まったり無職の親父のブログ

脳出血を経験してスピリチャルに目覚めたオッさんのブログ

1年あっというま♪人生の振り返り・・私の魂はホンマに未熟です。

2015年12月30日 10時30分28秒 | 日記
本年も、あと2日になりました。この1年は自宅にいながら、これまでの人生を振り返るには良い1年でした。56年の人生は反省と感謝でしかありません。これからも、反省と感謝の繰り返しなのでしょう。最近、特に思うのは人間、死んでも終わりでなく、あちらの世界へと生まれること。この世には、いろいろな価値観・思考・才能を持った人たちがいるから成長できる。人間関係の摩擦は魂を磨く一番の研磨剤なのかも知れません。最近、肉食を好まなくなりました。『年齢のセイとちゃう?』妻が言うのですが身体が受け付けないのではなく何となく肉を食べたい気持ちになれなくなったのです。自我に目覚め幼少期・・少年期・・青年期と振り返ると顔から火がでそうなくらい恥ずかしく思うようになりました。今を生きてるのは社会や人様のため。自分自身に悦楽を与えては目に見えない何かを失うことが確実であるということを何となく分りはじめました。そして自分にとって良い出来事が起こったことは周囲からの支えや協力があればこそであり悪い出来事が起きたときは自分自身に何か問題があったことであると。そう感じ始めています。私は日本語には50音の基本があり漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字(読み)・・数多く言葉の表現があるのに対し英語はアルファベット26文字で言葉が出来ていることに10代の頃・・『なぜ?なんだろう・・』と思っていましたが日本人の感性の原点ではないかなとも。昨今、外国人が日本に来て、その文化に驚いていることや日本人の優しさを称賛していますが、日本人の魂のステージは結構、良いステージなのかな??魂に上下は無いと思うのです。世界の人たち全員に、もし魂という1000ピースのジグソーパズルを各人が持っていたら、もうすぐ1000ピースが埋まりきる人の魂もあれば、やっと10ピース程埋めた魂のパズルもあると思うのです。日本人でも10ピースの人もいれば999ピースの人もいる。ただ平均が少し高いだけ。人類皆 1000ピースと平等の心の入れ物を持っていて何度も生まれ変わって1000ピース埋めれば、もう、この世に生まれることなく次の新しい1000ピースのパズルを作っていくのかな??1000ピースのパズルの写真は人それぞれ・・でもテーマは同じ。最初の10や100ピースを埋めても全体がどんな絵なのか全くわかりません・・でも500ピースくらい埋めて漸く『??もしかしたら??』と全体がボンヤリ見えてくるようになりますよね。今、この世的悦楽に走っている人たちは未だ少年期の魂なのかも知れません。物質欲に性欲・・そして上下の格差に囚われる・・魂が成長してくれば、お金の使い方にも変化が出て自分自身よりも社会や人のため・・少なくともルール破りはしません。物欲も・・人に贈る喜びに変化し上の人には敬い、弱い人には優しく接することが出来てくるのではないのかな?その基本は、どんな言葉を、どう表現して行動するかが魂の形の一部となって表れてくるような気がします。この1年・・これまでの人生を、ゆっくりかみしめながら振り返ると自然に涙があふれてきたリ笑顔になったり・・これからも、反省と感謝を繰り返し今の自分にとって出来る限りのことをして生きて行こう・・少しでも良い種をまいていこうと思う今日この頃です。このブログを読んでくださっている方々にとって来年も良い年であり大きな幸せが訪れることを心よりお祈りしています。
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未払い残業代の請求裁判について思う事

2015年12月29日 10時23分13秒 | 裁判
今年は会社に対し未払い残業代金の請求訴訟をおこしました。1月に証拠保全手続きを裁判所に申し立てをしたのが始まりです。会社側としては私が復職すると想定していたのが・・??だったと思いますし従業員からの裏切り行為に写ったことでしょう。日本では訴訟するこよは余程のことと思われがちで残業代くらいで?と思われる人もいらっしゃるかも知れません。しかし、よ~く考えてみると会社側は本来、支払うべき労働賃金を収益に乗せて同族企業である私の勤務する会社の株主は創業者一族・・ということは利益の還元先である株主・・創業者一族の懐へと入るわけです。22年連続増収増益で無借金経営・・売上高は250億円を超えています。売上に貢献している社員に対し・・給与も安く総合職には【みなし残業代】としての固定残業制度を入れ18:00~22:00の残業手当は、そこに含まれています。そんな会社・・あちこちにあるよ!そこで働くのが嫌なら辞めればいい!という方もおられると思いますが・・そもそも会社の行っていることは良くないこと。改善が必要なのです。サービス残業当たり前の日本の文化が変なのです。その変な会社は訴えた社員を裏切者・・恩知らず・・など憤りを覚えているから過労死があっても訴えられても謝る姿勢がありません。人、一人が会社から奴隷のように働かされ亡くなっているのにです。金が欲しいから裁判するのか?そう思う人もいるでしょう。私も後遺障害を持ちましたが何十億何百億積んでも、もう元の身体には戻れません。金は要らないから身体を元に戻してほしい!それが出来るなら裁判で身体再生訴訟請求を行います。でも・・不可能。従業員を長時間労働させ、何ら配慮もなく賃金すら支払わない・・そして更に訴えてきた従業員や、その家族に対し謝るどころか訴えてきたことに腹を立てる・・中にはその会社の従業員(被災従業員の同僚や上司)までもが・・世話になってる会社を訴えるなんて信じられないという人も・・私は会社の経営者に言いたいのは、もし?貴方が私の立場だったら?私も・・本当に会社から安全配慮され相応の権限と責務もあって自分から進んで残業したのであれば訴えることなどしません。小さな・・出来事がいくつも胸に押され・・変だ・・変だ・・なぜ?と思いながらも家族を守るために辛抱し頑張ってきた・・そして突然、脳出血で倒れ労災として認められ月日の経過とともに私の心境に大きな何かが起こり始めたのです。正直・・最初は自分と、家族のことを考えていましたが、やがて同じ会社で辛抱して働いている社員のこと・・さらには世間でブラック企業を辞めたくてもやめられず我慢して働いてる人、もっと言えば誠実な労働者がブラック企業で働くことで自分自身をブラック企業に染まる労働者が増えるのではないか?パワハラなど、そんなブラック企業の文化が生み出しているのかも知れない・・いろいろ思っていると何か一石を投じてみたい・・そう思ったのです。初めて弁護士事務所へ相談に行ったときは残業代の請求までは考えていませんでした。私自身も(そこまで?)勿論、名ばかり管理職なら請求できることは知っていました。でも人間は月日の経過とともに心は変化するのですね。そして8月のお盆をすぎたころ・・訴状を提出に至ったのです。来月、第四回口頭弁論。前回の私の主張と会社への反論に対する会社の主張と反論となります。年が明け成人式を過ぎた頃に準備書面が届くのですがなぜか気持ちが弾んでいる今日このごろです。
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47歳の転職は厳しかった3

2015年12月28日 09時52分48秒 | わが半生
平成19年 お菓子会社の採用面接は不可となり私は就職支援会社へ足を運んでいました。そこでは履歴書や職務経歴書の書き方や面接でのポイントの講習も受けていたのですが(何かが違う・・)根拠はありません。どうも就職支援会社は私には合わないように感じていたのです。丁度、その頃、私が退職する1年前に希望退職した元同僚から会わないかとの連絡を受け大阪淀屋橋で落ち合うことになり・・丁度、京阪電鉄淀屋橋の改札を出て階段を上がると淀屋橋があり川を渡ると大阪市役所が見える喫茶店で待ち合わせをしました。お互いに時間には几帳面で仕事を終えた同僚がやってきました。店内にお客様も多くザワついてるなか同僚はテーブルのコーヒーもそっちのけで話し始めたのです。『ウチの会社に相談してみるので、もし・・Yさんさえ良ければ会社がOKなら一緒に働かないか?』正直、嬉しい気持ちでいっぱいになりました。『ボクの年収は●●円・・係長待遇やけど。。実は契約社員で毎年更新契約なんや。今のご時世、俺たちみたいな年齢での再雇用は年収も300~400で契約社員が多い・・それにウチの会社。。あのTさんが俺たちの元上司でM]さんを入社させたんやで。今、Mさんは僕の上司なんや。』確かに40歳後半で正社員は難しく年収も大幅にダウンすることは谷町の管理職専門の就職支援先からも聞いていて知ってはいましたが、それはあくまで知識レベル。現実に、それを体験したわけではありませんでした。以前の会社関連で同業他社へ転職した社員も契約社員としてが多く契約であれば、いわゆるコネ入社で、それなりの年収は確保できたと聞いているものの・・これら同業他社は、その語やってくる更なる過払い請求の嵐で消えていったのです。私に一緒に仕事をしないかと言ってくれた元同僚の会社は流通系クレジット会社。現在も存在しています。『Yさん・・どうかな?気持ちがあるなら会社に話をしてみるけど・・』私は迷わずお願いしたのです。『そう!そんなら早速、かけあってみる!』そんな感じで、その日は別れました。一方で私はハローワークで失業保険の給付手続きと採用募集広告を見ていたのですが・・なかなか思うような企業がありません。ハローワーク・・生まれて初めての経験でした。専門学校を卒業して23歳まで転職経験はあったもののハローワークに行かずに転職できていたので・・それまで正直、ハローワークに対するイメージは暗いものとばかりでした。でも失業保険もリストラが原因なので満額で1年間支給されるとわかり少しホッとしたものの月20万ほどの失業保険のうち国民年金などの費用を引くと・・(いや・・ゆっくりもしてられへん!)住宅ローンは完済したものの残りの退職金はわずか・・私は難波にある就職支援先へ足を運びながらインターネットの転職サイトも模索していました・・そして数日後、元同僚から連絡が入ってきたのです。
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47歳の転職は厳しかった2

2015年12月27日 10時18分57秒 | わが半生
平成19年6月に希望退職し就職活動をしました。私の心の中は不安と焦りがいっぱい・・。退職を決めた時、東京で働いていた時の同僚から『Yさんなら大丈夫です!』関西に戻るとき言ってくれた一言が心に響いていたのです。なぜ大丈夫と励まされたのか?実は私は大阪から東京へ異動した時は昇進し日本の会社でいう部長クラスとなったのです。栄転に心は踊り都内にある本社へ横浜から通勤していたのですが・・現場で陣頭指揮を執っていた私には本社の水になじめなかったのです。外人も多く合理主義・・周りは高学歴の社員ばかり・・英語が話せて当然のような風土・・社内には白人もいれば黒人もいたり中国人にインド人・・様々な民族と文化を持った人たちがいて、それだけでも精神的なストレスが大きくミーティングの途中に突然、外人が入室したときなどは、その外人が席に座ると・・ミーティングはとたんに英語に変わるのです。(ここは日本やんけ!お前が日本語を話せ!)心の中で入室してきた外人に向かって叫んだものでした。私は仕事らしい仕事も出来ないまま自律神経をやられ半月ほど休職・・その後、復帰したものの一体、何をしてよいのやら・・もう訳が分からず元の事業部・・関西に戻してほしいと上司に相談したのです。今、思えば、それは大変な我儘であったと思います・・私は私自身がリーダーとして行っていたプロジェクトを下ろされ神田にある審査部門に少しの間、席を置いたのです。そして・・何度か人事担当者との面談を経て関西に戻ることになったのですが・・その条件には役職を2階級降格というものでした。この挫折感・・しかし自分が東京で、やるべきことを放棄し周囲に迷惑をかけたわけですので当然の処遇であると・・そして何より東京に居て、このセクションで仕事を続けることは精神的に崩壊することは自分自身が一番、よく理解していたのです。私は何より、関西へ戻りたいというより東京の、今の部署から逃げたかったのだと今なら冷静に受け入れられます。関西へ異動と決まったとき周囲の目は冷たく・・これも自業自得と・・そんなとき神田の審査部門のマネージャーから『Yさん・・Yさんなら大丈夫ですよ!』神田の牛タンがおいしい店で昼食を一緒にとってくれたTさんに言われた一言。この一言が退職後の私の心の中で何度もコダマするのを覚えました。2階級ダウンし年収は下がったとはいえ、その職位での年収は天井である私は・・平成19年のリストラ対象となったのです。転職支援企業を紹介され、そこでの研修を受けながら自分自身もハローワークと、同僚に紹介された谷町にある管理職専門の就職支援の法人へ足を運んだのでした。そこの法人の担当者はOさんという初老の方。穏やかで相談しやすい紳士でした。その方から紹介された、お菓子の販売会社。大阪ではスーパーマーケットを数店舗やお菓子の店舗は数多く出店している会社です。面接も感触をつかみ私自身も(採用かな?)そう自信を持っていたのです。社長面接を控えていた時・・ふと気になることが頭をよぎりました・・就業条件です。専務から面接時に『当初1年は日曜・祝日もなく頑張ってください』この言葉は一体どういうことなのか??今でいうブラック企業??そんな不安を抱えてしまったのです。そんな気持ちになったのですが時計を見ると午後10時30分・・(明日・・電話してみよう)一旦は連絡をやめておこうと思ったのですが・・(いや・・待てよ。もしかしたら・・電話に出るかもしれない)私は携帯を手に取ってダイヤルボタンをプッシュしました。すると2~3度のコールのあと『はい。●●本社でございます。』出たのです・・電話の向こうはザワザワと仕事をしている様子が私の耳元に聞こえてきます。『先日、面接して頂いたYと申します。総務部の●●様はおられますでしょうか?』私は・・(この会社は止めておこう)不思議と、そう判断してしまったのです。総務部長と話し就業について幾つか確認し電話を切ったのですが・・当然・・後日ですが不採用通知が届きました。私は谷町にある就職支援の法人へ再度、結果を伝えるべくOさんを尋ねると『Yさん・・なんで連絡なんかしたのですか!先方はあなたを幹部候補として迎える予定だったそうです。年収もあなたの希望通りにスタートしてくれるはずだったのに・・こんな条件で再雇用されることは本当に稀なんですよ!普通なら年収300~400で契約社員であるのが当然なんです!!』Oさんは穏やかな口調であったものの、その言葉の節々は怒りが込められていました。。また迷惑をかけてしまった・・・その後、私は二度と谷町にはいきませんでした。そんなとき・・私が退職する1年前に会社を去った元同僚から連絡が入ったのです・・『どうやった?』ことの経緯を話すと『そうか・・もしよかったら話があるんやけど?』ということで後日、淀屋橋で会うことになったのでした。
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47歳の転職は厳しかった

2015年12月26日 10時15分23秒 | わが半生
平成19年6月 私はそれまで勤務していた消費者金融会社を去ることになりました。思い起こせば、いろいろとあったなぁ~と。高校しか卒業してない自分でも、それなりにポジションが上がってこられたのは家族はもちろん、私のような未熟な者についてきてくれた社員や引き上げてくれた上司のおかげでしかありません。昇進dするたび自分のチカラと当時、思っていた私は思い上がりと傲慢さだけであったと今、思うと恥ずかしい限りです。希望退職という制度での退職のため退職金は上乗せされ、おかげで住宅ローンは全額完済できました。そして就職活動・・退職する少し前に元同僚(前年に希望退職)が谷町の方で管理職として退職した人のための職業あっせん所があると聞き私は早速、赴きました。担当してくれた初老の紳士でした。30分ほど提出した職務経歴書などを見て頂き『いいところを、ご紹介できそうです。追って、ご連絡します。』手ごたえを感じて帰宅したことを今でも覚えています。ここの紹介で行った企業は、お菓子で有名な中堅企業。大阪市内に本社があり市内では有名なビルに入居していました。面接担当はなんと。いきなり専務取締役・・面接を終えると『あなたの経歴は大したもんです。後日、社長に会っていただくことになりますが・・日曜や祝日・・入社されると当初の1年は何かと覚えていただくこともあって休みは殆どありませんが・・』ちょっと気になったのですが47歳の転職です、贅沢は禁物・・『ところで年収はどれくらい必要ですか?』意外にズバッと尋ねられ・・『800万ほど・・』と答えると『ほう・・ご遠慮されてますね?前職では1000万を超えられているのでしょう?』私は黙って頷き『いや1からですすし・・』専務からは当初スタートは菓子店数店舗の統括から初めてもらうとのことでした。条件的には悪くなかったのですが・・ヒョンなことで、この会社との御縁はなくなったのです。
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