散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

小樽の北側

2013-08-18 | Weblog
小樽で初めて1泊した。これまで何度か来たことあるけど泊まったのは初めて。札幌に近いのが幸いなのか
不幸なのか、小樽を訪れる観光客は2~3時間そのへんチョロチョロして帰っちゃう……というのが、地元で
観光に力を入れている方々の悩みらしい。たしかに、そうなりがちなのかも。


あれが『蟹工船』の北海製缶

小樽を観光する人の流れは、駅から海のほうへ下って右に曲がる(ぼくも実際これまでそうだった)けれども、
ほんとに小樽らしい小樽はそっちではなく、左に曲がったところにあるという。写真で運河の右手に建ってる
ビルは、小林多喜二の『蟹工船』の北海製缶小樽工場。


近くで見るとこう (人力車が見切れてる)

この先には、工部大学校の第1期卒業生の佐竹七次郎が設計して、地元の大工棟梁の山口岩吉が施工
した旧日本郵船株式会社小樽支店がある。この建物が、なかなかすごい。


明治39年に建てられた石造2階建建築

岩崎弥太郎の三菱系の海運会社に対抗心を燃やし、三井系の海運会社が激しい価格競争を仕掛け、
共倒れしそうなところで当時の政府が介入して明治26年に日本郵船株式会社として合併……その後、
小樽支店の木造建築が明治36年に焼失したとき、証書がなくなったのをいいことに過剰な取り付けが
殺到したため、やむをえず全額払い戻して、二度と焼けないように石造建築をつくったとボランティアの
ガイドさんが説明してくれた。


入口に日本郵船の旗印が

旗には「三菱と三井が仲よく海運業やりますよ」というメッセージが込められているとか、いないとか。
そして石造建築にしてからも、内側は木材だし、火気には細心の注意を払ったという。


「金持ってんど~」と勢いを示す内装には建築家・佐竹七次郎のこだわりも

ガイドさんの話によると、この建物は今年の8月いっぱいで見学できなくなり、調査と修復に丸5年の
月日をかけることになっている。こんど見学できるのは、2018年の予定。


こういうものを1本の木から彫りだす技は棟梁と大工が立派


金庫の壁の厚さを語るガイドさん……内部にはナゾの扉が!

小さい扉は「人孔」といって、不慮のできごとで人が金庫に閉じ込められたとき、脱出するための
扉らしい。あとで日本銀行小樽支店を見学したら、そこにも「人孔」があった。

 
左の小窓は「人孔」の出口です……右は日本銀行の金庫にあった「人孔」です

日本郵船の小樽支店は、国際的な貿易港の拠点としての機能と偉容を誇るべく、当時の最新技術
を駆使して建設された。日露戦争に勝ってポーツマス条約が結ばれた翌年、明治39年に落成した
この建物の2階会議室で、日露の樺太国境画定会議が行われたと、ガイドさんが教えてくれた。


その会議室がこちら!

帝都までお越しいただかなくても、小樽にこれほどの設備がある日本は強国なのですぞ、といった
暗黙のメッセージが込められているとガイドさんは教えてくれた。


そのときの写真がこれ!

柱のないつり天井で、これだけの広さを支えるのは大したことだと、もし教えてもらわなかったら
気づかなかったにちがいない。ガイドさんに深く感謝……。国境画定会議終了後は、隣の貴賓室
で祝杯が交わされたという。


その貴賓室がこちら!

あちらの貴族社会では、暖炉があってはじめて人を招くことができるということで、左に暖炉が
一応あるけど、火事がこわいので最新式のラジエーターで暖をとった。壁には大蔵省印刷局製
の高級輸出品、「金唐革紙」が使われている。


北緯50度のところに複数あるはずの国境碑(複製)はいま?

ところで会議室と貴賓室の外の廊下に、なにやら不思議なものが。まさか「人孔」じゃないとは
思うけど、これはなんだろう?


これ……ここ……この廊下の横長の戸みたいなの

のぞき窓にしては大きいし、食事の出し入れをする戸にしては……刑務所でも食堂でもないから
それはおかしいし、いったいなんだろう?



正解は……





電灯のスイッチが入ってます

なかなかしゃれたことを。設計者の佐竹七次郎という人は、明治の東京に鹿鳴館やニコライ堂など
をつくったコンドル氏の門下生第1号で、同期には赤レンガの東京駅や全国の日本銀行を設計した
辰野金吾がいる。けど、辰野さんより佐竹さんのほうが優れているとガイドさんは力説する。


同期生の辰野さん設計の日銀小樽支店はこちら

辰野金吾のほうが有名のような気はするけど、くわしく説明を聞いていると佐竹七次郎のほうが
偉大かもしれないと思えてくる。それと棟梁の山口岩吉がえらい。


従業員用の出入口に……

後付けで玄関フードを取り付けてある。冬場、吹雪になっても玄関で従業員が寒い思いをせずに
雪を払って出入りできるように。北海道のおうちによくある、玄関フード。


(例)玄関フード

聞けば聞くほど他にも工夫が凝らされていて、設計と施工がうまく調和してることに感銘を受けた。
当時、建設に5億円から6億円かけたという話だけど、海外から部品を運んでくるのは郵船会社で
タダだから何とかなったものの、運賃かけたら一体どうなってたかとガイドさん。


100年前はヒルズ以上だったかも

旧日本郵船の建物のまえは公園になっているが、昔は運河だったから荷物の上げ下ろしができて、
建物の裏に鉄道が通っていたから、そっちでも上げ下ろしできた。小樽と札幌の間には、日本で
3番目の鉄道が通った。(1番は新橋と横浜の間、2番は大阪と神戸の間と聞いた)


前は海(運河公園)、後ろは鉄道(旧手宮線……歩いてるのは知らない人)

もっと北へ行くと、幕末から昭和30年代まで、にしん漁で栄えた場所があり、貿易港として小樽が
栄える以前から漁港として景気が大層よかったらしい。


おびただしい鰊(にしん)が獲れて、贅沢を凝らした「にしん御殿」も建った


中には美術品がいっぱい(残念ながら撮影禁止)


そこまで贅沢しなくても素敵な木造のお家が点在

もっと北へ行くと、AKY(あんかけ焼きそば)が名物の「塩谷食堂 海坊’s」というお店が。
小樽は近ごろAKY48といって、あんかけ焼きそばのお店が48(以上)ある。そのひとつ
……というか、すごいボリューム感!




関連記事: 小樽  南側のことなど
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