脳出血で無職になった親父のブログ

脳出血を経験してスピリチャルに目覚めたオッさんのブログ

昭和のヤンキー高校(^。^)その二

2017年09月11日 17時07分22秒 | 拒食症との戦い
昭和50年前後の大阪のヤンキー高校は大抵、私立高校でした(^。^)当時は今のように私立の共学は少なく大半が男子校か、女子校(^。^)
私が通学してた太成高校(現、太成学院高校)も男子校でした。男ばっかり!もうホンマに女子の居ない3年間はミンナ、オンナ!オンナー!と叫んでおりました。
当時のヤンキーは血の気の多い連中が沢山いましたね(^。^)
校内で喧嘩は日常茶飯事(^。^)特に食堂。
腹減ってますから。食べ盛りの10代。食堂でご飯を食べて窓口でパンやアイスを売ってくれるのですが、そこで喧嘩か多い(^。^)当然、並ばず我先へと群がり腕や手を自然とバシバシぶつけあってしまったりすると『おらぁ!!』と何処からともなく怒鳴り声(^。^)すると始まります。
私が駅で見かけたのは京橋駅で太成の生徒が他校の生徒に喧嘩を売られ殴られたのでした。
その時間帯は太成高校生徒が最も多く下校する時間帯。その殴られた生徒も頭はリーゼントでボンタン。茶髪。負けじと向かっていったその時、下校中の太成生徒が『コラァ〜、何処の学校に喧嘩売ってねん!』の叫んで他校の生徒をボコりました。同じ高校の生徒がやられると助けにいくとこは仲間意識があるのかな?

ある時、鴻池新田駅でチンビリみたいなにいちゃんを殴っていた生徒とか。

高校一年の時でしたか(^。^)
何人が殴り込みに行ってました。

廊下で短刀もって暴れてる奴
シンナー吸ってラリってる奴
もう呆れるばかり。
トイレでタバコを🚬大便のとこで扉🚪を閉めて吸ってるところを世界史の先生が天井に上がる煙を見て『おい、おい、ここで吸ったらアカンやろー!』と笑いながら注意するのはいいのですが勢い強く扉🚪を蹴ると?
扉🚪が壊れてしまったり(^。^)
もう、はちゃめちゃ(^。^)
こんな太成高校でしたが同級生に言わせれば
『うちの学校なんかおとなしい方やで。』と。

当時で恐れられた高校は?
浪商、興国、建国、大阪朝鮮かなぁ(^。^)
太成くらいのヤンキー度なら
大阪貿易学院、今や進学高校の開明。
大阪鉄道高校、今の大阪産業大学付属高校。
大商大付属とか、北陽とか?
浪商が一番でしたかね(^。^)
先輩いましたけど半端ない。先輩曰く
『俺らの世代は未だ大人しい方や。数年前なんかヤクザの養成学校みたいやったらしい。』と。
私は心の中で『いえいえ、今でも十分ですけど?』と思ってました。
公立だと、やはり工業高校が荒れてましたね。
今の工科高校(^。^)
太成の近くには城東工業、成城工業。

とにかく昭和のヤンキー高校は
はちゃめちゃ(^。^)でした。
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今、上司とステーキ食べてる(^○^)

2017年05月06日 09時55分50秒 | 拒食症との戦い
先月、長女からLINEが来た時のこと(^_^)
『今、お昼ご飯!ステーキランチナウ。』
え?
私は目を疑いました。
時々、長女とご飯は行きますが大抵、魚料理。
肉は絶対と言って食べなかったのに。
高校2年の時、拒食症になった長女。

私の前で白いご飯を食べられるようになったのは、ここ一年前くらいからです。
妻の前では絶対、白いご飯は食べようとしません。
ここに、長女なりの心の何か?があると思うのです。
妻は『私の前で白いご飯を食べないのは、ずっと見ていて欲しいからかなぁ。』
母親の愛情を感じたい?のかも。
で、でもステーキ??
私はLINEにあえて、ステーキのことは触れず
『上司の奢り?』と返すと
イエスのスタンプを返信してきました。

拒食症になって6年近く経った今、
初めて肉を食べることを報告してくれて長女。
私は嬉しい😃
本当に。
五年前の家族
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長女の拒食症を思い出す^_^

2017年04月24日 09時15分56秒 | 拒食症との戦い
今でも時々、妻と話し合います(´ー`)
長女は肉も米も今では食べています。

『あの頃、私らお姉ちゃんの心と向き合ってなかったね。』
昨夜は夫婦2人。次女は友達と台湾へ旅行中。
何度か長女が拒食症の頃を話しをしますし
近くのスーパーへ行くと
『グルグル、お姉ちゃんと売り場を回ったわぁ。食べる物が無いって、サラダ売り場に行ったり果物を見ては豆腐やコンニャク(´ー`)なん10分も売り場の同じ場所に行っては食べられへん!って絶対、お肉売り場にはいかない。』鉛筆のような足と手、顔には痩せすぎのほうれい線。息を切らせながらスーパーの売り場を心で泣きながら長女を見ていた妻。
『野菜のポトフを作ろうか?』と声をかけても無視する長女。
『辛かったぁ。』
子供の心と向き合ってなかった私達夫婦。
食べろ!食べろ!と急き立てると
ドンドン体重が減り体調を壊すと救急車。
学校に行くと途中
駅の階段を上ることすらできなくなり帰ってきた長女。
毎朝、妻は横で寝ている長女の寝息を確認。
『生きてる。』
生きてることに安心する。
そんな長女の拒食症。
ある日『この家にはウチの居場所はない!』と家を出て義母宅に居候したのです。

本当は私達夫婦が受け止めないといけないのに。
壮絶な義母と長女の闘い。
義母は全てを受け入れて長女の拒食症と闘ってくれました。

今では、普通の体型、ご飯も食べ仕事もして彼氏も出来て(´ー`)
義母の愛を。
私達は最後の最後まで闘うことをせずに(´ー`)
義母には感謝しかありません。

ようやく、私達夫婦の心の中から
心の拒食症からの呪縛から解放されそうです。
あれから5年
でも決して忘れることは出来ないことです。
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長女とランチ(^^)

2017年02月03日 15時00分06秒 | 拒食症との戦い
先日、長女と久しぶりに外食をしました(^^)
イオンモールにあるお魚の美味しいお店。
私はブリのタタキに天ぷら付きの定食。
長女はマグロのカマ焼き定食。

結構、美味しく、ご飯も上手に炊けてました。

小さな釜の中には白いご飯。
長女は少しだけ茶碗にご飯をよそいました。

黙って見ていると、一口ご飯をパクリ(^^)

何度か長女とご飯に行ってますが
軽くであれば白いご飯を食べるのです。
そして、いつも
『お父さん、あと残ったご飯、食べてくれる?』

五年前、拒食症になってご飯はもちろんサラダ
マンゴー、メロンなど以外には口にしなかった
長女が白いご飯を私の前で食べるようになったのは今の彼氏が出来てから。

でも妻の前では決して白いご飯は食べません。

まだ拒食症は治ってないのかなぁ。
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5年間の嵐が止んだのかな?

2017年01月15日 06時50分15秒 | 拒食症との戦い
妻が『もし?お姉ちゃんが拒食症になってなかったら?って時々、考えるねん。』長女は高校2年の時、摂食障害になり食べる事が出来なくなりました。その日を境に私達家族の5年間は色々な出来事が次から次へと。これでもか!これでもか!と試練が襲いかかってきたのです。『家族4人が、この家にいて一緒に御飯を食べてたんかなぁ。』今、我が家は夫婦2人。娘達は1人暮らしをしています。妻は寂しいのでしょう。ツラツラと妻は独り言のように言っている言葉を聞くと今年の元旦、義母の家に来ていた次女と同じような事を言ってることに気がついたのです。次女は次女で家族を感じていたい気持ちを強く持っていて『もし?お姉ちゃんが拒食症になってなかったら?どうなってたんかな?』長女も摂食障害を患いたくて患ったわけではありません。今となっては誰が悪いというわけでもありません。娘達は一人暮らししていますが、少しづつ家族になってきているのかな?という実感をしたのは次女が一人暮らしをしたことで『親の有り難み』を感じてることを言ってくれたのです。この5年間、嵐の中の難破船に乗った私達家族の航海は漸く嵐がおさまってきたのか?と思い始める今日この頃です。
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