まったり無職の親父のブログ

脳出血を経験してスピリチャルに目覚めたオッさんのブログ

初めてのエレキギター

2015年05月31日 11時15分35秒 | わが半生
初めて買ったエレキギターがテスコというブランドのテレキャスターモデルでした。確か20000円少しで買ったと記憶しています。友達についてきてもらい京橋のダイエーの中にあるレコードと楽器を売っている店でした。なぜ?わざわざ京橋か?それは友達が『京橋まで行ったら、書いてる値札から2割引いてくれるねん!アニキの知り合いがいてるから!(^^)』その言葉で、わざわざ京橋まで行ったのです。店に着くと沢山のギターが陳列されていてフォークギターには目もくれずエレキギターばかり見ていると奥のショーケースを見ていた友達が『おーい!こっち!こっち来てみ!』そこにはギブソンやフェンダーに生ギターでマーチンなどが陳列されていましたが、とにかく値段が高い高い!(O_O)当時、メイドインUSAなどの輸入品は(O_O)ギターに限らず何でも高かったんです。なんせ1ドル360円の時代でしたから今のように、ヴィトンやシャネル、時計ならロレックスなど高嶺の花(^^)だからギターも輸入品は高いのは当たり前。ギブソンのレスポールカスタムで30万円前後から、フェンダーのストラトキャスターは20万円前後から(O_O)マーチンのD45モデルなんか75万円(O_O)当時、中学生の私達には到底、買えるものでなく、親に頼もうもんなら一喝されるだけ(O_O)その前にギターを弾ける腕前と。まずは相談しなければ(^^;;初心者向けで探していると『ちょっと弾かせてもらったら?』友達が言うのですが、やっとコードが弾けるようななった私です。お店で試し弾きなど恥ずかしくて出来ません。すると『お前、まだ弾かれへんのやったら、オレが代わりに弾いてええか?』勿論、承諾しました。まずはギブソンのレスポールモデル、確か3万円くらいの品物からはじめ、フェンダーのモデルへと友達が弾き終わると『やっぱり、レスポールかストラトキャスターが無難と思うで!今日、ナンボ持ってきた?』友達に聞かれた私は『2万ちょつと』『2万かぁ。ほな、あれくらいやな(^^;;』友達が指指した先はナチュラルカラーのテレキャスターでした。『テレキャスはコード刻んだら結構、ええ感じやと思う。でもディープパープルとかレッドツエッペリンとかの音にはイメージ遠いなぁ。でも予算もあるし、もう少し出すことは無理なん?』貯金通帳には、レスポールモデルを買えるほどの金額はありましたが私は衣類も小遣いも自分で賄わないといけないので『うん、ちょっと無理やねん』となり、結果25000円のテレキャスターを2割引にしてもらい、ビニールケースとフェンダーの弦ワンセットにピックを1枚、オマケしてもらい購入しました。帰りの京阪電車の中では友達と2人、大いにもりあがりましたが『お前、アンプとか買うんやろ?エレキはアンプに通さないと音、出えへんで(・・;)』たしかに、その通り。結構なお金がかかるなぁと思いながら『うん、いづれ買うつもりやで』香里園まで車内では気持ちはハイテンションでしたが、その日の夜、大変なことになることも知らず私は、はしゃいでいたのです。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

天寿・・

2015年05月30日 09時30分14秒 | 日記
私は脳の右側の視床出血をおこし幸いにも一命が助かりました。でも?もし死んでしまっていたら・・まだ若い頃・・ただ何となくですが寿命って刑務所の拘留期間に似ているなぁ・・と。表現は良くありませんが・・憎まれっ子世にはばかる・・とか良い人って短命・・とか美人薄命とか・・この世に生まれ出てくる前に、あの世で幾つかの課題設定して、その課題達成期間が寿命なのかなぁ・・って、ただ何となく思っていた頃がありましたが年齢とともに仕事も忙しくなり、そんな事も考えることがなくなって・・でも今では充分に時間のゆとりが出てきました・・また、思い始めたんです。死は本当に不幸なのか??この世の修行を終えて、あの世に戻れる・・。やるべき課題・・松下幸之助さんは長生きしました・・経営者として、あれだけの巨大企業に育て上げるには、もしかしたら最速で達成してから逝かれたのではないでしょうか??反対に、この世で悪行の限りを尽くし短命の方は、神様から強制的に一旦、地獄という世界へ収容されたのかなぁ・・本当に長生きが幸せか、どうかは個人個人に思いの違いがあると思います。。先日、俳優の今井雅之さんや漫才師の今いくよさんが逝去されました。お二方とも人生を勢いよく突っ走ったことと思います。TVや舞台以外での素顔は存じ上げませんが芸能という世界でTVや舞台を通じ世間に対し夢や笑い・・時に癒しを与え続けた人たちと思います。ともに、まだまだ若く、この世を旅立たれたこと。ご冥福をお祈り申し上げます。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ハードロックに衝撃

2015年05月29日 10時19分37秒 | わが半生
フォークギターを独学?で始めたものの音叉の使い方すら分からず弦の音合わせも出来なかったのが何とかスリーコードくらいは理解し、何を思ったのかラジオオーディションにも応募するとは(#^.^#)暫く、井上陽水や吉田拓郎を友達の家で聴くくらいで、正直、【物足りなさ】を感じていたのです。当時のフォークソングは、とにかく暗い(O_O)曲が多く、かぐや姫の神田川とか赤ちょうちんなんか聴いていてブルーになるばかり。赤ちょうちんの詩には『月に一度の贅沢が、おでん』でっせ!神田川は赤い手拭いがマフラーでっせ!井上陽水の傘がないって曲、曲の題からビンボー(・・;)なんぼ昭和40年代でも傘くらいあるわい!詩の始まりが『都会では自殺すり若者が増えてる』でっせ!吉田拓郎はそんな中でも、まだ明るい曲が多かったので、まぁいいんですが、フォークソングのレコードまでは、、どうも買う気持ちにはなれなかったんです。そんな、ある日、ヤンタンオーディションに一緒に行った友人の家でのこと。『これ!これやで!』満面の笑みで、取り出したレコードジャケットを取り出しながら『もうフォークの時代とちゃうで!このグループな、ディープパープルって言うんやけどいっぺん、聴いてみるか?』そのアルバムタイトルは【マシンヘッド】友人がレコードに針を落とすと?ディストーションの効いた胸の奥にビンビン響くギターのリフが印象的。特にインパクトのあった曲がスモークオンザウォーターとハイウエイスターでした。もう頭のテッペンまで来ましたね(#^.^#)『ええやろ?アニキからレコード借りてきてん、次はコレ、行こか?』そして次に聴いたのがエリッククラプトンが居た【クリーム】というグループ。サンシャインオブユアラブとなホワイトルーム、仕上げに聴いたのがジェフベックでした。エレキギターの音に衝撃を受けました。じゃーん!!友人が大きな声で隣りの部屋から持ってきたのが、なんとエレキギターでした。『エレキ!これレスポールモデル』レッドサンバーストカラーのエレキギターが眩しくわたしには見えました(O_O)友人曰く、アニキが使っていたエレキギターを譲ってもらったとのこと。この時ほどアニキとか姉貴とか居る人が羨ましく思ったことはありません。『でもアンプあらへんから音は出ぇへんけどな(・・;)』でも、もうすぐテスコの安いアンプなら貸してもらえるらしく友人はニコニコ状態。そのレスポールもアニキが買ったときは50,000円ほどしたらしく中学生の私達には、とても高価なものでした。当然?私もエレキギターが欲しい気持にかられ自宅に戻って大阪銀行の貯金通帳を見ると(O_O)残高25000円ほどありました。私が働いたお金です、親には言うこともなく買うことを決めました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

いざ!オーディション

2015年05月28日 10時08分43秒 | わが半生
毎日放送に到着すると大勢のオーディション参加の人で賑わっていました。たいていは私たちより年齢も高く持っている楽器を見てもいいものばかり・・国産でも ヤマキとかスズキ・・私たちが持っているギターとは大違い。まずはヘッドを見て(お!ギブソンかぁ!)とか・・局内の廊下や階段で最終の練習で仕上げをしている人たちが殆どです。友人はヤマハのハードケースからギターを出すのですが・・ビニールケースでギターを持ち歩いている人は周囲を見ても誰もおらず・・私ぐらいなものでした。(は・・恥ずかしい!)ビニールケースだと見栄えだけでなく、時々、どこかに当たるたびに中のギターが気になるもんです。たとえ12000円のギターであっても新聞配達で稼いだお金で買ったものですからね。私たち3人も廊下の空きスペースで練習を行いました・・周囲の人たちの練習風景・・そして聞こえてくる歌とギターの音・・(う・・うまい!!)到底、中学生が太刀打ちできる相手ではありません。そんな私に気づいた友人が『お前、本気でラジオに出るつもりでオーデション来たンか?そんなん無理に決まってるやろ。あんな、参加することに意義があるねん。度胸もつくやろ?ほんで自分の実力も見えるやん。それに・・それにやで・・』友人は少しニヤッとしながらギターを抱えるように前かがみになって『ヤンタンステッカーとボールペンが貰えるねん。どこも売ってへん。ステッカーをギターケースに貼るッ!!これや!!』友人の言うことに妙に納得しながらも練習し、いよいよ私たちの出番となったのです。オーディション場所はラジオが公開放送される会場。(ここで毎週土曜日に放送される場所なんや・・)当時、夜10時から放送され桂 三枝さん(現・桂 文枝)が司会をしてる場所です。会場の前方に少し低い舞台があり、マイクが用意されていました。舞台に立ち前方には数名の審査員が座っています。もう緊張だけしかありません。ギター初心者で、やっとFのコードで音が出せるようになった私です・・私がジャカジャカとストローク。友人がアルペジオとアドリブ・・『はい!じゃあ始めて下さい!!』審査員から声がかかりました。もう無心にギターを弾いて下手な歌で【結婚しようよ】を演奏しました。声は上ずる、コードは何とか弾けたものの私が走ってしまいテンポも狂ったり・・もう無茶苦茶でおまΣ(゜Д゜)ほんの数分ですが、とっても長く感じて、やっと終わったあとホッとする間もなく私たちは審査員に呼ばれました。『君ら・・無謀な参加やな。度胸は認めたるワ。今度、来るとき・・もうチョット腕、磨いておいでや♪』笑顔で励まされつつも本当は、ようこんな腕と歌で来たな!出直して来いッ!!ってなもんでしょうね。会場を後にして参加の景品であるヤンタンステッカーとボールペンを貰い、まだ雨の降るなか千里丘駅へと向かったのでした。帰りの雨は、さらに冷たく、漸く春の季節がこようとする頃でしたが肌寒さは冬のように感じていました。40年以上も前の出来事ですが今では本当に良い想い出となっています。ヤンタンステッカーは、その後、購入したハードケースに貼ってクラスメイトに自慢してました。そんな私も、フォークギターから次はエレキギターに興味を持ったのですが、またまた事件が・・・
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

MBSヤングタウンの予選オーディション

2015年05月27日 09時53分24秒 | わが半生
ギターを購入してコードも覚え初めて弾けたのが吉田拓郎の【結婚しようよ】でした。Cから始まる単調なコード進行でしたが歌いながら弾けた嬉しさは今でも覚えています。そんなころ、一緒に私のギターを買うのに、つきあってくれた友人が、とんでもない事を言ったのです。『応募したから練習しよ』私は彼が何を言ってるのか理解するのに時間が、かかり茫然としていると?『ヤンタンのオーディションに応募した(^^)』やっとコードが弾けて喜んでいた矢先、いきなりで、とにかく驚くばかり、当時、ラジオ放送でヤンタン(ヤングタウン)は人気があり毎週土曜は公開放送していて素人が演奏するコーナーもあったのですが、まさか?『ヤンタンステッカーもらえるし(^^)』友人は軽い軽い気持ち(^^;;わたしは重くプレッシャー(・・;)『そんなん聞いてへんし他の奴、誘ったらええやん!!』でも友人は譲らず『何事も経験やん?』そこから練習を始めました。曲は吉田拓郎の結婚しようよ。しかありません。あと友人が、【あのねのね】というグループの【魚屋のオッサンの唄】をやるというのです。あのねのねは原田のぶろうさんと清水国明さんの2人です。オーディションへは私と友人2人の合計3人。あとの1人はギターが弾けないのでカウベルというパーカッション担当(・・;)何とも変な中学生3名(O_O)オーディションまで約半月の間、練習して練習して(^^;;そして、いよいよオーディション当日、当時は吹田の千里山にあった毎日放送へと向かったのです。忘れもしません、少し肌寒い春、雨がシトシト降っていました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加