電脳筆写『 心超臨界 』

人生のすべては師となってあなたの前に出現する
注意を払って迅速に学べ
( チェロキーインディアンのことわざ )

全身が総毛立つような戦慄の念――志村武

2024-03-24 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
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そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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ジョセフ・マーフィーは、『眠りながら成功する』の中で、こう言っている。

「たとえば床に置いた板の上を歩けと言われたら、難なくできます。ところが、同じ板を地上6メートルの塀から塀に渡したら、その上を歩けますか。その上を歩こうとする欲求は落ちるという想像や恐怖で消されてしまうでしょう。あなたの頭を支配するのは落下する光景でしょう。板の上を歩こうという欲求、意志、努力は逆に働き、落ちるという圧倒的な考えがさらに強まるのです」

お釈迦さまも「食欲も怒りも、善を求めずに悪ばかりを求める気持ちも、自分自身から生じる。また、全身が総毛立つような戦慄の念も、自分自身から生じるのだ」と説く。

恐怖心はすべて自分自身がつくり出したものなのだ。山岡鉄舟は、いざという時に度を失わないようにするためには、「心胆の鍛錬」が必要という。


◆全身が総毛立つような戦慄の念――志村武

『心の不安を取り除く99の知恵――「釈迦」の遺言』
( 志村 武、三笠書房 (1988/11/1)、p128 )

幕末期のある夜のこと、青年山岡鉄舟が剣友と二人連れで、芝の山内を通りすぎようとしたときのことだ。向こうから同年輩ぐらいの青年が肩をいからしながら勇壮に歩いてきた。
鉄舟が、

「あいつ、なかなか強そうだな」と、つぶやくや、剣友はいかにも馬鹿にした口調で、

「なあに、あんな奴に限って臆病なものさ、ひとつ、ためしてやろうか」

というやギラリと太刀を抜き放って、歩いてくる青年の前に立ちふさがった。一瞬、彼も抜いた。両者は月光を浴びて、真剣勝負をすることになってしまったのである。

双方ともに正眼(せいがん)に構え、切っ先を相手の目に向けたままで、斬りこんでいこうとはしない。いや、その場に凍りついてしまったかのように、身動きさえもしない。

月光に浮かぶ両者を鉄舟がよく見ると、二人とも同じように青ざめているばかりか、小刻みにわなわなとふるえているではないか。間髪をいれず、鉄舟は抜刀して、両者の刀をビシッ、ビシッと峰打ちにした。すると、二人ともポロリと刀を落としてしまった。「全身が総毛立つような戦慄の念」で、コチコチになっていたからだ。刀をたたき落とされた後も、彼らは呆然自失……。
「ご両者ッ! 武士に私闘は禁物でござるぞ! 早々に刀を鞘におさめなさい」

鉄舟がこう一喝すると、二人ははじめてわれに返り、老人のようにぎごちなく腰をかがめ、路上にころがっている自分の刀をそれぞれ拾い上げたという。

後年、鉄舟はこの事件について次のように語っている。
「人間というものは、平素は、いかにも勇壮に見えても、いったん生死(しょうじ)の関頭(かんとう)に立つと、案外なものだ。いざというさいに度を失わないようにするためには、日ごろ、よほどの鍛錬を要する」

その鍛錬とは、単に剣の鍛錬にとどまるものではない。鉄舟によれば「心胆の鍛錬」である。「心胆の鍛錬」とは、「人間本来の心」を厳しく養うことにほかならない。では「人間本来の心」とは何か。それに対する答えは、次のエピソードにハッキリと示されている。

明治16、7年キリスト教が大河のように日本に流れこんできた頃、ある人が鉄舟を訪ねてきて、日本の坊さんと西洋人とが相撲をとっている絵をひろげて見せた。
「先生、これは仏教とキリスト教とが争っている絵です。この絵に一つ賛をお願いします」

この絵に付した鉄舟の賛には、「人間本来の心」が端的に明示されている。
「負け勝ちは いずれにあるか しらねども 本来空(くう)が 勝ちとこそ知れ」
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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
山岡鉄舟 (湖南)
2005-12-13 06:07:13
おはようございます。



このたび山岡鉄舟シリーズを書いていますので、縁あることと思い、TBさせていただきました。



よろしくお願い致します。

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