電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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当時の人は、万葉や古今などは一首残らず暗記しておったし、また、そうでなければ、あの時代の宮廷で生活はできない。お互いが古歌は知っているという条件の上で、そのバリエーションの妙を認識し合ったのである。それは途方もない教養とデリカシイを前提とした行為だったのである。それで定家が式子内親王のこの歌を見たとき、一目で『古今集』の「白浪の 跡なき方に行く舟も 風ぞたよりの しるべなりける」(藤原勝臣(かちおみ))の本歌取りであることは知ったわけだし、そのうえで、新しいバリエーションの洗練が一段と優れているとしたわけなのである。
『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p252 )
3章 平安朝――女性文化の確立
――日本における「成熟社会」の典型は、ここにある
(1) 和歌に見る文化的洗練の達成
◆『新古今和歌集』に見る“詩の絶対境”
『古今集』にはじまり、『新古今集』に至る間、八つの勅撰集が出た。各集ともに特徴はあるが、ここに、新古今では日本の和歌がどれほどの程度に至ったか、ほんの一例だけを挙げてみよう。
作者は、『百人一首』にある「玉の緒よ 絶えなば絶えぬ……」の歌で知られている式子内親王(しきしないしんのう)である。
しるべせよ 跡なき浪に 漕ぐ舟の 行方も知らぬ 八重の潮風
これは、いったい何の歌なのか。
字面(じづら)からだけ言えば、海の上に小舟があって、そこに潮風が吹いてくる。道路のように踏みならした跡がないので、漕ぐ舟の行くべき先は、見当のつけようもない。ぜひ行く方向を示すしるしを欲しい、というのである。海を渡って吹いてくる風。そこに浮かんでいる小舟。縹渺(ひょうびょう)たる海原。
しかし、これは叙景ではないのだ。それは作者の心の内景、つまりインスケイプである。それは片恋をする女性の、その感じなのである。もちろんこの歌を、『新古今集』の編者藤原定家(ていか)は恋の部に入れている。
だが、ここには恋という字もなければ、愛という字もなく、悲しみという字も、やるせないという表現もない。つまり、作者の主観や感情を生(なま)で示す文字は、いっさいないのだ。それにもかかわらず、その気持ちは、ひたひたと伝わるし、歌全体の調べも絶妙である。
西洋の詩が、この高さの象徴の洗練を見せはじめたのは、いつごろだろう。やはり、19世紀のフランス象徴詩まで待たなければならぬ。
さらに付け加えておけば、これは本歌取(ほんかど)りである。つまり、類似の発想の和歌はすでに『古今集』にもある。現代の批評家は一般に、本歌取りの歌をオリジナリティがないと言って問題にしないが、それは当時の歌人の考え方や歌の本質をまったく理解しないことによる。
当時の人は、万葉や古今などは一首残らず暗記しておったし、また、そうでなければ、あの時代の宮廷で生活はできない。お互いが古歌は知っているという条件の上で、そのバリエーションの妙を認識し合ったのである。それは途方もない教養とデリカシイを前提とした行為だったのである。それで定家が式子内親王のこの歌を見たとき、一目で『古今集』の「白浪の 跡なき方に行く舟も 風ぞたよりの しるべなりける」(藤原勝臣(かちおみ))の本歌取りであることは知ったわけだし、そのうえで、新しいバリエーションの洗練が一段と優れているとしたわけなのである。
それは古今(ここん)東西に無比の精妙な文学世界だったので、その世界に共感的に入らないと、まるで羽二重(はぶたえ)で労働ズボンを作って「コールテンより悪い」というような文句をつけるのと同じことになってしまうのである。
これに関連して、定家について一言述べておこう。
誰でも知っている彼の歌に、
駒とめて 袖打ちはらふ かげもなし 佐野の渡りの 雪の夕暮れ
というのがある。
川の側(そば)で雪に降られ、しかも近くに家もないとなると、これは生命に関する大事(おおごと)なのだが、ここにはその苦しみの実感は見られず、ただ絵画的美のみある。近ごろならば「生活の実感がない」などと批判される歌である。
しかし、定家や式子内親王などは、実感というものを通り抜けた彼方に、純粋の詩の世界を確立していたのだった。個人の体験よりも、もっと普遍的な、詩の絶対境というものを理念としていたのである。われわれが誇る能(のう)の世界というのは、この延長線上にある。この定家の歌も、世阿弥作といわれる『鉢木(はちのき)』に引用されているが、新古今の世界は能に連なる世界なのだ。
欧米で最初に、能に対して深い関心を示したのが、象徴詩の伝統のあるフランス人だったり、アイルランドの詩人イエツであったりしたのは偶然ではないであろう。詩の絶対境という近代的文学理念が、日本においては定家のころまでに確立していたことは、注目に値することである。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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当時の人は、万葉や古今などは一首残らず暗記しておったし、また、そうでなければ、あの時代の宮廷で生活はできない。お互いが古歌は知っているという条件の上で、そのバリエーションの妙を認識し合ったのである。それは途方もない教養とデリカシイを前提とした行為だったのである。それで定家が式子内親王のこの歌を見たとき、一目で『古今集』の「白浪の 跡なき方に行く舟も 風ぞたよりの しるべなりける」(藤原勝臣(かちおみ))の本歌取りであることは知ったわけだし、そのうえで、新しいバリエーションの洗練が一段と優れているとしたわけなのである。
『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p252 )
3章 平安朝――女性文化の確立
――日本における「成熟社会」の典型は、ここにある
(1) 和歌に見る文化的洗練の達成
◆『新古今和歌集』に見る“詩の絶対境”
『古今集』にはじまり、『新古今集』に至る間、八つの勅撰集が出た。各集ともに特徴はあるが、ここに、新古今では日本の和歌がどれほどの程度に至ったか、ほんの一例だけを挙げてみよう。
作者は、『百人一首』にある「玉の緒よ 絶えなば絶えぬ……」の歌で知られている式子内親王(しきしないしんのう)である。
しるべせよ 跡なき浪に 漕ぐ舟の 行方も知らぬ 八重の潮風
これは、いったい何の歌なのか。
字面(じづら)からだけ言えば、海の上に小舟があって、そこに潮風が吹いてくる。道路のように踏みならした跡がないので、漕ぐ舟の行くべき先は、見当のつけようもない。ぜひ行く方向を示すしるしを欲しい、というのである。海を渡って吹いてくる風。そこに浮かんでいる小舟。縹渺(ひょうびょう)たる海原。
しかし、これは叙景ではないのだ。それは作者の心の内景、つまりインスケイプである。それは片恋をする女性の、その感じなのである。もちろんこの歌を、『新古今集』の編者藤原定家(ていか)は恋の部に入れている。
だが、ここには恋という字もなければ、愛という字もなく、悲しみという字も、やるせないという表現もない。つまり、作者の主観や感情を生(なま)で示す文字は、いっさいないのだ。それにもかかわらず、その気持ちは、ひたひたと伝わるし、歌全体の調べも絶妙である。
西洋の詩が、この高さの象徴の洗練を見せはじめたのは、いつごろだろう。やはり、19世紀のフランス象徴詩まで待たなければならぬ。
さらに付け加えておけば、これは本歌取(ほんかど)りである。つまり、類似の発想の和歌はすでに『古今集』にもある。現代の批評家は一般に、本歌取りの歌をオリジナリティがないと言って問題にしないが、それは当時の歌人の考え方や歌の本質をまったく理解しないことによる。
当時の人は、万葉や古今などは一首残らず暗記しておったし、また、そうでなければ、あの時代の宮廷で生活はできない。お互いが古歌は知っているという条件の上で、そのバリエーションの妙を認識し合ったのである。それは途方もない教養とデリカシイを前提とした行為だったのである。それで定家が式子内親王のこの歌を見たとき、一目で『古今集』の「白浪の 跡なき方に行く舟も 風ぞたよりの しるべなりける」(藤原勝臣(かちおみ))の本歌取りであることは知ったわけだし、そのうえで、新しいバリエーションの洗練が一段と優れているとしたわけなのである。
それは古今(ここん)東西に無比の精妙な文学世界だったので、その世界に共感的に入らないと、まるで羽二重(はぶたえ)で労働ズボンを作って「コールテンより悪い」というような文句をつけるのと同じことになってしまうのである。
これに関連して、定家について一言述べておこう。
誰でも知っている彼の歌に、
駒とめて 袖打ちはらふ かげもなし 佐野の渡りの 雪の夕暮れ
というのがある。
川の側(そば)で雪に降られ、しかも近くに家もないとなると、これは生命に関する大事(おおごと)なのだが、ここにはその苦しみの実感は見られず、ただ絵画的美のみある。近ごろならば「生活の実感がない」などと批判される歌である。
しかし、定家や式子内親王などは、実感というものを通り抜けた彼方に、純粋の詩の世界を確立していたのだった。個人の体験よりも、もっと普遍的な、詩の絶対境というものを理念としていたのである。われわれが誇る能(のう)の世界というのは、この延長線上にある。この定家の歌も、世阿弥作といわれる『鉢木(はちのき)』に引用されているが、新古今の世界は能に連なる世界なのだ。
欧米で最初に、能に対して深い関心を示したのが、象徴詩の伝統のあるフランス人だったり、アイルランドの詩人イエツであったりしたのは偶然ではないであろう。詩の絶対境という近代的文学理念が、日本においては定家のころまでに確立していたことは、注目に値することである。