散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

元寇

2010-09-15 | Weblog
佐賀の吉野ヶ里遺跡を見て博多にもどる(電車で1時間かからない)と、泊まるとこを
さがす。SMAPのドーム公演があるから博多のホテルはファンに押さえられてしまって、
一般客がどこにも泊まれないという。ビジネスホテルも満室、カプセルホテルも満室。
おそるべしジャニーズの底力!

今夜どうしよう? と思いながら、中洲川端を歩いていると立派な神社があった。
博多総鎮守櫛田神社。なんか博多祇園山笠の飾り山までドーン! と置いてあるし、
ただらなぬ感じ。

そのへんをウロウロしてみると、神社の隅っこにベンチのような奇妙な石が(写真上)。
立て札には、元寇のとき蒙古の軍が落として帰った船の碇(イカリ)石とある。


ほんまかいな。

ご神木をはさんで、碇石が2つある。文永の役、弘安の役、どっちで落として帰ったのか
知らないが、元寇といえば大事件ある。騎馬民族の蒙古が宋に取って代わって元を興し、
朝鮮人に船を作らせて一緒に博多に攻めてきたある。

この戦いに負けてたら、日本は中国の一部になっていたかもしれないあるよ。そしたら
みんな今と違うしゃべりかたある。

鎌倉幕府の御家人は必死で防戦したあるよ。せっかく博多にいるあるから、明日は
ちょっくら元寇の遺跡でも訪ね歩いてみるあるよろし。


はずれ・・・。

博多に泊まることはあきらめ、いっそのこと唐津までいって静かに夜を過ごす。
ピカピカのホテルではなく、古そうなところで「お部屋空いてますか?」と尋ねたら
4300円で広い部屋に泊まれた。宿は古いほうが、安くて広い場合が多い。

見慣れないアイスを買って食べたら、「はずれ」とわざわざ棒に焼き付けてある。
アタリのときだけで十分じゃない? はずれたら、そっとしておいてくれ。


カギ締まってる・・・。

翌朝は日曜日(8/22)。唐津から海を見ながら電車に揺られて博多にもどり、
そのまま地下鉄の馬出九大病院前までいって、元寇資料館を訪ねる。

土日祝日しか開館していないらしく、なんか妙だなあと思いながらドアの前に立つと
おじいさんが自転車に乗ってヨロヨロ近づいてきた。「いまカギ開けますから」って
言い残して走り去り、しばらくすると、おばさんがカギを開けにきてくれた。

この元寇資料館、高さ11.55mの日蓮上人銅像のおまけのようにして建っている。


蒙古兵の兜と鐙(あぶみ)

なんでも元寇資料館のおこりは、明治19年に清兵が長崎で死傷者を出した長崎清国水兵事件を
きっかけにし、中国が日本を攻めた歴史を埋もれさせまいと有志が立ち上がったことから
始まるそうな。100年以上も前から、いまと同じような国際問題ってあったのね。

そこで元寇の史実をもちだして、北条時宗の巨大な銅像をこの場所に立てようとした。

資金繰りに困っているところへ日蓮宗が協力を申し出て、全国で布教と募金を繰り広げ、
当時の武器や後世の元寇絵、貴重な史料や文献を集めて元寇史料館を開いたと。

銅像のほうは明治37年、なぜか北条時宗ではなく日蓮上人銅像が落成するに至った。


博多人形・・・。

「元とかいう国に征服された朝鮮からの使節が、日本に降伏を迫ってきましたが?」
「けしからん、首をはねてしまえ!」・・・という場面を、博多人形で展示。

元寇史料もあるけど日蓮受難の記録も多い、そんな館内をよーく見て回り、地下鉄で
こんどは防塁の遺跡を見にいく。西新駅でおりて、西南学院大までとことこ歩く。

大学の敷地に勝手に入り、建物の1階の窓から下を見ると、それは地下にあった。


元寇防塁。

文永の役で蒙古軍にさんざんな目に遭わされ、神風が吹いて奇跡的に追い払ったあと、
もうこりごりだと思った鎌倉幕府の御家人たちが博多湾に急いで防塁を築いた。

弘安の役では、この防塁がなかなか役に立ったという。


突貫工事でした。

あれから700年・・・海岸線も遠くなり、元寇防塁も崩れて土中に埋もれていたところ、
新校舎を建てるために地面を掘り返したら何か出てきたので、記念に復元したらしい。
やるじゃん西南学院大学! (勝手に入ってゴメンなさい)


ちゃんと通り道がある。

開いてたもんだから地下におりて、元寇防塁ぺたぺた触って鎌倉武士に思いを馳せた。
この日は高校生が進路を考えるために大勢で見学にきているらしく、出入りしやすいのと
だーれも防塁なんかに関心を払わないのとで、空き巣としては複雑な思いだった。

・・・・・・空き巣じゃねーよ!

元寇防塁は、全長20kmにわたり御家人が手分けして築いたというから、これで終わりの
わけがない。西南学院大学の敷地を出て、延長線上をたどると遺跡があった。


みんなの文化財を大切に。


野ざらしの元寇防塁。


ちかくには祠もある。

周囲は何でもない住宅地で、マンションなんかも建っている。ふとマンション名を見ると
こんなことが書いてあった・・・・・・


いつ蒙古兵がきても安心?
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1 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (makie)
2010-10-16 16:53:02
西南学院大学の元寇防塁は日曜日には見れませんでした。後日、行きましたが日本を守る為に戦術・戦法の違う戦いにとまどいながらも奮戦した武士の姿が偲ばれました

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