まったり無職の親父のブログ

脳出血を経験してスピリチャルに目覚めたオッさんのブログ

心の砂漠『食べることへの恐怖そして・・・』 登り始めた山

2014年07月30日 13時43分53秒 | 拒食症との戦い
県立医大を後にし自宅へ戻ってから長女は自室へと2階へ上がったあと『何?あの診察・・42キロ切ったら閉鎖病棟?ウチの子に脅してるん?何時間も待たされて・・何で食べないの?って・・こっちが知りたいのに・・ふざけてる!!』通り一辺倒の質問をした医師に腹立たしさを持ってたようで『閉鎖病棟って、どんなとこか説明してたけど7・・あれは脅しやん・・拒食症って精神科の医者もホンマは相手にしたくない・・そんな感じやん』いつもは、ゆっくり話す妻が、この時は結構、早口で声高に話すのは正直、意外でした。『確かに・・そうやった。でも・・どこの医者がええんやろ』そんな会話をして私達は病院に依存するばかりで長女と向き合わなければならない事の大切さを全く、この時は理解・・いや感じることすらなかったのです。拒食症は娘の心の叫びであるのに、病気としての解釈でしかなかった私達は更に娘・・いや次女も含めて娘達を追い込んでいることに気付いてなかったのです。そんな私は、その日以降、インターネットで拒食症に関するサイトを、片っ端から検索し妻も関連書物を読み漁る・・そんな、ある日の夜・・テレビで拒食症に関するテーマでドキュメンタリーがあり妻と二人で見ていました。周囲から理解されない・・女子高生が拒食症になり本人はやせ細り立つことすらできない・・死ぬ直前まで至ってしまった・・妻と二人『そういえば、あの子、今、体重何キロやろ・・今度、県立医大行くまでに測らないと・・』既に見た目は頬はこけてしまい手も老婆のような手で骨も浮き上がっていて足は、いつもジャージのため、わからないのですが、お尻の肉・・膨らみが全くありません。でも元気にバイトも行き学校も登校していました・・が、この日の数日後から身体は遂に悲鳴を上げ始めました。
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心の砂漠『食べることへの恐怖そして・・・』 登り始めた山

2014年07月28日 14時14分06秒 | 裁判
その夜、病院に行くのを拒んでいた長女をときふせたのです。行くとは言ってくれたものの表情は暗く少し、ふてぶてしく感じたのですが『明日、朝一で行こう・・』そう言い、その夜は早々に床につきました。翌朝、会社を有給休暇を取り朝食もそこそこに妻と長女を乗せて県立医大へと車を走らせました。車中、誰ひとりとして口が重く会話は全くありません。ジャージにクロックスの長女・・つい、この前まではジャージでの外出なんてしてなかったのに・・長女の変化は服装にも表れていました。自宅を出て30分・・病院の駐車場は既に満車状態『何?コレ?こんなに混んでるの?』第一駐車場・第二駐車場・・全部・・満車・・目を丸くしながら驚く妻に『そうやな・・想像以上や。このコンビにで止めさせてもらおう・・』丁度、病院の目の前にあるコンビニの駐車場は広く・・少し申し訳ないなぁと思い・・駐車場の隅へと車を移動させエンジンを止めました。コンビニ店内には入らず私達3名は病院の正面玄関へ・・自動ドアの向こうに見える景色は人ばかり・・初診受付の案内看板に目がついたので受付に行くと『紹介状は、お持ちでしょうか?』いきなり聞かれ『いいえ。』と答えると『こちらの用紙に必要事項を書いて、こちらの受付にお越しください』用紙を渡され住所・氏名等を記入し、診察科目で、ふとボールペンが止まった・・内科、外科・・etc右へボールペンの先でなぞり『精神科』ここに丸印をする瞬間、止まってしまったのです。妻と長女は少し離れたところのソファに腰かけていました。私は何とも言えない苦い味が心の底に感じ精神科に丸印を入れ受付に提出すると私の心とは全く関係なく事務員は出来上がった診察券の入っているファイルを私に手渡し『精神科は、この廊下をまっすぐ・・・』淡々と場所を案内しるのです。言われる通りに行くと別館の1階に『精神科』があり入口自動ドアはガラスに模様が入り中は見えなくなっていました。中に入り左手に外来受付、正面には長椅子のソファが何列もあるのです。問診票を貰い幾つかの項目を妻が記入。『お父さん・・拒食って・・やっぱり書かないとアカン?』妻は未だ長女の病気を受け入れたくないのか、そんな事を聞いてきました。『書かないと・・診察にならへんやろ?』そう言う私に黙って記入していました。長女は自宅を出てから全く喋らず黙ったまま・・受付に問診票を持っていくと『血圧・体重を測って、お待ちください。』そう受付でいわれた瞬間、『体重?そんなん測らんとアカンの?』声を上げるように長女が言うと『お父さん、あっち行ってて・・A香、ここでは測らないと・・な?』妻が説得し、渋々、体重計に乗る長女。(45キロ)妻が、そう確認しました。既に見た目は激ヤセです。手の指・・腕・・足・・お尻の肉もなく学校の授業も座っての授業・・当たり前ですが1時間も座ると、お尻が痛くなるというので座布団を敷いているくらいです。『お父さん・・45キロ・・多分、10キロくらい減ってると思う・・』長女は黙ったまま・・受付を済ませ診察を待つのですが初診の私達より予約が優先され約3時間待ち漸く診察室へ。中に入ると眼鏡をかけた40歳前後の医師がパソコンの前に座っていました。『どうぞ』と手招きされた椅子に私達は腰掛けると開口一番『食べられないの?』その言葉に長女は俯き舌打ちしたのです。そのリアクションを知ってか知らずか『45キロ・・』と独り言のように言い『お母さん、これまでの経過を教えてください。』そう聞かれた妻は医師に説明しおえると医師は『42キロ・・これを切ったら閉鎖病棟に行ってもらいます。閉鎖病棟は厳しく食事管理され少しずつ食べられるように指導していきます。』(閉鎖病棟?)初めて聞く言葉に不安を覚えました。長女への問診もそこそこに精神安定剤を処方され病院を後にしました。帰りの車中・・『閉鎖病棟なんか入院せぇへんからな!!』長女は一言だけ言うと窓から見える風景を、ただ漠然と見ているだけでした。
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心の砂漠『食べることへの恐怖そして・・・』 9月1日を境に。Ⅱ

2014年07月27日 11時08分33秒 | 拒食症との戦い
9月1日救急搬送された翌日、『おはよう。』トントン・・制服姿で2階から下りてきた長女に妻が声をかけるのですがうっとおしそうに俯き返事もしません。妻は私に視線を向け、昨日の出来事が尾を引いていると言いたげな目で私を見るのでした。『朝御飯は?』さらに妻が、そう言うと『いらんし・・』そう言って、そのまま自宅を出たのです。ブルルルン・・いつものように長女の原付バイクのセルが回ったエンジン音・・いつもと違って何やら寂しい響きでした。この日以降、長女は学校と夕方は近くのコンビニへのバイトが日課でした。ある日の夜、妻が『最近、全然食べてない・・痩せ方も異常やし腕も足もゴボウみたい・・・心配やわ・・』確かに・・9月1日までは魚の刺身や鳥のささみ、芋類、そうめんくらいは食べていたのですが、それらを全く食べようとせず、サラダに果物・・妻と買い物に行くとパック入りの野菜や惣菜にキウイやマンゴー等の果物しか籠に入れないのです。御飯?全く食べません。私も心配になりインターネット等で『拒食症』について調べてみました。一言でいえば『心の病気』です。ダイエットそのものが原因でないことが多く友人や親子関係、環境・・ダイエットによる目標達成感と太ることへの恐怖・・色々な要因が絡み、真面目な子いわゆる『優等生』や『おりこうさん』な子に多いようです。そんなおり、あるテレビ番組で『拒食症』をテーマにしたドキュメンタリーが放送され一緒に見ていた妻が『この通りやわ・・ウチの子も同じ道を歩いてる・・』最悪は命も落とす精神的な病。テレビを見ていて不安にかられる妻は未だバイトから返ってこない長女の部屋に行き暫くしてリビングに戻ってくると私の目の前で握っていた手を広げ『こんなモン・・使ってる・・』手のヒラには市販の下剤そして『あの子、今・・体重は何キロあんのやろ?』身長163センチ少なくとも50キロ前後はないといけません。『病院連れて行こうよ』そういう妻に『病院って・・どこの?』そう聞き返す私に『心療内科?一度ネットで検索してくれる?』私はパソコンに電源を入れ検索すると心療内科か精神科とあり口コミをみたら県立医大が良いとも書かれていました。『放ってても良くならんみたいやし、県立医大に連れて行こうか』そう妻に言うと今にも泣き出しそうな妻は黙って頷くのでした。アルバイトから帰ってきた長女は、いつものように廃棄用品のシュークリーム、エクレア、牛乳を冷蔵庫に入れ黙って自室に行こうとするので『明日、病院行こう!』妻が言うと『病院?ウチは、どこも悪いとこない・・明日は学校に行く』久しぶりの親子の会話が、こんな調子でした。9月1日以降、長女は私とは一切、口をきこうとはせず妻とも必要最小限で殆どは黙って首を振る程度でした。病院の初診受付は午前中のみ。『A香!明日、病院に行くんや。お父さんも行くから』強い口調で言ったせいか『病院なんて行かへんッ!ウチの事、なんにも分からへんクセに!!』感情を露わにし2階へ上がろうとする長女を捕まえ『とにかく行こう・・な・・お願いやから・・』泣きながら頼む妻に説得され翌日、病院へ行くことになったのです。
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心の砂漠『食べることへの恐怖そして・・・』 9月1日を境に。

2014年07月24日 12時31分06秒 | 裁判
救急車で運ばれ診察も終わり病院のロビーで深夜診療の手続きを妻がしている間、長女はロビーの椅子に腰かけたまま一言も口を開こうともしませんでした。私も長女を叩いたことの後ろめたさもあり声をかけることもせず、手続きを済ませた妻が『大丈夫やてA香、帰ろうか。』そう声をかけるも黙って頷くだけでした。性格上、とても話すことが好きなのに・・病院のロビーを出ようと立ち上がろうとした長女は、またヨロヨロとしゃがみ込むように椅子に座った。『大丈夫?A香!ゆっくりでええから・・』そう言いながら肩を貸そうとしていたので私が近づくと『お父さんは来んといて!!お父さんが叩いたからやで!!』怒った口調で妻が言う。私は黙って駐車場へ目を向けて二人から遠ざかるように病院のロビーを出ました。玄関を出ると少し雨が降り始めたので『ここで待ってて!』そう次女が言うと同時に私達は車に向かって走り急いで乗り込みました。車を玄関口にまわすと心配そうに長女の顔を見ている妻の姿を見て(なんで叩いたんやろ)今更、大きな後悔の念が胸の奥から湧き出ていました。帰りの車の中では誰ひとり口を開こうとすることなく自宅に着いたのです。この日を境にしばらくの間、長女は会話らしい会話は全くせず更に食事をしなくなり体重は激減していくのでした。
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心の砂漠『食べることへの恐怖そして・・・』 地獄への切符

2014年07月22日 15時04分30秒 | 拒食症との戦い
平成22年 長女が高校2年生になり5月から食事の量が目に見えて減っていきました。さすがに妻も私も長女へ食事をとるように言うのですが全く耳を貸しません。頬は、こけはじめジーパンもブカブカ・・手を見ると血管が浮き上がり始めていました『あの子・・あんなに美味しい美味しいって御飯たべていたのに・・なんでやのん?』妻の表情は険しく私達も、まだ単なるダイエットの行き過ぎとしか受け止めていなかったのです。毎日毎日、妻は手を変え品を替え長女に食事を作っていたのですがコンビニで廃棄処分になったサラダ・・そして魚の刺身に果物・・気が付いたら『白い御飯』を全く口にしなくなっていたのです。そして・・その年の9月1日・・の事です。家族にとって忘れもしない日となりました。長女はバイト先のコンビニからロールケーキやエクレア、菓子パン等の廃棄商品を『賞味期限が迫ってるyから持って帰りって・・マネージャーが言うし・・E香、お母さんにどうかな?』袋の中には廃棄商品でいっぱいでした。バイトは高校生なので22時まで。原付バイクで通っていました。その日、すでに帰宅していた私は『廃棄商品って?アカンのとちゃうか?』と長女に言うと『そうやねん。でも捨てるのも、もったいないし・・ってことでウチにくれてん。お父さんもどう?』笑みを浮かべ私に言う長女に対し『そんな、おやつ・・どうでもええ・・御飯食べるんやろ?』長女は一言『イランよ。』冷蔵庫にエクレアやサラダを押し込んでいる。『なんでや?食べてるんか?』そう私が言うと『食べろ!食べろ!って、ホンマ、ウザイねんけど。マジ、しんどい』急に女子高生の使う言葉で言う表情は、つい、さっきまで笑みを浮かべていたとは思えない苛立たしさを全面に出して言ったのです。『ちょっと来いッ』冷蔵庫の前に行き長女をリビングへと連れて行き『なんじゃ!その物の言い方ッ!!ろくに飯も食わんと、お母さんも心配しとんねん!!』思わず怒りを露わにし声wp荒げて娘に言ったのです。家中の空気が重く次女は黙って私を見ていました。『お父さん、もうええやん。A香・・A香もお父さんに謝りッ』妻が、ワッと私と長女の間に入り、そう言うと『なんで?なんでウチが謝らんとアカンの?ウチは何も謝るような事してへんワ!!』その瞬間・・私は長女の頬を叩いていました。感情が高ぶり気が付いたら長女の服を、鷲摑みし身体を揺すぶり怒鳴っていました。『痛いッ・・気分が悪い・・吐きそう』泣きながらリビングにふさぎ込む長女に馬乗りになっていた私でした。これまで家族の暴力を振るったことはありません。自分自身も何が原因で自分を見失ったのか今でも、わからないのです。既に激ヤセしていた長女を心配し妻が救急車を呼んでいました・・自宅近くに救急車がサイレンを鳴らしてくると静かな住宅地には、まるで、こだまするいうに響くせいか近所から何事かと様子を見にくる人もいました。そのまま自宅に入った救急隊員も長女を見ると言葉にならない表情で『お嬢さん・・食べてますか?今日は・・どうしました?』明らかに長女の棒のような足、こけた頬・・枝のような腕・・それらを見て憐れんでいるとしか思えない表情で見ているのです。妻が事の経緯を話しタンカーで救急車に乗せられ病院へ行きました。私は自分の車で後でいくことぬなり妻と次女が付き添い救急車へと乗り込んだのです。この時、時計の針は深夜0時前であったのは今でも覚えています。病院に着き診察するも警部レントゲンと栄養剤の点滴のみ。レントゲン上は問題ありませんでしたが『お嬢さん・・食べないと・・今の体重は身長から見て極端に少ないです。』娘は身長163センチ・・この日の体重は45キロ。まだ、しっかりしていて日常の行動には支障はありませんでしたが誰の目から見ても『痩せすぎ』なのは一目瞭然・・この日を境に本当の戦いになり想像を超える修羅場が幾つも家族を襲ってくるとは未だ、当時の私達には到底、わかるはずもありません。
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