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怪優、三国連太郎

2024-01-07 20:19:33 | 映画


三国連太郎と言う俳優をひと言で言うならば「凄い」のひと言です。

三国連太郎、1923年(大正12年)~2013年。享年90歳。
母親が広島の海軍軍人の家へ女中奉公に出され、三国連太郎を身ごもります。
連太郎はその軍人が父親だったのでしょう。

1943年(20歳)徴兵検査に合格しました。
戦争に行きたくない連太郎は逃亡を図りますが、佐賀県で憲兵に捕まります。
それは母親が村八分になる事を恐れて憲兵隊に密告したのでした。
連太郎の部隊は中国戦線へ行きますが、
前線に向かう途中、熱病にかかり意識不明になり、
死体焼却場に送られる途中で息を吹き返し、生き残りました。

敗戦の中国大陸で、妻帯者は早く帰国できると聞いた連太郎は、
1946年に偽装結婚し日本に引き揚げてきました。
それから敗戦後の日本で様々な職を転々とする中、
1950年(27歳)銀座を歩行中に映画関係者にスカウトされました。

1951年「善魔」という映画でデビューしました。
その時の役名「三国連太郎」を芸名としたのです。



1953年、三度目の結婚をしました。
その時の子供が現在の俳優、佐藤浩市です。

あるプロデューサーは、
「三国は約束を守らない人で、一日待っても来ないのはザラ」と言っていたそうです。



三国が生涯で最も愛した女性は、太地喜和子でした。
41歳と19歳という22歳差でしたが、
大恋愛に発展、三国は今まで魅かれた女優は、彼女一人だけだったと言っています。
しかし三国は太地喜和子と別離しました。
三国いわく、「彼女に溺れてしまうのがイヤだった」
あるいは「一人の女に溺れてしまった三国連太郎を見るのがイヤだった」
なのかも知れません。



三国連太郎という俳優を考えると、
何と言っても「飢餓海峡」を語らない訳にはいきません。
あれほどの適役は三国連太郎以外には考えられないのです。

水上勉の原作で「犯人は6尺近い大男」という言葉が極めて重要なフレーズとなって、
頻繁に登場してきます。
ガッチリした大柄な体格の三国連太郎。
そしてどこか恐るべき雰囲気を漂わす男。
そんな俳優は三国連太郎以外は全く思い浮かびません。





絶対に知られてはならない恐るべき自分の過去を、
知られてしまう危険性を匂わせる女、杉戸八重。
三国連太郎は力ずくで杉戸八重を抱きしめ、絞め殺してしまうのです。
大男ゆえの恐ろしさを言葉ではなく感じさせる映画ならではのシーン。
それは原作では毒殺という設定なのですが、それを遥かに超えていました。



映画「八甲田山」では、憎たらしい指揮官、山田少佐を演じています。
でっぷりと肥ったあの時の三国連太郎は、多分90キロ以上あったでしょう。
そういった具合に変幻自在に体形までなり切ってしまう役者なんですね。



俳優年鑑によると、筆者はある時、
電車に乗って来た若い頃の三国連太郎に出会った事があったのですが、
電車内の乗客達が一斉に彼を見つめ惹き寄せられたそうです。
そのくらい若い頃の三国連太郎はとに角目立ったそうです。

私の伯母(母の妹)は若い頃、銀座のクラブでアルバイトのホステスをしていました。
伯母はいわゆるトランジスターグラマーで、凄く美人でしたが、
その伯母いわく、「ある日、三国連太郎がお店に入って来たの、
その瞬間、ホステス達がキャーっと歓声をあげた」そうです。
三国連太郎がダンスの相手に指名したのは伯母で、
小柄な伯母は長身の三国連太郎に抱かれボーっとして、あまり覚えていないんだとか。

「飢餓海峡」以外にも、この役は彼以外には考えられないという役はあります。
俳優には「役者」と「スター」とがあります。
三国連太郎は、彼こそ「役者」であり、
「飢餓海峡」で共演した、高倉健はスターですね。
私は高倉健を、いい役者などと感じた事は一度もありません。
それは吉永小百合も同じでした。
彼等はスターでいいのです。
演技が下手でも彼等は、スターという他の役者では出来ないものが売りなんです。
でも「これは完璧な役者だ」と感じる俳優って、本当に凄い。
「伊藤雄之助」「南田洋子」「小沢昭一」・・

少し前に書いたブログ「三毛別羆事件」で、
巨大羆を撃ち取った伝説の、そして偏屈で暴力的なマタギ、
山本兵吉も、三国連太郎以外の適役者は考えられません。
丹波哲郎か、室田日出夫だったら、あるいは?
実際、三国連太郎はテレビだかで、この役を演じたのですが、
私はそれは観ていません。ただそういった画像は見た事があります。

20年くらい前だったか、
世田谷の成城で独りで歩いている三国連太郎を見かけた事があります。
近くに東宝の撮影所がある場所でしたが、
背はきっと縮んでしまったのか、それほど大きくは見えませんでした。



後に大人気映画となる「釣りバカ日誌」に出演したのは65歳の時で、
このシリーズは22作まで、三国連太郎86歳まで続きました。
若い頃には、異様で普通でない肉食獣といった怪しさで身を包んでいた怪優、
彼ならではという恐ろしいムードを持った凄みを感じさせた三国連太郎。
しかし、晩年になって如何にも好々爺に様変わり。
俳優人生には様々な生き方がありますが、
晩年になって、そういった人気映画に恵まれ幕を下ろすなんて、
実に幸福な俳優人生だったと思います。



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