私が歌声喫茶というものを知ってから、足かけ10年になります。
その間に行った回数は、先日1000回を越えました。
歌声喫茶というと、知らない人は「喫茶店」で行うものだと思うかも知れません。
そうは思わないにしても、それに近いムードだと感じているのでしょう。
しかし、現実は「喫茶店」とかの飲食店でやっている所は殆ど無く、
公民館だったり、民間の会場を借りてやっているのが実態です。
そういった会場になると、「喫茶」とは言いながら、
飲み食い禁止なんていう会場がとても多くなっていて、
どこが「喫茶」なんだとか思ったりもします。
そういった様々な「歌声喫茶」を、
私はおよそ55か所前後、経験してきました。
何か所かがハッキリしないのは、
そこが果たして「歌声喫茶」と断定していいのかどうかの基準が曖昧だからです。
仮に55か所だとすると、
単純計算、一か所で18回くらい通った計算になります。
しかし、一回こっきりで二度と行かない場所も多数あります。
今現在、私がスケジュールとして計算に入れているのは、
15か所くらいです。
ところが、ここ数年、いつもの「歌声喫茶」のムードは、
以前とは違ってきています。
最大の原因は(人数が減ってる)のです。
以前だったら、かなりの盛り上がりだった場所が、
何故か盛り上がらなくなって来ているのです。
「はて、何でだろう?」と眺めて見ると、
昔に比べてはっきりと客が少なくなっているのです。
「以前はあんな人が来ていたよな~」と思っても、
彼等はもう来なくなっていたりするのです。
年齢的に来られなくなってしまった人は多い様に感じます。
また病気とか体力的に来られなくなってしまった人も居ます。
それとは全く別の意味で客が少なくなってきたという事があります。
(歌声喫茶が増えた)のです。
団塊の世代とかが、定年を迎え、
「若い頃によく行った歌声喫茶を自分でもやりたい」と思ったというのか?
私が歌声喫茶を知った後からの後続組が、あちこちに立ち上がっているのです。
そうなると、どうなるかと言えば、
(足の引っ張り合い)に当然なるのです。
以前は、その日にその歌声喫茶に行かなければ、
他に行く場所が無かったので、一生懸命行った人も、
今では、毎日何処かで歌声喫茶はやっているからと、
必死こいて行く必要がなくなっているのです。
この現象は、まさに過当競争と言えます。
それとは別な現象があります。
若い頃、歌声喫茶に通った人達は、
(革命歌・労働歌・ロシア民謡)などを知っているし、好むし、よくリクエストします。
しかし、そういった若い頃に歌声喫茶を経験しなかった人達が、
どんどん歌声喫茶に入って来たのはいいのですが、
彼等は(ニューミュージック・フォークソング・演歌)とが好み。
革命歌・労働歌・ロシア民謡などは、あまりリクエストしないのです。
これが決定的に、いわゆる歌声喫茶のムードを阻害します。
私は、若い頃に歌声喫茶に行った事は、ほんの数回。
昔の歌を全然知りませんでした。
でも、歌声喫茶にはまって、色々な歌を知り、
昔の人が好んだ歌も大好きになり、リクエストもよくします。
でも、そういった歌をまるで覚えようとしない人達が最近は多くなっています。
その結果どうなるか・・・?
歌声喫茶に行っても、面白味が無い、盛り上がりに欠ける。
一緒に語り合える人が少なくなっている。
これが実に歌声喫茶をつまらなくさせているのです。
「以前はあんなに盛り上がったのにな~」とため息が出てきます。
また、昔をよく知っている人達で、
歌声喫茶から足を遠のけて(合唱)に行ってしまう人がいます。
彼等の様な人達には、歌声喫茶に残って居て欲しかった。
そんな中でも、盛り上がっている歌声喫茶は・・(有ります)
これが救いです。
そこが何故、盛り上がっているのか?
はて?一体何でなんだろう?
最大の要因は(客層)だと思います。
一緒に居て楽しい人達が周りにいるからです。
しかし、主催者側は客を選べないのですから、悩ましいですね。
主催者というか司会者には、
「来てくれたお客さんがに(楽しかった)と言って帰って欲しい」
その事を頭に置きながら司会をして欲しいですね。
いわゆる(黒子)に徹しられるか・・・
そういった司会者だと客はそれを敏感に感じとりますから、
きっと盛り上がる歌声喫茶になって行くのでしょう。
さて、今日も私は歌声喫茶に行きます。
今日で3日連続。
何だかんだ言っても、やっぱり歌声喫茶って楽しいし、
サイコーなんですね。
その間に行った回数は、先日1000回を越えました。
歌声喫茶というと、知らない人は「喫茶店」で行うものだと思うかも知れません。
そうは思わないにしても、それに近いムードだと感じているのでしょう。
しかし、現実は「喫茶店」とかの飲食店でやっている所は殆ど無く、
公民館だったり、民間の会場を借りてやっているのが実態です。
そういった会場になると、「喫茶」とは言いながら、
飲み食い禁止なんていう会場がとても多くなっていて、
どこが「喫茶」なんだとか思ったりもします。
そういった様々な「歌声喫茶」を、
私はおよそ55か所前後、経験してきました。
何か所かがハッキリしないのは、
そこが果たして「歌声喫茶」と断定していいのかどうかの基準が曖昧だからです。
仮に55か所だとすると、
単純計算、一か所で18回くらい通った計算になります。
しかし、一回こっきりで二度と行かない場所も多数あります。
今現在、私がスケジュールとして計算に入れているのは、
15か所くらいです。
ところが、ここ数年、いつもの「歌声喫茶」のムードは、
以前とは違ってきています。
最大の原因は(人数が減ってる)のです。
以前だったら、かなりの盛り上がりだった場所が、
何故か盛り上がらなくなって来ているのです。
「はて、何でだろう?」と眺めて見ると、
昔に比べてはっきりと客が少なくなっているのです。
「以前はあんな人が来ていたよな~」と思っても、
彼等はもう来なくなっていたりするのです。
年齢的に来られなくなってしまった人は多い様に感じます。
また病気とか体力的に来られなくなってしまった人も居ます。
それとは全く別の意味で客が少なくなってきたという事があります。
(歌声喫茶が増えた)のです。
団塊の世代とかが、定年を迎え、
「若い頃によく行った歌声喫茶を自分でもやりたい」と思ったというのか?
私が歌声喫茶を知った後からの後続組が、あちこちに立ち上がっているのです。
そうなると、どうなるかと言えば、
(足の引っ張り合い)に当然なるのです。
以前は、その日にその歌声喫茶に行かなければ、
他に行く場所が無かったので、一生懸命行った人も、
今では、毎日何処かで歌声喫茶はやっているからと、
必死こいて行く必要がなくなっているのです。
この現象は、まさに過当競争と言えます。
それとは別な現象があります。
若い頃、歌声喫茶に通った人達は、
(革命歌・労働歌・ロシア民謡)などを知っているし、好むし、よくリクエストします。
しかし、そういった若い頃に歌声喫茶を経験しなかった人達が、
どんどん歌声喫茶に入って来たのはいいのですが、
彼等は(ニューミュージック・フォークソング・演歌)とが好み。
革命歌・労働歌・ロシア民謡などは、あまりリクエストしないのです。
これが決定的に、いわゆる歌声喫茶のムードを阻害します。
私は、若い頃に歌声喫茶に行った事は、ほんの数回。
昔の歌を全然知りませんでした。
でも、歌声喫茶にはまって、色々な歌を知り、
昔の人が好んだ歌も大好きになり、リクエストもよくします。
でも、そういった歌をまるで覚えようとしない人達が最近は多くなっています。
その結果どうなるか・・・?
歌声喫茶に行っても、面白味が無い、盛り上がりに欠ける。
一緒に語り合える人が少なくなっている。
これが実に歌声喫茶をつまらなくさせているのです。
「以前はあんなに盛り上がったのにな~」とため息が出てきます。
また、昔をよく知っている人達で、
歌声喫茶から足を遠のけて(合唱)に行ってしまう人がいます。
彼等の様な人達には、歌声喫茶に残って居て欲しかった。
そんな中でも、盛り上がっている歌声喫茶は・・(有ります)
これが救いです。
そこが何故、盛り上がっているのか?
はて?一体何でなんだろう?
最大の要因は(客層)だと思います。
一緒に居て楽しい人達が周りにいるからです。
しかし、主催者側は客を選べないのですから、悩ましいですね。
主催者というか司会者には、
「来てくれたお客さんがに(楽しかった)と言って帰って欲しい」
その事を頭に置きながら司会をして欲しいですね。
いわゆる(黒子)に徹しられるか・・・
そういった司会者だと客はそれを敏感に感じとりますから、
きっと盛り上がる歌声喫茶になって行くのでしょう。
さて、今日も私は歌声喫茶に行きます。
今日で3日連続。
何だかんだ言っても、やっぱり歌声喫茶って楽しいし、
サイコーなんですね。
来月の予定を 後で携帯ショートメールします。
豪華ホテルで、飲み放題食べ放題でやりますから、ぜひ、来てね~。
あると思いますか~?
飲み放題、食べ放題、払い放題で 願います。
中国からは満漢全席。
日本からは食べきれない蟹と、舟盛り。
フランスからは最高級シャンパン・ドンペリでいこうかと思っています。
お金の事は心配しないでね~