奈良市秋篠町757秋篠寺
★交通;近鉄大和西大寺駅下車 徒歩15分
★駐車場;有ります(無料)
★入場料;見学可
★問合せ;