12月17日(土)
一年で一番お参りの方が少ないご法座、無縁供養法要でした。
親戚とも言っていいほど関わりの深い門徒さん方のみのお参りでしたが、お楽しみ会の輪投げ大会もして楽しいご法座でした。
ご法話は浄土真宗用語について私がお話させていただきましたが、母から難しすぎると指摘されました
お話をいろいろと考えている時にふと思い出した、というかずっと覚えていたのですが、その尊さに今頃気づいた話。
私が小学校高学年くらいの頃、父にお正信偈の意味を問うたことがあります。
「この一文一文に意味があるはず、お父さんちゃんとわかっとう?教えて!」と。
父は「お父さんはわからんけ、知りたかったら今度来る常昭兄ちゃんに聞きなさい」と答えました。
なんだお寺の住職なのに、お父さんってその程度か…と思いました。
その後、常昭兄ちゃんに意味を聞いたことはないので、お正信偈に興味を持っていたのではない、私はただ父を試したのです。
そんな意地悪な私のことを父はきっとわかっていたでしょう。
それなのに「わからない」と言えるすごさに今日初めて気がついて、一人泣きました。
知ったかぶりで用語の説明なんかして、でも本当のことはわからない、私は何にも知らない。
それでも仏さまが知っていてくれるから何にもわからなくてもいいだったね、お父さん。
ごめんね、ありがとう。