石室の入り口にコンクリート製の覆い屋が設けられています 撮影日;2008.5.16
藤原京の朱雀大路の南延長線上に築かれた古墳です
五条野古墳群の東端に造られています
昭和2年に国の史跡に指定されています
2011年の発掘調査で、墳丘東辺の基底石とその外壕が出土
一辺30.6mの二段築製の方墳と確認されました
墳丘の南側は後世の耕作で破壊されています
壕(底面幅4.3m以上・残存の深さ1.4m)には、底に砂利が敷かれていました
壕から出土した土器の年代から、築造時期は7世紀中頃と推定されています
石室は両袖式の横穴式石室で、羨道部の大半が埋った状態のため全長は不明です
現状では、玄室7.3m・幅2.6m・高さ2.6mあります
中には凝灰岩の刳抜式家型石室が2個並んでいて、合葬墳として造られたと考えられています
被葬者は不明ですが、蘇我倉山田石川麻呂の墳墓とする説が有ります
★所在地;橿原市菖蒲町4-42
★交通;近鉄岡寺駅より 徒歩15分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-22-4001(橿原市教育委員会)
甘樫丘から南西に延びる丘陵の南端に位置します
2011.09.04編集
藤原京の朱雀大路の南延長線上に築かれた古墳です
五条野古墳群の東端に造られています
昭和2年に国の史跡に指定されています
2011年の発掘調査で、墳丘東辺の基底石とその外壕が出土
一辺30.6mの二段築製の方墳と確認されました
墳丘の南側は後世の耕作で破壊されています
壕(底面幅4.3m以上・残存の深さ1.4m)には、底に砂利が敷かれていました
壕から出土した土器の年代から、築造時期は7世紀中頃と推定されています
石室は両袖式の横穴式石室で、羨道部の大半が埋った状態のため全長は不明です
現状では、玄室7.3m・幅2.6m・高さ2.6mあります
中には凝灰岩の刳抜式家型石室が2個並んでいて、合葬墳として造られたと考えられています
被葬者は不明ですが、蘇我倉山田石川麻呂の墳墓とする説が有ります
★所在地;橿原市菖蒲町4-42
★交通;近鉄岡寺駅より 徒歩15分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-22-4001(橿原市教育委員会)
甘樫丘から南西に延びる丘陵の南端に位置します
2011.09.04編集