時事ネタは極力取り上げない方針ですけど、こんな昨今珍しい明るいニュースは取り上げなきゃならないでしょ。
っつうわけで、道頓堀川に放り込まれたカーネル・サンダース人形が発見されたというニュースです。
まず、昨日(3月10日)のYOMIURI ONLINEの記事を再掲しておきましょ。
阪神Vで道頓堀川へ、サンダース人形24年ぶり「救出」
1985年に阪神タイガースがリーグ優勝した際、興奮したファンによって大阪・ミナミの戎橋から道頓堀川に投げ込まれ、行方不明になった「ケンタッキー・フライド・チキン」のカーネル・サンダース人形とみられる人形の上半身が10日、戎橋の西約200メートルの川底で見つかった。
85年以降、阪神は日本一から遠ざかり、「カーネル・サンダースの呪い」と言われたことも。24年ぶりの救出劇に、ファンは「今年こそ日本一を」と期待を込めた。
大阪市によると午後4時ごろ、水深約1.5メートルの川底で障害物の除去作業中だったダイバーが、首から下が泥に埋まった人形を発見した。トレードマークの眼鏡が失われ、塗装もほぼはげていたが、当時のままの笑顔を浮かべていた。
行方不明になった人形は高さ1.73メートル、重さ26キロ。主砲のランディー・バース選手に似ていたため、ファンに胴上げされ、川に投げ入れられた。下半身とみられるものも見つかっており、市は11日に引き揚げる。
85年当時の監督だった野球解説者、吉田義男さんは「長年の宿題がやっと解決した。今年は呪いが解けて、真弓監督が日本シリーズで優勝してくれるのと違いますか」と喜んだ。
現場には阪神タイガース応援団本部の顧問、国定浩一・大阪学院大教授(68)も駆け付け、「あきらめていたので信じられない。甲子園球場に安置して、今度は守護神にしてほしい」と話した。(2009年3月10日22時52分 読売新聞)
今日、下半身と右手も発見されたようで、ますますめでたいことです。
で、カーネル・サンダース人形が道頓堀川に放り込まれた「戎橋:狂乱の一夜」は、当時、どのように報道されたのか、調べてみました。
私、タイガースが超久しぶりにセ・リーグを制覇した翌日、スポーツ紙を買い集めていました。
それが↓。日刊スポーツだけは「復刻版」です。
久しぶりにこれらの重要文化財的「資料」を開いてみると、なんと字の小さいことか
最近の日刊紙と比べると、半分くらいの大きさです。この辺りにも高齢化社会を実感してしまいます。
それはさておき、「戎橋:狂乱の一夜」の記事は載っていませんでした。どの新聞も「阪神優勝」を伝えるのが精一杯の様子で、戎橋でのジャンプ大会とか、問題の事件についての記事は見つかりません。
せいぜい、デイリーに載っていたこの記事くらいのもの。
今にして思えば、「『無礼講 ご免!!』は程度にもよるぞ」と突っ込みたくなる見出しです。
この紙面の上の写真が、優勝決定前の戎橋の様子らしいです。
それにしても、カーネル・サンダース人形の発見は、何とも楽しいニュースです(少なくとも私にとっては…)。
とりわけ、発見の前日まで私は大阪にいたわけですしね。
来年度は良い年度になりそうです。
ちなみに、下の写真は、現場となった戎橋で私が5年前に撮った写真(私にとって大事な大事な写真)です。
左側に目を惹く大看板が…
ふと思ったのですが、「カーネル・サンダース人形」とか「サンダースおじさん」は良いとしても、「カーネルおじさん」という表現はおかしくないですか? 某国で一般的に使われているらしい「将軍様」みたいで…。