浄福寺・お寺のいろいろ日記

福岡県豊前(ぶぜん)市・下河内(しもかわち)浄土真宗本願寺派・上毛組(こうげそ)浄福寺の坊守の日記です。

どこにいても。

2021年01月27日 | Weblog
1月27日(水)

施設に入所され、空き家になった遠方の門徒さん宅の閉仏式をお勤めさせていただきました。

父は車の免許を持っていなかったので、母の運転で、幼い私も一緒に三人でお参りすることも多く、特別な思い出があるお宅でした。

コロナ禍のため、施設に入所されたおばちゃんは帰って来ることが出来ず、義息子さんと二人でお参りしました。

いろんなことを思い出しながらお勤めをしていると、涙が出てきました。

お経が終わり、振り返ると義息子さんも泣いておられました。

いつの日か私も住み慣れた家を離れ、毎日手を合わせた仏さまを置いていかないといけない日がくるかもしれません。

それでも、仏さまはお仏壇の中にいらっしゃるんじゃない、

そして、私たちが帰るべき本当の家はお浄土です。

「なんまんだぶ」とお念仏するところに仏さまはいらっしゃる。

どこにいても、仏さまのみ手の真ん中

そのことを改めて心に留めました。


忘れ物。

2021年01月19日 | Weblog
1月19日(火)

息子は毎朝、お隣に住んでいる三年生と一緒に通学しているのですが、今朝、早めにうちに来て遊んでいた三年生(息子は四年生)に、「〇〇くん、早く行くよ!」と声をかけ、先輩らしい態度で出かけようとしました。

ジャンバーを着て、帽子をかぶり、水筒をさげて、

ランドセルを忘れて…

これで3回目

学校にランドセルを忘れて校門まで出てきたことも一度あります。

もちろん、ランドセルはさすがに誰かしら気づくので、そのまま忘れて行ったり、帰ったりしたことはないのですが…

忘れ物が多いです。

つい、先に手を出してしまうのは私だけでなく、うちには「教育ばば」と私から呼ばれている母もいるので、世話の焼き過ぎが原因かもしれません。

まるで自分を見ているかのように、息子を眺めています

自分の足でしっかり歩んでいけるように

私自身が先に変わる必要がありそうです。


おふくろの味を目指して。

2021年01月14日 | Weblog
1月14日(木)

先日、ついに、息子に「あーちゃんが作るご飯が一番おいしい」と言われました。

もちろん、息子以外は誰もそんなこと言ってくれませんが…

うれしくて、うれしくて

記念すべき日

料理が得意でない私ですが、最近は夕食作りがそこまで重荷でなくなり、前より時間もかからなくなってきました。

息子に毎晩夕飯を用意してあげられる日もあと10年ないかもしれません。

いつの日か、お母さんが作るアレが食べたい、と言ってもらえるように…

頑張ります!

でもまだブログに夕飯の写真はアップ出来ません




雪解け。

2021年01月12日 | Weblog
1月12日(火)

ようやく雪がとけ、安心して運転出来るようになりました。

雪解けを喜ぶ私に対して、寂しがる息子

昨日はかまくらが崩れていないか、何度も見に行っていました。

ふと、年をとって、連れ合いを見送り、子どもが巣立った後の寂しさを思いました。

昔はこの家にたくさん家族がいたけど、今は私一人…と寂しげに言われる方もいます。

でも、雪がとけ、雪だるまもかまくらも解けてなくなってしまっても、雪の日の思い出はきっと忘れることはないでしょう。

私自身も年をとるということに、なかなか喜びを感じることが難しくなくなりましたが、後ろを振り返ると、そこにたくさんの輝きが見えるようになりました。

けれど、過去の栄華に固執するのではなく、今の尊さにであっていけるよう…

遠く離れた太陽の力が今ここに届き、雪を解かしていくように、孤独の私の寂しさを仏さまがとかしてくださいます。




雪の日。

2021年01月10日 | Weblog
1月10日(日)

かなり雪が積もりました



息子と夫、近所の子どもたちが汗をかきながら作りました↓






そりはここで



そしてこの日、豊前市は成人式

いつもお寺のお手伝いやお参りに来てくれる浄福寺のアイドルが晴れ着姿で来てくれました



一同うっとり

お天気が悪くて…と私が言うと、それもいい思い出と言ってました。

おめでとう

ますます素敵な女性になっていくのをこれからも近くで見ていたです。


残るものがある。

2021年01月08日 | Weblog
1月8日(金)


道にもうっすらと雪の積もった朝でしたが、普通通りお参りにも行くことができました。

先月、大病がわかった門徒さんと久しぶりにお会いしてお話しました。

病気ではなかった、大したことはなかったと聞ければどれほどいいだろうと思いましたが、年末から治療を始められたそうです。

ご自身やご家族はどれだけ健康を願われているでしょう。

そこに座って愚痴を聞いてもらうのよ、とお仏壇の前を指されました。

愚痴が言える場所があってよかった、泣ける場所があってよかった、そのままを受け入れてくださる仏さまに出あえてよかった。

私たちは誰にも代わってもらうことの出来ない人生をそれぞれが生きています。

誰かの気持ちを予想することはできても、その場に身を置かなければ、本当にその人の身になることはできません。

自分の身に起こったことは、たとえ受け入れ難いことでも受け入れて生きていかなければならないのです。

でもその私をすっぽりと包み込む仏さまがいらっしゃる。

今更ですが、カミュの「ペスト」を読んでいます。

私は読書が得意な方ではないので、はてな?なところが多く、理解できてない部分が多いのですが…

その中で閉鎖された街をこっそり抜け出して妻との再会を試みようとする人物がいます。

その男性に敬虔なキリスト教徒である老婦が「神を信じていないのか?」と聞き、信じていないと答えた男性に対して、それならやっぱり彼女に会いに行く方がいいと勧めるのです。

そして、なぜならあなたにはそれしか残らないから、と伝えた言葉がとても印象的でした。

残るものがある人生

それは、生まれた意味が、生きている意味が、この世での楽しみを追い求めることだけではない人生ということでしょう。

つまり、死んでいくことにも意味のある人生を歩むということ

本当の宗教はきっとそんな世界を私たちに伝えてくれるのです。


明日は大雪の予報。

2021年01月07日 | Weblog
1月7日(木)

七草が売り切れでお粥が出来ませんでした。

寒い寒い!

今日は雪は道には積もらず大丈夫でしたが、明日はどうなるでしょう…

こちらは明日が小学校の始業式なのですが…

念のため買いました↓



求菩提でそり滑りをしていた友人に習って

参道で出来ればなぁと思ってます😊


本年もよろしくお願いします!

2021年01月05日 | Weblog
新しい年を迎えました。

皆さんどのようなお正月を過ごされましたか?

新たな気持ちで過ごす日

でも本当は仏教賛歌にあるように、「いのち毎日新しい」んでしょうね〜

御文章の中で「死ぬことは生まれたときから決まっていることで、驚くことではない」とおっしゃった蓮如上人にとっては、生きていることの方が驚きであったことでしょう。

そのうちにお正月に立てた目標も忘れ、毎日ぼーっと生活している私ですが、今年も仏さまの前に座って手を合わせる中で、今このときの尊さにであっていきたいと思います。