浄福寺・お寺のいろいろ日記

福岡県豊前(ぶぜん)市・下河内(しもかわち)浄土真宗本願寺派・上毛組(こうげそ)浄福寺の坊守の日記です。

ご協力ありがとうございました!

2021年07月26日 | Weblog
7月26日(月)

毎日暑いです🌻

連休中の土曜日はお寺の清掃奉仕の日でした。

暑い中、またコロナ禍の中にも関わらず、たくさんの門徒さんにお手伝いいただき、本当にありがとうございました。



年末さながら、笹を使ってお煤払いも!

普段出来ないところまでピカピカになり、お盆をお迎えできます。

お寺の境内でない、前の農道の草刈りまでしてくださった門徒さんもいらっしゃり、普段「ここはうちの土地じゃないから」などと思っている自分が恥ずかしくなりました。

本当にありがとうございました。


最後のとき。

2021年07月13日 | Weblog
7月13日(火)

梅雨明け



太陽のもと、ひまわりが一斉に花開くように、4歳の娘の成長が目覚ましいです。

自分で出来ることが増えてきて、少し子育てが楽になってきました。

その反面、寂しさが募ります。

以前、YouTube「お西さん」の常例布教で中村先生が教えてくださった詩が改めて身に沁みました。

「最後のとき(The Last Time)」

赤ちゃんをその腕に抱いた瞬間から 

あなたはこれまでとは全く違う人生を生きる

以前の自分に戻りたいと思うかもしれない

自由と時間があって 心配することなど何もなかったあの頃の自分に

今まで経験したことがないほどの徒労感 毎日毎日まったく同じ日々

ミルクを与えて背中をさすってやり おむつを替えては泣かれて

ぐずられて嫌がられて 昼寝をしすぎてもしなくても心配で

終わることのない永遠の繰り返しに思えるかもしれない

だけど忘れないで……

すべてのことには、「最後のとき」があるということを

ご飯を食べさせてやるのはこれが最後、というときがやってくる

長い一日のあと子どもがあなたの膝で寝てしまう
だけど眠っている子どもを抱くのはこれが最後

子どもを抱っこ紐で抱えて出かける
だけど抱っこ紐を使うのはこれが最後

夜はお風呂で髪を洗ってやる
だけど明日からはもう一人でできると言われる

道を渡るときには手を握ってくる
だけど手をつなぐのはこれが最後

夜中こっそり寝室にやってきてベッドにもぐりこんでくる
だけどそんなふうに起こされるのはこれが最後

昼下がりに歌いながら手遊びをする
だけどその歌を歌ってやるのはこれが最後

学校まで送っていけば行ってきますのキスをしてくる
だけど次の日からは一人でだいじょうぶと言われる

寝る前に本を読み聞かせて 汚れた顔をふいてやるのもこれが最後

子どもが両手を広げて あなたの胸に飛び込んでくるのもこれが最後

だけど「これが最後」ということはあなたには分からない

それがもう二度と起こらないのだと気付くころには
すでに時は流れてしまっている

だから今、あなたの人生のこの瞬間にも
たくさんの「最後」があることを忘れないで

もう二度とないのだと気付いてはじめて
あと一日でいいから、あと一度きりでいいから、と切望するような
大切な「最後のとき」があることを

(ママスタセレクトより)

諸行無常

今、という時の尊さ

そんなことはいつも忘れて、当たり前のように日々を過ごしている私です。

失くしてからしか気づけないけど、時々立ち止まってみることはきっとできるはず。



歳はとりたくないけれど。

2021年07月11日 | Weblog
7月11日(日)

先月末、母が転んで怪我をしました。

今では傷も目立たなくなり、すっかり元気になりましたが、頭から転んでしまったため、顔中傷だらけ、膝も打ち切ってしまい、心配しました。

幸い、骨折などはなかったのですが、頭を打って脳震とうを起こしたということで、念のため、精密検査もしてもらいました。

結果、異常はなかったものの、「脳が萎縮していますが、年相応というところでしょう」と言われながら、普段見えない頭の中を見せてもらいました。

普通に元気に生活していても、私たちは誰しもが確実に老いの真っ只中にあるのですね。

そして、老いの辛さは、身体的なものだけでなく、精神的なものも大きいように思います。

6月は体調不良、からの怪我で、すっかり精神的にも弱っていた母ですが、門徒さん方からあたたかい励ましをいただき、大学生のEちゃんには病院へ連れて行ってもらい、みんなに支えられていることを実感したようでした。

「健康第一」とみんな言いますが、その健康は決して自分一人の力で維持出来ているものではなく、いろんなものの力で成り立っているものでした。