新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

久しぶりに明るいニュースだ!!

2009-03-11 20:55:51 | MISIA

時事ネタは極力取り上げない方針ですけど、こんな昨今珍しい明るいニュースは取り上げなきゃならないでしょ。
っつうわけで、道頓堀川に放り込まれたカーネル・サンダース人形が発見されというニュースです。

   

まず、昨日(3月10日)のYOMIURI ONLINEの記事を再掲しておきましょ。


阪神Vで道頓堀川へ、サンダース人形24年ぶり「救出」
 1985年に阪神タイガースがリーグ優勝した際、興奮したファンによって大阪・ミナミの戎橋から道頓堀川に投げ込まれ、行方不明になった「ケンタッキー・フライド・チキン」のカーネル・サンダース人形とみられる人形の上半身が10日、戎橋の西約200メートルの川底で見つかった。
 85年以降、阪神は日本一から遠ざかり、「カーネル・サンダースの呪い」と言われたことも。24年ぶりの救出劇に、ファンは「今年こそ日本一を」と期待を込めた。
 大阪市によると午後4時ごろ、水深約1.5メートルの川底で障害物の除去作業中だったダイバーが、首から下が泥に埋まった人形を発見した。トレードマークの眼鏡が失われ、塗装もほぼはげていたが、当時のままの笑顔を浮かべていた。
 行方不明になった人形は高さ1.73メートル、重さ26キロ。主砲のランディー・バース選手に似ていたため、ファンに胴上げされ、川に投げ入れられた。下半身とみられるものも見つかっており、市は11日に引き揚げる。

 85年当時の監督だった野球解説者、吉田義男さんは「長年の宿題がやっと解決した。今年は呪いが解けて、真弓監督が日本シリーズで優勝してくれるのと違いますか」と喜んだ。
 現場には阪神タイガース応援団本部の顧問、国定浩一・大阪学院大教授(68)も駆け付け、「あきらめていたので信じられない。甲子園球場に安置して、今度は守護神にしてほしい」と話した。(2009年3月10日22時52分  読売新聞)


   

今日、下半身と右手も発見されたようで、ますまめでたいことです。
で、カーネル・サンダース人形が道頓堀川に放り込まれた「戎橋:狂乱の一夜」は、当時、どのように報道されたのか、調べてみました。
私、タイガースが超久しぶりにセ・リーグを制覇した翌日、スポーツ紙を買い集めていました。
それが↓。日刊スポーツだけは「復刻版」です。

1985tigers1

久しぶりにこれらの重要文化財的「資料」を開いてみると、なんと字の小さいことか

最近の日刊紙と比べると、半分くらいの大きさです。この辺りにも高齢化社会を実感してしまいます。

   

それはさておき、「戎橋:狂乱の一夜」の記事は載っていませんでした。どの新聞も「阪神優勝」を伝えるのが精一杯の様子で、戎橋でのジャンプ大会とか、問題の事件についての記事は見つかりません。
せいぜい、デイリーに載っていたこの記事くらいのもの。

1985tigers2

今にして思えば、「『無礼講 ご免!!は程度にもよるぞ」と突っ込みたくなる見出しです。
この紙面の上の写真が、優勝決定前の戎橋の様子らしいです。

それにしても、カーネル・サンダース人形の発見は、何とも楽しいニュースです(少なくとも私にとっては…)。
とりわけ、発見の前日まで私は大阪にいたわけですしね。
来年度は良い年度になりそうです

   

ちなみに、下の写真は、現場となった戎橋で私が5年前に撮った写真(私にとって大事な大事な写真)です。

左側に目を惹く大看板が…

On

   

ふと思ったのですが、「カーネル・サンダース人形」とか「サンダースおじさん」は良いとしても、「カーネルおじさん」という表現はおかしくないですか? 某国で一般的に使われているらしい「将軍様」みたいで…。

コメント (2)
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