早いもので、三月も終わり
桜の季節がやってきます
大変遅くなってしまいましたが、今月の法語です
この法語ポスター、父の施設の事務員さん方も見てくださっているようで、「凡夫(ぼんぶ)って凡人と同じ意味??」と、母に尋ねられたそうです
母はドギマギしつつも、「凡人ではなくて、このわたしのことじゃないでしょうか」と、答えたそうです
親鸞聖人は、と「凡夫というふは、無明(むみょう)煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」おっしゃっています
もしかすると、「わたしのことじゃない」と言う人もいるかもしれません
大智とは、阿弥陀さまの智慧のこと
わたしたちは、阿弥陀さまの智慧によってのみ、煩悩で満たされた本当の自分に出遇うことができるのです
そして、そんな自分と出遇うと同時に、そんな自分だからこそ、阿弥陀さまはわたしのことが心配で放っておけなかったのかと、お慈悲のぬくもりに出遇います
愚かな自分に出遇った悲しみと、その者を決して見捨てない阿弥陀さまに出遇ったよろこび
悲しみとよろこびをともに味わってゆくのが浄土真宗のみ教えです
そして、「どうせ凡夫だから」と開き直ることも、殻に閉じこもることもせず、凡夫のわたしの上にはたらいてくださる阿弥陀さまを感じながら、日々を歩んでゆくのが浄土真宗の仏道なのです
桜の季節がやってきます
大変遅くなってしまいましたが、今月の法語です
この法語ポスター、父の施設の事務員さん方も見てくださっているようで、「凡夫(ぼんぶ)って凡人と同じ意味??」と、母に尋ねられたそうです
母はドギマギしつつも、「凡人ではなくて、このわたしのことじゃないでしょうか」と、答えたそうです
親鸞聖人は、と「凡夫というふは、無明(むみょう)煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」おっしゃっています
もしかすると、「わたしのことじゃない」と言う人もいるかもしれません
大智とは、阿弥陀さまの智慧のこと
わたしたちは、阿弥陀さまの智慧によってのみ、煩悩で満たされた本当の自分に出遇うことができるのです
そして、そんな自分と出遇うと同時に、そんな自分だからこそ、阿弥陀さまはわたしのことが心配で放っておけなかったのかと、お慈悲のぬくもりに出遇います
愚かな自分に出遇った悲しみと、その者を決して見捨てない阿弥陀さまに出遇ったよろこび
悲しみとよろこびをともに味わってゆくのが浄土真宗のみ教えです
そして、「どうせ凡夫だから」と開き直ることも、殻に閉じこもることもせず、凡夫のわたしの上にはたらいてくださる阿弥陀さまを感じながら、日々を歩んでゆくのが浄土真宗の仏道なのです