電脳筆写『 心超臨界 』

歴史とは過去の出来事に対して
人々が合意することにした解釈のことである
( ナポレオン・ボナパルト )

自分のための人生 《 “自己憐憫”に酔っていないか、溺れていないか――ウエイン・W・ダイアー 》

2024-04-18 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
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自己否定的な態度の例は数えあげればきりがない。会話や毎日の行為のはしばしにあらわれる。何であれ、自分をおとしめるような行為をすれば、そのたびに、自己愛であれ他の人と分かち合うものであれ、とにかく愛とかかわる機会を減らしてしまうことになる。自分の価値は、いつも自分をおとしめてばかりいるほど低いものではないはずである。


『自分のための人生』〈原題:Your Erroneous Zone(錯信帯)〉
( ウエイン・W・ダイアー/渡部昇一・訳、三笠書房 (2011/7/21)、p82 )

  自分の価値を他人に証明してもらう必要性はまったくない。自分に
  価値があるのは自分がそう信じるからである。自分の価値規準を他
  人に置くなら、それは自分のではない、他人の価値である。

2章 自己嫌悪を取り払う

◆“自己憐憫”に酔っていないか、溺れていないか

以前、私が治療したシャーリーという若い女性はとても魅力的で、明らかに男性の引く手あまただった。それなのに、シャーリーは、自分の交際は一つ残らずいやな終わり方をするし、結婚はしたいけれど、そんな機会は一度もなかったとこぼすのだった。

話を聞くうちに、シャーリーは今までの交際を、自分では気づかずに駄目にしていたということがわかってきた。若い男性に好きだとか愛していると言われると、彼女の頭はそれを打ち消していたのだ。

「私が言われたがっているセリフだと知ってて、あんなことを言ってるだけだわ」

シャーリーはいつも自分の価値を認めないような言葉を探してばかりいた。彼女には自分を愛する気持ちがまるでなく、そのために自分を愛そうとしてくれる人の努力をはねつけていたのである。

シャーリーは、誰も自分を魅力的だなんて思ってくれるはずがないと信じ込んでいた。なぜだろうか。

まず第一に、自分は愛されるに値しないと信じきっていたからであり、そうしてどこまでも拒否し続けることによって、自分には価値がないという考えを強めていたのである。

先のリストにあげた項目は、その多くがつまらない、些細なことにみえるかもしれないが、それでも自己否定を示す小さな指標となっている。

「賛辞は辞退するのが礼儀というものだ」「お前は本当に魅力がない」などと言われてきたことだろう。こういう考えを受けて、自己否定的なふるまいが今では第二の天性となってしまったのだ。

自己否定的な態度の例は数えあげればきりがない。会話や毎日の行為のはしばしにあらわれる。何であれ、自分をおとしめるような行為をすれば、そのたびに、自己愛であれ他の人と分かち合うものであれ、とにかく愛とかかわる機会を減らしてしまうことになる。

自分の価値は、いつも自分をおとしめてばかりいるほど低いものではないはずである。
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