奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

北王塚古墳「伝橘諸兄公墓」

2015年07月14日 | 古墳
伝橘諸兄公墓
 墳丘上に橘諸兄公旧蹟の大きな石碑がと供養塔が立てられています 撮影日;2015.07.02

 周囲は竹林に開墾されていて、古墳は原形を留めていません
 規模や墳形も不明です

 昭和49年に調査され、発見された埴輪から6世紀初期の築造と推定されています
 埋葬施設も不明です

 字名から南開古墳とも呼ばれる?ようです
 墳頂は平になっていて、井堤保勝会の「井手左大臣橘諸兄公墳の碑」が立てられています

伝橘諸兄公墓碑 北王塚 北王塚古墳 

 この付近には、6世紀から7世紀初期(飛鳥時代から奈良時代にかけて)の古墳群が多く在ったようです
 近代以降、孟宗竹の栽培が盛んになり、墳墓は破壊され、遺構の確認はできなくなっています


 橘諸兄公由緒 =現地の石碑より=
 公は天武13年(684)生。父・美努王、母・県犬養三千代、敏達天皇五世の孫、光明皇后の異父兄である。 本の名は葛城王、のち母の氏を賜って橘諸兄、井手に住して井手左大臣と号す。
 天平10年(738)より右大臣、同15年(743)左大臣となり、天平勝宝8年(756)致仕するまで奈良時代の全盛期を首班として生きた大官である。
 この間に聖武天皇の相楽別業(諸兄の井手にあった別荘)・玉井頓宮への行幸・恭仁京遷都・大仏建立・開眼供養などがあった。
 また、この地には別業のほか、井堤寺を建立。
 清涼な玉川を愛し山吹を植え続けたので、多くの文学に見える「名所井手の里」を生み出した。
 聖武上皇崩御翌年の天平勝宝9年(757)正月6日薨す。齢74。


井手火山灰層 井手火山灰層前 

 井墳墓の近くに井手火山灰層という地層が崖地に露呈しています
 150万年前(新生代、第四紀、更新世)、長野で起きた大規模な火山噴火により降灰があり、それが堆積したものだそうです

★所在地;綴喜郡井手町井手南開
★交通;JR玉水駅より 徒歩20分
★駐車場;スペースあり
★見学;自由
★問合せ;


太鼓山古墳「伝安積親王墓」

2015年07月13日 | 
太鼓山古墳
 周りは見事な茶畑です 撮影日;2015.07.02

 太鼓山と呼ばれる小山の頂部に築かれています
 径8m・高さ1.5mほどの円墳

 円墳の周囲を瑞垣で囲っていますが、北側が不自然です
 岩が露出していて、造り出しあるいは短い前方部が有るように見えます
 古墳だとすると、5~6世紀頃の築造でしょうか?

太鼓山古墳石塊 伝安積親王墓背後

 安積親王の和束墓として宮内庁が管理しています
 この陵墓は、墓域面積が988平方m
 参道は92m有ります

 戦前までは、この陵墓の周辺は松林で、参道の両側には大きな老松がうっそうと茂っていたそうです
 戦後、茶業の振興のため老松は伐採され、太鼓山は美しい茶畑に変わりました

太鼓山古墳「伝安積親王墓」参道 伝安積親王墓

 安積親王は聖武天皇の第五皇子で、744年17歳で死去
 平城京・恭仁京と紫香楽宮とを結ぶ街道を愛した皇子のために、この地を陵墓として葬られたと伝わる

★所在地;相楽郡和束町白栖
★交通;JR加茂駅より バスで「和束山の家」下車 徒歩2分
★駐車場;近くの和束運動公園に有り
★見学;参拝自由 (お茶の収穫期注意)
★問合せ;


棚機神社古墳

2015年07月07日 | 古墳
棚機神社古墳
 「棚機の森」と呼ばれる所です 撮影日;2015.06.13

 古墳の詳細は不明ですが、古墳横に七夕神社が有ります
 「タナバタサン」と呼ばれる古い石の祠が祀られています

棚機神社古墳墳丘 棚機神社古墳露出石材

 古墳は径12~13mの円墳?(墳形は不明)

 墳頂に盗掘坑があり、天井石が露出しています
 横穴式石室が有ったようです


 50m東の場所で埋没古墳が発見されています
 (棚機神社東古墳と名付けられました・・・発掘後消滅)
 前方後円墳?・全長約25m・後円部径約15m、前方部幅約15m
 周溝も確認されています

 ほとんど破壊されていましたが、南東方向に開口する横穴式石室の痕跡が確認されました
 残存遺物として家形石棺破片、銅椀、金銅製帯金具、耳環ほか、須恵器、土師器片が出土しています

★所在地;葛城市太田(小字七夕)1371
★交通;近鉄磐城駅より バスで「太田」下車 徒歩15分
★駐車場;有りません
★見学;自由
★問合せ;

 南阪奈道路を挟んで、北東150mの所には平林古墳があります