崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

失敗した授業

2012年06月27日 05時15分02秒 | エッセイ
 観光人類学の授業で教科書から「毛沢東観光化」を選び講義した。中国からの留学生が多いので良いテーマでもあり、学生との討論を期待して準備をしたが失敗だと感じた。先日映像で見たハーバード大学のある教授の授業形式を考え学生自ら発想する授業でやってみた。パワーポンを使いながら1966年文化大革命の時毛沢東の生まれ故郷を訪れた人が290万人であったが、毛氏が死亡して批判する時期には極端に減っていたが毛沢東記念館を改造して観光化して、毛主席リバイバル運動によって急増したことを説明した。毛沢東への再評価と観光化について触れて、文化大革命で知識人など40万人を殺し、1億人に被害を及ぼした人の英雄化を問題にした。しかし学生と議論することは難しかった。ただ中国を現在のように大国化し、成功した英雄だという意見が多かった。
 私は40年以上の教育経歴から授業は失敗しないように誠意を持って準備して臨んでいるが、成功することは難しい。芸術の公演のように学生と共鳴、反応を見ながら授業すべきである。むかしにはノートか窓だけを見ながら読むように講義をした教授が多かった。それでも学生は講義に集中して筆記しながらノートをとったが今とは激差がある。教員は誠意をもって最善を尽くしても学生は私語と居眠りの現象が多い。それぞれ教員が失敗成功を繰り返すはずである。中国の学生たちに毛沢東問題は重い話であったか、私の授業のやり方であったか反省すべきである。