脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

新聞配達をクビになって・・集金小僧に。

2015年05月14日 09時49分05秒 | わが半生
サンケイ新聞店舗をクビになった時、『自転車ほしいんやろ?どうするの?少しは貯金してるの?』母から言われた時、銀行には、まだまだ自転車を買えるほどは遠く及ばなかったのです。3か月ほどで、単純に計算すれば自転車は買えるほど稼いでいますが・・人間、お金を持つと他にも気がいきますし・・剣道部でも、そろそろ防具も必要な頃となって・・普通はクラブで使用するものくらい親が買ってくれて当然!と思うでしょ?我が家は違うんです。『新聞配達して稼いでいるなら自分で買え!!』父は『そうさせるんや!』母にも釘を刺したので、私は(なんでやねん!!)と思いながらも剣道着に袴、面や小手などの防具一式・・今でも覚えています。防具一式、当時で17800円、それに剣道着に袴・・殆ど残らないところです。さらに・・こんなこともありました。『小遣いはいらんやろ?お前、稼いでるんやし・・それと服とか自分のほしいもんんは、そこから買え!!』なんという親父なんや!俺、もらわれて来た子とちゃうやろか?真剣にそう思ったこともあります。当時、学校でマンシングやアーノルドパーマーというブランド靴下が流行っていたんです。靴下の丁度、くるぶしあたりに傘やペンギンのワンポイントが刺繍してあるのですが自分もほしくなってダイエーへ行くと・・なんと1足650円~900円もしてました。昭和40年代で靴下650円は中学生の私にとって大金でしたがクラスで、そこそこの人数が履いていたので、本当に清水の舞台から飛び降りた気分で1足 アーノルドパーマーの靴下を買ったのです。嬉しかったなぁ。でもサンケイ新聞をクビになった私は母から『どうするの?』と言われたとき・・どないしようΣ(゜Д゜)悩んでいるとき・・類は友を呼ぶ・・ではありませんが当時、何人か新聞配達している友人がいました。その子たちは母子家庭のため朝夕刊ともに配達してるのですが『俺ンとこ来るか?店の主任に頼んでみんで!』そこは毎日新聞です。友人と、ある日の夕方、毎日新聞に行くと既に夕刊の配達準備にとりかかっていた友人と主任さんが・・『キミか?悪いけど配達はまにおうてるんや。悪いな・・そやけど・・こいつの紹介やし付きに1度、集金してくれたら助かるんやけどな。1件、集金出来たら80円やるけど?どうや?』私は思いがけないバイトと思い『はい。やらせてください。』と頼んだのです。早速、当月の月末に初めて集金に・・学校のクラブを終えて夕飯を食べたあとですから午後8時頃から集金に出かけるのでした。場所は寝屋川警察の近所にある警察住宅です。この集金業務が私の将来の仕事と似ていて影響されることになるとは当時は全く思いもよりませんでした。
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