まったり無職の親父のブログ

脳出血を経験してスピリチャルに目覚めたオッさんのブログ

入院当初は大変(@_@;)

2014年04月29日 13時24分36秒 | リハビリテーション
脳出血を発症した当初は・・病室に理学療法士の先生が来てくれて背の高い私をベッドから車椅子への移動をしてからトントンと麻痺足の膝下を軽く叩いて『これ、わかりますか?・・はい、では足首をこう・・足の甲を上に・・向けて・・』言われるようにしようと力を入れるのですが・・いっこうに動きません・・『無理ですか・・そうですよね・・では左腿を・・こうあげてください。』ものすごく重く、まるで鉄の塊のような重さに感じ、ピクリとも上がりません・・『わかりました、これが現状です。○○さん、でも心配いりませんよ。必ず動けるようになります。そう信じて努力してください。努力しないと本当に歩けなくなるんでね。』と笑顔で言うので(この先生なら大丈夫)『わかりまひた』と返事をすると『言葉も多少しんどそうですねぇ言語療法もありますから頑張ってください。』と励まされリハビリ室へと連れていってくれました。初めての日・・とにかく、ハツラツと話す先生は『さ~て、これからですよ♪まず隣のベッドで座る練習をしましょう!!』ベッドの上に腰を下ろすと同時に先生が私の横に座るのです(ん??男同士が横並びに座ると何とも絵になりません)『はい!では○○さん手を離しますから、踏ん張ってくださいね。お尻に力を入れてください。はい!!』先生の手が私の肩から離れると・・ふ~っと横に倒れるのです・・先生にもたれかかってしまい『お尻の筋肉が全く弱くなっているからです・・』自分でも座ることすら出来ないのは【まさか!!】でした・・何度か頑張ってみたものの・・ふ~ッと先生にもたれかかるだけ・・『はい、では平行棒に行きましょうか・・歩くのではありませんよ。立つ練習です。』車椅子から自力で立ち上がることもできません。平行棒で先生に支えられ右手で平行棒を握り何とか数秒程、立てる程度・・数回繰り返しただけで『ハァ~』とため息が出る程の疲れが・・『今日は作業療法士が休みなので少し私が代行しますね。』と言い場所は机らしきものが、あるところまで移動しようと車椅子を先生が押そうとした時、『○○さん左手を膝に置いてください。タイヤに手が挟まるので』はっとして左側に目をやると車椅子のスポークに指先が・・手を動かそうにも全く左手は重く動きません・・右手で左手を取って膝に置きました『○○さん全然、感覚ないでしょ?最初は、そうなんです。リハビリやって感覚を取り戻しましょうね。』と言いながら机の前に到着・・目の前には高さ20センチくらいのプラスティック製のコーンが幾つか重ねて置いてありました。先生が1つ1つを並べて私の前に置くと『では、目の前のコーン1つを左手で取ってください』私は、な~んだと思い左手で取ろうとするも肩は動きますが肘から先が全くうごきません。ただ目の前のコーンを見ているだけでした。『はい。いいですよ。まだ無理ですよね。いまの状態だけ知っておいてください。明日から作業療法もしますからね。今日は、このくらいにして手足のマッサージで終わりましょう。』初日のリハビリは気持ちが落ち込み不安だけが残っただけでした・・帰りに『暫くは病室のベッドで座る練習をしますから私が病室へ迎えにいきます。今日はショックだったでしょう・・ま、最初は、あんなもんです。頑張れば歩けるようになりますから』と明るく言われ病室のへと向かう途中、看護師が『お疲れ様~リハ初日どうでした?頑張ってくださいね♪』と励まされ少し気をよくしながら病室に戻りました。急性期の入院中は、ホンマ気持ちの抑揚も激しく身体が動けない食べ物は流動食、風呂にも入れずストレスまみれ・・この先生の、おかげで頑張れたリハビリでした。
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病気になって

2014年04月28日 12時08分58秒 | 病気になって
人生観が変わり死への恐怖が、ほんの少しなくなりました。人間いつかは、あの世へ行く・・言葉では理解していても健康な時は、まさか今・・死ぬわけなく・・明日の仕事や休日のこと・・未来に意識し『死』という認識は全くといってなかったのですが脳出血の発作を起こした時、『死』を十分に意識しながら倒れました。本当に自分は死ぬかも・・つい、1~2分・・いや数秒前は死の意識などなく仕事の最中・・それも電話で取引先との会話中だったはず。その瞬間の出来事は入院中も度々、思いだしふと・・考えてたことは(この世でまだ学習すべき事があったから生かされたのかな?)入院中、看護師の方々が働く様子を見ているうち、なぜ、ここまで病人とは言え他人のために働くことができるのか・・何名かの看護師さんに『なんで看護師になったん?』って聞いたら一番、多いのが『お母さんが看護師なんです。』というのです。中には性格のキツそうな看護師もいましたが大抵は表情は穏やかで言葉も優しく傍に来てくれると不思議と安堵します。入院のある日まだオムツをしてた頃、便秘になり5日も便が出なかった時、看護師から下剤を貰いました。翌日の深夜・・便意が催すのですが、肝心の『ウンチ』がなかなか出ません・・・ベッドの上できばりに きばって何とか『ウンチ』の顔が少し出口付近にさしかかったのですが、凄く固いのです。そこから全くと言ってよい程・・出てきません・・お尻は痛く肛門から感覚的ですが1~2㎝は出てるようなので、その中途半端な感覚・・(下剤飲んだのになんで、こんなに固いねん。)に我慢できずナースコール・・その日の夜勤担当看護師はまだ看護学校を卒業したばかりの様子で・・『しんどいですよね~。ちょっとお尻見せてくださいね~』と言って私を横向けに・・『はい、お尻つきだしてくださいね~・・あ~・・はいはい。少し痛いかもしれませんが、掻きだしますよ~』使いステの手袋をしたかと思うと指を肛門に入れ、かきだし始めました・・『は~い、りきんでくださいね~』言われるまま、りきむのですが持病の『痔』もあり痛くて痛くて・・何とかスッキリできたのですが・・看護師ってすごいなぁと思った出来事でした。だって他人の汚物ですよ!!いくら仕事とはいえ私にはできないのに・・看護師って自己犠牲して他人のために働く仕事、患者の都合や状態に合わせて行う仕事・・医者のように上から物をいうのでなく病人の目線にたって話しかける・・急性期病棟の看護師って、ほんと、お母さんのような温かさや優しさ柔和さを持って仕事してる人の何と多かったことか・・看護師の皆さんの仕事振りを見て自分の、これまでの人生を振り返りました・・。
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労災の申請

2014年04月27日 10時19分07秒 | 入院日記
脳出血で入院して最初のうちは、とにかく身体が動きません・・毎日 朝・昼・夕と血圧に血中酸素の測定と点滴の交換、薬の投与で、ひっきりなしに看護師がきます。薬は錠剤をプチッと取りだすことができませんので予め小さな入れ物の入れてもらって健康な手でベッドを起こして入れ物から取りだして飲むのですが、その都度麻痺の手がベッドのパイプに挟まり右手で左手を持ってお腹の上に左手を置いてから薬を飲みました。とにかく麻痺手・足が自分の手足としての感覚が全くありません。また入院当初は手足に限らずノドや唇周辺の麻痺も強く会話にならない会話。食べ物の飲み込みが出来ず流動食・・言語療法の先生も毎日、病室に来てくれて発音練習と唾の飲み込み練習・・『だいぶ顔色はよくなりましたね。でも左側の顔がまだ下がってるので筋力回復まで流動食に咀嚼訓練です』言語は年配の女性の先生でした。『○○さん私が今から言う事について来てください。カッかっカッ はい!』『カッカッかっ』と『はい舌を出してべーーーーーッ』『べーーーッ』とこんな調子で始まった言語トレーニング。
主治医の先生は毎朝、様子みに・・『どうですか?明日2回目のCTと大部屋に移る前にMRI撮りますからね。水分は、なるべく取ってオシッコたくさん出してください』と笑顔で言われ『先生、また部屋の移動ですか?それと指先と顔の痺れに目が見えても先生が2人に見えるのですが治りますか?』と聞いたところ『血種が吸収されたら目は落ち着いてくると思うけど痺れはねぇ~正直、治りません。手足の麻痺はリハビリ次第、努力次第だから頑張ってください』痺れは治らないと聞き大きなショックを受けました。リハビリは毎日、作業療法30分(手のリハビリ) 理学療法30分(足のリハビリ)作業は若い女性の先生でかわいい顔して結構、厳しい・・理学は40歳くらいの男性で明るくメリハリのある先生で、やっぱり甘くありませんでした。入院してスグの頃、看護師が『○○さ~んリハビリ呼ばれたから行こっか♪』と1階のリハビリ室へと車椅子で向かうと笑顔でハツラツと理学療法の先生が迎えてくれ『今日から本格的に始めますよ。頑張ってくださいね。』この日からが大変でしたし心の不安が大きくなり始めたころでした・・。二人部屋では64歳のオジサン。このおじさん、看板の取りつけ職人で、とにかくよく、しゃべる人で看板を付けてる最中にハシゴから落ちて頭を打ち脳挫傷・・幸いに軽くすんだらしいおですが手術とリハビリ・・でも麻痺もなく歩けるので羨ましく思いました・・車の運転は2年間してはいけないとドクターに言われたそうです。とにかく私はベッドの上での生活を数日間・・ICUから脱出して少し落ち着いたものの、とにかく看護師に頼り妻に頼らなければいけない自分が情けなく・・この頃から感謝と反省の気持ちが強くなりはじめたのです。自宅に会社の総務課の人から妻に連絡が入って労災の申請をするか、どうか聞かれたそうで勿論、妻は労災申請を伝えたのも丁度、この頃だったと思います。
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病気になって

2014年04月26日 12時57分32秒 | 病気になって
身体障害者になりました。外出の時に思うことがいくつもあります。勿論、外出は妻と一緒でないと行くことができません。病気になる前は何も思わなかった階段やエレベーター・・まだまだ障害者にとって良い環境とは言えませんが昨今のスーパーは障害者に優しい環境になりました。そのスーパーでの出来事です。ある日曜日の雨天の時にイオンモールへ妻の軽自動車で行った時のことです・・いつものように障害者専用の駐車場に向かったのですが生憎タッチの差で1台ワゴン車に先をこされてしまい妻が『う~ん残念!!今日は日曜やし車が多いから空いてるとこ探すの大変!』と言い諦めてハンドルをきりかけた、その時、先を越したワゴン車から一人の男性が下りたのですが、どう見ても健常者のようで一瞬(え?)と思いましたが『同乗者に障害者がいるのかな?』独り言をブツブツ・・しかし、どうやら男性一人みたい・・そのままイオンの入り口へと足早に傘もささず向かっていきました。私も妻も、いつもなら、すぐ車を移動させてたのですが、日曜のイオンは車でいっぱい★タッチの差で入りそこねた障害者専用の駐車スペース・・ラストの1台分だったせいか、その場で見ていたのです・・健常者が下りて障害者がいない事がわかった瞬間、悔しさから憤りへと変わりましたし、障害者エリアに止まっている車を、よく見ると障害者ステッカーを貼っている車は、ほんの、わずかでしかありません・・障害者エリアはショッピングモールの入り口に近く雨天の時は助かるのです・・イオンの1000台以上駐車出来る大半は屋外で入り口から遠く障害者にとって雨天の時は通常の場所では大変、困るのです・・その日は、やむえず他の駐車場へ車を停車させた後・・なんとなく気持ちがおさまらずイオンのサービスカウンターへ事情を言いました・・丁寧に対応してくれましたが本当に対応してくれるのかな?と半信半疑。数日後の平日、妻とイオンモールへ行きました。障害者スペースが数台空いてたのでエリアの入り口にいくと、インターフォンから『障害者手帳を、お持ちでしょうか?お持ちであれば手帳を運転席の右側にカメラがありますので、そこに手帳をかかげてください。』と言われ手帳をだしカメラに向けたところ『ありがとうございます。ではバーを上げますので、お入りください。』との対応に妻は『お父さん、この前、言った甲斐あったね♪さすがイオンやね♪』イオンはさすがですが、先日の男性が脳裏にうかびました。男性を悪く言うことを私は本当にできるか?私自身も障害者になる以前は、どうだったのか・・を考えると偉そうに言えた義理でないような気がします。電車の優先座席に平気ですわっていたのですから・・日曜の男性と何も変わらない意識であったと思い。『俺も元気やったら、この前の人みたいにしてたかもな』と妻に言うと妻は『立場かわれば・・人って、そんなモンとちゃうの?』と・・・話は少しそれますが私が札幌に転勤したての頃、帰宅途中の地下鉄の中で子供が母親に『ここ空いてるヨ』と優先座席を指さしましたが母親は優しく『ここは座っちゃだめ。身体の不自由な人や、お年寄りの人だけが座れるんだよ。』と言い子供に『だから立っていようね♪』と言うと子供も素直に『うん。』と返していたのを覚えています。気をつけて地下鉄を通勤時に見ていると優先座席は空席、座っている人は高齢者や障害者・妊婦さん・・札幌は決して優先座席に該当しない人は座りません。大阪では障害者がいなければ座っていい・・みたいな文化ですが札幌と大阪の違いを見て同じ人として恥ずかしい気持ちでいっぱいでしたが再び関西に戻ると・・ダメなんですねぇ。でも大阪の人も温かいです。次回は、その話から・・・話はそれましたが障害者になって今まで見えなかったこと感じなかったこと結構あります。立場かわれば・・を痛感した日でした。
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病気って心への薬

2014年04月24日 19時14分22秒 | 病気になって
病気になれば薬を処方されますよね?最近、思うのは心が曇ったり、ゆがんだりしたら『病気』とういう薬で心を治すように神様が処方するのかな?何言ってるの?訳がわからん・・意味不明と思われるかも知れません・・病気になれば薬が処方されますが心が傲慢になって周囲の人達に迷惑をかければ病気という処方を神様が処方して、もう一度、人としての心を持たせるためかな?病気になって『感謝』『温和』『反省』の心が大きく膨らんだような気がします。物欲はは殆どなくなりましたし出世欲は全くなくなりました。思えばサラリーマン人生30年余り自己顕示欲が強く出世と金のために、いかに家族を巻き添えにしたことか・・・自分が好きでない部下の人生を平気に変えてしまいました。業績が上がったのは全部、自分・・。職位にかこつけ傲慢・我儘・・言いたい放題・・神様の私への治療のため脳出血を処方・・私に死を与えず生かすことで身体の不自由さ等の後遺症を残る人生への教訓としたのかな?そう思える入院半年でした。脳出血で倒れて最初の1か月は妻、看護師の人達・ドクターの懸命な治療と介護には、ただただ感謝するばかり・・そして回復期に転院し2カ月を過ぎたあたりリハビリの成果で多少なりとも何とか歩け、本やTVも観れる余裕が出来たころ・・ふと、ある日の夜・・ベッドの中で反省の心が芽生え反省と謝罪が交互に心の中を、駆け巡り『涙』が止まりませんでした。反省したはずなのに少し状態がよくなると看護師の、ちょっとした言動に腹を立て文句を言ったところ首筋から後頭部あたりにかけ何とも言えない嫌な感覚・・脳出血で倒れた時の前兆に似た感覚が走りました。言葉も出なくなり冷や汗と動悸の乱れが生じたのでベッドに横たわり発作が治まるのを待ちました(怒ったらアカンのや)10分くらいで発作が治まりました。この日を境に怒りの感情は意識し出さないこと。相手の話や行動に憤りをもっても相手が悪いのでなく自分に原因があっての相手の言動であると・・人は鏡と考え、スーッと流せるようになりました。なるべく看護師やドクターそして妻に対し、ありがとう・・ごめんなさい・・を繰り返すと自分自身が穏やかになれ自然と怒りの感情は出なくなりました。健康をあたり前に想い人への、怒りと欲望・・傲慢で我儘な自分の愚かさが心の中で広がった目に見えない癌細胞を病気というカタチで神様が処方してくださったと・・末期の癌ゆえに脳出血という副作用のキツイ抗がん剤で腐りきった私の心を治療してくれたと思って今は生活しています。毒は毒をもってせいすと言う言葉がありますが、まさにピッタリあてはまります。退院しても謙虚さを忘れず感謝と反省を今も繰り返してると 身体も少しずつですが良くなっています。今は働くことはできませんし収入も限られた範囲でしかないですが幸い住宅ローンは完済しておりましたので生活に困窮することはありません。必要な物が最低限度あれば十分。ブランド品も不要。車も売却しましたので妻の軽自動車1台・・人は物や金等、欲にまみれることなく、その日、その日を穏やかに家族と笑って暮らせることが一番であるのかなと思う今日、このごろです。病気を心の処方箋と思えるには時間もかかりましたが、峠を越えたら楽になりました。これからの余生は のんびり心穏やかにくらそうと思います。
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